10月11日(水) 秩父巡礼のみちウォーク・・

OWCメンバー10名と「秩父五ヶ寺」を歩いて来ました。今回はリーダーのKサンに声を掛けられ参加した。JR津田沼6時20分、京成船橋競馬場駅6時40分と早い時間の集合である。木更津始発(5時00分)に乗り、船橋競馬場に6時20分に到着・・早い時間だが、参加はもチラホラと集まっていた。OWCメンバーは乗車済み、OWCの例会には久しぶりの参加である。
首都高から関越へと向かい「道の駅秩父」で下車、一日のウオーキングがスタートした。予報に反して、曇り空・靄の濃い一日で遠くの山々は靄に隠れ、武甲山は雲の中の隠れわずかに稜線が見える程度でした。
急坂を登る後悔昼の酒・・今日は一日坂道歩き・・


秩父神社 山門

秩父神社 拝殿
 
御神木

拝殿 向拝
 
拝殿 向拝 龍

距離10Km標高差126mのコースだった。「みちの駅秩父」からスタート・・秩父神社へ向かう。夜祭に来た時の夜祭見物散策ルートの一部であった。前回、訪れた秩父神社はお参りだけだったが、今回は神社の彫刻をゆっくりと見ることができた。
Kさんに秩父神社の彫刻の特徴を聞きながら一回り・・彫工によって、地域によって彫刻自体が違うことをいつも感じる。虎の一頭はヒョウ柄、三猿は「見ざる聞かざる言わざる」でなく、積極的に「見よう聞こう話そう」を表現しているとのこと・・


木鼻 
 
拝殿 虎

本殿 三猿
手水社

神社参拝後は市内から巡礼道に向かう。
荒川対岸に見える山の中腹に音楽寺の屋根が見えた。秩父市内の旧家・古商家を眺めながら歩く、表通りに何軒も残っていて風情がある。奇麗な街並みである。


市内通りの古商家

細い道を入り、西光寺へ・・札所16番寺の無量山の額を掲げる山門をくぐると正面に本堂がある。堂の東側には前庭を囲む回廊堂があり、中には四国八十八ヶ所霊場の本尊を模した木像が並んでいる。1783年の浅間山大噴火により命を失った人や家畜の精霊菩提のため造営されたという。これを拝めば四国遍路を果たしたと同じ功徳を得るともいわれている。中庭には他に二つの小さな堂がある。


西光寺山門
 
本堂 

本堂

釈迦像

納札堂

酒樽大黒天

舗装された道〜明治の巡礼道に入る。登りつめるとると、畑の中に藁ぶきの山門都道が見える。22番永福寺(童子堂)であるこの寺は、子供にまつわる伝説が多いので「童子堂」という呼び方をされている。観音堂は、元禄14年に建立された。ここから約1km離れた丘陵にあったのを明治末期に移築された。三間四方の小さい堂だが、吹寄二重垂木方形造の美しい建物である。内陣中央の須弥壇の厨子は金箔仕立ての見事なもので、中に弘法大師作とされる本尊の聖観音が安置されている。 一つは四国八十八ヶ所に縁のある金比羅堂、もう一つが中に観音をまつる納札堂である。現在、札所中唯一となってしまった納札堂には、柱に無数の釘跡が残っている。て、当時の殷賑ぶりが想像できる。境内には酒樽大黒天なる珍しいお堂もあった。
荒川の河川敷におり旧の橋を渡る。「巡礼江戸みち」の 標識が所々に見え隠れする。「巡礼古道」は明治・江戸時代にタイムスリップしたような錯覚を覚えるような道を歩く。

 
明治巡礼道
栄福寺 山門
童子同

拝殿

逸話の大絵馬

正面唐戸の風神、雷神、迦陵頻伽の図柄彫刻が人目を引く。堂脇にの額には「讃岐国の欲深い人が旅僧が一食の布施を願ったら与えずののしった。するとこの人の息子が犬の姿に変わった。びっくりしたが許してもらえずこの子を連れて西国、坂東、秩父巡礼をしてここまで来たら元の姿になったという」逸話が描かれている。

