Blowin' in the Wind 2014
2014.12 ・・ 横浜山手洋館巡り・・(世界のクリスマス)

 
                     東海道53次・57次を歩いた仲間と一緒に歩きました・・
                                                     2014.12.23(火)
                                                                                                                           

東海道を歩いた31期の仲間25名仲間と横浜山手の洋館をめぐるコース(イベントは世界のクリスマス)を歩いてきました。お久しぶりの元気な顔も見られ嬉しく・懐かしく、楽しい一日でした。
集合場所は根岸線関内駅南口・・陽だまりでした。
関内駅から横浜球場、横浜公園を通り抜け、中華街の福龍酒家(ふくりゅうしゅか)での飲茶定食の昼食は「美味しかった・・」と好評でした。お土産は当店自慢の人気菓子の「カリントウ」でした。

関内駅前の受付 市場跡の碑
福龍酒家
港の見える丘公園から イギリス館

昼食後は港の見える公園から横浜市イギリス館山手111番館、 山手234番館、 エリスマン邸、 べーリック・ホール、山手カトリック教会、横浜テニス資料館、外交官の家 ブラフ18番館と歩いてきました。(文章は一部山手西洋館のHPの内容を引用しています)

山手の洋館では恒例の「2014山手西洋館世界のクリスマス」が開催されており、各国のクリスマスデコレーションを楽しんで来ました。休日と重なり、混雑している中、譲り合いながら見学、写真撮影もしてきました。
ちらほらと咲いているバラ園の先には。瀟洒な
イギリス館が見える。昭和12年(1937年)に上海の大英工部総署の設計によって、英国総領事公邸として、現在の地に建てられました。鉄筋コンクリート2階建てで、広い敷地と建物規模をもち、東アジアにある領事公邸の中でも、上位に格付けられていました。


山手234番館

イギリス館を出て左側には噴水広場を挟んで立っているスパニッシュスタイルの山手111番館です。ワシン坂通りに面した広い芝生を前庭とし、ローズガーデンを見下ろす建物は、大正15年(1926年)年にアメリカ人ラフィン氏の住宅として現在地に設計されました。
港の見える丘公園入口の交差点を左に行くと外人墓地がある。墓地の維持管理をしているボランティアさんが休・祝日は有料で園内を公開している。山手資料館の先には、
山手234番館がある。山手本通沿いに建つ山手234番館は、昭和2年(1927年)年頃外国人向けの共同住(アパートメントハウス)として、現在の敷地に民間業者によって建設されました。関東大震災により横浜を離れた外国人に戻ってもらうための復興事業の一つとして建てられました。

エリスマン邸

山手234番館の斜め向かいには、生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人として活躍した、スイス生まれのフリッツ・エリスマン氏の住居であったエリスマン邸です。大正14年(1925年)年から15年(1926年)年にかけて山手町127番地に建てられました。設計は、「現代建築の父」といわれるチェコ出身の建築家アントニン・レーモンドです。

ベーリックホール

エリスマン邸の隣はべーリック・ホール(旧ベリック邸)です。イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、昭和5年(1930年)に設計されました。第二次世界大戦前まで住宅として使用された後、昭和31年(1956年)に遺族より宗教法人カトリック・マリア会に寄付され、平成12年(2000年)まで、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用されていました。 現存する戦前の山手外国人住宅の中では最大規模の建物で、設計したのはアメリカ人建築家J.F.モーガンです。
山手大通りを500mほど西に向かって歩くと右側にチェコの協会がある。クリスマスという事で、外では讃美歌の合唱が行われていた。

チェコ教会前で 山手カトリック教会
インタネット画像より

テニス博物館
ブラフ18番館

その先に山手カトリック教会のとんがり屋根が見える。文久元年12月13日(1862年1月12日)パリ外国宣教会が居留地80番に建てた横浜天主堂が、港後の日本で初めてのキリスト教会堂と案内にあった。教会は明治39年、2つの塔を持つ煉瓦造の聖堂を山手44番に建設し、そこへ活動の拠点を移したものが、カトリック山手教会のはじまりです。ところが、大正12年の関東大震災によって完全に崩壊してしまい、現在の建物は昭和8年に再建されたものです。この山手カトリック教会は、日本一美しい聖堂とも呼ばれています。
協会の脇の道を5分ほど歩くと山手公園に出るここは日本のテニス発祥の地となっている。横浜居留外国人の手によって造られた、わが国最初の洋式公園である山手公園内にある「テニス発祥記念館」は中世フランスで誕生したコートテニスという屋内球技からスタートしたテニスの歴史を学べるこじんまりした博物館です。コートテニスを改良したローンテニスが明治9年(1876年)に横浜に上陸したことから、横浜は日本におけるテニス発祥の地とされています。館内の説明員が、100年以上前のテニスラケットの展示をはじめ、ボールやコートなどの変遷を判り易く説明してくれました
元の道を戻り、山手大通りに戻りJR石川町駅に下る道の途中に外交官の家とブラフ18番館が隣り合わせで並んでいる。

イタリア山庭園の一郭に移築されたブラフ18番館は、関東大震災後に山手町45番地に建てられた外国人住宅です。戦後は天主公教横浜地区(現カトリック横浜司教区)の所有となり、カトリック山手教会の司祭館として、平成3年(1991年)まで使用されてきました。 建物は木造2階建てです。1、2階とも中廊下型の平面構成で、フランス瓦の屋根、暖炉の煙突、ベイウィンドウ、上げ下げ窓と鎧戸、南側のバルコニーとサンルームなど、震災前の外国人住宅の特徴を残しながら、外壁は震災の経験を生かし、防災を考慮したモルタル吹き付け仕上げとなっています。

外交官の家

外交官の家は、ニューヨーク総領事やトルコ特命全権大使などをつとめた明治政府の外交官内田定槌氏の邸宅として、東京渋谷の南平台に明治43年(1910年)に建てられた。 設計者はアメリカ人で立教学校の教師として来日、その後、建築家として活躍したJ.M.ガーディナーです。

記念写真

建物は木造2階建てで塔屋がつき、天然スレート葺きの屋根、下見板張りの外壁で、華やかな装飾が特徴のアメリカン・ヴィクトリアンの影響を色濃く残しています。ここが一番好き・・外交官の名前でゴールの記念撮影でお開き・・のどの渇いた人は渇きを癒しに・・

風もなく陽だまりの暖かい一日・・参加のみなさんの協力で、予定のコースを予定通り歩く事ができました。