Blowin' in the Wind  東海道完歩31期の仲間たちと・・

       東京下町・武蔵野さんぽ 大江戸線ウオーク(全13回) H 
   
                                    2014年1月〜2015年2月
2014年10月4日(金) 第九回 都庁駅前→・・牛込柳町駅・→飯田橋駅

「東京の下町・武蔵野さんぼ 大江戸線ウオーク」も第9回目は都庁前駅〜飯田橋駅までの7駅の区間を歩いた。

東海道を歩いた31期仲間と始めた「東京の下町・武蔵野さんぽ・大江戸線ウオーク」9回目となって、今回から都庁駅前から門前仲町へ向かうコースとなり、今回は都庁前から飯田橋までの7駅の区間をほぼ路線上に沿って歩いた。

都庁前の住友ビル脇には旧淀橋浄水場の水道管本管の弁が残されている。

4号線に出て鳴子天神社下の信号の先(新宿川)の左には1100年余り前に源頼朝により社殿が造営され、大正9年に造られた富士塚のある、(新築された)濃いピンクの鳥居・本殿、拝殿の「成子(鳴子)天神社」がある。狭い富士石の登山道の富士塚に登る・・頂上は意外と高い。

大江戸線・都庁前駅
旧淀橋浄水場・本管
鳴子天神社・鳥居 拝殿 力石 富士塚

4号線を東に向かい新都心歩道下信号の左側に、日蓮宗の寺で江戸三木の枝垂桜が見られ、太田南畝(萄山人)揮竜の石碑、狂歌師・便々館潮鯉鮒作「三度たく 米さへこはし柔らかしおもうままには ならぬ世の中」の石碑がある立派な佇まいの「常円寺」がある。境内には東京駅の設計をした「辰野金吾の墓がある。桜の時期には訪れてみたい。北に向かい北新宿百人町の信号を右折、中央本線のガードをくぐり左折すると百人町である。小さな飲食店の並ぶ路地の先、コリアタウンの真ん中、賭け事に御利益のある「皆中稲荷神社で、江戸時代鉄砲組百人がいて、お参りをした所、弾が百発百中だったという事「皆中(みなあたる)の稲荷」と称され絵馬は「的中」である。皆それぞれお願いをしたが・・はたしてご利益は・・。

神輿 常円寺・山門 便々館潮鯉鮒・歌碑 本殿
辰野金吾の墓
皆中稲荷神社

302号線を東に歩き、大久保小学校へ入る道の奥に洋風の「小泉八雲公園」がある。ギリシャ人で本名はパトリック・ラフカディオ・ハーン明治35年に板倉子爵邸を貴い取り住んで2年後、心臓発作で他界、享年54歳であった跡地はギリシャ風の公園として残っている。

元に戻り、302号線を横切った先に、当時在った稲荷神社に、熊野から熊野権現を勧話し合祀天保3年(1832年)に生まれ変わった稲荷鬼王神社」がある。入口には餓鬼に背負われた水鉢(鬼王神社の水鉢)がある。

小泉八雲住居跡碑
小泉八雲公園
小泉八雲像
鬼王神社・水鉢
拝殿 藤村旧居跡碑

西新宿駅手前の歩道には「島崎藤村の旧居跡・案内板」が立っている。藤村が上京した明治38年4月から翌年9月まで、借家住まいであった所である。代表作「破戒」を発表、小説家として歩みを始めた地である。

302号線の西新宿から東側は「け弁天通り」と表示されている。通りから少し南に下った所に轟の天神様と呼ばれ、大久保の天満宮と言われている「西向天神社がある。社殿が西(太宰府天満宮)を向いていることから西向天神社とも呼ばれている。天保13年(1872年)に造られフェンスで囲まれた富士塚がある。


山吹坂案内碑
西向神社 富士塚 紅皿の碑 永福寺
大日如来像
地蔵菩薩

敷地隣には天台寺門宗で西向天神社の別当寺の「大聖院」がある。ここにある「紅皿の碑」は田道港の山吹伝説に登場する少女・紅皿の基である。寺に上がる女坂は山吹坂と呼ばれている。

通りを東に向かいぬけ弁天の交差点の左側には曹洞宗「永福寺」・・銅製の大日如来坐像(260年前建立)、地蔵菩薩坐像(160年程前建立)あり、七福神の「福禄寿」も祀られている。


弁財天(抜神社)

本殿
旧小笠原邸
(現レストラン)
スペイン風・庭園 ギリシャ様式 夏目坂・高七さん」

交差点の向かいには源義家が奥州征伐の途中に厳島神社を祀った「厳島神社(抜弁天)」がある。境内を南北に通り抜けられることから「抜弁天」とも呼ばれている。南から北に抜ける。境内の小さな池には錦鯉がゆったりと泳いでいた。

