姫様と歩く姫街道・・前半(御油追分〜西気賀) 31Km
                                                                           2015.2.3〜5
東海道を歩いた仲間と一緒に・・姫街道道中記・・お姫様の歩いた姫街道・・御油見附から気賀まで29Kmを歩いてきました。

2月3日(火)御油松並木・御油見附〜当古の渡し 11Km

姫街道を歩く現代の旅人:私たち31期の仲間は、東下りで見附宿を目指ざしました。
早朝の集合場所、都庁駐車場はスキーに行く若者でごった返していた。時間通りの出発はいつもと同じ・・顔なじみの笑顔が嬉しい。

御油の松並木を歩くのは2012年9月23日以来・・その時は小雨模様であった。サプライズ?途中下車で松並木を歩く・・31期は3班ありそれぞれ歩いた時を思い出したようで、想い出話に花が咲く。

車窓からの富士 御油松並木 御油・弥次喜多茶屋 御油追分・東海道 御油追分

御油の見附が今回のスタートとなり、ここから姫街道に入る。今日の行程は御油の見附から豊川にかかる当古(とうご)の渡し跡までの約11Kmです。名鉄の線路を陸橋で越えると陸橋からはすぐ近くに、国府(こう)駅が見えます。国府は「こう」と読むと聞き、表示板にも「こう」と標記されていました。
地名を読むのは難しい・・名鉄の陸橋を渡り線路沿いに少し歩くと西明寺の参道入口に丁寧に保存された「芭蕉の句碑」がある。「かげろふの我が肩に立つ立子神哉」ばせを翁、と案内板に書かれている。「寛保3年(1743年)に立てられた石柱で東三河にある句碑では一番古いものといわれている。

芭蕉句碑案内板
芭蕉句碑
船山古墳後 三河総社 曹源寺

左手に「船山古墳跡」と書かれた標識の先に小高い丘が見える。上宿神社の鳥居の先が古墳跡だが、案内板等もなく詳細は不明である。。

姫街道から少し南に入ると杉の木に囲まれた三河総社がある。大化2年(646年)の改新の詔以来、大宝元年701年)の大宝律令までの間に日本は国家体制と地方行政組織を整えと言われる。この頃に穂の国(今の東三河)が西三河(時の三河国)と一国になり、三河国となりその三河国庁がこの総社の東側に置かれ(曹源寺)ました。かつてこのあたりが三河の中心地であったことを思わせます。


曹源寺道標柱
国分尼寺 礎石跡(復元) 全景 案内板 鐘楼

住宅街を東に進むと5号線との佃交差点に出る。国分寺跡の標識がある。三河国分寺、三河国分尼寺跡と書かれた案内標識もあった。1Kmほどの距離だがバスで送迎してもらう。これもサプライズ・・かな。三河国分尼寺跡は綺麗に整備され、中門・回廊跡は復元され礎石が綺麗に並んでいる。当時の物と復元され置かれた物との表示がされていたが素人のは判別はつかない。国分寺跡は広大で遺跡後の案内標識の多さも別格であった。史跡保存の案内板とロープで通路以外は入れない。すぐ隣には国府八幡宮がある。荘厳で立派な神社である。社伝によると第40代天武天皇の白鳳年間(世紀半ば頃)に大分県宇佐八幡宮から勧請されたと伝えられている。

国分寺跡標柱 塔跡標柱 国府八幡宮山門 国府八幡宮 拝殿 八幡宮全景

本殿は文明9年(1447年)の室町時代の建築で、三間社流造桧皮葺で蟇股の彫刻といい、木割の調子の整った点、懸魚から繰形のさびのあるところなど、当時の建物の特色を充分に表現しているあたりは他に類例が無いといわれている。
御祭神として第一殿に応神天皇、第二殿に天照大神の三姫神(田心姫命 、湍津姫命 、市杵島姫命 )第三殿に神功皇后が祀られている。

熊野神社 佐名川・佐名川堤
姫街道の名が・・

バスで佃交差点まで戻る。ここからは豊川市街を抜け三明寺までは5号線の歩道を約5Km、途中には熊野神社なども残っている、住宅地・田園、市街地をひたすら歩く。諏訪神社の付近には一里塚があったが、三橋の一里塚と共に場所は不明(残っていない)である。都市計画、道路拡張などで無くなってしまったのであろう・・道路標識・豊川稲荷の標識で歩いてきた距離を知る。

三明寺案内板 地蔵群 山門 拝殿 拝殿 宮殿(拝殿内)

豊川の中心地を抜け、JR・名鉄の踏切を渡ると周囲の風景は一変し、郊外の雰囲気となる少し行った左側に三重塔がある三明(みみょう寺)がある。

三明寺は大宝2年(702年)文武天皇の詔を受けて建立されたと伝えられてる寺院で本尊は弁財天である。この弁財天は三河の国司であった大江定基がカ寿姫の死を悼んで彫刻したものと伝わる。この本尊を安置する厨子は一間社流造「こけら葦」の中萱で天文23年(1554年)のもの。本堂前に建つ三重塔は享禄4年(1531年)の建立で、1.2層は和様、3層は禅宗様で高さは15mで、本堂内の小堂とともに国の重要文化財となっている。
豊川稲荷よりも歴史的には古いそうだ。


毘沙門天(写真)

三明寺三重塔
三谷原神社 ゴール間近・・ 豊川・当古橋
(当古の渡し)

5号線は151号の交差点で362号線に変わる。東から南東に向かうと20分ほどで豊川にぶつかる。「当古の渡し」があった所だが案内板等は無い、当古橋渡ると居のゴールである。

当古は嵩山(すせ)、御油宿間の中間地点であり、豊川の増水時には旅人は当古の船宿を利用せざるを得なかったため、江戸時代から明治中半にかけて繁栄した。また東三河地方の山間部と海岸部を結ぶ豊川の舟運の重要な港として当古村で整わないものはなかったといわれる。この当古の船渡しの運上金を独占したのが中山家で、代々庄屋を務めた。安政8年(1859年)以降、中山家は渡船の権利を村に譲り渡したが、この渡しは明治時代になってからも日清日露の戦争の際は武運長久を祈願するために砥鹿神社や石巻神社に詣でる人々で賑わったといわれる。


西の空が少し赤く染まってきた。振り返ると遠くの山並み(本宮山)が綺麗だった。


                                        2月4日 当古の渡し〜三ヶ日一里塚