Blowin' in the Wind 2017
                          
いっちゃん水戸街道を歩く・・
2018. 3.18

我孫子宿~取手宿
    

行程 
JR我孫子駅~八坂神社~香取神社~文士村入口~本陣跡~脇本陣跡~成田道道標~柴崎神社~利根川~
   長禅寺~新六商店~田中酒造~本陣染野家~八坂神社~新町屋~JR取手駅 10Km

   

我孫子駅9時30分スタート・・好天である。我孫子は文学の街としても知られ、手賀沼湖畔には文士村もある。前回ゴールの駅前の八坂神社へ・・境内には宿場の入口にあったといわれる伊勢講塔が一部残されている。


我孫子駅前・文士の
モニュメント

八坂神社

八坂神社・伊勢講塔

香取神社

拝殿・本殿

庚申塔

街道を5分ほど歩くと街道のカーブ脇から参道が続くの香取神社に参拝する。境内隅に石斧地蔵、庚申塔が並んでいる。(月・日・青面金剛・邪鬼・三猿、鳥」が彫られた庚申塔があり感動する。本陣跡は案内抗一本だったが、脇本陣(小熊家)は茅葺屋根のまま残っていた。このように昔のままに残って歴史を感じるものを見るのは嬉しい。割烹鈴木も昔の面影を残している。 


街道沿いの旧家

文士村案内板

道標

本陣跡碑

脇本陣・小熊家

成田街道との分岐には道標が残り、文字はかすかに読めた。傾きかけ見る人も少なそうで可哀そうだった。しばらく歩く、成田線の踏切を越え、常磐線の高架をくぐるあたりで旧道は分断されている。住宅街を抜け大きな森の中に柴崎神社がある。神明造の美しい神社である。いっちゃん的な見所は「フル装備、享保4年の庚申塔が丁寧に祀られていた。香取神社と時期・形が同じ時期のものであった。神社参道階段脇に大きな石柱の「青面金剛」と「庚申塔」が道路に並んでいた。旧家の立派な門構えと大きな家を見ながら歩く、街道は国道6号に入り、わき道に入り、街道の面影を残すところを歩く。


成田道分岐

成田道道標

柴崎神社

拝殿・本殿

手水社(亀)

庚申塔(境内)

大利根橋(利根川)を渡ると茨城県取手市に入る。駅東口の案内板を横に見て歩く・・そろそろ昼食の時間である。一区切りつけてからゆっくりと昼食にすることとした。粕漬の新六商店の脇が長禅寺の参道になっている。立派な山門に本堂・観音堂、ここは三世堂(サザエ堂形式)が有名である。

庚申塔(街道脇)
旧家・表門

大利根橋
利根川 新六商店・田中酒造

「過去現在・未来之三千仏を安置して三世堂と号し候」とある。外観は2層だが内部3層で「さざえ堂」の形式になつており、上り階段と下り階段があり、堂内では参拝者が交差せずに回れるまわれるようになっている。享和元年(1801年)に再建されたとある。


長禅寺山門(参道から)
三世堂(さざえ堂)
三世堂・彫刻
長禅寺山門(境内から)
観音堂
大師堂

1層に坂東三十三か所観音札所、2層に秩父二十四か所観音札所、3層に西国二十三か所の各本尊の写しを安置しており、合計百体の観音像があることから、百観音堂と呼ばれてい

向拝(蟇股)の龍の彫刻も立派なものであった。


新六商店(粕漬)

田中酒造

田中酒造

本陣通りには明治・江戸時代の建物の新六商店と田中酒造が並んでいる。新六商店の創業は明治元年、取手の奈良漬を世に知らしめた老舗です。自家用の味が評判を呼び、奈良漬造りを家業としましたが、江戸時代の取手宿草創期より、この地で酒造業や新六河岸(しんろくがし)を営んできました。

田中酒造は、利根川の伏流水を使用し酒造りは明暦元年(1655年)より始まり、明治天皇が牛久に行幸された際に下賜された「君萬代」の名称と味を守り続ける酒蔵です。昔ながらの製法にこだわった酒造りは、洗米から麹造り、しぼりまですべてにおいて手造り。また、取手の契約農家が栽培した「日本晴」を主に使用、取手の水で仕込むなど、地元の風土を生かした酒造りにもこだわっています。


