千葉の歴史の道 房総往還 を歩く

                  いっちゃんと仲間が歩いた房総往還・・

千葉に生まれ、千葉で育ち、生活の糧も千葉で得た(3年ほど横浜・山梨・栃木、茨城と単身赴任もどきをしたが・・)縁あって木更津に居を構え家族と暮らしている。木更津は歴史の街でもある。房総の歴史に興味を持ち、安房から上総、下総に続く街道があることを知る。
自分が育った千葉の街道を歩いてみようと思い、地元図書館に通い資料を探し当て、自分なりに参考文献をもとに街道の地図と資料を作った。
房総往還は、「千葉県歴史の道調査報告書」(千葉県教育委員会)によると、船橋で佐倉道と分岐し、木更津を経て館山に至る道です。
江戸時代には参勤交代の道として、また江戸時代後期には江戸内湾防衛線として重要な役割を果たしていました。
一方、商業や地元民という立場から見れば、歩いて江戸へ行く一本の道というよりも、江戸へ舟で物資を運ぶために、内房の湊と湊を結ぶ道としていくつにも分断される道と記されている。


房総往還は船橋で佐倉道(成田街道)と分岐し、木更津を経て安房方面に達する街道である。
房総往還の名称は様々で、特に近世においては船橋から館山間を通しての「房総往還」としての名称は無かった。

近世の道標を見ると、上総道・木更津道・房州道と記してある一方、江戸方面に対しては江戸道と刻まれている。
これは上総道が道路名ではなく、上総の方へ行く道ということを意味していると思われる。

近代に入ると東京から千葉に至る道は千葉街道、千葉から館山方面に達する道は房総街道と呼ばれたり、通して房総街道と呼ばれたりしている。

房総往還は支配・政治といった面からみれば一本の道であり、商業・地元民という立場から見ればいくつにも分断される道であり、参勤交代、近世後期には海防関係者の通行及び江戸内湾防衛線として重要な役割を果していた。

一方、地域住民にとっては一本の道、歩いて江戸に行く道という認識より、内房の湊(港)と湊(港)を結ぶ道という認識が強かったと考えられる。
房総住民にとって内房は江戸へ物資を運ぶ、又は江戸へ出る時に舟が出る湊(港)であったからである。内房沿岸諸村はほとんどの村が江戸に向けて船を出していたが、なかでも千葉(登戸・寒川・曽我野等)や木更津はその最大拠点であった。

房総往還はその大半が内房の海岸に沿った道であり、安房に入ってからは危険な箇所もあった。この道は現在も房総の主要道路として物資輸送の車両が行き交うが、旧道をそのまま利用して現在の道ができ上ったのではないため、旧道・旧市街(継場)の様子を留めている所がかなりみられる。
房総往還においても、継場への入口・出口に鉤型を残す所も多く残っている。

房総往還における継場立場・継立場(つぎたてば)継場:江戸時代の五街道やその脇街道に設けられた施設である)は各藩が設置したものや、周辺住民の手で自然発生したものもある。参勤交代などの大きな行列が通る時は、近隣の村々が協力し合い継場を運営した「助郷」と言う組織があった。
房総往還における継場は、伊能忠敬の『沿海測量日記』によると、船橋−幕張−検見川−寒川−曽我野−浜野−八幡−五井−姉崎−奈良輪−木更津−貞元−佐貫−湊−竹岡−金谷−本郷−那古−北条−館山と記されている。

 
             房総往還・歴史の道への誘い

  
                      index
    
 
船橋大神宮(船橋市)
 
昆陽神社(千葉市花見川区) 
  (1) 船橋大神宮から幕張昆陽神社へ
       船橋から幕張へ「飢饉を救ったイモ畑」
 
 歩いた日 2015. 2.20(調査)
       2015. 8.22(下見)
     2015. 9.12
     2016. 4.14、24(31期 房総往還を歩く 1)

 
印旛落し掘(千葉市花見川区)
 
