Blowin' in the Wind 2016

                                           

                                            2016 8.2〜4
2016. 8 北陸の旅 長岡大花火大会&北陸の歴史を訪ねて ・・            

8月2日(火) 長岡の街散策と大花火大会観覧・・
東京駅8時24分発
Maxとき307乗車、大宮駅乗車組と合流して長岡に10時過ぎに到着。1時間40分・・いつでも思うことだが、新幹線は速い。長岡(先発到着)組と合流し、長岡まつり開催中の市内へ向かう。
長岡まつりは
日本三大花火大会の一つである。8月1日から3日にかけ行われ、内容は大きく分けて前夜祭・夜祭・昼行事・大花火大会でありその他にも灯篭流しなどがある。祭の起源は1945年8月1日の長岡空からの復興を願い、翌1946年8月1日に行われた戦災復興祭であるが、花火大会の始まりはこれとは別で1897年9月14日と15日の2日間、千手町八幡様の祭りに長原などの遊廓関係者がお金を出し合って花火350発を打ち上げられたのが始まりと言われている。その後、本格的な花火大会となったのは1906年からであり、現在の「長岡まつり」という名称になったのは1951年のことである。

JR長岡駅 河井継之助記念館 ガトリング銃 ゆかりの庭案内板
継之助像
山本五十六生誕の地

まずは幕末の長岡藩を支え、戊辰戦争での指揮を執った長岡藩家老の河合継之助記念館へ、河井継之助は幕末の長岡藩を支え、戊辰戦争での指揮を執った長岡藩の家老であった。戊辰戦争では指揮を取り、事前にガトリング銃を購入するなどしたが、長岡藩は、新政府軍に敗れ、継之助は戦いの傷がもとで亡くなる。司馬遼太郎の小説「峠」の主人公である。記念館にはゆかりの品が展示され、継之助の業績と人間像に触れることができた。

山本五十六記念碑 生誕の地案内板 祭りのイベント
垂れ幕
へぎ蕎麦 へぎ蕎麦(4人前)

5分ほど歩くと山本五十六記念館がある。第二次世界大戦時に、連合艦隊司令長官を務め、戦死した山本五十六元帥が激動の時代を生きた山本五十六の生涯を紹介している。その豊かな人間性は、幾度となく小説や映画の題材にされている。館内には書簡や愛用していた品々のほか、ブーゲンビル島(パプアニューギニア)上空で撃墜された、搭乗機の左翼なども展示されている。
儒学者の家系に生まれた高野五十六は、聡明で、中学の頃からベンジャミン・フランクリンを尊敬、猛勉強するなど広い視野をもっていたという、旧長岡藩家老・山本帯刀家を継ぎ「山本姓」を名乗ったことは初めて知った。
記念館からほど近くには生誕の地の碑と生家が公園の中にあり、市民の憩いの場となっていた。

見学後は長岡まつりでにぎわう市内を散策する。道路は歩行者天国となっていろいろな催し物が開催されお祭り気分も最高潮だった。
散策後の昼食は地元名物の「へぎ蕎麦」をたっぷりと堪能した。5人で4人前で充分と言うご主人の話通りであった。そばも香りもよく、歯ごたえ、喉越しも良かった。

長岡大花火

友人宅で一服後に長岡花火観覧・・夕方4時過ぎには雷と雨が落ちてきて、空模様を心配したが、花火打ち上げ前には雨も上がった。

歴史と伝統を持つ長岡まつり大花火大会は、日本三大花火大会にも選ばれ、信濃川河川敷で2日間にわたり行われる。2日間、合計約2万発というスケールの大きさを誇る花火大会であり、打上げられる花火の種類も豊富である。見どころは、直径650mもの大輪となる「正三尺玉」、全長650m、色とりどりのスターマインを同時に打上げる「ワイドスターマイン」は圧巻であった。また、幅2Kmの「フェニックス」、音楽とシンクロしたストーリー性のある「花火この空の花」、「天地人花火」も見逃せないものであった。正三尺玉を間近で見るには長生橋上流、フェニックス花火は大手大橋下流がお勧めとの事・・今回は丁度この中間地点の最高の桟敷席であったが・・三脚・レリーズを用意していったが、残念ながらいい写真は取れなかった。 ます席(宴席)での花火の鑑賞・花火撮影の二股は無理であった。今回は河川敷の桟敷席、花火鑑賞には良い場所だったが、写真を撮るにはそれなりの場所を選ぶ必要もある
現在、日本三大花火大会と呼ばれているのは、「全国花火競技大会 大曲の花火」(秋田)、「土浦全国花火競技大会」(茨城)、「長岡まつり大花火大会」(新潟)のつである。このうち、大曲と土浦は、内閣総理大臣杯が授与される権威ある大会としても知られ、全国の花火職人たちの芸術性の高い力作花火が見られる。

