Blowin' in the Wind  東海道完歩31期の仲間たちと・・

       東京下町・武蔵野さんぽ 大江戸線ウオーク(全13回) J 
   
                                    2014年1月〜2015年2月
2014年11月14日(金) 第十回 上野御徒町駅か蔵前らまでの4駅間

今年1月スタートした「東京の下町・武蔵野さんぼ・大江戸線ウオーク」の第11回目は上野御徒町から蔵前までの3駅の区間約10Kmを歩いた。12カ月で11回(8月はお休み)・・みなさん頑張りました。ゴールまであと少し・・

大江戸線上野御徒町駅A4出口から中央通りを渡ると、不忍池が見える。公園の入口右側には、下町風俗資料館(現在工事中)がある。
不忍池の枯れた蓮の葉先に八角堂(弁財天)が望める。ここの風景はいつみてもいい。上野の山と公園に挟まれた道路を池之端方面へ行くと、水月ホテル鴎外荘の建物と看板が見える。

大江戸線
上野御徒町駅

不忍池畔のイチョウ
八角堂
鴎外居住地跡

玄関前の門
住居

鴎外旧居跡である。明治21年、ドイツ留学から帰った鴎外が、赤松男爵の娘・登志子と結婚し過ごした家で、明治文壇に新風を吹き込んだと言われている処女作「舞姫」を発表した事でも有名である。


軒先
全生寺全景 案内板
金色の仏像
鉄舟の墓 圓朝の墓

谷中に向かい457号の団子坂を下ると、臨済宗国泰寺派の全生庵の大きな寺がある。本尊は葵聖観音菩薩で幕末から維新にかけて、国事に殉じた人々の菩提を弔うために山岡鉄舟が明治16年に建立した。中曽根康弘・安倍晋三と育った政財界の大物が参禅したことでも知られ、山岡鉄舟・三遊亭圓朝の墓がある。


下町風俗資料館
(旧吉田屋酒店)
寛永寺山門
境内のイチョウ

灯篭と提灯
了翁禅師座像 霊廟勅額門

坂道を戻り、上野桜木町に出る。下町風俗資料館(旧吉田屋酒店)の先の細い道の先は、寛永2年(1625年)天海僧正により創建された東叡山寛永寺大きな山門の前に出る。増上寺と共に徳川将軍家のもう一つの菩提寺である。四代将軍家綱・五代綱吉・八代吉宗・十代家治・十一代家斉・十三代家定、篤姫の墓がある。慶応4年の上野戦争で殆どが焼けた。現在の本堂は、明治12年(1879年)川越の「喜多院」から寛永15年(1638年)建立の薬師堂を移築したものである。奥には徳川綱吉霊廟勅額門も残されている。


上野公園の紅葉
旧東京音楽学校
邦楽堂
上野公園
西郷隆盛像

彰義隊の墓
清水観音堂

JR上野駅を左に見て、上野公園に回ると明治23年(1890年)に建てられた日本初の洋式音楽ホール「奏楽堂」に出る。旧東京音楽学校の奏楽堂である。2階のコンサートホールは滝廉太郎や山田耕作が発表の時に立った舞台であり三浦環が日本人して初めてオペラ公演したことでも知られている。 

公園の住人(?)のオジサンたちの見送り(?)を受け、公園の中を歩く・・中学生?・・公園で写生をしている。横目で除くと描き方は、水彩風・油絵風・・それぞれだった。 

西郷さんの銅像の脇のレストランで中華の食事・・喉を通り過ぎるビール、プリプリのエビチリが旨かった。

西郷さんの銅像を横目で見ながら上野戦争で亡くなった彰義隊の兵士のお墓をお参りする。

上野戦争(慶応4年5月15日)は、戊辰戦争の戦闘の一つである。江戸上野において彰義隊ら旧幕府軍と薩摩藩、長州藩を中心とする新政府軍の間で行われた戦いであった。寛永寺に立てこもっていた彰義隊約1500人、そのうち286人が絶命し、新政府軍に一日で制圧された。墓石の文字は山尚鉄舟の筆による。


江浮世「月の松」
観音堂舞台から
月の松
穴稲荷 五條神社
上野・時の鐘
上野の森の紅葉

清水観音堂は観永寺の堂字で現存する最古の建物で、寛永8年(1631年1)天海僧正が京都・清水寺に似せて建立した懸造(かけづくり)建築の建物である。観音堂を書いた浮世絵にある「月の松」は舞台の目の前にあった。 

