Blowin' in the Wind  東海道完歩31期の仲間たちと・・

       東京下町・武蔵野さんぽ 大江戸線ウオーク(全13回) A 
   
                                    2014年1月〜2015年3月
江戸時代にタイムスリップ・・浜離宮にて
第二回 築地市場→汐留→大門→赤羽橋→麻布十番→六本木

東京の下町・武蔵野さんぽ 大江戸線ウオーク」は第二回目(築地市場駅〜六本木駅)である。今回、23日は9名の参加であった。ちなみに28日は22名の参加となっている。講師の配慮により同一コースを平日・休日に分け実施している。

大雪の名残もなくと思ったが道路に雪が無いだけ、木の枝が折られ、道路の隅や川、堀に落ちていた。穏やかな冬空の下と思いきや風は冷たい・・朝日新聞社前(築地市場駅出口)から浜離宮恩賜庭園に向かう、大手門橋から入る。65歳以上は割引・・金額はいくらでもあれ値引きは嬉しい。以前にはなかった自動案内のガイディングレシーバが無料で借りられた。要所要所で案内が聞くことができる。
サービスセンターから大手門(復元)を眺め、三百年の松(以前から三百年の松)、内堀、芳梅亭、松のお茶屋、お伝い橋を渡り、潮入の池を一回り、周辺のりの風景は変わってもて園内は変わっていない・・対岸に残った雪を「youたち」(外国人)が珍しいのか盛んに写真を撮っていた。御亭跡、延邊館跡から大手門へ戻る。


築地市場駅
築地市場
大手門橋
浜離宮・大手門 三百年の松 内堀

浜離宮恩賜公園:潮入の池と二つの鴨場をもつ江戸時代の代表的な大名庭園である。潮入の池とは、海水を導き潮の満ち干によって池の趣を変えるもので、海辺の庭園で通常用いられていた様式です。
浜離宮は、この潮入りの池や池や鴨場を中心にした南庭と、明治時代以降に造られた北庭とに大別されます。
承応3年(1654年)、綱重は将軍から海を埋め立てて甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てる許しを得ました。その後、綱重の子供の綱豊
(家宣) が六代将軍になったのを契機に、この屋敷は将軍家の別邸となり、名称も浜御殿と改められました。

潮入池 潮入池 中嶋のお茶屋 庭園 残雪 中島のお茶屋

以来、歴代将軍によって幾度かの造園、改修工事が行なわれ、十一代将軍家斉のときにほぼ現在の姿の庭園が完成しました。明治維新ののちは皇室の離宮となり、名前も浜離宮となりました。浜離宮を後にして高速沿いの海岸通りを南下、旧芝離宮恩賜公園前から浜松町駅の高架をくぐり、街道歩き(東海道)でも立寄った芝大神宮へ向かう。

芝大神宮:港区に鎮座し、芝神明とも呼ばれる古社。伊勢神宮の祭神、天照皇大御神、豊受大神の二柱を主祭神として祀る。毎年、月に執り行われる例大祭は、期間の長いことから「芝神明のだらだら祭り」と呼ばれ有名である。

芝大神宮から芝大門の交差点を南下、細い路地のお脇に小さなお宮があり「尾崎紅葉生誕の地」の案内板が立っている。

大門駅 芝大神宮
尾崎紅葉生誕の地

首尾稲荷神社

大門

増上寺を・・

尾崎紅葉:江戸芝生まれ。本名徳太郎。帝大予備門在学中の明治18年(1885年)に石橋思案や山田美妙らと硯友社を興し、同人誌「我楽多文庫」を発行した。帝大中退後、むき玉子三人妻などの風俗小説によって人気作家となる。小栗風葉や泉鏡花らの後進を育てる一方、“である”調の言文一致体など時代に適合した文体を模索した。晩年、多情多恨金色夜叉などの長編を発表するが、明治36年(1903年)年10月30日に胃癌で没する。
芝大門から日比谷通りを見ると歩道に人だかり・・東京マラソンの日である。
芝増上寺の大門は見えるがマラソンのランナーと応援・見物人で道路は渡れず、東京プリンス側の歩道橋を渡り増上寺に参拝する。

東京マラソン 増上寺前・・ 歩道橋から
本殿と東京タワー

増上寺:増上寺は、明徳4年(1393年)、浄土宗第八祖酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって、武蔵国豊島郷貝塚、現在の千代田区平河町から麹町にかけての土地に開かれたと伝えられています。室町時代の開山から戦国時代にかけて、増上寺は浄土宗の東国の要として発展した。

安土桃山時代、徳川家康が関東の地を治めるようになってまもなく、徳川家の菩提寺として増上寺が選ばれました。慶長3年(1598年)には、現在の芝の地に移転。江戸幕府の成立後には、家康公の手厚い保護もあり、増上寺の寺運は大隆盛へと向かって行きました。
三解脱門(さんげだつもん)、経蔵、大殿の建立、三大蔵経の寄進などがあいつぎ、朝廷からは存応上人へ「普光観智国師」号の下賜と常紫衣(じょうしえ)の勅許もあった。
家康は元和2年(16161年)増上寺にて葬儀を行うようにとの遺言を残し、75歳で歿しました。
 増上寺には、二代秀忠公、六代家宣公、七代家継公、九代家重公、十二代家慶公、十四代家茂公の、六人の将軍の墓所がもうけられています。

