千葉の歴史の道 房総往還を歩く



 竹岡から保田まで

 JR竹岡駅→島戸倉隧道・大日隧道→東京湾フェリー→金谷神社→鋸山ロープウェイ→鋸山→百尺観音→地獄のぞき→十州展望台→
 日本寺・羅漢エリア→大仏広場・大仏→中腹エリア・大黒堂・医王殿・通天窟・頼朝お手植え大蘇鉄→観音堂・仁王門→弘法井戸→
 表参道→房総往還(国道127号)→鶴崎神社→汐留橋(メガネ橋)→JR保田駅


 

旧道はいくつかの隧道を抜け金谷の町に入る町に入る前に海に向かって4本のレールが敷かれ海へと消えている。かつて造船所があった場所である。静かな集落が小さな漁港取り巻くように形成され、その海岸にそって旧道が延びている。家並みを離れて旧道を南にたどっていくと波が打ち寄せる岩場を経て、岬に向かう草むらの中に消えていった。その岬の根元を5番目の島都倉隧道が貫いている。


造船所跡

残されたレール

島戸倉集落から国道にもどり、隧道の前で右の旧道に入る。ここにも旧隧道が現役で残っている。外観は国道を弓形に結ぶ車道である。短い旧島戸倉隧道をぬけて国道に戻る。

館山自動車道、富津金谷IC導入路高架下を通り過ぎると、第6番目の大日隧道である。ただし旧道にはトンネルはなく、国道に開けられた大日隧道の横のわずかに盛り上がった程度の、切通しと越えて行く。旧道は柴崎集落をぬけ、国道に出たと思うとすぐに左の旧道に入っていく。隧道は狭く歩くには危険である。

 
ヨットハーバー
 
東京湾フェリー
(金谷港)
 
諏訪神社

国道の右手には東京湾フェリー乗り場があり、東京湾を横切って三浦半島の久里浜とを結んでいる。

旧道にはいってすぐ左手に房総石の石塀が長々と続いている。国登録有形文化財に指定されている鈴木家住宅である。門から内部をうかがうと奥に白壁土蔵が見えた。その通りにはほかにも房州石を使った石塀をめぐらす民家が見られた。その先の和風旅館「かぢや旅館」は、創業安政元年(1854年)の老舗旅館である。

金谷神社
狛犬(備前焼)
大鏡鉄案内板
大鏡鉄

旧道は国道127号に合流するが、すぐ左の旧道に入る。正面に金谷神社がある。赤味を帯びた備前焼の狛犬が目を引く。焼き物の狛犬は個々だけと言う話もある。右奥に県指定有形文化財「大鏡鉄」の説明板があった。文明元年(1469年)金谷神社の西方500mほど沖の海中から引き揚げられたものと伝わる。地元の長老の話(写真を撮っていたら話しかけられた)では大和武尊の東征の際船の舳先についていた鏡であるとの事であった。事実は、この地方にたたらによる製鉄技術が存在していたと推察される。神社の脇で道が二手に分かれ、右に折れていくのが旧道である。


鋸山ロープウェー

鋸山登山道

見晴らし台

地獄のぞき

駅まで戻り鋸山への登山道へと向かう。鋸山の標高は329.4mで正式な名称は乾坤山(けんこんざん)という。
山は凝灰岩から成り、建築などの資材として適している。そのため古くは房州石と呼ばれ、良質石材の産地として、江戸時代から盛んに採石が行われ(石切場跡は現在も残存している)、露出した山肌の岩が鋸の歯状に見えることから鋸山と呼ばれるようになった。採取された石材は、幕末から明治、大正、昭和にかけて、主に横須賀軍港や横浜の港湾設備、東京湾要塞の資材として利用された。また、靖国神社や早稲田大学の構内にも利用されている。自然保護規制の強化により昭和57年を最後に採石は終了し、現在、鋸山は観光資源として利用されている。


百尺観音

切通し

地獄のぞき

金谷港を望む
八犬伝・富山

330mに満たない山だが、標高0mからの直登はきつく(歳をとりました)、登り始めるといつもロープウェイを使わなかったことを悔やむ。途中、途中には休憩所が整備されている。鋸刃のようなギザギザの稜線が明鐘岬となって東京湾へ落ち込む。あちこちに垂直に切りだした採石場跡の壁が立ちはだかる。ギザギザの稜線も、その採石事業が作りだした物である。休憩所からの展望は素晴らしく、金谷の街、海岸から東京湾対岸の街から富士山と疲れを忘れさせてくれる。

百尺観音の手前で入場料を払う。百尺観音は世界戦争戦死病没殉難者供養と交通犠牲者供養のために発願され、昭和35年から6年の歳月をかけて昭和41年にかつての石切場跡に彫刻完成されました。航海、航空、陸上交通の安全を守るご本尊として崇めらています。 山の中腹以上が日本寺の境内である。

日本寺は神亀元年(724年)行基が開創したという古刹である。鋸山は昔の国境で、ここで上総と安房の国を分けていた。現在の富津市金谷と安房郡鋸南町の境界をなしている。

順路をたどって石段を登る。山頂展望台にある地獄のぞきは尖った岩の先で東京湾および房総半島、富士山等が見渡せるが高所恐怖症にとっては景色を見る余裕はないと思う。十州展望台からは五百羅漢像・羅漢エリアへの下りの階段となる。


