Blowin' in the Wind 2018
                          
いっちゃん鎌倉街道を歩く・・
JR大森駅中央口を出て池上通りの向かいに天祖神社の森が見える。急な階段を登ると大正4年奉納の狛犬が出迎えてくれる 創建年代は不詳だが、享保年間(1716~36年)地元の人々が伊勢神宮にに参詣し、御分霊を受けたことに始まると伝えられる。当時は神明社と称し、別当は円能寺であった。明治の神仏分離で独立し、天祖神社と改称した。
この近辺は昭和初期に馬込文士村、「大森丘の会」とよばれる文士や芸術家たち(尾崎士郎、宇野千代、朔太郎、犀星など)芸術家(川端龍子、小林古径など) の交流が盛んに行われた。
神社の脇の通路(急な坂道)壁には当時、馬込で活動していた文士・芸術家のレリーフがはめ込まれている。

天祖神社
 
参道の階段
 
拝殿

文士のレリーフ

この辺りは「八景坂」と呼ばれ、昔はこの坂上からの眺めがよく、近くは大森の海岸、遠くは房総まで一望のもとに見渡すことができた。そこから八景坂と呼ばれるようになった。また急坂で雨水が流れるたびに坂が掘られて薬研のようになったため、薬研坂ともいわれた。天祖神社の石段横に八景碑があり、それに「笠島夜雨、鮫州晴嵐、大森暮雪、羽田帰帆、六郷夕照、大井落雁、袖浦秋月、池上晩鐘」と八勝景が刻まれている。
また、かつての坂上には、平安時代後期の武将、源義家(1039年~1106年)が東征のおり立寄り、鎧をかけたと伝わる鎧掛松があり、歌川広重の浮世絵にも描かれている。八景坂鎧掛松は有名だったが、明治時代に枯れてしまった。


八景坂の案内

暗闇坂

文化財の住宅

アーケードの商店街の手前には暗闇坂、昭和初期に建てられたという建物(医院)が文化財として残っている。大森郵便局の前から旧道に入る。


善慶寺・三門

本堂

六義民の墓

熊野神社

拝殿

狐碑と庚申塔

その先には、義民六人衆の眠る善慶寺がある。建久2年(1291年)に新井宿村・増田三郎右衛門の発願により、日法上人が開基した日蓮宗の寺である。この地一帯は湿地帯で農耕にはあまり適さず、当地の農民は農耕以外にも生計の道筋を立てていかないと暮らしていけない地域であった。延宝元年(1673年)の旱魃や次の年に起きた多摩川の氾濫で、農民は年貢の軽減を地頭の木原氏に願い出たが拒否された。そのため、困り果てた農民の代表6人が幕府に直訴を試みた、しかし、事前に捕らえられて斬首された。20世日応が遺骸を引き取り、罪人のため墓を造ることは出来なかったが、密かに弔った。


いにしえの東海道碑

新井宿の碑

出土橋跡

石造りの家(石屋さん)

街道を思わす道を歩いて行くと春日神社手前の十字路に「いにしへの東海道碑」が立っている。『此の道は時代により奥州街道、相州鎌倉街道、平間街道、池上往還などと呼ばれていた古道です。』と書かれている。この道は平間街道と呼ばれていた時代があり、新しい東海道が出来るまでは主要な道であった。少し行くと「旧新井宿跡」の石碑が見られる。
新井宿(あらいじゅく)として知られる地名は、昔は不入斗村(いりやまず)といわれた。東海道線を境として上部分が新井宿村で下部分が不入斗村である。不入斗村とは、租税を納めなくても良いという説がある。江戸時代にこの地は、幕府から鷹の餌を採る餌差が任命され、鷹の餌となる小鳥(ハト・スズメ)などを捕まえた。幕府領であったので租税はいらなかったのかも知れない。


