Blowin' in the Wind 2014

                 
        


                                    2016.10. 4

      2016.10  世界遺産と一般公開・バスツアー・・
内閣府オフィシャルページより 

10月4日(火)久しぶりの快晴・・夏日でした。クラブツーリズムのバスツアーに参加しました。

このツアーのメインはこの夏から秋にかけて一般公開されている、迎賓館赤坂離宮内部・主邸の見学、世界文化遺産 登録決定された西洋美術館の見学である。この他に東京湾(お台場)クルーズ、ランチはホテルバイキングと盛りだくさんのツアーを裕美さんと楽しみました。

木更津8時20分集合も魅力的だった。地元の集合・出発は嬉しい。アクアライン経由で上野まで1時間ちょっと・・西洋美術館は何度も言っているが「文化遺産登録決定」の影響であろうか・・常設展のみであったが中高年の団体客(ツアー)で混雑していた。

美術館正面から

西洋美術館は1時間の足早での見学・・少々物足りなかった。科学館、博物館の見学は半日・1日かけて個人で行くのが良いだろう。
国立西洋美術館(こくりつせいようびじゅつかん、英名:: National Museum of Western ArtNMWA)は、東京都台東区の上野公園内にある、西洋の美術作品を専門とする美術館である。独立行政法人国立美術館が運営している。
本館は「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」の構成資産として世界文化遺産に登録されている。国立西洋美術館は印象派など19世紀から20世紀前半の絵画・彫刻を中心とする「松方コレクション」を基として、1959年(昭和34年)に設立された。
名画の数々をどうぞ(管理人の好みですが・・)

本館の設計はル・コルビュジエによるが、彼の弟子である前川國男・坂倉準三・吉阪隆正が実施設計・監理に協力し完成した。なお新館は前川國男(前川國男建築設計事務所)が設計した。
本館は、1998年(平成1年)に旧建設省による公共建築百選に選定。2003年にはDOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選定され、2007年(平成19年)には「国立西洋美術館本館」として国の重要文化財に指定された。また、前庭・園地は、2009年(平成21年)に「国立西洋美術館園地」として国の登録記念物(名勝地関係)に登録されている。
実業家松方幸次郎は20世紀初めにフランスで多くの美術品を収集したが、コレクションは第二次世界大戦後、フランス政府により敵国資産として差し押さえられていた。松方コレクションが日本に返還(一部名画は未返還)される際の条件として、国立西洋美術館が建設されることになった。
現在は松方コレクションに加えてルネサンス期より20世紀初頭までの西洋絵画・彫刻作品の購入を進め、常設展示している。なかでも西洋のオールド・マスター(18世紀以前の画家)たちの作品を見ることができる美術館として、日本有数の存在である。「西美(せいび)」の略称で呼ばれることもある。

館内撮影禁止の時代もあったが、現在は指定されたもの以外は自由に撮影できる。
この種のツアーは各地から出発、どこの旅行会社も同じようなコースで企画されているので、場所によっては団体専用のようなこととなる。

出港 国際埠頭 東京タワー シルバーシャドー 豊洲市場 警備艇

お台場クルーズは同じ団体さん3組と他の団体さんと乗船・・船内はほぼ満席、後方のデッキで海風に吹かれながらの20分余りのクルーズだった・・東京国際埠頭にはバハマ船籍のラグジュアリ客船「シルバーシャドー」が停泊していた。中小型に属する観光船で人気があるとの事である。今、話題の豊洲市場を船上から眺める、平坦な埋立地に平坦な建物が並んでいる。レインボーブリッジを下から眺めお台場へ・・行き交う船は少なかった。

ランチはホテルバイキング(ホテルサンルート:ランチバイキング ¥1,500)・・団体さんが4組で混雑・混雑・・1時間ちょっとの時間があったのでビールを飲みながら列の少なくなるのを待つ。一般のお客さん、ビジネスマンも数組食事をしていた。食事はまあまあ(好き嫌いはあまりないが・・食べるものはいつも決まっている)の満足度だったが、ビール(中瓶一本)が850円は大いに不満・・一般客・ビジネスマンのランチにもお手頃だろうが、団体客と重なるとゆっくりとしたランチは無理だろう。

迎賓館は東宮御所として明治42年(1909年)に鹿鳴館などを設計した、外国人建築家ジョサイア・コンドルの弟子にあたる宮廷建築家片山東熊の設計により建てられた。戦後皇室から政府に移管され、その後、国立国会図書館・裁判官弾劾裁判所・内閣憲法調査会、東京オリンピック組織委員会の事務所として使用されたのち、再度、改修されて迎賓館となった歴史があります。
東京元赤坂にある現在の迎賓館の建物は、かつて紀州徳川家の江戸中屋敷があった広大な敷地の一部に10余年の歳月をかけて、東宮鹿鳴館などを設計した、外国人建築家ジョサイア・コンドルの弟子にあたる宮廷建築家片山東熊の設計により建てられた。

紀州徳川家(きしゅうとくがわけ)は、江戸時代に紀伊国・伊勢国を治めた徳川氏の一支系で、徳川御三家のひとつ。紀伊徳川家ともいい、単に紀州家、紀伊家ともいう。また、初代頼宣が常陸国に封じられて常陸介に叙任された故事にちなみ、紀伊国へ移封された後も、頼宣の子孫は代々常陸介に叙任された。このため、徳川常陸介家(とくがわひたちのすけけ)という。

正面ゲート 主庭・噴水から 噴水と主庭 噴水 迎賓館

メインの「迎賓館赤坂離宮内部・主邸一般公開」は楽しみにしていただけの「見応え」と「いいものを見た」との満足のゆくものだった。
一般公開は4日で一端
終了との事で、迎賓館前の公園は団体のツアー客で一杯だった。「今回で8回目」の添乗員さんの話では「今まで、これだけの混雑はなかった」と言っていた。

