どこへ行っても「富士山」を見ると歓声が上がる・・関東に住んでいる者にとっては意外と身近に見える山である。東海道を歩いている時、いろいろなところから「富士山」を見る機会があった。それぞれの美しさがあった。

木更津からみる「富士山」は、木更津港のシンボル中の島大橋を額縁に見立てた富士、太田山からは夕日に染まった富士、東京湾アクアラインと富士、富津岬からは海に浮かぶ富士と見所はたくさんである。
「富士山すそ野一周ウオーク」どのような美しい富士山を見ることができるのであろうか・・


      
2013年世界文化遺産に登録された「富士山」・・
                      ぐるっと一周ウオーク・・富士山を360度仰ぎ見ながら歩く・・

         
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○or●

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第一回のスタート地点の大きな鳥居と聳え立つ杉の木に囲まれた「北口本宮浅間神社」からは、雲に隠れていた富士が車窓からくっきりと間近に見えた。富士山ドームとのツーショットも素晴らしかった。

筧公園に着く。目の前に富士山が見える。前回あったコスモスはなくなっていた。その代わりに富士山の山容が広がる。ここで電線談義・・写真を撮るものにとっては「邪魔・・」だが、外国人にとっては日本独自」の風景で興味があるとの事・・

富士山は歩く方向とは反対側(右後方)に見える(見返り富士である)講師の「ここからは綺麗ですネ!」と気遣いで撮影タイムが多くったのはありがたく思う。民家の入った画像もそれなりにいい雰囲気が出ていた。

忍野村・筧公園から ズームで イチイの実 忍野村から

15分も歩くと汗が出てくる。湧水のある公園で小休止。カモがのんびり泳いでいる。公園を出ると右手には雑木林が広がってくる。溶岩の上にできた林で落ち葉で埋められた地面の上の凹凸に木漏れ陽の明暗が美しい。717号線は樹林の中を通り抜けてゆく。整備された歩道を気持ちよく歩く。木漏れ日に照らされた紅葉と地面が美しく光っている。


湧水公園
忍野村から ハリモミ純林 ハリモミ・松ぼっくり ハリモミの葉

紅葉真っ盛りの、山中のハリモミ純林では「森の変遷」の話を興味深く聞き、眼の前に見ることがくことができた。車中で聞いた話が目の前に拡がっていた。判り易く納得・・聞いていなければ紅葉の美しさだけを見て通り過ぎてしまうだろう。高木の上に残っている「松ぼっくり」を見ることができ、ハリモミに触りその葉の硬さの感触を実感できた。


ハリモミの大木

紅葉と楓
お接待 山中湖村から

山中のハリモミ純林:山中湖と忍野盆地を分ける鷹丸尾溶岩流の、海抜約950mの付近の樹林帯にはハリモミが多い。大正6年(1917年)、アメリカの植物学者ヘンリー・ウイルソンが訪れ、その美しさを「天下一品」と賞賛して世界に紹介した。ハリモミは純林を作ることが殆んどないため、学術的にも貴重な林とされ、国は昭和38年天然記念物に指定した。

アーネスト・ヘンリー・ウィルソン:Ernest Henry "Chinese" Wilson、1876年2月15日 ?1930年10月15日)イギリスプラントハンター
約2,000種の
アジアの植物を、ヨーロッパアメリカ合衆国に紹介した。約60種に彼の名前がつけられた。屋久島の胸高周囲13.8mの切り株、「ウィルソン株」を調査、西欧に紹介したことでも知られる。

お接待の様子 道標 花の都公園へ 花の都公園から ズームで 紅葉落ち葉

ハリモミ純林の終わりには雄大に拡がる富士山が出迎えてくれた。「筍芋の煮物・青梗菜の漬物・柿、お茶」のお接待があった。旅行会社とのタイアップとの事・・嬉しいものであり。美味しかった。販売の野菜・お茶はほとんど売れていた。目の前に雄大に広がる富士山を眺めながらの「接待タイム」の後は、「山中湖花の都公園へと向かう。秋の花の盛りは過ぎていたが園内の紅葉は目を見張るものがあった。

三連大水車
紅葉
紅葉の林 富士山頂 河原の枯れすすき
落葉松

山中湖花の都公園昭和30年代後半の米不足の頃、鷹丸尾溶岩の林に土を運び、山中湖から水を引いて田圃を作ったが、間もなく減反政策がとられて草むらとなった。山中湖村はこれを利用して花畑を作り花の都公園とした。雄大な富士山を背景に、季節の花を咲かせ、「フローラルドームぷららjは花と自然をテーマにしたガーデニングの世界。奥の「清流の里」には山中湖から引いた水で滝や「三連大水車」などを作って、豊かな自然と永資源を活かし、季節によって貴重な野草の展示・観察会なども行っている。

