どこへ行っても「富士山」を見ると歓声が上がる・・関東に住んでいる者にとっては意外と身近に見える山である。東海道を歩いている時、いろいろなところから「富士山」を見る機会があった。それぞれの美しさがあった。

木更津からみる「富士山」は、木更津港のシンボル中の島大橋を額縁に見立てた富士、太田山からは夕日に染まった富士、東京湾アクアラインと富士、富津岬からは海に浮かぶ富士と見所はたくさんである。
「富士山すそ野一周ウオーク」どのような美しい富士山を見ることができるのであろうか・・


      
2013年世界文化遺産に登録された「富士山」・・
                      ぐるっと一周ウオーク・・富士山を360度仰ぎ見ながら歩く・・

         
Blowin' in the Wind 2015

  • 富士山見えた見えない星取表
  • ビューポイントはどの回でも複数ある、その内一ヶ所で見られればGood! 

No  1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13   14   15   16   17  星取

○or●

                    4-3

富士山すそ野ぐるっと一周・第7回は勢子辻から村山浅間神社までの約9Kmを歩いてきました。

今日のスタートは、先月ゴールの勢子辻から・・地名の由来は、源頼朝が富士の巻き狩り(狩猟)の時、獲物の追い出し係(勢子)をこの地に集めたので、勢子辻と呼ぶようになった。
早朝から快晴・・北からの風は強かったものの、アクアライン・東名からの富士山もしっかり姿を見せ・・勢子辻からは風もなく、前回の見えなった富士山をしっかりとみる事が出来ました。富士檜の林から見え隠れする富士山を眺めながらの歩きは最高でした。国道の歩道も脇にも春はたくさん・・平地(今日のコースは標高750m~500mを歩きました)より少し遅れて咲いている春の息吹きが元気をくれました。1時間ほど歩くと高尾山穂見神社の赤い鳥居が右手に見える。

足柄SAにて
クリーンセンター前から

仁藤春耕の
みちしるべ

ウバユリの春
南アルプス展望

高尾山神社は富士山麓を東西に走る富士南麓道路(国道469号)に南側に高座しています。祭神は日子穂々手見命(ひこほほでみのみこと)【海幸山幸(うみさちやまさち)の説話に登場し、一般には山幸彦(やまさちひこ)山佐知毘古、やまさちびこ)の名で知られる。神武天皇の祖父に当たる人物】です。
明治15年に大淵本村の戸長勝亦氏が、山梨県南アルプス市高尾(旧櫛形村)の穂見神社を勧請したと伝えられている。
稲穂にちなんだ名であったが、母神の出産の故事に基いて火とつけられた。つまり穂は火と音が通うことから、火に託して稲の成育を物語ると考えられている。
いつ頃の創建のものであったのか、由緒・案内にはなかったが、鳥居も拝殿も新しかった。

R496を歩く・・ ホコリダケ 南アルプス・赤石岳 高尾山穂見神社 高尾山穂見神社・拝殿
正面に南アルプス(赤石岳)を見ながら歩く。頂上部分だけの富士山も綺麗である。
高尾山穂見神社 富士山三景 R496を行く・・
高尾山穂見神社このあたりからは剣が峰が望めた。木更津(関東方面から)殻は見えない所・・貴重な画像となりました。です。
こんな富士山も 山頂だけ・・ ミツマタ
・・・すみれ

時折り雲に隠れ裾野だけの富士山も・・道端には春の花が咲いて目を楽しませてくれる。講師に聞いた花の名前・・家での資料整理で誤り、シュレッダーしてしまった・・気が付いた時は、あとの祭り・・でした。

ヤマネコヤナギ
道路標識

山神社
フデリンドウ

穂見神社から1時間ほど歩くと山神社の参道が右に見える。祭神は、大山祇命で創建は明治初年といわれている。祭例は春祭が4月14日、秋祭が、10月17日に行われています。道端の草花・事故にあったのか鹿の骨(画像はありません)などを見ながら・・珍しい花も紹介してもらいました。花を見ながら、景色を見ながら1時間ほど歩くと、村山浅間神社の案内板が見える。

村山浅間神社は安時代末期に富士山の噴火が沈静化すると末代上人(まつだいしょうにん)など山中で修行する人々が現れました。これが発展し、鎌倉時代の終わりには富士山における修験道が成立します。この中心となったのが村山浅間神社・興法寺(こうほうじ)とも呼ばれました。江戸時代末までここの修験者たちが大宮・村山口登山道を管理しました。


オールコックの
記念碑
村山古道入口
古道を歩く・・

木漏れ日の古道
クマザサ オールコックの
記念碑

(神社境内)

神社参拝の前に村山古道(石畳)を歩く(200mほどだったが・・)この古道は、富士山登山道の1つである。現在の静岡県富士市にあたる。文化財としての富士山の、史跡および特別名勝の範囲に含まれ「大宮・村山口登山道」として登録されている。また富士山世界文化遺産の構成資産の「富士山域」に包括されている。
村山古道は旧六道坂の脇に多くの市民の協力を得て石を運んでもらい、石畳を復元した。その石には運んだ人の名前が書いてある。こうして村山古道は復活した。
富士信仰は神仏習合(日本土着の神祇信仰と仏教信仰が混淆し一つの 信仰体系として再構成(習合)された宗教現象です。【神仏混淆(しんぶつこんこう)】ともいう。 山頂域は浅間大社奥宮の境内ながら大日如来などの仏像も多数祀られていた。明治新政府は神仏分離、廃仏毀釈令を出して神域からの仏教関係の破棄を命じた。この浅間神社、登山道も仏教に関する諸々が破棄、破壊されたが、山頂の大日如来、不動明王像など幾つかは早々に隠して発を逃れこれが大日堂(旧興法寺)に祀られ、護摩壇、水垢離場跡とともに神仏習合の名残を残している。
中世に行者、修験者を主体に盛んになり、山伏修験が定着した。平安時代末期に富士山の噴火が沈静化すると末代上人(まつだいしょうにん)など山中で修行する人々が現れました。村山修験と呼ばれ、村山三坊を中心に大きな勢力を持っていた。戦国時代には駿河の今川氏の庇護を受け、隠密の役目も持っていた。


杉の大木
村山浅間神社拝殿
ご神木

桜も先始め・・
水垢離場(みずごりば)
世界遺産の碑

江戸時代中期になると一般市民の富士講の登山者が増え、登山者は道者と呼ばれ、修験は先達として道者の案内や代行登山、加持祈祷などを行い、
村山を経て山頂に向かうことから大宮・村山口登山道と呼称され・歴史的には、村山口・大宮口の両方が称されてきた。村山口登山道は、万延年(1860年)に英国特命全権公使のラザフォード・オールコックが尊王攘夷の真っただ中に大勢の護衛などを従えて、外国人初の富士登山を行った際に使用されたことでも知られ、登山口・村山浅間神社境内には記念碑が立っている。

村山浅間神社の社殿は大正2年に建て替えられたので、荘厳さは感じられなかったが、境内には天然記念物の大杉や大銀杏が歴史を物語っている。平成25年6月世界文化遺産に登録された。

「富士山すそ野ぐるっと一周」第7回の案内人はクラブツーリズムスポーツ旅行センター小川恵子講師でした。

今日のコースは 勢子辻→高尾山神社→大阪交差点→村山古道→村山浅間神社

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第7回 勢子辻~村山浅間神社  2015年 3月26日(木) 快晴