本陣・染野家表門

本陣・染野家

主屋

玄関

内部

天井

取手は千住から数えて6番目の宿場でした。貞享4年(1687年)染野家は水戸徳川家から本陣に指定され、歴代の水戸藩主をはじめ多くの大名や武士たちが、宿泊や休憩に利用しました。旧取手宿本陣染野家住宅は、水戸街道の宿場から発展した取手を象徴する文化財である。

本陣には、寛政7年(1795年)建築の主屋(しゅおく)の他、江戸時代の建物として土蔵と表門が残っています。表門を入ると、そこには大名行列や旅人が街道を行き交った江戸時代の雰囲気が残っています。


主屋玄関内部

主屋内部 

徳川斉昭歌碑

また水戸藩第9代藩主徳川斉昭(なりあき)の歌碑があり、水戸徳川家と本陣の深いつながりを現在にまで伝えています。
昭和62年(1987年))には敷地を市の史跡に指定し、さらに平成8年には主屋と土蔵が県文化財の指定を受け、その間に土蔵と表門は全解体修理、主屋は半解体修理を行いました。さらに平成26年には、表門が県文化財の附(つけたり)指定を受けています。


八坂神社

拝殿

向拝の彫刻

手水社・さかき 

陣の少し先に取手の郷社・八坂神社がある。ここの手水社は龍でなく「榊」が祀っあった。初めて見るものだった。拝殿・本殿の彫刻も立派であった。本殿は残念ながら網で覆われ、奇麗に見ることや撮影はできなかった。 取手宿本陣では案内の方に「一本刀土俵入り」ゆかりの場所を教えていただいたので、そこまで行ってみた。白い新しい建物が立っているだけであった。


渡し場

旧家

新町屋(安孫子屋跡)

昔の利根川は「渡し」で渡っていた。今は観光用に渡し船が出ている。小浜(おおはま)の渡しに行ってみたが、どうも・・桟橋が流されてしまったようである。所々に旧家が残る街道を歩く、「一本刀土俵入り」で有名な安孫子屋跡には新町屋と書かれた建物が立っている。


一本刀土俵入り

芝居の一幕

一本刀土俵入り 相撲に関連する昔のお話です。 「一本刀土俵入り」という芝居があります。

横綱になる夢を持っていた取的(幕下以下の修行中の相撲取をいう)の駒形茂兵衛が、親方に一度は破門されますが、出世して故郷(上州 駒形宿)の母親の墓の前で、土俵入りの姿を見せてやりたいという夢を捨てきれず、もう一度弟子入りをしようと江戸に向かいます。途中、飲まず食わずの一文無しで困っていた母親想いの純情一途な茂兵衛の話に心を打たれた茶屋女のお蔦(つた)は、持っている巾着や櫛、かんざしまで受け取らせ、「立派なお相撲さんになっておくれよ。そうしたら、一度はお前さんの土俵入りを見に行くよ」と励まします。茂兵衛はこの親切を生涯忘れないと感謝しながら立ち去っていきます。
10年後、望みを果たせず、やくざになっていた茂兵衛は取手に戻り、お蔦を探し、やがて再会を果たしますが、そこに死んだはずの夫・辰三郎が現れます。夫が戻ってきて喜びのつかの間、辰三郎はイカサマ賭博で追われる身で、たちまち一味がお蔦の家を取り囲みます。 茂兵衛は今こそ恩返しだと体を張ってお蔦達を救い、借りた金を返し、3人を逃がします。そのときに晴れ晴れと静かに言い切るのが、「一本刀土俵入り」の名セリフです。
「お行きなさんせ。仲よく丈夫でお暮しなさんせ。ああ、お蔦さん、棒ッ切れを振り廻してする茂兵 衛の、これが、10年前に櫛、かんざし、巾着ぐるみ、意見をもらった姐さんに、せめて見てもらう 駒形の、しがねえ姿の土俵入りでござんす」 

歌詞も「一本刀土俵入り」のあらすじを知っていてこそ生きてきます。多くの人が歌っています。


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