8月3日(水) その2 国上寺から弥彦神社、弥彦山へ・・

くがみ山 国上寺(こくじょうじ)の歴史は平安時代、慈覚大師は最澄の弟子で、唐に渡り修行をしました。天長6年(829年)から3年、東国巡礼の旅に出て、青森・岩手・秋田・山形・宮城・福島で10を超える寺を開いて、教学を広めた。その頃、国上寺にも立ち寄った。平安末期には悲劇の武将、源義経伝説が寺伝にある。源平の戦の功労者でありながら、兄・頼朝に追われた義経は、文治3年(1187年)、奈良の吉野山から岩手県の平泉へ逃れます。その途中に国上寺の本堂に隠れていた。

国上寺 本堂 向拝 彫刻 本堂 絵馬 彫刻 六角堂

戦国時代には千手観音(客殿に安置)を信心された上杉謙信により格別の配慮を賜った。祈願所として十万石の格式を拝領し、七堂伽藍を建立された。江戸時代には京都で修業した良寛が文化元年(1894年)47歳の時に当山内にある五合庵に定住することとなり、「いざここに 我が身は老いん 足びきの 国上の山の 松の下いほ」と詠んでいます。立派な古刹で彫刻も素晴らしいものであった。

六角堂内部 天井画
石仏

石仏 六角堂
石仏群
庚申塔?

六角堂には天井絵が描かれている。境内には石仏も多く残っていた。北西の山門からは遊歩道があり、遊歩道を下ってゆくと五合庵がある。

薬師堂 良寛像
良寛句碑
観音堂 五合庵 越後平野

五合庵は良寛が玉島より帰国してしばらく転々とした後、文化元年、良寛47歳頃から文化13年までの最盛期を過ごした草庵で、五合庵の名は国上寺の客僧萬元が貫主良長の扶養を受け、毎日粗米五合を寄せて頭陀の労を援けたことによって名づけられ。現在の堂宇は良寛在庵時のままではなく、大正3年の再建である。


千眼堂吊り橋
彌彦神社鳥居 境内 境内にて 手水舎 山門

五合庵の先には吊橋がある。千眼堂吊り橋である。良寛ゆかりの国上山の中腹にあり、朝日山展望台と五合庵を結ぶ長さ124mの吊り橋である。越後平野を一望でき、新潟の橋100戦にも選ばれている。国上寺から20分ほどで彌彦神社に着いた。彌彦神社は弥彦山の麓に位置し、古くから「おやひこさま」の名で信仰を集める神社である。香山命を御祭神とし、古代より時の朝廷・将軍家、武将達の篤い信仰を集めた。日本最古の万葉集に、彌彦神社を詠んだものが2首歌われている。明治45年(1912年)に大火により殆どが焼失したが、地元の熱意により大正5年(1916年)に再建され、平成27年(2015年)には、再建・遷座より100年を迎えた・・と案内にあった。

