2017年4月2日(SUN)~3日(MON)

       第六回 人生を楽しむ会 ローカル線の旅・・
            

これからの同窓会行事にいつまでも多くの仲間が参加できるようにと、観光、見学を主体として、軽いウオーキング・散策を主体とした例会を年数回実施してゆく「人生を楽しむ会」を企画した。

ローカル線の旅・・小湊鐡道&いすみ鉄道房総横断・・

4月2日(日)~3日(月) 小湊鐡道といすみ鉄道の乗車、ローカル線との旅と本多忠勝の城下町・大多喜と勝浦城址(八幡岬)を歩く、日帰り組14人、宿泊組12人のグループで歩いてきました。


小湊鐡道五井駅構内

行先案内板

沿線の菜の花

集合はJR内房線五井駅9時1分到着の快速・・、時間通りに全員集まり、弁当を受け取り乗車券を購入、列車に乗り込む。
混雑は予想されていたが、全員座ることができた。五井駅からはガタン・ゴトンという音とともに、横に揺れ、縦に揺れながらゆっくり・のんびりと走り出す。懐かしいディーゼル機関の音と田園風景、所々に菜の花の咲く沿線風景を楽しむ事が出来た。
小湊線沿線・・特に上総川間駅から先乃駅周辺では菜の花と桜を一緒に見られるところだが・・開花宣言から一週間・・・寒さで桜の花は開いておらず少々残念でした。列車も混雑しており立っている人の間から景色を眺めながらのローカル線の旅となった。


上総中野駅

大多喜城址・薬井門

大井戸

大多喜城(郷土資料館)

大多喜小学校

小学校と大田区城

上総中野駅でいすみ鉄道に乗り換える。乗換時間7分・・アナウンスは「乗換時間が短い・・」と何度も流していたが、あわただしい乗換の合間にも、駅舎・車両の写真を撮る人も・・列車の編成は休日編成で一般客が乗車できるのは一両のみだった。でも・・車両は旧国鉄・JRのままで路線案内板も旧のまま残っており、それはそれで、ローカル線の雰囲気を感じる事ができた。いすみ鉄道沿線も菜の花が満開でした。
平日の閑散期には車内アナウンスで「沿線案内」をしてくれるのだが・・今日はなかった。(外を充分に見る事が出来なかった)
大多喜駅で下車、昼食を先に撮ることとした。駅前の観光本陣・ガス館で思い思いに弁当を食べる。五井駅小湊線改札口の弁当屋さんの名物の「アサリ弁当」は好評でほとんどの人が完食だったようだ。


旧家

夷隅神社

本殿

旧家

本多忠勝夫妻の墓所

大多喜は本多忠勝10万石の城下町である・・今回はじっくりと歩く予定で計画をした。大多喜城址では薬井門・大井戸の文化財を案内番の説明で案内。郷土資料館分館(通称大多喜城)を見学・・65歳以上は無料に我がループは有料場者は2名でした。


豊の鶴酒造

商い資料館

博美堂
 
甲冑

ユネスコの保存建物になっている役場、城をバックにモダンな¥な校舎の大多喜小学校、文化財に指定されている宍倉邸・古い歴史の夷隅神社・江戸時代にたてもの大屋旅館・本田忠勝夫妻の墓所がある良玄寺、津知屋三では十石最中をお土産に、豊乃鶴酒造はお休みで文化財指定の建物を 眺める。


街並みの旧家

大多喜の宿場の宿場通りを歩き、江戸時代からの商家の間口を残した商い資料館・和紙で造る甲冑で有名な博美堂ではご主人から話を聞くことができた。現住で今も昔のままの渡邊家住宅などを見学し大多喜駅にゴールした。

昼食後のスタート前に、体調不良の仲間が倒れ、一時騒然となり、慌てるアクシデントがありました。しかし、参加者の冷静な対応と連携・協力で大事には至らず、良かったと胸をなでおろしました。主催側としてはこのような時の対応方法を考え、頭に入れておかなければならないと、再度、認識させられた出来事でした。


