Blowin' in the Wind 2018
                          
いっちゃん鎌倉街道を歩く・・
日吉本町駅前の通りを900mほど南下すると左側に旧家の長屋門が見える。飯田家住宅(現住)である。内部は非公開となっている。

日吉本町駅

飯田家長屋門

飯田家母屋

長屋門がある飯田家屋敷は、綱島台の丘の北麓に接し、かつては山麓以外の三方を堀で囲まれていたという。中世土豪館の屋敷構えを残す名主屋敷で、このような豪族館は鎌倉時代から戦国時代にかけて多く見られ、平時は山麓の居館で生活していても、有事の際には隣接する山上の砦に立て籠って戦をする事を想定していた。


堀(一部がに凝っている)

飯田家古地図

現在は堀が残るのは西側の一部だけで、堀越しに見る長屋門は江戸時代後期建築された物である。主屋は1889年(明治22年)の建築で共に市の文化財に指定されている。江戸時代になっても開拓名主として当地を支配した格式を今に伝えている。
飯田家住宅から数分の交差点手前左側に、赤いトタン葺き建物が建っている。現在、無住の廃寺となった来迎寺のお堂である。寛永元年(1624年)に創建された江戸時代初期のお寺である。堂内には阿弥陀如来像閻魔大王像が祀られているようであるが、境内にも青面金剛像と三猿が彫られた庚申塔地蔵像が複数みられる。独特の文字で南無阿弥陀仏と彫った徳本上人の六文字名号塔も祀られている。


来迎寺

庚申塔

地蔵様

石碑

左折した道路は子母口綱島線で、先は綱島駅、国道2号線となる。綱島は、戦前・戦後と「東京の奥座敷」と呼ばれた温泉街だった。
かつては約80軒の市区泊施設があり、東京近郊の温泉地として賑わいをみせていたが、昭和39年(1964年)に東海道新幹線が開業したことで、熱海・箱根、伊豆などへ日帰りで行けるようになったため、徐々に寂れた。最後まで残っていた「浜京」も2008年に閉館・解体され、宿泊施設はなくなり、日帰り入浴施設「綱島温泉東京園」も近年取り壊された。


ピーチ花壇 
 
綱島駅

また、綱島は戦前まで「日月桃」を栽培し出荷して「東の神奈川、西の岡山」といわれる桃の産地だった。早渕川と矢上川に囲まれた綱島は、明治の頃よく洪水で農作物に大きな被害を受けていた。そこで水害に強くこの地の土壌に適した桃を植え育て、少面積で米作の三倍ほどの収益をあげるようになった。昭和初期は岡山を抜いたが、鶴見川の大洪水と戦時中の「嗜好品の桃より米や麦を作れ」という軍の命令、戦後はこの地域に工場が進出してきたことや、綱島温泉が栄えてきたために土地を売る農家が増えた。桃農家は今や一軒だけになっている。


大綱橋

鶴見川

ラジウム雲泉湧出
記念碑

国道2号綱島交差点を右折して鶴見川に架かる大綱橋を渡ると旧道に入る分岐点に「ラジウム雲泉湧出記念碑」が建っている。

大正3(1914年)、鶴見川に堤防を築くにあたり、付近に住んでいた加藤順三さんが家を移転することになった。移転先で井戸を掘ったら赤い水が出てきたので、それを風呂に入れて湧かし入っていたところ、持病のリウマチが治った。専門家に成分を調査を依頼すると「ラジウム」が含有されていることがわかる。このことが綱島に温泉旅館が立ち並ぶきっかけとなった。

旧道から国道に出ると上り坂になっている。この街道は「中原街道」「古東海道」また、「絹の道(シルクロード)」と呼ばれていた。群馬で生産された生糸を横浜に運んだ道である。横浜で仕分けされ、一級品は輸出され、それ以外は国内で使われたという。生産地と市場を結ぶ、主要道路であった。
坂道の途中には秋浦神社、庚申塔、道祖神なども残っている。


庚申塔・石仏

双体道祖神

坂道を登り切った交差点の信号には熊野神社の案内板がある。させつして200mほどの所にある、師岡(もろおか)熊野神社の御祭神は伊邪那美尊(いざなみのみこと)、事解之男命(ことさかのおのみこと)、速玉之男命(はやたまのおのみこと)で社紋は八咫烏(やたがらす)である。


いの池

いの池・弁財天 

この神社は神亀元年(724年)に全寿上人が開かれたと伝わる。享禄2年(1529年)北条早雲、慶長4年(1599年)徳川家康、寛永19年(1642年)家光、寛文5年(1665年)家綱から御朱印地を戴き、代々の将軍家の崇敬が篤かった。明治元年神仏分離の際、熊野神社と法華寺に二分された。平成17年(2005年)に覆殿・翼殿をはじめ、平成26年には手水舎を新築、境内社整備をし、参集殿改修等を行った。関東地方における熊野信仰の根拠地として、また、横浜北部の総鎮守の宮として古代より現代に至るまで篤い崇敬を受けている。


熊野神社・鳥居

拝殿

社紋・八咫烏

向背・八咫烏

のの池

庚申塔 

境内地は約4,800坪(16,000㎡)あり、境内の樹林はアカガシを主体とした暖帯林の自然植生をよくとどめており神奈川県指定天然記念物となっている。門前に弁財天を祀る「い」の池、裏山に神事に使う「の」の池があり、現在は埋められ大曽根第二公園となった「ち」の池と合わせて「いのち」の池と呼ばれていた。この内「い」の池は横浜市登録知己文化財(史跡)に登録されている。