建物内部 (内閣府のオフィシャルサイ・パンフレットトより)

南に面した主庭は全面砂利敷きで、中央には噴水池や花壇が設けられており、そのまわりには枝振りのよい松が植えられています。

正面中央にはバルコニーのついた玄関があります。緑青の屋根には日本の甲冑を形どった装飾が左右対称をなし、中央部には菊の紋章が飾られています。

1909年当時 正面玄関
中央階段

大ホール壁画

大ホール
彩鸞の間

迎賓館は、外国の元首や首相など国の賓客に対して、宿泊その他の接遇を行うために設けられた迎賓施設で、賓客の滞在中は首脳会談、表敬訪問、署名式、レセプションや晩餐会など様々な公式行事が行われます。迎賓館は、これらの接遇を通じて外交の重要な一翼を担っている。(以下、内閣府のオフィシャルサイトより引用しています)

中央階段 

2階大ホールから見下ろす中央階段の床には、イタリア産の大理石が張られ、その上に赤じゅうたんが敷きつめられています。階段の左右の壁には、フランス産の大理石が鏡張りされています。また、欄干はフランス産の大理石であり、その上に8基の黄金色の大燭台が置かれています。
大ホール

中央階段を上がった2階大ホール正面の左右の壁面には2枚の大油絵(小磯良平画伯作 向かって左側は「絵画」、右側は「音楽」)が飾られています。

彩鸞の間

「彩鸞の間」という名は、左右の大きな鏡の上とねずみ色の大理石で造られた暖炉の両脇に「鸞」(らん)と呼ばれる霊鳥をデザインした金色の浮彫りがあることに由来します。白い天井と壁は金箔が施された石膏の浮彫りで装飾され、10枚の鏡が部屋を広く見せています。 晩餐会の招待客が国・ 公賓に謁見したり、条約・協定の調印式や国・公賓とのテレビインタビュー等に使用されています。

花鳥の間
花鳥の間(七宝額)
朝日の間 朝日の間・天井画 羽衣の間 羽衣の間天井画

花鳥の間花鳥の間(七宝額「矮鶏」)

「花鳥の間」という名は、天井に描かれた36枚の油絵や、欄間に張られた錦綴織、壁面に飾られた30枚の楕円形の七宝などに花や鳥が描かれていることに由来します。周囲の腰壁は茶褐色のシオジ材で板張りしてあり、その壁の中段を飾るのが七宝です。下絵は日本画家の渡辺省亭が描き、明治期の七宝焼の天才・涛川惣助が焼いたものです。この部屋は、主に国・公賓主催の公式晩餐会が催される大食堂で、最大130名の席が設けられます。

朝日の間・朝日の間(天井画

「朝日の間」という名は、天井に描かれた「朝日を背にして女神が香車を走らせている姿」の絵に由来します。周囲の16本の円柱はノルウェー産の大理石です。壁には、京都西陣の金華山織の美術織物が張られ、床には、紫色を基調とした47種類の糸を使い分けて桜花を織り出した緞通が敷かれています。この部屋は国・公賓用のサロンとして使われ、ここで表敬訪問や首脳会談等の行事が行われます。

羽衣の間・羽衣の間(天井画)

「羽衣の間」という名は、謡曲の「羽衣」の景趣を描いた300平米の曲面画法による大絵画が、天井に描かれていることに由来します。3基のシャンデリアは迎賓館で最も豪華なもので、およそ7,000個もの部品で組み立てられており、高さは約3メートル、重さは約800キログラムであり、壁は楽器、楽譜等をあしらった石膏の浮彫りで飾られています。また、正面の中2階はオーケストラ・ボックスとなっており、かつて、この部屋が舞踏会場として設計されたことが偲ばれます。この部屋は、雨天の際に歓迎行事を行ったり、レセプションや会議場等として使用されており、また、晩餐会の招待客に食前酒や食後酒を供するところでもあります。

大正天皇の皇子・皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)と良子女王(後の香淳皇后)との婚儀が1924年(大正13年)に成ると、その後の数年間、赤坂離宮は再び東宮御所として、一家の住居となったが、裕仁親王が天皇に即位した後は、離宮として使用されることも稀になった。

1945年、第二次世界大戦後、赤坂離宮の敷地や建物は皇室から国に移管 され、1948年~61年は国立国会図書館に使用されていた。

1948年に制定された国立国会図書館法に従い、初代館長には憲法学者で日本国憲法制定時の憲法担当国務大臣だった金森徳次郎が迎えられて、1948年(昭和23年)2月25日に国立国会図書館が発足した。同年6月5日、旧赤坂離宮(現迎賓館)を仮庁舎として、国立国会図書館は正式に開館し、1974年3月に、迎賓館として修繕改装される。

15時の予約が入場は15時30分過ぎになった。団体での入場・・汗を流しながら待つ・・チャックがあると聞いていたが、所持品検査と金属探知検査は空港並み・・だった。
入場制限をしながらだったので内部の見学は混雑していたが、ゆっくりと見ることができた。要所要所にボランティアガイドさんがいたが、説明は聞くことはできなかった。

彩鸞の間・花鳥の間・羽衣の間・中央階段・2階大ホール、朝日の間とぐるりと回る。豪華絢爛としか言いようがない芸術に囲まれた内部は言葉では言い表せない(庶民には無縁?の)美しさだった。中庭は噴水が見事で、アカマツの美しさが際立っていた。広大な敷地にある建物、主庭・中庭は外国にいるような錯覚を感じる場所でもあった。

秋の陽はつるべ落とし・・バスに乗って帰路に着く時間の車窓は夕闇が迫っていた。



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主庭より