通りを200mほど行くと第8機動隊の建物がある。このあたり一帯が、5代将軍綱吉の命令で造られた「犬御用屋敷跡」で、案内板がある。当時は10万頭の犬がいたと言われる。
その向かいにスペイン風の建物・・小笠原伯爵邸跡を東京都が買取りスペイン料理のレストランとなっている。支配人が庭園の案内(平日は開放)をしてくれた。「ランチ7000円・・とするとビールはいくらかな?」・・庶民の会話である。
302号線に戻り夏目通りに入る。通りに面した明治17年創業の天ぷら「高七」でランチタイム・・揚げたての天ぷらが旨かった。


誓閑寺

漱石生誕の地碑
漱石山房・テラス
漱石の写真(壁に)
展示室 漱石像

夏目通りを北に向かい早稲田駅手前の路地を入った所に浄土宗「誓閑寺」があり、この寺はは夏目淑石の随筆「硝子戸の中」に登場する寺である。早稲田駅の突当り手前の角に「夏目漱石生誕の地」碑が立っている。駅前を東に下ると、漱石(本名は金之助慶応2年〜大正5年)終焉の地「漱石公園」に・・夏目家は江戸町奉行支配下の名主で、神楽坂から高田馬場辺りまでを支配していたと言うが、漱石は生涯貸家屋住まいであったと言う。

多聞院・本堂
松井須磨子の墓
浄輪寺 関孝和の墓 林家墓所 泉鏡花住居跡

公園を出て外苑東通りを南下する真言宗・多聞院には女優「松井須磨子」の墓がある。すぐ隣の日蓮宗浄輪寺には江戸時代の数学者・関孝和の基が残っている。外苑東通りと大久保通りの交差点の南側にはマンションの敷地にひっそりと近藤勇の天然理心流剣術道場跡「試衛館道場跡」の案内碑が立っている。

大久保通りの路地を北に向かった市ヶ谷山伏町には、朱子学の大家・林羅山一族の基軋家康に誇義して以来、代々、徳川家の頭脳としての役割を担っていた林氏一族の基地が塀に囲まれた中にある。

向かいの小さな公園の先の路地を北に向かうと、明治6年〜昭和14年に住んでいた「泉鏡花の旧居跡」がある鏡花は享年66歳「高野聖」「婦系図」等の代表作がある。東に10分ほど歩くと「尾崎紅葉慶応3年(1868年)〜明治36年(1903年)」の旧居跡」ある。紅葉は享年35歳「金色夜叉」等の作品を残し、泉鏡花は愛弟子であった。

尾崎紅葉住居跡
司天台跡
光照寺 光照寺・案内板
諸国旅人供養碑

便々館潮鯉鮒の墓

牛込神楽坂の駅をまたぎ東側に出て、加藤病院の敷地あたりには幕府天文方の謝量所「司天台(新暦嗣御用所)があった。その向かいには浄土宗・光照寺があり、かつてこの地には牛込城があったと案内板にある。ご本尊の地蔵にあやかり「地蔵寺」とも呼ばれている。旅の途中で亡くなった人々(49名と言われている)を供養する「諸国旅人供養砕」碑、常円時に句碑のあった「便々館潮鯉鮒がある。


善国寺案内板
善国寺(毘沙門天) 神楽坂界隈
路地
暖簾

軽子坂案内碑

神楽坂に入ると一際目立つ善国寺「毘沙門天」を祀り、池上本門寺の寺末でもある日蓮宗の寺である。狛犬ならぬ狛虎は少々怖い顔をしている。

神楽坂の目抜き通りから、石畳の路地に入り「モヤさま・・」ばりに歩き、軽子坂で神楽坂と分かれ、本日のゴール「飯田橋駅」に到着・・お疲れさまでした

今日のコース 都庁前駅→成子天神社→常円寺→皆中稲荷神社→小泉八雲終焉の地→稲荷鬼王神社→島崎藤村旧居跡→西向天神社→大聖院
         (
だいしょういん→永福寺→厳島神社(抜け弁天)→誓閑寺→夏目漱石生誕の地→漱石終鳶の地→多門院→浄輪寺→試衛館道場跡         (近藤勇の道場)→林氏墓地→泉鏡花旧居跡→尾崎紅葉旧居→司天台(新暦調御用所)跡→光照寺→毘沙門天(挙国寺)→(神楽坂)         →飯田橋駅


                                              第10回へ