2014年8月20日早朝、広島の土砂災害で逝ってしまったあさひさんへ・・

   2014年11月15日(土) 広島ウオーキングクラブ主催の追悼ウオークに参加した。

「素晴らしき仲間たち」は、一時代の「ClubWalking」のホームページのトップページを飾った言葉でした。
管理人として名付けたとても気に入った言葉です。その中の中心いたのが「あさひ」さんでした。

あさひさん命名の「ClubWalking」がいくつものWalkig大会を経て仲間がたくさん増えてきました。
人が増えれば、当然のことのように意見の違い、歩き方の違い、言葉の使い方・行き違いが出てくる
結果になった。その時、それをまとめてきたのが「あさひ」さんでした。とても大きな存在でした。      当日、参加者が付けて歩いたゼッケン


ご存じのように8月20日の早朝の広島市南安佐地区の大規模土砂災害により、多くの仲間の願いも
届かず帰らぬ人となってしまいました。
早いもので3カ月が経とうととしています。

ハノーバー公園
原爆ドーム
平和公園にて 出発前のストレッチ

何か区切りを、けじめを付けたく、広島ウオーキングクラブ主催の追悼ウオークに参加してきた。集合場所に行く前に原爆ドーム、平和公園に行き手を合わせてきた。朝早くにもかかわらず多くの人たちが手を合わせていた。小学生の修学旅行か・・千羽鶴を手向け合掌していた。
”麻緒=あさひさん”が好きで歩いた道を歩いてきた。広島の人達は「麻緒さん・藤井さん・・」と親しみを込めて呼んでいる。我々はやっぱり「あさひさん」である。
広島の朝は冷え込んでいた・・9時に集合場所に行くと、すでに多くの仲間が集まっていた。報道の人達も取材で来ていた。読売新聞のKさん(女性記者)とお話をした。話したことはノート書かれていった。3ヶ月経とうとしている今でもこのように報道の人達が来るのも、あさひさんの死が多くのインパクトを与えたのだろうと思う。彼女の人柄を感じる。

スタート 友愛の桜みち
レリーフ
桜みちで・・ 旧太田川 JR緑井駅 せせらぎ遊歩道から

ハノーバー広場は広島ピースウオークで来ている所である。公園の木々も色を変えてきている。「友愛の桜みち」の桜並木は「あさひさん」とも歩い道である。
葉が赤く染まっている・・同じ時期である。安佐南遊歩道の一部もピースウオークで歩いた道であった。歩きやすい綺麗な歩道である。
「ゴールでカプリスのケーキが待っているから頑張って歩いてくるんよ・・」あさひさんの言葉を想い出す。

安佐南区3丁目付近
安佐南区4丁目付近
報道陣と合流
旧坂を登る

追悼ウオーク
祭壇

12時少し前にJR緑井駅に到着する。数人の人達と合流する。綺麗な水が流れ静かな「せせらぎ遊歩道」は「あさひさん」が好んで歩いた道と聞いた。
遊歩道から離れ国道に出る手前から八木3丁目方面を眺めることができた。被害が大きく、テレビで多く放送された所である。
少し行くと山の頂上付近から大きく一本の崩れた跡が麓まで続いている場所かが見えた。あの下に「麻緒さんの家があったんだ・・」とウオーキングクラブの人から聞いた。被害を受けなかったお寺と復旧工事用のショベルカーが見えた・・


追悼ウオーク
あさひ邸跡からの風景

急坂を登りきったところがあさひさんの住んでいた所である・・家の跡は綺麗に片付けられていたが、土砂崩れの跡は生々しく残っていた。
遺影と供物、供養の花束が置かれた祭壇に、我々クラブウオーキングの追悼ウオークと偲ぶ会で作った遺影を置かていただいた。
一人一人がお線香を上げ、あさひさんに話しかけた。朝日新聞のMさん(女性記者)とお会いでき、お話することができた。電話取材で話した記者さんである。追悼式が終わり帰路のJR梅林駅までの道を一緒に歩き、思い出をとりとめもなくなく話した。駅前で一緒に写真まで撮らせてもらった。

