Blowin' in the Wind 2016

                                           

                                            2016 6.12

2016. 6 ちば歩・バスハイク(千葉氏を訪ねて、多古町・東庄町 ・・            

6月12日(日)千葉氏シリーズの第3弾は、千葉氏の祖先である平忠常が拠点としていた東庄町、頼朝が房総から鎌倉に行くに           あたって、千葉氏の所領になり、また千葉氏本家の終焉の地多古町等千葉氏ゆかりの地を訪ねてきました。

6月12日(日) 多古町から東庄町の千葉氏(ちばうじ)終焉の地と天保水滸伝の里を歩いてきました。参加者167名、3号車は42名でした。集合時間は7時45分でしたが我々が行った、6時35分過ぎにはほとんどの参加者は受付を終わっていました。
休日の東関道は空いていてストレスなく多古町商工会館に着く、二手に分かれて市内の散策と妙光寺に参拝する。


商工会館を後に

お祭りモード?
宿場の古民家 妙光寺

市内は「アジサイ祭り」で歩行者天国、地元商店会の特産品の販売も行われていた。ところどころに往時を偲ばされる古民家が残っている。宿場はそれほど広くはなく20分ほどの散策で妙光寺に到着する。妙光寺ではご住職の法話を聞く。「町の人を大事にするから町の人も寺を大事にしてくれる」との内容の地元に根差したお寺の成り立ちと法話を聞く。いつ聞いてもjご住職(お坊さん)の話は聞いていてありがたいものである。

妙光寺・山門
山門の妙見菩薩
薬師堂 薬師堂・向拝の龍 拝殿・格天井 本堂

特別な参拝者のためにご開帳された鬼子母神、妙見菩薩を拝観できた。

本堂・鬼子母神
妙見菩薩
欄間 絵馬

鬼子母神の怖いのか慈悲に満ちた顔なのか・・これは見る人の気持ちでかな?千葉氏の守り神である妙見菩薩は神々しい姿であった。

妙本寺を後にしてバスに乗り日本寺(にちほんじ)に向かう。途中の道の駅周辺は「アジサイ祭り」の会場に入るための大渋滞が発生していた。

日本寺は古刹で中山法華経寺(千葉県市川市)の三世日祐上人が元応元年(1319年)に開基した日蓮宗の古刹。仏教史上有名な檀林(学校)のある寺として知られ、全国から学僧たちが集まりこの地で学んだ。

檀林(中村壇林)が開かれたのは慶長4年(1599年)で寺の十世を継いだ広才博学の僧日円によるもので、その歴史は明治5年まで続き、隆盛期には千人近い学僧がいたといわれ、数十棟の学坊が軒を連ねていたという。

日本寺・山門 本堂
扁額
狛犬 アジサイ

現在は本堂・鐘楼が残っている。山門正面に掲げられている「正東山」の扁額は、本阿弥光悦の真筆といわれ、日本三額の1つにあげられている。このほか、日本寺には水戸光圀ゆかりの屏風も所蔵されている。

伊八の龍 お稲荷さん
鐘楼
山門  
アジサイ

境内にある神社の向拝には「波の伊八」の彫刻が残っていた。6000本と言われる色とりどりのアジサイの咲く中を歩き寺をでる。


多古町の田圃風景

栗山川
遊覧船 田圃道を歩く

多古米の広い広い田圃のなかを歩き「アジサイ祭り」の会場へ向かう・・栗山川の河畔での昼食、用意された弁当は美味しかった。売り切れ前の缶ビールを買えたのはラッキーだった。栗山川の河口木戸は父の生まれたところで小さい時には父に連れられ川で遊んだのを覚えている。道の駅多古は農産物などをたくさん販売していた。花木苗はとても安く欲しかったが、ウオーキングの邪魔になるので見るだけ(残念・・)にした。


