Blowin' in the Wind 2018
                          
いっちゃん鎌倉街道を歩く・・

横浜市営地下鉄ブルーライン岸根公園を降り、改札を出て階段を登ると篠原池の前に出る。目の前には公園が広がっている。岸根公園は第二次世界大戦後のの現在の敷地は米軍岸根部隊が駐留する「岸根キャンプ」(岸根基地)であった。当時の施設として、病院、教会等があり、ベトナム戦争には、ヘリコプターが毎日飛来し、戦争の激しさを示していた。


岸根公園

篠原池

管理事務所

岸根バラック


公園の風景

また、園内にある篠原池は、米軍施設よる排水により、汚染された歴史がある。なお、現在の篠原池は公園整備の過程で、武道館建設等により規模が縮小され以前の面影は少ない。1972年にキャンプの撤収に伴い横浜市に土地が返還され、公園として整備されることとなった。園内には、野球場などがあり、周辺住民の憩いの場となっている。同じような施設が小倉にもあり、松本清張の「黒地の絵」の題材になっている。


長遠円寺・山門

境内

本堂

庚申塔

観音像

畑と住宅地・・新興住宅地の中を歩く。こんもりとした木立が見える街道右側に、日蓮宗の長遠寺じゅうじゅじ)がある。天正年中に宝林院日住が字元宮に草庵を興し片倉山長遠寺と称したという。明治維新までは隣接する杉山神社の別当寺であった。 樹齢700年のイトヒバ、樹齢250年のイチョウが境内に聳えている。


杉山神社

拝殿 

そのすぐ隣には杉山神社がある。往昔元宮辺にあったものを、いつの頃か今の地に遷座したといい、長遠寺が別当をして居た。社殿は神奈川の漁師町に在った諏訪社が熊野神社に合併された時に、諏訪社の社殿を当社の社殿にした。


日枝神社

拝殿
 

街道に戻り、左側の森には日枝神社がある。 祭神は大山祇命 (おおやまつみのみこと) 「此村の鎮守にして村民の持なり鎮座の年代を伝へず」とある。大山祇神(おおやまづみのかみ)は日本全国の山を管理する総責任者で、その娘に、富士山の神の木花咲耶姫(このはなさくやひめ)がいる。


中丸橋

住宅街を歩き、県道まで下ると神大寺小学校、その先は片倉台団地で街道は途切れている。片倉台団地を抜け、街道は中丸橋にたどり着く。一度登り、下ってゆくと横浜生田線にぶつかる。

歩道橋を渡り、脇道を進むと高速道路に架かる岡沢橋に出る。その先が昭和24年に公開された総合運動公園の三ツ沢公園となる。


岡沢橋

三ツ沢公園

裁判所通りから

脇の道路を進むと、ここいらあたりがこの辺りの最高所かなと思える。横浜方面にはランドマークタワー、西側には丹沢山塊が建物・住宅の間から見ることができる。

裁判所通りに出るが道幅が狭い、大型の路線バスも通っている。すれ違いが大変である。坂道を下った宮田町で八王子街道にぶつかると保土ヶ谷宿である。


商店街(東京方面)

商店街(宿場)

江戸方見附跡

保土ケ谷宿は、慶長6 (1601年)東海道に宿駅 の制度が定められた際に、幕府公認の宿場として 誕生した。江戸から約33Km(8里・9丁)で、品川・川崎、 神奈川に続く番目の宿場である。宿場が担う役割は、荷物の運搬に要する人馬な どの継ぎ立てや旅人の休泊施設の提供、飛脚の業務などがありました。

宿場としての街並は約2Kmで、宿内には本陣を中心に旅籠や茶屋、商店が立ち並び、宿場町として、にぎわいをみせていました。

商店街の一角に「江戸方見附跡」の案内版が立っている。

江戸方見附は、各宿場の江戸側の出入口に設置されているもので、見附は本来簡易な防御施設として設置されたと考えられる。ここ江戸方見附から京都(上方)側の出入口に設置された上方見附までは、家屋敷が街道に沿って建ち並び「宿内」と呼ばれた


橘樹神社

拝殿

力石

庚申塔
右:横浜最古の物

宿内を少し行くと右側に橘樹(たちばな)神社がある。文治2年(1186年)源頼朝が天下平定を賀し、子孫繁栄を祈願して、京都祇園社の御分霊を勧請したのを創祀とする。故に初めは祇園社と称したが、江戸時代は牛頭(ごず)天王社といわれ天王町の由来である。本殿の裏手には横浜市最古といわれる寛文9年1669年)の銘が刻まれた青面金剛庚申塔がある。