「故郷」を歌う 瓦礫の中からの
シューズ
みんなで・・ 住所掲示板 朝日新聞のMさんと
墓前にて・・

山々は晩秋の装い、紅葉していた・・自然は何もなかったかのように時を重ねてゆくが、山肌の大きな傷跡が「あさひさんの人生を」あの日で止めてしまった。


墓碑に・・

お好み焼き
麗ちゃん
あさひさんも食べたスペシャル

広島市内に戻り、あさひさんの眠る善林寺にお参りし、お線香をあげた。
土砂崩れの現場を見て、お墓参り・・墓石に彫られた「麻緒」の文字、塔婆の戒名に・・亡くなってしまったことを実感する。
noopoさん、康兵衛さん、千春さん、まっちーさんと、あさひさんに教えられ、一緒に飲んで食べた、想い出のお好み焼き「麗ちゃん」では、五人での偲
ぶ会・・でした。

この災害が縁で朝日新聞のMさん(女性記者)とあさひさんの想い出を電話だ;ったが、たくさん話すことができ、少しは期待(本当は遇えると思っていた)していたが、現地で会うことができた。親しい友との別れを実感し、また、新しい人と出会えた、”縁(えにし)”を感じた歩きであり、旅であった。

   
2014年11月16日(日) 追悼ウオーク・・宮島ひとりウオーク・・

ここもあさひさんとは広島ピースウオークでの想い出の場所である。彼女はスタッフで一緒には歩けなかったが、宮島の見所はしっかりと教えてくれた。
宮島と広島市内、2ヶ所で開催されいた時である。広島に宿を取り、朝、宮島の会場へ向かった。今日も同じルートで宮島に向かう。
紅葉・観光シーズンであり電車は混雑している。宮島へ向かう連絡船も15分待ち・・今回はJRを使う。

船は満席状態・・デッキの撮影も後ろに気を使う・・宮島についてからも大変であった。9時前であったが、人・人・人だらけ・・鹿の居場所がないほどであった。
ちょうど干潮時間で大鳥居まで歩いてゆけた。多くの観光客が参拝?していた。

町屋通りをぶらぶらと歩く・・ここは観光客が少ない。一部マニアの撮影ポイントでもある。何度か来た道を想い起こしながら歩く。
紅葉谷は紅葉の真っ盛りであった。常緑樹の中に紅葉の黄・紅が映える。二度目に来たときは弥山(みせん=みせんとゆうんよ・・あさひさんに教えてもらった)に登った。頂上に着いた時、ケーブルにすればよかったとの反省したところでもある。上りを歩いて、時間が無くなり・・下りにケーブルを使った。

昨日、15Km(3時間)歩いた後では、頂上を見上げるだけである。天気ヲ口実にしているが・・加齢もあるだろう・・病気での療養・リハビリ、薬の副作用と、体力・持久力がなくなったのを思い知る。茶屋の赤い毛氈の敷かれた椅子に座りビールを飲む・・そんな姿が似合うのかと、今の自分を想う・・

ピースウオークの道を記憶を頼りに歩き、麓に着くと厳島神社付近は大混雑・・昼時とも重なり何処も行列ができている。食事・土産物を買う気力もなくなり桟橋へ向かう。フェリーは10分間隔のピストン輸送、どれだけの観光客が宮島に入ったのか・・宮島口桟橋でも船を待つ長い行列できていた。
一人旅のちょっぴり贅沢な昼食を取り、路面電車で広島まで戻る。前はあさひさんが隣に座っていた。
駅ビルで頼まれた土産物を送り、新幹線に乗る。今回は広島と宮島を歩いた。次回はいつになるか分からないが呉と江田島・鞆の浦を歩こうと思う。

8.20の広島土砂災害では多くの人が亡くなりました。そして、たくさんの報道がありました。私たちの「生きていてくれ・・」と言う必死の願いも虚しく
悲報を聞くことになりました。これまでの報道の一部を個々に残しておきます。特に朝日新聞広島支社の記者杢田光さんには9月20日、11月15日
の記事について私たちの気持ちを書き綴っていただきました。ありがとうございました。

新聞記事 PDFへ 2014年8月27日  2014年9月20日  2014年11月16日



2012・10 あさひさん追悼W

素晴らしき仲間たち・・ageinへ


素晴らしき仲間たち!!
  あさひさんがお気に入りだった友愛の桜みち・せせらぎ歩道・・

   追悼ウオーク「麻緒ロード」を歩く・・

主催していただいた広島ウオーキングクラブの皆さま、参加された
みなさまに感謝です。