姫様と歩く姫街道・・後半(西気賀〜見付宿) 29.5Km
                                                                         2015.4.3〜5
東海道を歩いた仲間と一緒に・・姫街道道中記・・お姫様の歩いた姫街道・・西気賀から見付宿にゴールしました。。

4月4日() 湖東(交差点)から[姫様道中見物]・安間一里塚(東海道)まで 7.5Km

早朝に目が覚める・・雨は降っていない。姫道中は外で見たい(雨天の場合はホールにて開催との事)ものである。今日は湖東交差点からのスタートである。261号線と分れると少し先には桜並木が続く、姫街道道標があり、迷わないようになっている。雲間に青空がのぞく・・
交差点からすぐの所に松と大きな句碑と解説板がある。これが曲がり松松島十湖の句碑。昔、樹齢500年を経た曲がりくねった竜のような松があり「曲がり松」と呼ばれていた。そして、この場所は気賀の領主や街道を行く行列の送迎場所にもなっていた。句碑は俳人松島十湖が三年勤めた引佐麁玉群長を辞すに際し、ここまで見送りに来た人と別れを惜しみ松奏離歌と題して詠んだ句が刻まれている。
「別るるはまた逢うはしよ月の友 十湖」そばに昭和天皇
御巡幸記念の石碑もある。


湖東交差点

曲松
満開の桜並木
大谷川
松並木 東大山一里塚・北塚

細江町に入る、老ヶ谷一里塚から約2kmの和地大谷川にかかる大谷橋を渡る。昔は川幅6間(10.8m)で、川を渡るのに川の中においた石の上を飛んで渡ったという。大谷橋を渡り少し行くと道路左側には松並木が続く、現在は約3Km残っているが道路拡幅等で右側だけの並木である。それでも街道歩きを満喫できる。

大山町に進み、右側の一里山バス停のところに日本橋から67里の東大山一里塚(南塚)跡があり、道路の反対側には馬頭観世音菩薩祠があり、木立の所が北塚跡である。時間は9時過ぎ・・「姫様道中決定」をTDの下山さんから聞く・・開催決定は信じていたものの安心する。

権七(「ごんひち」と読む)信号のある吉野東町通りを進む、左側には巨大な姫街道看板がある。少し先、左側には「権七店跡(今風に言えば駄菓子屋のようなお店)」の案内板が見える。

葵西五丁目に進み65号線との葵町信号交差点手前の角に、明治10年に「木賀林」が村の生活困窮者を救うために創設した三方原救貧院跡碑がある。解説によると、明治の初年は政情も不安であり、失業士族も多く、庶民の生活は恵まれず、どこの村にも生活困窮者が多く出た。気賀林は、こうした人達を救うため、明治10年、この場所に「三方原救貧院」を創設した。救貧院の建物は間口八間(14.4m)、奥行三間半(6.3m)木造平屋建、瓦葺きで、姫街道に面して建てられ、常時四家族ほどを収容し、米麦、味噌、醤油、薪炭等現物支給の方法で貧困者を救助した。明治16年、気賀林の没後は横田保に受けつがれ、明治335ごろまで続けられた。


東大山一里塚・南塚
権七店跡碑・案内板
三方原救貧院跡
松並木(三ヶ日方面) 三方ヶ原神社 拝殿

葵西四丁目信号から振り向くと松並木の先にある交通標識は「細江、三ヶ日方面」へ行く表示となっている。「東下りをしている」事を実感する。

20分ほど歩き左側に300mほど行ったところに三方ヶ原神社がある。この三方ヶ原開拓に携わった人達を待ってある。比較的新しい神社である。拝殿の扁額は勝海舟が書いたものである。

街道に戻り少し歩くと、歩道右側には「遠州姫街道」行灯と松並木の案内板・・江戸方面から来ると、松並木はここから続くことになる。


扁額

松並木・行燈

追分一里塚跡
一里塚交差点 小豆餅表示板
姫街道最古の道標

その先、右側に日本橋から66里の「追分一里塚跡碑」がある。一里塚橋信号交差点を直進する。「小豆餅」と言う地名の看板を見つける。

突当りの261号線との丁字路の先の左側に、天保3年(1832年)建立で姫街道最古と言われるの「右きが かなさし 左庄内道」と刻まれた姫街道最古の道標が立っている。国道から別れ、旧街道を思わせる道を歩く。
その先、左側の民家脇に鞘堂がある。中には秋葉常夜灯・・坂道を下り、信号の無い道路を横断して(交通量は多い)階段を下る。


