Blowin' in the Wind 2017
                          
いっちゃん水戸街道を歩く・・
旧街道は駅前の住宅街を通り、田んぼの中の一本道を通り、若柴宿へ向う大坂を登って行く。坂の手前左側の入る道には「椿の小道」と案内板が建てられている。大地の裾に沿って作られた「根柄道」である。

若柴宿へ

椿の小道(根柄道)

大坂
 
宿場の案内図

八坂神社
大坂を上り切った右側に八坂神社が鎮座している。宿場はこの辺りから始まっており、下町、仲町、上町と続き、直角に右へ曲がった先は横町となっている。

庚申塔
 
若柴宿

長屋門の旧家
明治以降は静かな街道に変わってしまった若柴宿であるが、町並みには四脚門や長屋門を構えた旧家などが並び、往時の雰囲気を味わいながら歩く事ができる旧街道である。

長屋門

四脚門

会所坂

黒塀のある風景

鍛冶屋坂

ほどなく薬師寺跡と表示があるので細い路地を50mほど入ると右奥に小さな祠と石塔があると言うが、何も見つからなかった。
街道に戻ると、ちょっと先に足袋屋坂と記された案内板が見える。若柴宿は坂道が多い所で、それぞれが生活道路となっており、名前が付けられている。延命寺坂・会所坂・鍛冶屋坂などの坂道があるので時間に余裕があれば坂道散歩も面白そうだ。


金龍寺三門

巨大な蛙

本堂

街道は突き当たりを右に曲がっていくのだが、右に曲がらず真っ直ぐ階段を登ると、先に金龍寺という古刹がある。新田氏の菩提寺で、義貞の四男貞氏が応永24年(1417年)に上州太田に建立したのが起源だが、その後、幾多の変遷を経て、寛文6年(1666年)に現在地へ移る。現本堂は安政5年(1858年)に再建されたもの。


新田氏墓所

本堂の裏に「新田家代々の墓」がある。墓所入口から左側の五輪塔が新田義貞、中が貞氏、右が由良國繁の墓である。
金龍寺を出て暫く歩いた先の左奥に見えるのは星宮神社である。延長2年(924年)肥後国の神社から分霊勧請して祀ったと云われ、天慶2年(939年)には平定盛が社殿を建立寄進したと伝えられている。
現在の社殿は江戸時代の再建で、平成元年に修理されている。境内左手の「駒止の石」には次のような言い伝えがある。
往時、平定盛がこの社の前を通りかかると馬がこの石を見て動かなくなったそうだ。石の傍らを見ると祠があるが、これは日ごろ信仰する星大明神であった。これは神様のお引き合わせと懇ろに参詣すると馬は動きだしたと言う。


田舎屋(蕎麦屋)

星野宮神社

拝殿

駒留の石

街道に戻り、県道を横断して若柴配水場前のY字路を左に行くとその先は旧道らしい雰囲気の一本道が続く。
ほどなく道路右側に成井一里塚画見えてくる。上部が平になっているため一里塚碑・案内板がある。
左右ともしっかりと残されている貴重な遺構である。
その先は、うねうねと曲がる下り坂が続いており、舗装されていなければ「街道時代の道」そのもである。旧水戸街道はこの先で一部消滅しているが、常磐線の踏み切りを渡り、国道6号を横断すると街道に復帰して牛久宿へと入っていく。

牛久宿は水戸街道19宿の真ん中の宿で、上町、下町の2町で成り立っている。
公用荷物の継ぎ立て業務は次の荒川沖宿と合同で行う合宿であったが、大名行列などが到着すると両宿だけでは対応しきれず、助郷制度に頼っていた。 この制度は農民にとっては過酷な負担であったことから、農民一揆のさきがけともなる牛久一揆という農民反乱へと発展した歴史を持つ宿場である。


