Blowin' in the Wind  東海道完歩31期の仲間たちと・・

       東京下町・武蔵野さんぽ 大江戸線ウオーク(全13回) F 
   
                                    2014年1月〜2015年2月

  大江戸にタイムスリップ 五輪塔
2014年7月4日(金) 第六回 落合南長崎→新江古田→練馬→豊島園

「東京の下町・武蔵野さんぼ 大江戸線ウオーク」も第7回目となった。今回は落合南長崎〜豊島園までの4駅の区間を歩いた。

落合南長崎駅から目白通りに出る、すぐ先の交差点を左折目白通りに入る、中落合交番のY字路を左折すると、すぐ先右側に豊島区トキワ荘お休み処がある。「休んでゆきませんか」と・・お姉さんに声をかけられるが、団体では一人休むわけにはゆかない。
清戸通り商店街は「トキワ荘のヒーローたち」の旗が街灯にひらめいていた。路地の右側に入ると「トキワ荘跡」に当時の建物の小さなレプリカがひっそりと置かれていた。日本のマンガ史に名を残すトキワ荘。地域住民の呼びかけによって、区立南長崎花咲公園に記念碑が設置された。

落合南長崎駅改札へ
清戸通りへ
お休み処
トキワ荘跡
トキワ荘・レプリカ
案内板

電柱には

トキワ荘東京都豊島区にあった木造2階建てアパート。手塚治虫、赤塚不二夫や園山俊二、寺田ヒロオら多くの漫画家が下積み時代を過ごし、「伝説のアパート」と呼ばれる。老朽化が進んだため1982年に解体され2012年4月、跡地にモニュメントが立った。
(2012
--17 朝日新聞<朝刊>鳥取全県版碑には、マンガ家たちの自筆の似顔絵やサインが入っています。清戸通りの名付け親とも言ってもいい「旧岩崎家住宅」の表門と屋敷は通りの左側にケヤキの大木の懐に残さいる。

旧岩崎家住宅:かつての清戸道に面した旧長崎村の旧家。肥料、糠などを扱っていた商家。

南長崎花崎公園 岩崎家表門 欅の大木と屋敷
千川地蔵
能満寺山門 能満寺本殿

清戸通りを進むと南長崎交差点で420号線にぶつかる交差点を北上、西武新宿線の高架を潜り、3っ目の路地を左に入る。住宅街の閑静な道を進むと突き当りに江古田の古刹、千川地蔵で知られる能満寺の山門が見える。

清戸道:江戸時代から昭和初期まで、現在の東京、江戸川橋から練馬を通って清瀬市までを結んでいた。練馬大根など野菜を運んだ道であり。乗合自動車が走った事でも知られている。
旭丘小学校、日大芸術学部キャンパスを横に見て西武新宿線江古田駅に向かう。駅手前の左側に、江古田富士と呼ばれる国重要文化財の富士塚のある茅原(かやはら)浅間神社に参拝する。

日大芸術学部
キャンパス
江古田神社鳥居 江古田富士
富士塚
本殿
ねりまの名木(欅)
今日のお食事処

茅原(かやはら)浅間神社:国の重要文化財指定の富士塚がある。江古田富士と呼ばれ親しまれている。

江古田の富士塚は、富士講の一派小竹丸祓講によって天保10年(1839年)に築造されたものと伝えられますが、一説には文化年間(1804〜18181年)築造ともいわれています。高さ約8m、直径約30m、閏東大震災の時に損壊しましたが、その後復旧され、塚全体が富士の熔岩で覆われています。頂上の唐破風屋根のついた石祠は、天保10年に造立されたもので、他に経ヶ嶽・太郎坊・小御嶽神社の石碑や大天狗・小天狗・神猿などの石像もあり、元治2年(1865年)の講碑、大正12年震災時の御神体修築の碑などが建っています。社殿の前には文化4年(1807年)の石燈篭や文化9年(1812年)の手手鉢なども残っています。
都区内の富士塚の中では、大規模な部類に属し、庶民信仰の様相を示すものとして、昭和
554年5月21日、国の重要有形民俗文化財に指定されました。(練馬区教育委員会資料より)

