江戸三十六見附(小石川門から赤坂門)を歩く・・今回は2回目、小石川門(前回ゴール地点)から赤坂門(赤坂見附)までを歩きてきた。かつての江戸城の御門の石垣をじっくりと眺めながら歩くコースである。


小石川御門
(案内板は工事中)

小石川御門
対岸から

小石川後楽園

葵の紋(裏門)

小石川御門(前回ゴール;地点)を出発・・暖かい気候になれた体には少々寒さを感じるスタートであった。水戸藩上屋敷跡の小石川後楽園に向かう裏門から正面の門に向かう、塀にははかつての江戸城の石垣石が積み上げられている。じっくりと見ることができる。


小石川後楽園
表門

園内案内図

頼房・光圀朱・舜水
肖像画
 後楽園・西側塀  
江戸城の石垣石
小石川後楽園は寛永6年(1629年)水戸徳川家初代水戸藩主である徳川頼房(家康の十一男)が、江戸中屋敷(当時は中屋敷。明暦の大火以降上屋敷)の庭として築いた庭園を、二代藩主光圀が改修したもの。光圀は明の儒学者である朱舜水を設計に参加させ、中国的・儒学的な趣のある庭を造ったという。江戸時代、六義園と並んで江戸の二大庭園と呼ばれた。 今回は入園はできず、入口の案内板での説明で我慢・・次回訪れる時は庭園の中も見てみたい。

神田上水後
(現在は道路)

牛込揚場跡石碑

軽子坂
牛天神下交差点から神田川を渡り、飯田橋方向に向かうと「牛込揚場」の石碑がある。江戸時代、江戸湾から船が神田川に入り込んで、様々な物資(全国各地から運ばれてきた米、味噌、醤油、酒、そして材木など)が、運び込まれていた。ここは、その荷揚げ場のーつで、牛込揚場(神楽河岸と呼ばれる河岸もあった)があり、船を操る人や、商人、また物を仕分け、さらに担ぐ人などで大いに賑わったという。
その向かいにある坂は軽子坂である。もっこに荷物を積んだ運んだ道(坂)で、神楽坂と並行している。本田横丁から善国寺に出る。日蓮宗のお寺で、七福神の毘沙門天を祀ってる。平日だが神楽坂一帯は賑わっていた。

神楽坂・善国寺

神楽坂・飯田橋方面

案内柱

風情ある横丁
(見番横丁)

神楽坂を下り。飯田橋を渡りから牛込御門へ・・寛永13年(1636年)阿波国徳島藩主蜂須賀忠英によって築かれた。高麗門は寛永15年(11638年)に完成している。牛込御門は、明治に人つて壊されたが、石垣の一部が残つており、石垣の積み方を見る事ができ、また刻印された「阿波乃国」の文字を見ることができる。 両側の石垣きは往時を偲ばせ残っている。昼時の時間帯・・通行人が多く、牛込門全体を撮るのは残念ながら無理であった。


牛込御門

石垣

案内板

外濠

牛込御門からは桜並木の外濠公園を歩く。飯田橋駅付近から四ツ谷駅付近まで続く、かつての江戸城外濠(牛込濠、新見附濠、市ヶ谷濠)の千代田区側に位置している曇り空であったが、新緑が美しく高台から見渡す景色は素晴らしいものだった。季節を通して歩くには良い所と思う。


外濠公園遊歩道

市ヶ谷御門案内板

市ヶ谷御門の説明

石垣跡

名前だけの新見附橋を眺め先に進む、現在の市ヶ谷駅周辺が市ヶ谷御門跡である。市ヶ谷門は一部石垣が残っており、往時を偲ぶことができる。
市ケ谷御門は枡形にはなっていなかった。これは、江戸時代は門の内側が、番町と呼ばれた防衛の町として旗本屋敷が並んでいた事や、道も、門内は帯坂と呼ばれた坂道の方へ、門外は少し右手の左内坂へと曲がって行かなければならずここですでに曲手になっているからと思われる。完成は寛永13年(1636年)高麗門は寛永16年(1639年)に美作国津山藩主森長継により完成している。


亀岡八幡宮

境内へ

拝殿

外堀通りの市ヶ谷見附から級会談を上り、亀岡八幡宮に参拝する。太田道濯が江戸城の護りとするために、鎌倉の鶴岡八宮から勧請した。はじめは江戸城内に建立したが、外堀完成後、茶ノ木稲荷があったこの地に移されたのは寛永13年(1636年)のことで、太田道濯ゆかりの団扇を蔵している。神紋も太田家同様の「丸に違い矢」である。茶ノ木稲荷は弘法大師が開山したとも言われる。昔、この地に神の使いの白狐がいたが、ある時、茶ノ木に目をつついてしまったという。それ以来人々は茶を忌み、正月三が日は茶を飲まずに願えば霊験あらたかと言われている。


防衛省(尾張徳川家
上屋敷跡)

高台からは尾張徳川家上屋敷跡の防衛省を眺めることができた。明暦3年(1657年)の明暦の大火後、広大な御三家の上屋敷が江戸城外堀の外側に移転された。尾張徳川家の上屋敷は現在の防衛省などの場所に。それまで寂しかったこのあたりは、―転、茶屋や芝居小屋なども立ち並び、賑わいのー角となったという。歌川広重は「市ヶ谷八幡の景」で、市ヶ谷見附の土橋の一部を右下に置き、八幡宮と、中央左端に尾張家上屋敷の白壁と火の見櫓を描いている。この地は、明治7年(1874年)からは陸軍士官学校などが置かれ、戦争中は陸軍省になった。戦後は陸上自衛隊の駐屯地となり、平成12年(2000年)から防衛庁(現・防衛省)に。|日陸軍士官学校本部が「市ヶ谷記念館」として残されている。


