Blowin' in the Wind  東海道完歩31期の仲間たちと・・

       東京下町・武蔵野さんぽ 大江戸線ウオーク(全13回) 
   
                                    2014年1月〜2015年3月
第一回 門前仲町→月島→勝どき→築地市場

C・T社主催の街道歩き・東海道31期(2012年3月に三条大橋ゴール)の仲間たちと立ち上げた同窓会の「街歩き・全13回」が1月19日にスタートした。
月2回の開催で今回は20名の参加、次回(1月31日)も20名の参加が予定されている。

第一回目は大江戸線「門前仲町」から「築地市場」までの4駅の区間、約10Kmである。
10時集合だったが、吹く風は冷たかった。だが、見上げた青空は嬉しかった・・旅慣れた仲間たちと懐かしく・楽しく歩く事が出来た。

ちなみに都営大江戸線は平成12年12月12日に開通、都庁前から都庁前までが28.6Km、都庁前から光が丘まで12.1Kmの全長40.7Kmである。

永代寺にて
門前の暖簾

足災消除:わらじ守
深川不動尊にて 冨岡八幡
いざ出立!忠敬像

今日のコースは何回もたくさんの仲間や人と歩き、自分の庭のような・・勝手知ったる道であるが、初めての人たちにとっては新鮮であったようで、熱心に根津講師の話に聞き入っていた。

江戸時代、富岡八幡宮の別当寺して栄えた「永代寺」、大本山成田山新勝寺 の東京別院で「深川のお不動様」として親しまれている「深川不動尊」、同窓会事務局主催の「七福神めぐり」深川八幡宮からのスタートとなった。佃島・月島に向かう道には黒船橋、相生橋と当時の面影を残す名も残っている。
富岡八幡宮:富岡八幡宮と言えば江戸三大祭の一つ「深川八幡祭り」3年に一度(8月中旬)本祭りが催され、50台余りの神輿に水をかけ(現在は消防車からの放水もある)ながら練り歩く連合渡御は勇壮無比で、あでやかな辰巳芸者の手小舞や粋な鳶若頭衆の木遣りが、江戸情緒を盛り上げます。
八幡宮は、寛永元年(1624年)当時永代島と呼ばれた小島に京の公が八幡神像を奉安したのが始まりといわれ、以来、深川っこの信仰を集めている。境内には、「深川力持碑」「木場の角乗り碑」をはじめ「横綱力士碑」「力持碑」など、深川にまつわる多くの石碑等があり、昔をしのばせる。
大鳥居の脇には関東三大神輿と言われる大神輿が展示され、伊能忠敬の像も立っている。みなさんが説明を聞いている間、喪中の私(いっちゃん)とHさん母娘は伊能忠敬像の前で皆さんを待つ。その様な訳で富岡八幡の画像はありません。


名物・深川飯のお店

黒船橋(道路部分)
東京海洋大学
明治丸
案内板 相生橋

相生橋から隅田川を見つめている石川島灯台跡、江戸時代海上の守り神として多くの人たちの進行を集めた住吉神社へ参拝。手水場の彫刻には当時の灯台が刻まれている。月島の風景を楽しみ、佃島の歴史を聞き、月島のもんじゃ通りから「十返舎 一九の墓」のある東陽院では、寺の歴史など貴重な、住職の話を聞くことができた。


石川島灯台跡

住吉神社
手水場の彫刻 佃島の風景 月島もんじゃ通り 東陽院

佃島:隅田川河口に臨む島で、現在は北側の石川島とともに佃1〜3丁目に属する。寛永年間(1624‐44年)に摂津国佃村の漁民数十人が江戸幕府より鉄砲洲東側砂州拝領し、周囲石垣で固めて100間(180m)四方の島を築造、1644年(正保1年)に完成したという。摂津国西成郡佃村の漁民が定着したのが地名「佃島」の起こりである。漁民は日本橋の魚市場出荷するとともに、幕府よりシラウオ漁の特権を与えられ、毎年11月から翌年3月中旬にかけて、毎朝将軍家にシラウオを納めた。
また、佃煮の原産地として知られる。

東陽院本殿・納骨堂
十辺舎一九の墓

案内板
勝鬨橋から築地市場 勝鬨橋 勝鬨橋を歩く

月島:中央区沿岸部、月島号地にあたり、月島2・3号地は勝どき、月島4号地は晴海にあたる。埋立当時の月島は、富国強兵の国策に沿い重工業地帯とされ、鉄工所が多く造られた。工場商店が多かったが、最近は高層マンションも増えてきている。1892明治25年)の「東京湾澪浚(みおさらい)計画」に基づき、東京湾から浚渫(しゅんせつ)した土砂を利用して埋め立てられた、月島1号地(現在の月島一丁目から月島四丁目まで)として完成した。月島の名前は東京湾内にあった月の岬という月見の名所から名付けられたと言う。もんじゃが有名であり、お好み焼きも名物である。月島において戦前からあった定番の(紅ショウガ、桜エビ、切りイカ)の具を入れて食べるお好み焼きから変わり種のお好み焼きが開発されていった。勝鬨橋を渡ると築地である。築地と言えば「鮨」美味しい昼食タイム・・

本日のランチ ランチタイム
築地場外市場 波除神社

清澄通りから2本隅田川よりにある商店街(月島西仲通り商店街)には70軒以上のお好み焼き屋が軒を連ねている。 

昼食は築地定番の少々贅沢な「鮨」であった。食事をしながら「C・Tよりも食事は良いね!」との声も・・50数名が3班に別れ、ゴールしたメンバーも初めて会う人もあり、恒例?の賑やかな個性溢れる自己紹介タイムもあった。

近代文化事始め地 聖路加病院構内
洋館
聖路加病院
芥川龍之介生誕の地

浅野内匠頭邸跡
築地本願寺

築地:「築地」は元来埋立地の意味で、東京築地も埋立地である。江戸時代、1657明暦の大火の際に焼失した浅草の江戸浅草御坊(現在の築地本願寺)の移転のために、佃島の住人によってこの土地が造成された。その後、浄土真宗寺院墓地が次々と建立され、周辺は寺町のようになった。1869には築地鉄砲洲(現在のから明石町)に外国人居留地も設けられた。このことから在日アメリカ人子弟向けの学校であるアメリカンスクール・イン・ジャパンの校舎が1902の開校時に設けられていた。また、中津藩藩士福澤諭吉蘭学塾慶應義塾)を開いた場所でもある。1923関東大震災が発生し、築地一帯は焼け野原となった。帝都復興計画に基づいて晴海通り新大橋通りなどの大規模な道路の建設と区画整理が行われ、それに伴い多くの寺院が移転していった。復興が一段落した1935には日本橋の魚河岸が築地の海軍用地に移転され、場外にも市場が形成された。

午後からは築地周辺の歴史を巡る歩きとなり・・波除神社、居留地跡・蘭学事始めの碑、立教大学発祥の地・聖路加病院・芥川龍之介生誕の地、浅野邸跡を巡り、成人式の華やかな会場となっていた築地本願寺で参拝。大江戸線「築地市場駅」でゴール。冷たい風が吹く一日であったが・・青空の下、上々の街歩きシリーズのスタートができた。
20人のメンバーでもこれだけ賑やかな街歩き・・2班合同で歩いたら、一体どんなグループになるのでしょう・・

築地市場駅では次回の集合場所(築地市場A2出口)を確認・・一部のグループは月島の「もんじゃ」を目指して行った。

                                        
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