五百羅漢像
日碑堂 奥之院無漏屈

弘法大師護摩窟西国観音・百躰観音・あせかき不動・日牌堂・奥の院無漏窟・聖徳太子像 などの石仏が崖・洞窟に並ぶ姿は圧巻である。

西国観音
日碑堂

なだらかな坂道を下ると大仏広場に出る大仏(薬師瑠璃光如来)薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい) は世界平和、万世太平を祈願し、天明三年(1783)に大野甚五郎英令が27人の門徒と岩山を3年かけて彫刻したものが原型です。その後、昭和41年に4年にわたって修復されました。

百体観音 弘法大師護摩屈
日本寺大仏
大黒堂 医王殿

お願い地蔵は大仏広場に安置され、様々な願いが込められた小さなお地蔵様に取り囲まれています。
この後、医王殿・日本寺と道は続く。日本寺からは保田側に降りる、マテバシイに覆われた整備された参道を下る。マテバシイ(馬刀葉椎、全手葉椎)は、ブナ科の常緑高木である。日本固有種で本州の房総半島の南端、紀伊半島、九州から南西諸島の温暖な沿岸地に自生。実はタンニンをあまり含まないため、アク抜きを必要とせず、そのまま炒って食用になる。粉状に砕いてクッキーの生地に混ぜて「縄文時代のクッキー」として味わうこともできる。


通天窟

頼朝お手植えの蘇鉄

鐘楼

大黒堂昭和十四年の大火によって焼失された後、復興計画の元、平成17年に再建され、弘法大師の彫られたと言い伝えられている大黒尊天が祀られています。(御前立は現代の名工渡辺貞光作)
薬師本殿(醫王殿)昭和14年の大火によって焼失された後、復興計画の元、平成19年に再建され、長い間仮本堂にあった日本寺のご本尊が移されています。
中腹エリアの上部には日本寺
曹洞九世高雅愚伝禅師と道元禅師、瑩山禅師を祀る通天窟がある。

 
頼朝お手植えの蘇鉄

 心字池
 
旧参道

中腹の広場には樹齢800年を超える頼朝蘇鉄が植えられている。源頼朝が再起を図った折に、日本寺で武運を祈願し、自ら蘇鉄を手植えしたと伝えられる大蘇鉄です。

鐘楼の鐘は日本寺鐘(国指定重要文化財)と言われ、鐘銘には、初めに下野国佐野庄堀籠郷(栃木県佐野市掘米町) の天宝寺鐘として寄進され60年を経て鎌倉五山の浄妙寺鐘となり、江戸湾を渡って日本寺鐘となった経緯が書かれてあります。

参道を下って行くと左手に心字池が見える。草書体の「心」をかたどったところから心字池(しんじいけ)の名前がついている。
その先には、元禄13の建立の観音堂の赤い姿が見える。扁額「円通閣」は旗本曽根懶斉の書である。昭和32年に瓦葺に改修されました。安房国札八番の十一面千手観音像が祀られている。
表参道の入口は
仁王門である。慈覚大師作と伝えられる金剛力士像は開口の阿形(あぎょう) 像と、口を結んだ吽形(うんぎょう) 像の2体を一対として、仁王(二王)の名で親しまれています。仁王門は元禄七年の再建で、仁王門の偏額「乾坤山(けんこんざん)」は韓国の王族の李呵O公の書である。


観音堂

山門

弘法の井戸
(手掘りと言われている)

振り返ると・鋸山

羅漢道道標 

ここに来るまでどのくらいの石段を上り下りしたことか、境内は山の中腹一帯・・全て歩いたが相当な運動量であった。また、高所恐怖症には地獄覗き、十週展望台からの眺望の醍醐味を十分味わえないであろう。
と「弘法の井戸」がある。保田側の入り口は乾坤山の扁額のある仁王門となる。仁王門の先、右奥には弘法井戸がある。資料によるとこの井戸は弘法太子の手掘りとの事である。
参道脇を流れる小川は元名ダムから続いている。内房線の高架を潜ると国道に合流する。上総湊の城山隧道から数えて7番目の明鐘(みょうがね)隧道を右手に見る。 ここより上総から安房に入る。町名の「鋸南(きょなん)」は鋸山の南側を意味する。

金谷側から見ると明鐘トンネルに繋がる落石除けの手前から海沿いに迂回する道が旧街道である。

 
保田海岸から明鐘岬
 冬の明鐘岬と富士山
広重の明鐘岬と富士山 
 
内房線 保田付近

荒々しい明鐘岬は筋状の岩が海に向かって延び出し白波の中に消えていく。鋸山が東京湾に突き出た場所である。岬に一軒の喫茶店がある。2014年秋公開された「ふしぎな岬の物語」の舞台となった場所である。

内房線にそった海岸線沿いのなぎさラインを500mほど歩くと右側に入る細い道がありその奥に鶴崎神社の鳥居が見える。
元は八幡神で名主岩崎家の屋敷内に祀られていたという。ご神体は大野英令作の神像で、他にやはり英令が描いた寛政4年(1792年)の大絵馬もある。


鶴崎神社・鳥居

拝殿

拝殿の絵馬

石鳥居は享和元年(1801年)のもの。ここから400mほど国道を行き200mほど上流に汐入橋(めがね橋)が架かっている平成28年に土木学会選奨土木遺産に指定された橋である。地元では「どんどん橋」と呼ばれていた。


親柱

汐止橋(めがね橋)

「この橋は、明治28年に竣工した石積み上路アーチ橋で各切り石がアーチに向かい斜めに積まれているのが特徴で、地元の保田石を使用した歴史ある橋です」と案内板にある。
元名川を渡り保田(旧本郷村)に入る。曲尺手の左手の道を入るとJR内房線保田駅である。


                      保田から岩井へ