東禅寺

胤宣の墓
本殿 妙見菩薩

午後は千葉氏終焉の東禅寺(千葉胤宣の墓・眷族の墓)を訪れ、地元ガイドさんの説明を聞き五輪塔に参拝した。

東禅寺は千葉氏の拠点所領であった千田荘の中心に位置し、往時は下総国の文化最先端の寺院であり、鎌倉極楽寺や金沢称名寺とならび奈良西大寺叡尊によってもたらされた南都教学の東国における拠点であった。だが元弘年(1333年)鎌倉幕府とともに金沢北条氏が滅び、折りしも勃発した南北朝の戦いに際し北朝方に付いた千葉胤貞と宮方に付いた貞胤の家督を巡る騒乱などがあり、こうした戦乱により外護者を失った寺は衰退を余儀なくされた。その後、康正元年(1455年)には享徳の乱で馬加康胤に攻められた千葉胤直が、当寺の本堂とされる土橋の如来堂で自害し、千葉氏宗家は滅亡した。今、房総往還を歩き千葉氏の歴史の中を歩いている。我々にとってもタイムリーでもあった。

平手造酒所縁の松
延命寺・案内板
造酒の墓 天保水滸伝所縁の
墓碑・碑
繁蔵勝負石

再度バスに乗り広い広い田園風景の中、東庄町に向かう。

「利根の川風袂に入れて月に棹さす高瀬舟」浪曲や講談で有名な「天保水滸伝」は、土地を潤す利根川と共に、昔から語り伝えられてきた、東庄が舞台の、笹川繁蔵と飯岡助五郎、二人の侠客の勢力争いの物語である。 この地にある、延命寺は真言宗智山派の寺、笹川繁蔵の碑や剣客・平手造酒、勢力富五郎の墓などがある、天保水滸伝ゆかりの場所でもある。
繁蔵の碑は、昭和15年地元の有志が、繁蔵を偲んで建造。昭和7年に銚子の町で発見された繁蔵の遺骨が葬られている。
平手造酒は紀州の浪人で、繁蔵の客人として大利根河原の血闘に加わり、義理と人情の最期をとげた。 笹川繁蔵の一の子分であった勢力富五郎は繁蔵の死後、飯岡側へ報復を試みるが志し果たせずに金比羅山で自刃したという。

延命寺・薬師堂 諏訪神社 土俵 能見宿彌命の碑
出羽海親方の碑
黒部川
坂上田村麻呂蝦夷征討の際、悪神退散を祈願して建てた一祠が諏訪神社の始まりとされ、大同2年(807年)に創建されたといわれており、須賀山明神とも称された。東国鎮護の神社として国司武将等の崇敬篤く、特に大江維時は社殿を造営し、源頼朝建久2年(1191年)東重胤に命じて社殿を改築した。
春の
例祭には、神前の神楽殿で「笹川の神楽」が演ぜられる。天狗の面・小屋根の面・大玉の命の面・乙女の面・手力男の面などの十六座からなり、太々神楽あるいは岩戸神楽ともよばれ、千葉県の無形民俗文化財に指定されている。また、秋季例祭には相撲まつりが行われる。山車が街中に繰り出し、笹川繁蔵が催して以来続けられている素人相撲大会などが開かれ、遠近からの参拝客で賑わう。境内には、天保13年(1842年)に笹川繁蔵が建てた野見宿禰命の碑が残っており、境内の入り口には天保水滸伝遺品館がある。夏には出羽海部屋の夏合宿も行われている。

この周辺は歩こう会でも歩いている所ではあるが、歴史についての話は初めてで新鮮であった。
予定より遅れての帰路となる。内容盛りだくさんのバスハイクであった。



今日のコース:千葉市役所前→多古町商工会館多古町散策→妙本寺→→日本寺→道の駅多古(昼食)→あじさいロード→東禅寺→
        空の駅しばやま→東庄町諏訪神社→延命寺→東庄町役場→NTT千葉支店前



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