鞘堂
馬入川桜並木 五枚橋標柱 馬入川
半僧坊道標

馬乗り場跡碑

桜並木の土手を右に見てその先に進む、5枚橋手前の土手の藪の中に朽ちて読めない標柱が立っている。馬入川の5枚橋の案内標柱である。かつては川の中の跳石に5枚の板を並べ渡った事から5枚橋と呼ばれた。

5枚橋を渡り、少し先の分岐のガードレールの後ろに「半僧坊道標」その先には「馬乗り場跡碑」がひっそりと立っている。

半僧坊大権現:浜松市引佐町奥山にある方広寺に祀られている半僧坊大権現のことで、半僧半俗の姿をしている。半僧坊大権現は、後醍醐天皇の皇子無文元選禅師が1350年(天平5)中国から帰国の途中海難にあったところをに助け、また無文元選禅師が1371年(建徳2)に方広寺を開山したときは弟子になり修業して仕え、無文元選禅師が亡き後は方広寺の鎮守として祀られている、と伝えられている。
方広寺から勧請した半僧坊の御堂のある寺は、建長寺(鎌倉)、金閣寺(京都)平林寺(埼玉県)など全国各地にある。

10時40分過ぎ・・午前中の行程はここで終わり。空地にバスが到着・・バスで「姫様道中」の会場に向かう。

姫様道中見物・気賀関所(復元)へ・・

姫様道中 今年の姫様

昼食会場へ移動・・浜名湖・気賀宿の眺望が素晴らしく、花桃の(枝垂れ)花が見事であった。

浜名湖の眺望 気賀宿 花桃並木 堀川城址

再度姫道中の会場に戻る。報道カメラマン並みの行動で撮影する。地元役所の職員さんにも助けられる(場所を譲ってくれた)。

姫様道中 撮影会 報道カメラマンと 一緒に 撮影 ありがとう・・
お姫様のアップ お祭り会場へ

15時5分過ぎに午前中のゴールに着き、午後の街道歩きとなる。20分ほど道なりに歩くと遠州鉄道「自動車学校駅前」にでる。踏切を渡りすぐ右に入る、駅脇から住宅街に入る。このあたりから「姫街道」の案内板が見えない。この先、大養禅院あたりまで姫街道ははっきりしないらしい。大養禅院の一角には鞘堂に納まった秋葉山籠燈がある。鞘堂は別な場所にあり、ここに移されたと案内にあった。

その先、5分ほどで江戸から65里で姫街道最初の一里塚跡碑である「小池一里塚」がある。今まで見られなかった「姫街道」の標識が出てくるとなんとなく「ほっ!」とする。

大養善寺鞘堂 小池一里塚
道標
熊野神社
五輪塔

市野宿・斉藤本陣

蓮華草の咲く田圃の畦道を見ながら20分ほど歩くと、境内に鞘堂の納められた常夜燈、経塚碑、五輪塔などがある熊野神社がある。説明を聞きながら小休止・・4mあるという五輪塔(延享3年)は見ごたえがあった。

道なりに進むと左に曲がる道と直進の分岐になる。「確信はないが直進して左に曲るところが市野宿入口であろう」との説明があった。市野の住所表示看板が見えてくる。 

両側に住宅の並ぶ狭い通りが市野宿の宿場通りとなる。宿場通りの中央あたりの左側角に「姫街道道標」が立っている。何も案内標識がないが、このあたり奥に「斉藤本陣」があったと説明がある。 

市野宿宿場通り やがて天竜川へ
桜と菜の花

常夜灯
安新交差点
安新町交差点
安間一里塚跡

市野宿:明和元年(1746年)市野宿をバイパスする東海道浜松宿から気賀宿への街道が幕府道中奉行管轄となったため、市野宿は大きな浜松宿におされて衰退し、宿場機能を失ったという。現在は当時の宿の面影は殆ど残っていない。ここには斉藤本陣があった。

 

安新歩道橋で国道1号線を渡る。なんとなく見たことような風景にぶつかる。直進すると安新交差点の信号であり、その先住宅の角に「安間一里塚」跡の案内板が立っている・・かつて東海道で歩いたところである。ここから池田まで姫街道は東海道を歩くこととなる。今日はここがゴールとなった。



                                        4月5日 安間一里塚〜見付宿(見附)