拝殿 弥彦山ロープウェイ 弥彦山頂 JR寺泊駅 越後線 日本海の夕日

参拝の後はロープウェイケーブルを使って弥彦山に登る。標高634mは東京スカイツリーと同じである。前回バスツアーで来た時に聞いた数字だが・・すっかり忘れていた。ロープウェイまでは神社脇から山麓駅まで無料のシャトルバスが出ている。山麓駅から弥彦山9合目の山頂駅までを約5分で結ぶ弥彦山ロープウェイで、越後平野を一望しながらの空中散歩。天気が良ければ、遠くに佐渡が望めると言うが生憎と見ることはできなかった。頂上まで行くと日本海側は真っ白・・雲の中。日本海に浮かぶ佐渡を見ることはできなかった。
弥彦からは寺泊までドライブ・・こちらの観光の立ち寄り名所の寺泊のアメ横へ行く。約1時間の自由行動でそれぞれお買い物・・買い物を済ませた後は宿泊先の「きんぱちの湯」に直行・・一服後、今日の帰宅組を寺泊駅まで送る。ローカル線の電車を見送る・・
日本海に沈む夕日を見ながらの夕食(宴会)は景色よし・仲間よし、料理よしの三拍子が揃った楽しい席であった。


8月4日(木) その3 良寛の里と柏崎・・

海岸から 海岸の花壇 漁港の風景 はまなし  
漁具小屋

宴席では飲みすぎるのが常だが、今回はそのようなことはなかった。いつも通りの時間に目覚める。朝食まで時間があるので海岸線を散歩した。冬の荒々しいイメージとは違い、静かな静かな海であった。1時間ほど海岸線を歩き宿に戻り、湯につかる。旅に出ての楽しみのひとつでもある。3日目は出雲崎にある良寛の生誕の地、記念館まで足を延ばした。

漁港遠望 良寛堂 多宝塔・ 石地蔵 海を見つめる良寛 良寛像

良寛は宝暦8年(1758年)出雲崎の名主山本家(橘屋)の長男として誕生した。出雲崎の海の見える場所に良寛堂がある。良寛堂は良寛の生家橘屋の屋敷跡(当時は現在の境内の2倍はあったそうです)に良寛の遺徳を顕彰し良寛を偲ぶために、郷土史家、佐藤耐雪翁が発案し、安田靭彦画伯が設計、大正11年(1922年)9月に竣功した。その後、翁から出雲崎町に寄贈されたものである。ゆったりとした建物は素朴で心豊かな良寛のイメージをいかしている。堂内には良寛が常に持ち歩いたという石地蔵をはめ込んだ多宝塔に「いにしえにかわらぬものはありそみとみかひにみゆるさどのしまなり」の良寛自筆の歌が刻まれている。境内裏には良寛の母の国佐渡ヶ島を見つめるように座っている良寛像があります。

良寛記念館 良寛像
良寛像 良寛句碑

良寛堂の斜め上に当たる日本海を見渡す丘の上に良寛記念館が建っている。良寛記念館は、生誕200年を記念して昭和40年(1965年)にオープンした。館内には良寛の遺墨、遺品、文献などが数多く展示されている。館の南には、橘屋の墓地があり、さらに北の丘の上には良寛歌碑があり、ここから眺める佐渡は「新潟景勝百選」の1位に選ばれている。向かいに佐渡今回は生憎と見られなかった。、右手に弥彦山、眼下に良寛堂、出雲崎漁港、そして海岸線に続く妻入りの街並みが眺められた。

選の碑 出雲崎港 天領の地・時代館
天領船
積み荷模型 金鉱石

江戸時代、天領(幕府の直轄地)だった出雲崎は、佐渡からの金銀を荷揚げする港町として繁栄した。時代館に併設された「出雲崎石油記念館」では明治時代、日本で初めて石油採掘に機械方式を用い成功をおさめた出雲崎の石油に関する資料等を展示してある。

展示館内 柏崎原発 原子炉模型

柏崎まで足を延ばし、柏崎刈羽原子力発電所併設のサービスホールTEPCOの立ち寄った。原寸1/5の原子炉模型や、様々な展示を動かしながら、原子力発電の仕組みや安全対策の取り組みについて案内・説明されていた。

田中邸 角栄記念館 花火模型・長岡駅

この後、田中角栄の自宅、記念館を回り、名物の「のっぺい汁定食で昼食を摂り、長岡駅まで戻る・今回は「レール(20%OFF)&レンタカー(10%OFF)」を使い旅行代金もリーズナブルであった。



今回のコース:長岡市内→長岡大花火大会→国上寺→弥彦神社→弥彦山→寺泊→良寛の里→出雲崎→柏崎・刈谷→長岡市内


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