街道風景

成井一里塚
牛久宿

常磐線の踏切りを渡ると国道6号の向こうに左へ入る道が見える。ここを入ると旧街道となる。北浦坂を上ると牛久宿の下町である。
ほどなく左に曲がる道際に「芋錢河童碑道」と刻まれた石碑が建てられている。「河童の芋錢(うせん)か芋錢の河童か」とまで言われたほど河童を描き続けた小川芋錢の碑である。


芋銭道石碑
 
明治天皇行幸碑
 
牛久宿本陣跡
 
案内板

街道に戻り数分歩くと黒板塀に屋敷門を構えた飯島家の前に「明治天皇牛久行在所碑」が建てられている。
明治17年(1884年)女化け(おなばけ)原で行われた近衛砲大隊射撃演習の天覧に行幸された際の行在所である。
牛久宿には行在所碑以外、往時を偲ぶ説明板など全くないが古老の話によると、正源寺手前の鈴木家辺りが「本陣跡」だという
脇本陣は用意されておらず、旅籠も15軒ほどの小さな宿場であった。

街道はその先で水戸街道特有のくの字に曲がっている。曲がりの頂点奥が「正源寺山門」であるが、ここがなかなか面白い。
この山門は鐘楼門(今は梵鐘は無い)だが、阿吽の仁王像は門内ではなく、門の前に立っている。さらに、門を入ると坂道を上って本堂に行くのが普通だが、ここは坂を下った先に本堂がある。


正源寺薬師堂

鐘楼門・薬師堂

本堂

ヤマボウシ
くの字に曲がった数分先に慶応4年(1868年)創業という「宮崎利兵衛商店」が今も頑張っている。元々は酒屋さんであったようだが、今は酒以外の商品も。旧水戸街道はこの先で現水戸街道(国道6号)に合流。次の荒川沖宿までは国道を歩いていく。

宮崎利兵衛商店

午後は牛久シャトーカミヤに見学で立寄る。シャトーカミヤは明治36年(1903年)に浅草・神谷バーで知られる実業家「神谷傳兵衛」が茨城県牛久市に建設しました。
当時は葡萄栽培から醸造・瓶詰めまで一貫して行った日本初の本格的ワイン醸造場であり、日本のワイン発祥地の一つとして知られております。現在は、神谷傳兵衛の足跡を展示した「神谷傳兵衛記念館」や、緑豊かな木々に囲まれてここだけのワインやクラフトビールを楽しめるレストランなどがある。


牛久シャトーカミヤ

貯蔵庫
 
記念館展示品
   
街道に戻り、JR牛久駅前を通り過ぎて5~6分、国道から100mほど入った奥に「お目覚め薬師さま」と呼ばれ薬師寺がある。
この寺は、弘仁7年(816年)の開基と伝えられているが、幕末頃から100年ほどは無住となり荒寺に。ところが、霊験によって現代に蘇ったお寺なので「お目覚め薬師」と呼ばれるようになった。

薬師寺参道

境内
 
本堂

宝篋印塔

河童石像

参道にある「宝篋印塔」は明和5年(1768)建立ということだが、台座部分に寄進者の苗字が刻まれている。庶民に苗字が許されなかった時代でもしっかりと苗字を持っていたという貴重な資料である。


広目天(西方)

多聞天(北方)

持国天(東方)

増長天(南方)

街道に戻ると、その先はずーっと国道6号を歩くことに。
国道408号との交差点を過ぎると街道際に樹齢250年のスダジイ
が天に向かって聳えている。。250年前といえば10代将軍家治(いえはる)の時代。それ以来、旅人を見続けたスダジイは今も元気旺盛である。


スダジイの大木

3Kmほど歩くとつくば万博の時には臨時駅として使われた、荒川沖駅に着く。広くきれいな駅である。駅周辺も整備されたきれいな街並みである。



                                                前へ   次へ

2018. 5.20 

佐貫~ひたち野牛久


行程 JR佐貫駅~大坂~八坂神社~若柴宿~金龍寺~星宮神社~成井一里塚~牛久宿~芋銭河童碑道~
   明治天皇牛久行幸所碑~(牛久シャトーカミヤ)~正源寺~薬師寺~スダジイの木~JRひたち野うしく駅