鋳抜門
六代 家宣

二代 秀忠・お江

七代 家継

九代 家重

十二代 家慶

墓所には各公の正室と側室の墓ももうけられていますが、その中には家茂公正室で悲劇の皇女として知られる静寛院和宮も含まれています。現存する徳川将軍家墓所は、本来家宣公の墓前にあった鋳抜き(鋳造)の中門(なかもん)を入口の門とし、内部に各公の宝塔と各大名寄進の石灯籠が配置されいる。偶然にも拝観可能で初めて廟の中を見ることができた。勝運、災難よけの霊験あらたかな仏として、江戸以来広く庶民の尊崇を集めている黒本尊の姿は見ることはできなかかった。
増上寺を出るとマラソンのランナーは最後尾がゆっくりと走っている。そのあとには時間切れのランナーを収容する「収容車」が迫っていた。
徳川家康逝去翌年の元和3年(1617年)、江戸鎮護のため、当地に創建された東照宮に参拝、都内の古墳としては最大規模の前方後円墳、斜面に縄文時代の貝塚のある小山のような芝丸山古墳を眺め、しばらくビル街を歩く。

田町駅近くの慶應仲通り商店街一画には立て札以外は当時の面影を残すものは全く無い「三河岡崎水野監物中屋敷跡」がある。元禄16年(1703年)2月4日赤穂義士の9名は水野藍物邸に預けられ切腹した。
第一京浜に出て浜松町側に少し歩く第一田町ビルの敷地の端に「江戸開城、西郷南洲・勝海舟会見之地」、「薩摩藩蔵屋敷跡」の碑が立っている。東海道でも案内された場所である。

水子地蔵

旧台徳院霊廟惣門

東京マラソン収容車 水野監物中屋敷跡 会見の地碑(表) 会見の地碑(裏)

昼食後は札の辻から慶應大学前を通り、港区三田二丁目にある高野山真言宗の寺院龍生院に立寄るが工事中で参拝は出来ず、根津講師の説明を聞いた。寺の周辺には「巨大納骨堂建設反対」の幟旗、立て看板が多く立っていた。
坂道を登り突き当りには、「松平隠岐守中屋敷跡」(元禄16年(1703年)赤穂義士、大石主税、堀部安兵衛たち10名が切腹した)」のイタリア大使館がある。その先には綱町三井倶楽部の美しい建物が建っている。大きな工場のようなオーストラリア大使館、を左に見て通りに出ると麻布十番である。


昼食は海鮮丼

慶應大学
イタリア大使館 三井倶楽部 善福寺・井戸
大公孫樹

特異な形をした元麻布ヒルズフォレストタワーをバックに弘法大師が開山、浅草寺に次ぐ古刹の一つである善福寺の大きな山門が見える。浄土真宗本願寺派の寺院で、山号は麻布山(あざぶさん)、「麻布山善福寺」あるいは単に「麻布山」と呼ばれ、過去には広大な敷地があったそうである。福沢諭吉の墓、推定樹齢750年以上の逆さイチョウと呼ばれる大公孫樹が聳えている。仙台住職がファンであったという「越路吹雪」の碑もある。
麻布十番の通りの緑地帯には赤い靴の可愛いい「きみちゃん像」がある。
坂道を少し上がり、長い上り坂の参道を登ると、曹洞宗賢崇寺である。佐賀鍋島藩歴代藩主の菩提寺で寛永122年(1635年)の創建で、10 代藩主直正は日本ではじめて種痘を行い、明治維新の原動力のひとりとして活躍した。詩人蒲原有明、国学者久米邦武、「真白き富士の嶺」の哀歌で知られる七ヶ浜沖ボート転覆事故犠牲者の逗子開成中学生徒の墓、昭和11年(1936年)2月26日に起きた陸軍の皇道派青年将校を中心とするクーデター未遂事件で、決起部隊は首相官邸・警視庁・朝日新聞社などを襲撃し閣僚等を殺害した。反乱軍とされて鎮圧され、17名が処刑され、この事件に関わった二十二士の墓がある。

ハリスの碑 善福寺山門と
フォレスタワー

きみちゃん像
賢崇寺境内五輪塔 二十二志の墓
専称寺・沖田総士の墓

住宅地の細い通りを上り下りして中国大使館の隣に寛永5年(1628)、山本勘助の孫・観利が市ヶ谷根来坂に開基。元禄5年(1692)浅草北寺町に移り、享保3年(1718)現在地に移りました。侠客金看板甚九郎の墓、ラグーサお玉の墓などがある長玄寺がある。
ラグーザお玉:
ラグーサ玉(1961〜1939年)日本名は清原玉、日本人初の女流洋画家。1882年に21歳でイタリアシチリアに渡り、72歳までの52年間をシチリアで過ごした。昭和14年に長玄寺に碑が建てられた。
長玄寺から突き当りを右に曲がると六本木の中心地に近い・・ちょっと寄り道、
沖田総司の墓がある一向山専称寺がある。寺手前の路地から墓所を覗き手を合わせる。六本木交差点から大江戸線六本木駅にゴール。


コース的には何度か歩いているところであったが、
善福寺、長玄寺、専称寺は初めての所で新しい知識を得ることが出来、増上寺では御霊内を見学、東海道街道歩きでは聞けなかった説明、寺・門、遺跡などを見ることができた。

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