2017.12.16 
千住宿~金町
  一部日光・奥州街道(千住宿)
  行程
   千住宿~小菅~水戸橋~立場跡~亀有一里塚~新宿~日枝神社・地蔵群・道標~金町
  10Km  

Blowin' in the Wind 2016
                          
いっちゃん水戸街道を歩く・・
 広重・千住宿

千住宿・絵図
千住宿

千住宿は、武蔵国足立郡・豊島郡の荒川(現隅田川)曲流部に設置された宿場町。東海道の品川宿、中山道の板橋宿、甲州街道の内藤新宿と並んで江戸四宿と呼ばれた。慶長2年(1957年)
)に指定され、明治4年(1872年)に助郷制度・伝馬制廃止に伴い廃止された。日光街道および奥州街道の初宿で、水戸街道はここから分岐していた。

荒川・綾瀬川が付近で交差しており運輸・交通の便に有効な場所であったことから、荒川で千住大橋沿いには橋戸河岸が置かれていた。千住河原町に設置されていた千住青物市場(やっちゃ場)は御用市場となった。千住は江戸に物資を運び込むための中継地点としても発展した。千住宿は岡場所としても発展した。また、千住宿近隣には行楽地が出現し浮世絵や絵画に描かれている。

千住宿の南の町小塚原町には江戸北の刑場として、小塚原刑場が置かれている。当時の千住宿は、現在の東京都足立区千住一~五丁目、千住仲町、千住橋戸町、荒川区南千住に相当する

新宿営団千代田線が地下を通っている道との交差点に千住高札場跡がある。
そこで街道を離れ左(西)に400mほど行ったところに千住神社がある。旧千手町の総鎮守である。千住宿の西にあったので、かつては西森神社と呼ばれた
もともとは、延長4年(926年)、伏見稲荷より御分霊を勧請し稲荷神社を創立したもの永承6年(1051年)源義家は、奥州征伐の際、今の荒川千住大橋付近を渡りここに陣営し、神前に戦勝を祈願した
弘安2年(1279年)武蔵の国一の宮の氷川神社(大宮市高鼻町)の御分霊を勧請し樋川神社を創立、二つ森と呼ばれるようになった


京成千住小橋駅

商店街(千住宿)

千住高札場跡

一里塚跡

問屋場・貫目改所跡

橘井堂跡

芭蕉の「もの言えば唇さむし秋の風」の句碑がある。

足立都税事務所の場所に橘井堂(きっせんどう)跡がある。森鴎外の父、静男が開業した医院跡の案内板がフェンスに取り付けられてある。


移転案内板

金蔵寺

案内板

無縁塔・供養塔

勝専寺(赤門)

千住宿商店街

橘井堂(きっせんどう)跡からちょっと先の金蔵寺(こんぞうじ)には天保飢饉(1833~1836年)の餓死者の霊を供養した無縁塔がある。無縁塔の横には遊女の供養塔もある中津街道北九州の湯川にある開善寺の享保大飢饉(1732年)の餓死者の供養塔を思い出した・街道を挟んで反対側(左側)にある赤門は、勝専寺だ。2代将軍秀忠以来の鷹狩りや日光参拝の際の御休所で、休憩、宿泊の用も果たした寺宝の千住観音立像の「千手」が地名の「千住」の起こりともいう。・北千住の駅に直角の道との交差点の店先に千住宿の無料案内パンフレットが置かれていたので前回は重宝させてもらった。その先の左側に千住宿本陣跡がある。


街路案内板

本陣跡

電柱の案内

商店街

高札場(本町公園)

 高札場由来案内

右手に公園がある。高札場跡である。左手に今は珍しい絵馬屋があり、その向かいに横山家の古い建物があるその手前を右に行くと長円寺、その横に氷川神社がある。再び絵馬屋に戻り少し行くと「かどやの槍かけだんご」という店があり、団子を売っている。これから行く清亮寺の槍掛松から取った名前だしおりには、在りし日の槍かけ松の写真が載っていた


横山家住宅

案内板

絵馬屋・吉田家

案内板

道標

御成道由来案内

・その少し先に水戸街道との分岐点がある右が水戸街道だ水戸街道を200m程下ったところに清亮寺とたちばな幼稚園がある。


清亮寺

槍掛けの松碑

槍掛けの松・画像

本堂
 
解剖人の墓

槍掛松は、水戸黄門が江戸に入る前にこの枝に槍をかけて休息されたのでこの名が起こった。たちばな幼稚園のところに昭和の中頃まであったという。現在は石碑に画像が残っている。また、小塚原で処刑され、解剖された人の墓も残っている。


千住名倉医院

案内板

千住宿の高札場を過ぎ、左手に「槍かけだんご」の店を過ぎると、少し複雑な交差点に出る。ここが水戸街道との追分けになっていて、真っ直ぐ行くのが「日光街道」で、すぐ荒川の土手に突き当る。水戸街道は右手へ直角に曲る細い道で、入口の左手は小公園になっている。
公園の前には「東へ 旧水戸佐倉道 北へ 旧日光道中」の道標が立つが、これは本物ではなく、本物の道標は足立区立郷土博物館に収められている。細い街道へ入り、千代田線、TX、JR、東武線のガードを潜って行く。 

清亮寺には、元和5年(1619)の創建。明治初期日本医学発展のために解剖された囚人の 解剖人塚がある。また「槍掛松」でも有名な寺でもある。
槍掛松は街道一杯に松が張出し、大名行列ができないので松を切るかとなった際に、徳川光圀公が
"切るには惜しい名松なので、ここで休憩を取り槍を松に立てかけて、再び出立するときには槍もちが反対側に回ってから槍を持ち直せば、槍を倒したことにはならないだろう"と言い松も切られずに済んだ、という話がある。その松も昭和20年頃に枯れてしまったそうです。現在は写真と碑が残るだけである。