地下道を潜り駅正面に出る。ここで腹一杯の昼食&休憩。
昼食後は線路沿いに少し歩き、神社には珍しい立派な隋神門があり、
太田道灌と戦い滅ぼされた豊島一族を祀lている「武蔵野稲荷神社」に参拝する。七福神をはじめとして、とにかくいろいろなものがある神社であった。お稲荷さんであるが稲荷は参道の脇にひっそりと・・参拝後は武蔵大学の前の千川通りに出る。

ランチ・15貫
(腹一杯に・・)
武蔵稲荷神社
隋神門

七福神・大黒様
武蔵稲荷神社
本殿

「清戸通り」の碑
大門通り商店街

千川通りを先に進み練馬駅手前の高架を潜ると「大門通り」となる。商店街を北上し桜台6丁目の十字路を右折すると「恐れ入谷の鬼子母神、びっくり下谷の広徳寺」で知られる臨済宗の広徳寺の山門に出る。大きな寺院である。多くの歴史上の人物の立派な五輪塔の墓がある。墓地を一回りする立派な五輪塔が並んでいる。

広徳寺・参道 六地蔵? 吾唯足知 呼び鈴? 広徳寺・本殿 柳生家墓所

広徳寺:「恐れ入谷の鬼子母神、びっくり下谷の広徳寺」で知られる臨済宗の寺院。創建時は台東区下谷にあったが、戦後、練馬の現在地に移転された。織田信雄、小堀遠州、柳生宗矩・三厳(十兵衛)・宗冬ら柳生三代の基がある。

前田家墓所 小堀家墓所 小笠原家墓所 庭園の灯篭 弁天通商店街 南禅寺山門

広徳寺から練馬駅に向かい「弁天通り」を南下、練馬駅の高架を潜り、七夕飾りのある練馬警察署の前を歩き、東武ストア豊玉店の交差点を右折して、南禅寺前交差点を左折すると少し先に、中村の薬師様と地元の人の信仰を集める「南蔵院」の大きな境内に出る。こちら側からだと入口(参道)は反対側になるらしい、参道の先に朱色の山門が見える。本殿脇の閻魔堂にはガラス越しに「閻魔様」を拝める。

南禅寺本堂
南禅寺灯篭

南禅寺・庭園
南禅寺本堂 南禅寺・薬師堂 南禅寺・閻魔堂

元の道に戻り南蔵院信号を北上、千川通りを横断、西武新宿線の高架を潜る当たりの下は大江戸線が通っている。少し離れ右に行くと指定天然記念物の大ケヤキのある練馬白山神社に出る。練馬あたりはけやきの巨木が多くみられた。

白山神社・欅巨木
欅巨木
白山神社本殿 大江戸線・豊島園駅 十一ヶ寺参道
仁寿院

大江戸線豊島園駅が見える。駅入り口反対側には十一ケ寺のある瀟洒な通りが見える。東側の万霊塔に向かって伸びる通りの両側には都心から移転した、参道の綺麗な京都の小寺と近代的な寺の風情を併せ持った十一の寺が並ぶ。
十一ケ寺東京都練馬区練馬四丁目の豊島園のそばにある寺町であり、もとは浅草の田島町にあった誓願寺塔中(たっちゅう)寺院であった。大正12年の関東大震災で東京の下町はほとんど焼け、林宗院も本寺の誓願寺とともに焼失しました。震災後の都市計画によって移転を余儀なくされ、昭和の初期に現在の練馬区に移った。本寺の誓願寺は多磨霊園の正門前に移ったが、塔中の十一ヶ寺はまとまって練馬区に移転した。


宗周院
林宗院
九品院・蕎麦地蔵
得生院
蓮が咲いていました
迎接院

豊島園に近い住宅地に、広い参道を挟んで左に仁寿院、迎接院、本性院、得生院、九品院、右に快楽院、宗周院、仮宿院、受用院、称名院、林宗院、の十一軒の寺が並んでいます。静かなたたずまいの寺がずらりと並んでいます。

次回のスタートはここからになる。ちょっと早めに来て再度歩いてみたい・・


ルート 落合南長崎駅→トキワ荘跡→旧岩崎家住宅→能満寺→茅原(かやはら)浅間神社→武蔵野稲荷神社→広徳寺→南蔵院→練馬白山神社→十一ケ寺→豊島園駅



                                              第8回へ

江戸時代にタイムスリップ・・浜離宮にて