法華寺・本堂

境内

裏山・ざんげ坂

天台宗の法華寺は、聖武天皇代の神亀元年(724年)に天寿という僧がこの地に住み着き、法華経を転読、熊野権現のお告により毘首羯摩が彫刻した本尊を安置した。その後、光孝天皇の御后妃御願成就により仁和元年(885年)に創建され、その後、良賢(元禄2年1689年寂)が中興したと伝わっています。法華寺は横浜市のオープンテラスとなっており、裏山を自由に散策できる。
街道に戻り100mほど歩くと旧道との分岐があり寛政9年(1797年)建立のの庚申塔がある。


街道の庚申塔

ここから大倉山の繁華街(レモンロード)へ向かう。大倉山の駅の先には大倉山の碑が建っている。碑の先の線路沿いの道を登って行くと、大倉山公園うっそうと茂る大きな木の中に、大倉山記念館が見えてくる。


大山記念公園入口

公園の樹木

大山記念館

内部

石造りの階段

大倉山記念館  大倉山記念館 実業家で後に東洋大学学長を務めた大倉邦彦(1882~1971年)が昭和7年(1932年)「大倉精神文化研究所」の本館として創建した。昭和56年(1981年)横浜市が寄贈を受け、大改修のうえ建物の保存を図り、昭和59年(1984年)横浜市大倉山記念館として生まれ変わった。平成3年(1991年)には横浜市指定有形文化財に指定された。現在は市民に開放され、地域に密着した催し物が多数行われる文化施設として親しまれている。また、ギリシャ神殿様式のピロティー(吹き抜け)、昭和初期の雰囲気を残す第5集会室、神社建築の木組みを取り入れたホール、エントランス(正面玄関)など、映画やテレビのロケ地としても数多く活用されている。


不動尊跡・石仏

不動尊跡・鳥居・祠

街道に戻り、17号線尾交差点を渡ると大豆戸(まめど)言う地名になる。大豆戸は「真間処(ママド)」という読み方が転化して「マメド」になり、その後マメに「大豆」の字を充て、「大豆戸」になった説が有力といわれている。地図にも名前がない神社の社跡のようなものがある。石造りの鳥居も建っているが、神社は土台しか残っていません。由来とどうしてなくなったのかが気になった。

社跡のようなものは、平成15年(20003年)5月に火災で焼失してしまった大豆戸不動尊の跡で、200年以上前からあったようだが由来は分からなかった。
旧街道の雰囲気を残す道を5分ほど歩くと菊名駅の手前に何時頃建て替えられてのだろうか近代的な建物の菊名神社がある。


菊名神社・拝殿

がまんさま

手水鉢・がまんさま

菊名神社の創建年代は不詳ながら、八幡社と称していたといいます。明治6年村社に列格し、菊名村内に鎮座していた神明社、杉山神社、鐙神社を合祀、昭和10年菊名神社と改めたと伝わっている。

手水鉢をささえる四方の支柱になっている鬼の石像は「がまんさま」と呼ばれ、寛政年間(1786~1801年)に築かれたと伝えられる。
長い年月苦難に耐え、同じ仕事に飽きる事なく手水鉢をささえているそのがまん強い姿から、人の道も努力・忍耐こそが開運を招く基であると論している。四体それぞれお顔が違うそうだ。
神社には珍しい
キッチンカーがある。もともと料理が趣味だった石川宮司が平成3011より、念願だったうどん店をオープンした。うどんのレシピは秘密とのことだが、菊名駅前で長年うどん屋さんを営んでいた方に教わったそうで、「プロ直伝の味」とのこと。時々、レシピを伝授してくれた方もキッチンカーを手伝ってくれるとのこと。


篠原八幡神社

拝殿

石仏

庚申塔

街道は菊名駅で分断されている。駅構内を通り街道に出る。ここから800mほどで篠原八幡神社の鳥居にたどり着くが途中は見るべきものもなく住宅街のアップダウンの道を歩く。篠原八幡神社の御祭神は誉田別命。篠原八幡神社は、鎌倉鶴ケ岡八幡宮を勧請して建久3年(1192年)篠原村小名会下谷に創建、鶴崎八幡と称していた。寛永8年(1631年)小名表谷へ遷座し若宮八幡と奉称し、明治に入り八幡大神と改めた。天保6年(1835年に)社殿再建のため10年の年月を要したといわれ、現在の社殿構造は当時のものである。
境内は広く庚申塔・石仏と見る物も多い。

ここから先も住宅街の中を歩く。高台に建てられた住宅はお洒落感がある。1Kmほど歩くと水道道にぶつかる。その先の交差点の右側が、
岸根公園である。広く大きな公園である。戦前からの多くの歴史が残されている・・これ以降は次回に。



                                                  
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2018.7.8

 鎌倉街道下道編 日吉本町から岸根公園
    

 第7回行程 
日吉本町駅…飯田家住宅…来迎寺…鶴見橋…ラジウム温泉噴出記念碑…法華寺…いの池…熊野神社…庚申塔
       大倉山記念館…大豆戸不動尊跡…菊名神社…連勝寺…篠原八幡神社…岸根公園