穴稲荷・五條天神社を参拝、時の鐘から上野大仏へ向かう。上野の山の紅葉が見頃である。


上野大仏

お化け灯篭

五重塔

紅葉

東照宮山門
紅葉

上野大仏は寛永8年(1631年)村上城主・堀直寄が寄進、高さ6mの釈迦如来坐像だったが、度重なる災禍(関東大震災で首が落ち、胴体は太平洋戦争時に供出)に見舞われ、現在は顔のみが残っている。 

輪王寺への参道の途中には「お化け灯篭」と言われる大きな灯篭がある。参道からは国の重文で寛永16年(1639年)に佐倉城主・土井利勝が奉納した旧寛永寺五重塔が望める。上野のお山のシンボル的存在で高さは36.6mある。上野東照宮は明神大鳥居と呼ばれる。寛永10年(1633年)酒井忠正が奉納した。上野東照宮は東京で唯一の門跡寺院である。寛永寺の住職臥、天海から公海、そして後水尾天皇の第三皇子守澄(しゅちょう)親王」が入山し輪王寺宮と名乗り代々受け継がれてきた。戊辰戦争後、一時途絶えるが、明治18年に新たに「輪王寺」が作られ、その2年後門跡寺院となった。※当初「輪王寺」は宮様の称号であり、寺号ではなかった。

池田屋敷表門 両大師堂 幸田露伴邸の門 旧本坊表門 西洋美術館 広徳寺遺址

輪王寺から国立博物館前の横断歩道を左に行くと大きな門が残っている。旧因州池田屋敷表門で通称「黒門」と呼ばれている。国の重要文化財で、江戸末期の因州鳩取県池田屋敷の表門で昭和29年にこの場所に移築された。 

博物館の前を横切り、JR上野駅方面に向かうと、正保元年(1644年)に天海僧正の像を安置する御堂として建立された、寛永寺開山堂両大師堂がある。両大師とは臥天海僧正と慈恵大師のことで、開山堂叉は活眼堂とも呼ばれた。 

両大師堂と寛永寺旧本坊表門の間にあるのが「幸田露伴邸宅の門(案内板がある)」である。鐘維持旧本坊表門は国の重要文化財で、東叡山の山主である輪王寺宮親王の住居、本坊の表門である。上野戦争の戦火に耐えた。門柱や扉に、銃弾の跡が残っている。写真で大きさを実感してください。

下谷神社鳥居 下谷神社 本殿
天井画

寄席発祥の地碑

正月準備?

上野駅前を通り、浅草通りへと向かう。上野警察署のわき道を入り台東区役所脇の小公園に「広徳禅寺遺址」の石碑がある。通りを浅草方面に行くと右側に大きな鳥居が見える。約1300年前、上野忍岡に創建され、上野山の下、広徳寺門前に場所を移し、昭和3年に現在の地に建立された「下谷神社」が鳥井の奥に見える。鳥居の額は東郷平八郎の箪で、本堂には横山大鏡が描いた「板絵着色雲竜図」の天井画を見ることができた。


柔道発祥の地碑

北斎胸像

北斎の墓

茂吉の句碑
案内板 蔵前神社

春日通りを横断、稲荷町交差点を左に行くとすぐ左側に講道館柔道発祥の地の石碑のある永昌寺がある。加納治五郎が本堂で激しい稽古をしていたので、ご本尊が傾いたと言う逸話もある。 

松が谷一丁目の交差点を右に横断して少し行くと左側に葛飾北斎の基のある誓教寺がある。北斎は江戸時代後期の天才画家である。
本所で生まれ、下町に生き、享年90歳・・この地で果てた。

春日通りに出て三筋3丁目の三筋保育園の園庭脇に「斉藤茂吉の旧居跡」の碑がある。明治29年(1896年)茂吉15歳の時、山形から上京し、ここで学生時代を過ごした。「浅草の 三筋町なるおもひでも うたかたの知や 過ぎゆく光軸や」の歌碑である。

大江戸線蔵前駅入口手前の道を入ると、元禄6年(1694年)江戸城の鬼門除けの守護神として、京都・石清水八幡宮を勧請した「蔵前神社がある。創建当時、勧進相撲が行われた。後に回向院、富岡八幅で行われるようになるが、ここが勧進相撲発祥の地である。

大江戸線蔵前駅A6入口がゴールで次回(1月)の集合場所である。


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