山中湖・富士山方面
コブハクチョウ
桂川源流(山中湖)
ハクチョウの湖

白龍の松

山中諏訪神社

昼食を済ませると富士山は西側から昇った雲にほとんどが隠され、山頂の一部を見せるだけとなっていた。紅葉に染まった木々を眺めながら山中湖を目指す・・眼前が開けると山中湖である。富士山は残念ながら雲に隠れている。風も出てきて湖面には波が立っている。コブハクチョウがゆったりと湖面に浮かんでいる。

山中湖富士湖最大の湖で、周囲13.5Km、面積6.8㎢・深さは16mで富士五湖中最も浅く、湖面の標高は982mで富士五湖中最も高い(中禅寺湖・榛名湖に次いで日本で3番)冬に周囲は凍結するが、湖底にいくつもの湧き水があり、全面結氷はしない。昭和31年「ママの森」付近でマリモが発見され、天然記念物として保護されている。岸辺にはコブハクチョウが年間定住し渡り鳥も多い。
桂川:相模川の源流。富士五湖の一つ山中湖を水源とする。上流の山梨県では、桂川(かつらがわ)、河口近くの下流では、馬入川(ばにゅうがわ)と呼ばれている。古くは、鮎川(あゆかわ)と呼ばれた。

富士山項に沈む「ダイヤモン富士」が10月から2月まで村内各地から見られるが、10月中旬~下旬と2月上旬~中旬に軋ダイヤモン帽士が山中湖に映る「ダブル‥ダイヤモン富士」が特に人気を集めている。12月には花の都公園付近からもダイヤモンド富士が見られる。平成25年6月、世界文化遺産に登録された。

拝殿 森の紅葉
一面紅葉
手水場 拝殿 ご神木

湖畔にたたずむ白龍の松は、東にある明神山の奥宮から豊玉姫の命が白龍に導かれ里宮へ来る道中に位置すると言われている。山中諏訪神社は崇神天皇の7年、国中に疫病が蔓延し、勅命をもって疫病退散を創祈し祀ったのが起源で、その後、村上天皇の康和3年(966年)に村人が開墾の守護神として諏訪大明神を奉った。御利益は縁結び、子授け・安産、子育てである。

天文21年(1522年)武田晴信が北条氏との合戦に際し、戦勝を祈り、本殿を造営寄進した。祭神は建御名方(かけみなかたのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)。貞享元年(1684年)本殿を修築して、豊玉姫を祀って以来、安産子授けの守護神として崇敬を集めた。

9月4~6日の例大祭「安産祭り」には妊産婦や新婚の女性が集まり、神輿をかついで町内を回る珍しいお祭りで「はらぼて祭り」ともいわれる。

珍しい子を抱いた豊玉姫の彫り物が拝殿、手水舎に見ることができた。


ブナの巨木

鎌倉往還?

浅間神社

狛犬(左側)

狛犬(右側)

双体道祖神と地蔵様

諏訪神社から朱色の橋を渡ると黄に染まったイチョウの木に先に浅間神社が見える。平安時代の承平元年(931年)に富士山の怒りの火を鎮めるために、木花開耶姫命とその父大山武神、夫の瓊々杵之命の三神を祀ったのが始まり。大正8年に焼失、同12年に再建、昭和47年に現在の社殿に改築された。千年以上も昔から山中集落の氏神藻として柳を集め、例大祭は5月5日である。

拝殿前の狛犬は左側は弾をおさえ、右側は子を守る狛犬・・その豊満な胸に思わず見とれる・・


双体道祖神
関所後
馬頭観音

馬頭観音群
ホテル・マウント富士 湖畔のモミジ

〆は山中宿を歩く。浅間神社の西側の旧国道(138号線)は旧謙倉往還であった。甲斐(甲府方面)から鎌倉に至る街道は御坂峠から船津、吉田を通って山中、篭坂峠を越えて十垂木街道と合流、竹之下(小山町)から足柄峠を越えて小田原方面へ続いていた。
山中は街道の宿場であり、開所や熔岩の石垣、イチイの生垣、道祖神や馬頭観音など昔の名残が残されている。旅の安全、縁結びを祈願した神双体道祖神
隣にある愛宕地蔵は火伏せの神である。ロ留め番所は甲斐と相模、駿河の国境に近い分岐の宿場として戦国時代に武田氏が置いた関所である。江戸時代には江戸への「入り鉄砲に出女を取り締まった。その厳しさは箱根の関所に次ぐものだったといわれている。
この番所跡は平成23年、観光客のために整備された。柏の大木と「諏訪大明神」の立て看板の奥は御旅所である。安産祭りで担がれた神輿の宿泊所であった。三叉路の先には走る馬が浮き彫りになっている珍しい馬頭観音がある。
数十年前に家族で宿泊した宿は改装中であった。夕暮れに家族4人で歩いた懐かしい道の先は湖畔・・ゴールであった。


「富士山すそ野ぐるっと一周」第2回の案内人はクラブツーリズムスポーツ旅行センター真田比呂美講師でした。

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Blowin' in the Wind 2014

第2回 忍野八海・筧(かけい)公園~山中湖役場  2014年10月30日(木) 晴れのち曇り