道標 道標
観音寺

本堂

j扁額拝
 
逸話の大絵馬

永福寺からは明治巡礼古道「寺尾みち」を歩く。竹林・藪の中、頭上は小枝、足元は倒木・木の根など細い歩き辛い道である。
21番観音寺は、通称矢の堂と呼ばれている。その昔、行基菩薩がこの地を訪れ、八幡の社地に「聖観音」の像を刻み、祀ろうとした。これを伝え聞いた所の悪鬼共が、観音像の開眼の日に火の雨を降らせて妨害した。その時白馬にまたがった八幡神が現れ神矢を放ち悪鬼を打ち払ったという。昔の堂は大正12
年に小学校の火災で類焼、のち今の堂が建てられた。本尊は、聖観世音である。

境内には、聖観世音石像、宝篋印塔、百万遍唱念塔、弁才天石塔、芭蕉句碑等の多くの石造遺物がある。また、道路の反対側に地芝居役者の座頭、中村十九十郎の墓がある。


童子童跡

十三地蔵

音楽寺 本堂
本堂 向拝
逸話の大絵馬

扁額

坂道を登り車道に出ると車道わきに22番童子堂跡がある。今は案内板のみが立っている。ここからは、江戸巡礼古道「長尾根みち」に入る。「寺尾みち」よりも悪路で旧坂が続く、風通しも悪く汗が噴き出る。登りきると小鹿坂峠に出る。

秩父札所を創建したという十三権者像が祀った 十三地蔵は巡礼者の旅愁を誘う。天長年間に慈覚大師が霊場を拓くために巡行した際、たくさんの小男鹿(牡鹿)が道案内をしたため小鹿坂の地名となったと云う伝説のある所である。


弁財天石碑

道標

観音寺 門柱

境内 道標

音楽童 本堂

扁額

23番音楽寺は、秩父地方屈指の景観地であり、観音堂は三間四面ふき寄せ二重垂木、向拝のない江戸中期の大きな堂である。内陣には唐模様の須弥壇に立派な厨子を安置している。本尊観世音菩薩は一本造り檜材で、像高81cmで室町時代の作である。梵鐘も明治5年の銘が昭和32年2に市指定の文化財になっている。明治17年、田代栄助を総理とする秩父事件の群衆もこの鐘を鳴らして秩父町に崩れこんだという逸話ものこっている。


観音寺 参道階段

本堂
 
扁額

音楽堂の下の公園で昼食・休憩を取り、午後からは、難所の念仏坂を越え集落に出る。畑仕事をしている人がチラホラ・・24番法泉寺の案内板の先、目の前に116段一直線の階が迫ってくる。


逸話の大絵馬
 
御本尊

一休さんの石碑

数えてみると117段あるが、一番上は観音の霊地で階段ではないから116段の階と言うのが正しいらしい・・銅板葺き四注屋根、三間四面のこの堂は、三間の表一間を吹放しにし、左右の袖に小さな仁王尊を納めてある。秩父札所24番の本尊は、坐高7寸6分(23cm)一木造りで胡粉彩色を施しており、袈裟には切箔をおいた宗朝風の美しい姿とのこと。昔、信仰深い女性が、口中の腫物で困っていた。秩父から来た僧が「この柳の枝で口を洗え」と教えた。口をすすぐとすぐ治ったという。

柿・栗畑の間の道を登ると秩父錦の大きな暖簾のある「酒づくりの森」にゴール・・


武甲山雲の中

秩父錦酒造

杉玉 
 
貯蔵庫

秩父錦の貯蔵工場見学後、お待ちかねの試飲コーナーへ・・良く冷えた吟醸酒がのどを伝ってゆく「旨い!」・・それぞれお土産とバス車中の友用のワンカップを購入・・賑やかな帰路となった。



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Blowin' in the Wind 2017

                                           

                                            2017.10.11
2017.10 秩父巡礼の道ウオーク・五ケ寺参拝・・