小菅・水戸街道

東京拘置所矯正展

水戸街道

旧家・蔵

寺をでるとすぐ、荒川土手にぶつかり、水戸街道はこの荒川で遮られてしまう。現在の荒川は以前「荒川放水路」と呼ばれ、大正2年から昭和の始めにかけて人工的に掘削された人工河川である。もちろん昔はこんなものはないのでそのまま葛飾の「新宿」へ繋がっていた。
土手の上に登ると、河川敷が広く開け、スポーツを楽しんでいる風景が見られる。


水戸橋跡

案内板
 

街道の突き当りの高架下に水戸橋の跡がある。その昔、この川に架かる橋のたもとに妖怪が出没した。元禄8年(1695年)水戸黄門がこの橋のたもとで妖怪を退治し、「後日再び悪行を重ねることのなきよう、この橋を我が名をとって水戸橋と命名し、後の世まで調伏するものである」と自ら筆をとったものといわれている
古隅田川に掛かる橋鵜森橋である。ここに流れる川は古隅田川という。隅田川は元々は入間川の下流部であり、足立区と葛飾区の境界となっている。改修の歴史が複雑で一言で述べるのは難しい。
住宅街に入ると
蓮昌寺の立派な山門が見える。正安2年(1300年)松本阿闍梨日念が創建した道昌寺は室町時代末期、旧街道の消滅とともに荒廃し、慶長19年(1614年)三代将軍義光が亀有付近で放鷹の際、境内の蓮花を賞賛し、蓮昌寺と称するように命じたので、以後この寺名に改めたと伝えられる。明暦2年(1656年)日敢が再興、万治3年(1660年)日円が七面大明神を勧請、寛政4年(1792年)11代将軍徳川家斉が鷹狩で使用し以来将軍家の御膳所に指定された。文化8年(1811年)鐘楼を再建、安政2年(1855年)安政大地震で諸堂が大破、文久2年(1862年)25世日深の代に再建された。


立場跡

立場跡石碑

新宿が発展したのは、江戸時代に入ってからである。水戸藩をはじめ安房、下総、常陸や奥州方面に領地がある大名や御家人、一般の旅人などでにぎわった。また佐倉街道への分岐点もあり、成田山へお参りする人も多く賑わった。明治17年、中川に中川橋が架けられたが、通行料を取ったので、賃取橋ともいわれた。この橋銭は町の主要な財源となった。しかし、明治30年(1897年)に常磐線が通る際、通行料が取れないなどの理由で反対運動があったようで、新宿をはずれて通り、さびれる方向へ変わっていく。
現在の新宿には、江戸時代以前の面影が今も残っている。渡った所から右へ折れ曲がり、また左へ折れそれぞれの角に寺社が建つ道筋もその一つ。警備上の問題からまっすぐ見通せないようになっている。本陣はなく問屋があるのみであった。


親水公園

亀有一里塚

案内板
 
標識・水戸へ

小菅3丁目の交差点を過ぎ、左斜めに入っていく道を進む。道なりに進んでいくとJP常磐線の高架に近づく、JR綾瀬駅付近である。
右折して線路沿って歩きます。この辺り、大曲ともいわれていると言う。交差点御先の新築されたビル脇に小さな「立場跡の石碑」がポツリと立っている。見落とす人のほうが多いだろう。西亀有3丁目交差点を過ぎ、幹線をほぼ真っ直ぐ進んで行く。道上小の辺りは親水公園になっている。親水公園の先の商店街の歩道には亀有の一里塚が建っている。黄門様・助さん・格さんの胸像が建てられている。
街おこし?のために造られたのか?隣には石碑と案内板が建っている。


両さん像

アリオ亀有

中川橋

西念寺参道

西念寺

日枝神社鳥居

亀有2丁目交差点の左手はショッピングセンター「アリオ亀有」というのができている。元は日本板紙の工場があった地域で、現在、亀有、金町地区は大きな工場が移転し、大規模開発が盛んに行われている。亀有を一躍有名にした「両さん像」も見ることができた。
その先新中川橋を渡る。渡ってすぐ東詰を右折すると新宿に入っていく
。中川橋を渡り、すぐ右折して現在の水戸街道方面へとの街道となる。江戸時代には湿地帯で直線の道ができなかったとの話である。
日枝神社の手前に西念寺がある。この辺りに中川の渡し場があったという。

西念寺は文安5年(1448年)僧浄円が結んだ草庵を起源とし、天文元年(1532年)覚蓮社法誉が寺院として創建したといいます。江戸時代には門末7ヵ寺を擁する小本寺格の寺院でした。資料によると、将軍が鷹狩にきた際に、この地の生簀から魚を献上したと言われ、これを守った一族の墓「生簀守の墓」があります。また鯖神社があり鯖大師が祀られてれてます。


山王鳥居

拝殿

手水場・守護の猿

水戸街道整備記念碑

石仏群

街道の先には日枝神社がある、鳥居は新しいが山王神社形式の特色ある形式のもの。祭神は日枝大神(大山昨神)、宝暦(1750年頃)新宿の守護神として鎮座、享保14年に現在地へ移転したという。

 
庚申塔

帝釈道・道標

左・水戸街道
右・帝釈道

金町交差点

水戸街道のそば屋脇に道標がある。右佐倉街道 左水戸街道と刻まれており、成田山にお参りするにはここから右へ佐倉街道を行くことになる。Y字路を左に行くと水戸街道である。20分ほど歩くと金町の交差点に着く。京成線の踏切を渡り左に行くと京成・JRの金町駅である。


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