帷子橋跡モニュメント

帷子川を渡り相鉄線の高架を抜けた先に、帷子橋跡モニュメントがある。昭和39年(1964年)の帷子川の河川改修以前は、今の天王町駅前公園に旧帷子橋が架かつていた。

街道(古東海道)に戻ると、古町橋跡の案内板が見える。この場所に江戸時代初期の東海道(古東海道)が帷子川をわたる「古町橋」(帷子橋)があった。


帷子川

古町橋跡

慶安年間(1648〜52年)の新道の開通にともなって架けられた旧帷子橋は、これに対応して「新町橋」と呼ばれるようになった。また、かねてから暴れ川として氾濫を繰り返していた帷子川の改修が昭和38年(1963年)に決定され、帷子川の流路は北側に変更された。それにともない、現在の古町橋は昭和41年(1966年)に、ここから約120m北に架設されている。


道標
庚申塔

庚申塔

相州道・古東海道道標

しばらく歩くと神戸長交差点の先に立派な、古東海道(相州道)碑が見える。現在知られている「旧東海道」は、慶長6年(1601年)に保土ヶ谷宿が成立した当時のものではなく、慶安元年(1648年)に竣工されたもので、それまでは追分(宮田町1丁目)から上方方面の東海道はここを通っていた。現在、追分から神明社あたりまでの道筋は判明しているが、そこから境木までの道筋には諸説がある。


神明社
人形清流流し
清流

拝殿

交差点の先に神明社の鳥居が見える。神明社の創建は平安時代中期の天禄元年(970年)。当地は伊勢大神宮の御料地として寄進され、榛谷御厨(はんがやのみくりや)と呼ばれ、その鎮守として神明社が建立された。祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)である。


大乗院坂道

天徳院

天徳院・外塀

大きな寺院の並ぶ街道を歩く。


大蓮寺案内石碑

山門

参道・山門

山門

本堂

お手植えの柘榴

駐車場の脇に大蓮寺戸書かれた石碑の先に、日蓮の大蓮寺の山門が見える。開山は江戸時代初期(1625年)日蓮上人が泊まった家を法華堂に改修したのが寺の始まりとのこと。家康の側室おまんの方お手植えの柘榴(ざくろ)の木がある。

お万の方は徳川家康の側室であった。大滝城主正木頼忠の娘であるが,蔭山氏広の養女となったため蔭山殿ともいう。頼宣(紀伊藩祖),頼房(水戸藩祖)をもうける。家康没後落飾して養珠院と号した。日蓮宗に帰依。池上本門寺に墓石がある。


島田正吾邸跡

ここから旧東海道に戻る。街道の三差路には島田正吾の屋敷があったが、今はマンションになっている。


助郷会所跡

問屋場跡

高札場跡

金沢横丁碑

助郷会所跡(すけごうかいしょあと)問屋場跡、高札場などの案内標柱が道路わきに立っている。


道標・案内所

金沢横町道標

金沢横町には金沢横町の石碑4基が案内所の前に並べられている。以前は狭い十字路に立っていたが、整備されてそうだ。

金沢や鎌倉へ向かう道との分岐点で、横浜市地域有形民俗文化財になっている。

・圓海山之道〔天明三年(1783)建立〕左面に「かなさわかまくら通りぬけ」とあり、円海山は「峰のお灸」で有名。
・かなさわ、かまくら道〔天和二年(1682)建立〕左面に「ぐめうし道」と記されている。
・杉田道〔文化十一年(1814)建立〕正面に「程ヶ谷の枝道曲がれ梅の花」其爪とある。句碑を兼ねた道標は珍しい。また其爪は江戸の人で河東節  の家元。
・富岡山芋大明神社の道〔弘化二年(1845)建立〕芋明神は富岡長昌寺でほうそうの守り神の4基である。


鎌倉街道

保土ヶ谷宿

保土ヶ谷宿本陣跡

旅籠・金子屋

先に踏切を渡ると、旧東海道と別れ、坂道の先が鎌倉街道となる。



                                                  
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2018.10.6

 鎌倉街道下道編 岸根公園から保土ヶ谷
    

 第8回行程 
岸根公園…長遠寺…杉山神社…日枝神社…片倉台団地…中丸橋…尾沢橋…三ツ沢競技場…江戸川見附
       橘樹神社古町橋跡…道標…神明社…保土ヶ谷宿…道標…保土ヶ谷駅