千葉の歴史の道 房総往還を歩く



 姉ヶ崎から木更津(小櫃橋)まで

 JR姉ヶ崎駅→久保田城址→水神社・弘法清水→密蔵院→八幡神社・愛宕神社・蔵波城址→坂上の地蔵→道標→いぼとり地蔵→
 大勅天満宮→奈良輪神社(福王宮)→喜光院→坂戸神社→小櫃川(小櫃橋)


 

房総往還(国道297号)と内房線は並行して走っている。かっては線路がほぼ海岸線で、丘陵の崖が海に落ちこんでいた。街道はその波打ち際に造られた。右手に工業団地が続き高い煙突が見えるのみで、波の音は聞こえてこない。

市原市から袖ヶ浦市に入る。県道300号をくぐる。県道300号は内房線と国道16号との大きなインターチェンジを一跨ぎして臨界コンビナートに突入していく。
県道300号をはさんで、東側に代宿、西側に浜宿という地名が残っている。最寄りの長浦は街道の宿場ではないが、ちょうど姉ケ崎宿と奈良輪(袖ヶ浦)宿の中間に当たり、間宿的な休み場であった。


久保田城址絵図

左手に成龍寺参道があり、境内案内図に「久保田城址碑」とある。久保田城址碑を探したが見つからない。

久保田城は天文7年(1538年)以降に椎津城に入った真里谷武田信政の築城といわれる。天文21年(1552年)に里見氏の支配下になり、さらに小田原北条市の家臣松田尾張守により落城したという。

水神社鳥居 三山・解散記念碑 吾妻屋(弘法清水 弘法清水
弘法清水案内板

街道にもどって浜宿川を浜宿橋でわたる。歩道に伸びた草をよっけながらしばらく歩き、内房線の馬場踏切を渡った所に小公園が整備され、そこに復元された「弘法清水」がある。江戸時代ここは海で、弘法大師が杖を立てたところ海中から真水が湧いてきたという。小ぶりの赤鳥居の奥に金比羅宮と水神宮がある。
その隣には久保田漁協の解散記念碑が、さらに出羽三山碑が数基並べてある。工業団地が造成された過程には沿岸の漁場と漁業権を放棄する苦渋の決断を余儀なくされた。内房沿岸の漁業協同組合はことごとく解散し、集落を移るたびにその石碑を目にする。

蔵波城址 蔵波城址絵図  
密蔵院
 
密蔵院・首なし六地蔵

尋常小学校跡
 
八幡神社・山門 拝殿 愛宕神社

往還(297号線)に戻り、やがて長浦駅の向かい側に小高い山が現れる。蔵波城址で、この城も真里谷武田信政の築城といわれる。その小高い山の麓には密蔵院と八幡神社、さらに山頂には蔵波城址・愛宕山、愛宕神社がある。

地蔵様 坂上の地蔵様 右・道標 地蔵様・奥に道標」 蔵波城址

八幡神社の参道を出て往還を左に行き右側のビジネスホテルの斜向かいの坂道の入口に地蔵様がある。坂道を登ると3体の地蔵様が立っている。元に戻り海岸方面に向かう、内房線の海寄り二筋目の通りが旧道筋で、昔は田んぼの中を一直線にのびる畷道だったという。そば屋川善の角の向かいに道標と地蔵様が立っている。道標はほとんどが欠けていて文字などは見えない。長浦駅下には仏像があったとの事だが開発で密蔵院に移転されたと聞いたが、その場所は不明である。道なりに右にまがって旧道らしい雰囲気がのこる住宅街を通り抜けていく。旧道は国道16号の高架下をくぐってすぐに左折、坂を上って歩道で内房線をまたぎ反対側に下りて県道87号に合流する。

いぼとり地蔵

県道87号と国道16号の導入路の分岐点に「いぼとり地蔵」と呼ばれる道標を兼ねた二基の石仏がある。左側の石仏向背には「右うしく かさもりミち 左江戸道」、右側には「右かさもり うしく道 左江戸道」と刻まれている。左江戸道が房総往還で、牛久、笠森は東の内陸方向に向かう道を指している。

大勅天宮・鳥居
大勅天宮・拝殿

すぐ先左手高台の「おふごの森」の中に大勒天宮の小さな祠がある。壬申の乱で敗れた大友皇子が上総へ逃れ、皇子の一人福王丸がこの地に居を構え、死去後に墓が造られたという伝説がある。石鳥居の前に塚が築かれ一本の大木が斜めに聳えている。一里塚にふさわしい姿のこの塚は長見塚と呼ばれ、江戸時代奈良輪村と蔵波村との浦境をなしていた。街道はこの森の下の波打ち際を走っていた。長見塚の下を通る船は帆を下げて通ったという。


参道の長い階段
奈良輪神社・拝殿 扁額 本殿 庚申塔

袖ヶ浦の町の中心部にはいっていく。左手の坂道を上って行くと、奈良輪神社(福王宮)がある。祭神は福王丸で、「おふごの森」から延宝2年(1674)に当地へ移したという。境内に元禄11年(1698)の庚申塔などがあり、隣接した塚上には大きな出羽三山記念碑が建てられていた。

喜光院 薬師如来
地蔵立像

街道に戻り、喜光院境内にある薬師堂を見る。堂を取り囲むように並び立つ地蔵群のなかでひときわ高い丸彫りの地蔵立像は寛文8年(1668年)という古いものである。

袖ヶ浦駅入口交差点に差し掛かる。奈良輪は姉崎と木更津の間の継立場で、交差点の南西角付近が奈良輪宿の問屋場跡だったという。今はその面影もなくただ交通量の多い交差点である。

坂戸神社鳥居・参道 拝殿 扁額 参道の彫刻

その先、左手に旧道が短くのこり若干の静寂を維持している。昭和小学校の裏手には坂戸神社の森があり丘の上には坂戸神社がある。坂戸神社の創建年代は不詳だが、日本武尊東征の時、本社に戦捷を祈り親ら奉幣したと伝えられ、古くより近郷の総鎮守であったという。

小櫃川(小櫃橋)

浮戸川を坂戸橋で渡り、左の旧道に入る。右手に真新しい社殿の若宮神社をみて静かな坂戸市場集落を抜ける。旧道は小櫃川に突き当たり県道270号にもどって小櫃橋を渡る。かつては渡し舟で渡った。
「小櫃」も大友皇子の亡骸をおさめた棺からついた地名という伝説がある。福王伝説とともに、この地に伝わる大友皇子東下り伝説には根強いものがうかがえる。
小櫃橋を渡ると木更津市に入る。


                     木更津から君津へ