検見川神社(千葉市稲毛区) 
  (2) 幕張から千葉公園へ
      面影の残る街道・保養地の面影を残す街道を歩く

 歩いた日 2015. 4.13(調査)
      2015. 5. 3 (下見)
      2016. 5.12、22(31期 房総往還を歩く 2)

 
千葉神社(千葉市中央区)
 
君待橋の碑
  (3) 千葉公園から君待橋へ
       戦国時代から鎌倉幕府へ、源頼朝・千葉氏の出逢い

 歩いた日 2015. 5.22(調査)
      2015. 6.23(下見)
      2016. 6.11、16(31期 房総往還を歩く 3)
 
蘇我神社(千葉市中央区) 
   
本行寺(千葉市中央区)
  (4) 君待橋から浜野へ
       戦国時代からの港町、千葉の発展を支えた街

 歩いた日 2015. 5.21(調査)
      2016. 6.22(下見)
      2016. 7.14、.24(31期 房総往還を歩く 4)
 
足利義明夫妻墓所(市原市) 
   
大宮神社(市原市)
  (5) 浜野から八幡宿へ
       文人・墨客が渡った、維新の攻防、村田川

 歩いた日 2015. 6.30(調査)
      2015.10.31
 
国分尼寺(復元・市原市国分寺台)
   
房総往還道標(市原市姉崎)
  (6) 八幡宿から五井へ
       八幡御所の足利義明の生涯・天平の甍、上総国分寺・
       上総国分尼寺

 歩いた日 2015. 7. 7
      2015. 7.15
      2016..10.13
 
会津藩士の墓(市原市姉崎)
 
蔵波城址(袖ケ浦市)
  (7) 五井から姉ヶ崎へ
       鶴牧城址・藩校と幕末徳川義軍武士の墓

 歩いた日 2015. 7.20
      2015. 9.25
      2016.11.10
      2016.12.18 
 
八釼八幡神社(木更津市)
 
頼朝お手植の蘇鉄(木更津市)
  (8) 姉ヶ崎から木更津へ      

      伝説の地、袖ケ浦から歴史の町木更津へ

 歩いた日 2015. 7. 4(調査)
       2015. 7.20

      2016.12.18

   
近江屋甚兵衛の墓(君津市青蓮寺)
   
人見神社(君津市)
  (9)  木更津から君津へ 

       伝説と歴史の町木更津から君津へ

 歩いた日 2015. 7.28(調査)
      2015. 8.15
      2017. 2.26 

 
大乗寺(富津市)
 
飯野陣屋跡(富津市) 
  (10) 君津から富津へ
      南関東最大内裏塚古墳・日本随一飯野陣屋跡

 歩いた日 2015. 8.18(調査)
      2015. 8.24(下見)
      
2017.4.16

 
鶴峯神社(富津市)
 
灯篭坂大師(富津市)
  (11)  富津から竹岡へ
     
「甲寅紀行」水戸光圀の歩いた道

 歩いた日 2015. 8.29(調査)
     2015. 9. 1(下見)
     2017. 4.
28
  薬王寺・オハツキイチョウ(富津市)    
金谷神社(富津市)
  (12) 竹岡から保田へ
      神秘のヒカリモ・房州石奇観鋸山、難所・明鐘隧道

 歩いた日
2015. 5. 1(調査)
      2015. 9. 3(下見)
      2017. 5.27(予定)


  妙本寺(鋸南町)  
頼朝上陸の地(鋸南町)
 

(13) 保田から岩井へ     

      源氏再興の旗揚げ、源頼朝上陸地・捕鯨の里勝山

 歩いた日 2015. 6.10

 
伏姫と 八房(富浦町)
 
那古観音(館山市)
  (14) 岩井から那古船形へ(木の根峠越え)

     木の根峠と義民忍足佐内の碑・佐内地蔵

 歩いた日 2015. 9.22
 

  鶴谷八幡宮(館山市)   
館山(城山)城(館山市)
  (15) 那古船形から館山へ

      絶景崖観音・鶴谷八幡宮の龍・里見氏築城の館山城へ

 歩いた日 2015. 9.21