六郷用水案内板

説明版

街道の旧家

呑川対岸

萬家

髭題目

石造りの家などを見ながら歩く、呑川の手前に「六郷用水」の案内板が建っている。
六郷用水は多摩川を水源とし、多摩川左岸の多摩郡和泉村(現在の東京都狛江市元和泉)から、世田谷領を通り六郷領(現在の大田区)に至る、延長23Kmの灌漑用水路。徳川家康の命により、用水奉行・小泉次大夫(こいずみじだゆう)が、対岸の二ヶ領用水の建設と同時に1597年(慶長2年)に工事着手した。以来、難工事の末に14年の歳月をかけて、1611年(慶長16年)に二ヶ領用水と併せて完成した。六郷用水の建設着手は、天下分け目の関が原の合戦(1600年)よりも3年も前のことだった。まだ家康の天下統一がなされる前のことで、新田開発と米の増産は家康の権力基盤を支える最重要課題のひとつだった。
呑川を渡り数分歩くと池上本門寺の参道に出る。江戸時代から続いている「酒屋の萬家」さん、元祖と老舗の「葛餅屋」が並んでいる。


本門寺参道(階段)

仁王門

日蓮像

本堂

経堂
 
五重塔
大きなひげ題目の石柱を見上げるとその先に本門寺の山門(工事中)と加藤清正が寄贈したと言われる石段が見える。 池上本門寺【左版画は川瀬巴水】 は、日蓮聖人が今から約七百十数年前の弘安5年(1282年)に61歳で入滅した霊跡である。日蓮聖人は、弘安5年9月8日に9年間棲みなれた身延山に別れを告げ、病気療養のため常陸の湯に向かい、その途中、武蔵国池上の郷主・池上宗仲公の館で亡くなった。長栄山本門寺という名前の由来は、「法華経の道場として長く栄えるように」という祈りを込めて日蓮聖人が名付けた。そして大檀越の池上宗仲公が、日蓮聖人御入滅の後、法華経の字数(69、384)に合わせて約7万坪の寺域を寄進し、寺の礎が築かれたので、「池上本門寺」と呼ばれている。96段の階段を登ると右側には日蓮上人の銅像、正面には大きく立派な仁王門とその先に本堂が見える。

鍵屋の墓

多宝塔

狩野探幽の墓

紀州徳川家正室の墓

本門寺は有名人、歴史上のう有名人の墓・供養塔が多くあることでも知られている。江戸時代の花火屋「鍵屋」、江戸初期の狩野派の絵師狩野探幽戸その一族、紀州徳川家墓所…紀伊徳川家は、家康の側室「お万の方」が徳川頼宣(家康の第八子)を生み、紀伊徳川家の藩祖となった。頼宣は加藤清正の娘「瑤林院」を正室に迎えた。彼女は熱心な日蓮宗信者であったため本門寺に墓が造られた。


日輝上人供養塔

加藤清正供養塔
 
幸田露伴の墓
 
前田利家正室の層塔  
 
加藤清正正室の層塔

墓所は右から「養珠院 」(ようじゅいん)お万の方(15801653年)、二番目「妙操院」(みょうそういん)家斉の側室(不明~1832年)、三番目「天真院」(てんしんいん)光貞正室・天真院 安宮照子女王(伏見宮貞清親王女)(16251707年)、四番目「瑤林院」(ようりんいん)正室・加藤清正の五女、熱心な日蓮宗信者であった。(16011666年)、五番目「寛徳院」(かんとくいん)正室・伏見宮貞致親王の王女(真宮理子女王)(1691~1710年)がある。
加藤清正の供養塔、前田利光正室、加藤清正正室の供養塔、五重塔を背にして、・幸田露伴、露伴親子、弟の成友、妹の延子の墓、その隣に次兄の成忠の郡司家の墓が並んでいる。露伴は小説家、成友は歴史学者、延子はピアニスト、成忠は千島を探検したことで有名である。


力道山の墓

本門寺に参拝すると誰もが訪れるのが、力道山のお墓である。…朝鮮で生まれ大相撲力士として活躍後,プロレスに転向し空手チョップで人気を博し,プロレス興隆の基礎を作った。我々世代のヒーローである。