大多喜駅・キハ28

ムーミン列車

ロゴ

行先案内板

いすみ鉄道で大多喜から大原へ・・日帰り組は大原駅で解散、特急を見送り、宿泊組は勝浦で宿泊地の勝浦へ向かう。
今回は駅から7分ほどの民宿組合組合長をしている民宿神田さんに宿泊した。


大多喜駅構内

沿線風景

風呂・食事場所が別棟で少々不便を感じたが、風呂は海藻(カジメ)で食事は料理はたくさん・・刺身の舟盛りもご当地の金目鯛の生き造りと見事で食べきれないほどの量で、大満足だった。


朝食

3日の宿泊組は6時集合の早朝ウオーク・・日本3大朝市の勝浦朝市通りをのんびり歩き、ひな祭りのメインである遠見岬神社に参拝した。朝市は以前よりも出店者が少なく少々寂しい感じがした。朝市通りにおばちゃんたちが並んでいた頃を思い出した。勝浦ビックひな祭りメイン会場の遠見岬神社の階段を登り、高台から海の風景を眺め、大木に囲まれた高い丘の上にある古い歴史を感じさせる神社に参拝した。


遠見崎神社

鳥井

拝殿

朝市の風景

足を延ばして漁港に行ってみた。丁度、カツオの水揚げが行われており大きなカツオがたくさん水揚げされていた。漁港から砂浜を散策し宿にり朝食を摂る。民宿の朝食はおかずが盛りだくさんで腹一杯となった。
二日目は当日参加の2名と遠見岬神社で合流し、朝市通りを見ながら勝浦漁港経由で養殊院於萬縁の勝浦城址にある八幡神社にお参り、八幡岬まで歩く。天気も良く遠くまでの眺望は透き通って蒼い海・海・・の眺めだった。100年を迎えた勝浦灯台、鵜原理想郷の眺めも素晴らしかった。


元禄津波到達点

於萬の像

勝浦灯台

天正五年(1577年)4月4日、上総国勝浦城主正木右近太頼忠の娘として勝浦城に生まれる。本名「萬」、天正18年(1590年)6月豊臣秀吉の小田原城攻めに関連し勝浦は落城、当時14歳の於萬は海路伊豆韮上へ逃れました。炎上する城を後に、母と幼い弟を連れて八幡岬の東側の断崖に白い布を垂らし小船で逃れたと云われています。「於萬の布さらし」です。その後、母が伊豆の土豪、蔭山氏と再婚した機会に「徳川家康」に沼津本陣でみそめられました。
於萬は江戸城に召され家康の側室となりました。文禄2年(1593年)10月22日於萬、17歳の時でした。江戸城では於萬の方蔭山殿とよばれました。慶長7年(1602年)3月京都伏見で長福丸、後の紀伊徳川家の祖「頼宣」を産み翌、8年には駿河で徳千代後の水戸徳川家の祖、「頼房」を産みました。頼房は水戸黄門で知られる「水戸光圀」の父であり、光圀は於萬の孫にあたります。紀伊家、水戸家は共に「徳川御三家」として名高いです元和2年(1617年)家康が死去した時、40歳の於萬は仏門の人となりました。勝浦の岬から、こうした歴史が始まったのです。生誕の地である勝浦城跡、岬には於萬の方の像が建っています。


勝喰・ランチ

昼食は漁港直営のレストランでそれぞれ・・「金目の煮付」「海鮮ちらし」「メカジキのアラ煮」を腹一杯の幸せを感じて・・


高照寺・イチョウ

覚翁寺・本堂

伊八の彫刻

植村家・宝篋印塔

午後は朝市縁、イチョウ寺ともいわれるの高照寺、覚翁寺は本堂に波の伊八の彫刻、鐘楼は後藤義光の彫刻、本多忠勝の参謀であり、勝浦城主となった植村家の宝篋印塔がある。法事の準備中でしたが、お寺さんのご厚意により参拝させていただきました。



                         
                          第7回へ

Blowin' in the Wind  31期の仲間と歩く 2017 人生を楽しむ会