外濠公園遊歩道

四ツ谷駅

江戸城外外濠説明版

外堀通り沿いにあるく。壕は戦災の瓦礫で埋められ公園となっている。四谷見附北の交差点から四谷御門跡の向かう。四谷御門・綿谷見附橋は甲州街道にかかる門である。枡形の完成は寛永13年(1636年)、高麗門は寛永16年1639年)、長門国萩藩の毛利秀就(もうりひでなり)によって築かれた。江戸時代入つて、参勤交代で甲州街道を利用したのは、諏訪高島藩、高遠藩、飯田藩の三藩のみ。しかし、物資搬入路として多くの人や物が行き来する道となり、また、将軍になにかがあった時、甲州へと逃げ伸びる道としても考えられていたという。


四谷御門跡
(明治時代)
 
四谷御門跡石垣
四谷御門跡石垣

跨線橋上には四谷御門の案内板がある。四谷門は四谷駅の前に残っている。現在の道路の脇に残りその大きさがよくわかる。
外濠公園を出外濠公園を歩く。左側には上智大学の校舎が見えてくる。
この辺り一帯が尾張徳川家中屋敷跡であった。中屋敷とは、上屋敷が火災などで使えなくなった場合に仮に使用する、また地元から藩士が江戸に来た時に宿舎として利用するためのものであった。壕の先には迎賓館が見えてくる。この敷地が紀州徳川家上屋敷跡であった。現在の迎賓館、赤坂御用地を含む広大な敷地を有していた。その広さは13万4千坪に及び、尾張藩の上屋敷越える広さを誇っていた。土手の上から見えるのは赤坂御所東門である。


外濠公園遊歩道

迎賓館

喰違門

赤坂御所東門

紀国坂

外濠公園の先が喰違御門となっている。寛永13年(1636年)讃岐丸亀藩主生駒高俊が築造した。それ以前の慶長17年(1612年)に甲州流軍学者小幡景憲にり縄張りされたと伝えられている。この地域は2つの谷に挟まれた地形に立地するために、の江戸城外郭門建築に先駆けてこのような城門が構築されたという。枡形ではな<、クランクのかたちになっていた(現在はS字型に)


真田堀

弁慶堀

喰違門

ニューオオタニ

紀伊和歌山徳川家
上屋敷跡

飯田橋付近とは違い壕は埋立てられている。真田掘の前には赤坂御所の立派な門が見える。その前の通りは紀国坂、真田堀の反対側は弁慶堀でこちらは水を湛えている。
喰違門の石垣脇の小道を出るとホテルニューオオタニの全容が見える。紀伊和歌山徳川家上屋敷跡の碑がひっそりと立っている。
彦根藩井伊家中屋敷は、現在はホテル・ニューオータニが建っている。ちなみに上屋敷は国会議事堂前庭のあたりである。


紀尾井坂

清水谷公園入口

大久保利通
忠魂碑

ニューオオタニの前が紀尾井坂である坂の北側には尾張徳川家、南側に紀州徳川家、彦根藩井伊家の屋敷があったことから、一字ずつ取って紀尾井坂と呼ばれるようになる。周辺の紀尾井町という町名もこの坂に由来する。この場所で、明治11年(1878年)5月14日に内務卿大久保利通が旧加賀藩士島田一郎らに暗殺された。この事件を「紀尾井坂の変」と呼ぶ。清水谷には利通の忠魂碑が建てられている。


紀伊和歌山藩邸跡碑

弁慶橋

赤坂見附付近

赤坂御門跡

赤坂ガーデンテラスの前庭には紀伊和歌山藩邸跡碑が建っている。明暦の大火以降は、この場所が上屋敷とされたが、文政6年(1823年)、この麹町邸が焼失したあとは赤坂邸と呼ばれた迎賓館・赤坂御用地の屋敷が実質的な上屋敷の機能を果たしたという。


赤坂御門(明治時代)

説明版

赤坂御門跡

歩道橋から

赤坂見附交差点を左折して200mほど行くと赤坂見附の跡の石垣がある。赤坂御門は江戸城から大山に通じる大山街道に建てられた。当時の枡形は、現在の青山通りを遮断するように置かれていた。大山詣に行<人々は、隅田川の両国橋の袂でみそぎを行い、白衣姿になり、この赤坂門をくぐって参詣の旅に出かけた。
枡形の完成は寛永13年(1636年)、高麗門は寛永16年(1639年)筑前国福岡藩主黒田忠之による。



                                                  
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Blowin' in the Wind 2018

                
いっちゃん江戸城 三十六見附を歩く・・
2018. 4.17

第二回 今なお聳え立ち、息づく御門の石垣 7.5Km

 小石川御門小石川後楽園(水戸藩上屋敷跡)―牛込揚場―神楽坂牛込御門市ヶ谷御門―亀岡八幡宮―防衛省
 (尾張徳川家上屋敷跡)
四谷御門綿谷見附橋・尾張徳川家中屋敷跡(現上智大学)真田掘・弁慶堀⑦喰違御門―紀州
 徳川家上屋敷跡―
彦根藩井伊中屋敷跡―紀尾井坂―清水谷公園―紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡―⑧赤坂御門(赤坂見附)