 
元禄の道標

小泉次太夫案内板

髭題目・馬頭観音

六郷用水案内板

参道から右に行くとく葛餅屋の脇に「旧池上道(平間街道」の道標賀立っている。(地図上では元禄の道標と記してある)造立は元禄9年(1696年)である。左面が正面で「南無妙法蓮華経」が刻まれている。銘文は右側「是よりひたり・古川道・かわさきみち」、正面「南妙法蓮華経 元禄九丙 題目講中 三十人」、背面は「是よりみき・こすきみち・新田道」とある。池上道は「平間街道・旧池上道・奥州街道・相州街道」などと呼ばれ、鎌倉からの「下ノ道」であった。この道標は、昔から同じ位置にあり貴重である。


ぬめり坂

藤森稲荷

道標から500mほど行くと遊歩道にぶつかる。右側に「南無妙法蓮華経」が刻まれている立派な馬頭観音が建っている。遊歩道脇には「小泉次太夫・六郷用水」の案内板が続く。これを読みながら歩くと六郷用水の成り立ちが良くわかる。
千鳥町の駅を過ぎると国道(311号)にぶつかるが街道は右斜めに進む。先の坂道は「ぬめり坂」と呼ばれている。
昔は鬱蒼とした樹下を登るなだらかな坂があった。なだらかな坂だが、ぬめって上がれなかった。付近の豪家の美しい娘が人々の難渋を気の毒に思い、自ら望んでその坂に生き埋めになった。以来その坂は通行容易になり大いに付近は繁栄したと言う。


ぬめり坂の庚申塔 

ぬめり坂上坂標柱 
 
昭和のくらし館

坂を半分登ったY字路の中央に庚申塔が建っている。「ぬめり坂の庚申塔」と呼ばれている。
青面金剛は延宝5年(1677年)に駒形、武蔵南荏原郡六郷庄鵜ノ木村の人々によって造立された。高さ120cm。幅52cmほどである。青面金剛は庚申講の本尊とされ三尸の虫をを押さえる神とされた。後には庚申塔と文字だけ彫られるようになる。左下の道標は昭和年(1928年)の造立である、正面には「池上本門寺大森・矢口新田神社川崎」、右側「東てふふゑき久が原五反田方面」、左側に「峯御嶽神社奥沢・大岡山 洗足池方面」とある。


鵜の木の庚申塔

女堀説明版

六郷用水跡遊歩道

女堀跡

坂を上ると村社鵜の木八幡神社がある。神社の先の十字路を左に降りて国道を渡ると、六郷用水の遊歩道を再度歩く。ここのも案内板がある。
女堀(おなぼり)との案内があった。難工事のため「人夫が足りず女性も動員した」「女性を入れて活気を付けた」「小泉次太夫の夢枕に木花咲耶姫が現れた」との諸説がある。


嶺西の庚申塔

六郷用水跡碑
 
密蔵院
 
密蔵院・仏旗

遊歩道の一部には大きな欅の並木もあり、往時を偲ばせる場所もある。


湧水・東京都57選

ジャバラ(水車)模型

六郷用水遊歩道

遊歩道脇のせせらぎと枝垂れ桜の並木の先に、仏旗のはためく密蔵院に参拝、密蔵院は真言宗智山派の寺院。開創の年代は不明だが、寺伝では、慶長(1596年~1615年)末期に火災で焼失したとある。弘法大師座像・大日如来座像等の区指定文化財がある。沼部の庚申ともいわれている。
六郷用水跡の標柱の先には小さな水車が回っていた。旱魃・水不足の時に人力で水を曳いたとの説明があった。小さな公園からすぐそばの沼部駅に ゴール・・来月は丸子橋を渡り、神奈川川崎へ入る。見所たくさんの小杉宿が待っている。


                                                  
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2018. 5. 5 鎌倉街道下道編 大森~沼部    

 第五回行程 JR大森駅…天祖神社・八景坂…善慶寺(義民六人衆)…旧新井宿…池上本門寺参道の碑…池上本門寺
       元禄の道標…六郷用水跡…ぬめり坂…密蔵院…東急沼部駅