Blowin' in the Wind 2013
                          
いっちゃん中山道を歩く・・
  下諏訪宿:中山道と甲州街道の合流点の日本橋から29番目の宿で、中山道唯一の温泉宿である。全国に一万余社の分社をもつ諏訪大社の門前町として栄え、また諏訪氏の城下町でもあった。
諏訪大社は、上社本宮(諏訪市)、上社前宮(茅野市)、下社春宮(下諏訪町)下社秋宮(下諏訪町)の2社4宮で成り立っている。
本陣1軒、脇本陣1軒。


 コース図は左に地図をクリック(都合でリンクしておりませんしばらくお待ちください)

昨日のゴール地点へバス移動・・標高1000mの標識と気温23℃の表示・・陽射しは強い風が心地よい。2、3分ほど歩くと左側に樋橋茶屋本陣跡碑と案内板が建っている。
142号線(旧中山道)を横断し、標識に従い左に下る。数百mの草が元気に生い茂る農道のような道を歩く。深沢橋のところで142号線に戻る。この旧街道は地元の人達と中山道を守る会で作られたとの事・・
その先の六峰温泉の看板から右に入り300程戻ると廃棄物焼却場の裏手に中山道54番目の樋橋一里塚跡碑がある。元に戻り、142号線を2Kmほど歩く。


火の見櫓

樋橋茶屋本陣跡碑
茶屋案内板 石仏群 旧中山道 樋橋一里塚

町屋敷バス停のところまで来ると「中山道は地下道を歩こう」の道案内がある。」地下道を出て142号線と分かれ左手の坂道を上り突き当りを右の行くと坂道の突当りに、木落とし坂広場がある。広場中央に大きな「天下の木落とし坂」碑がある。


集落の御柱

御柱固定柱

木落とし坂広場

木落とし坂
下を眺める 御柱と木落とし坂

坂上に置かれている御柱と142号線に向けて傾斜35度の高低差100mの崖のような坂である。
御柱木落し坂:御柱祭は諏訪大社の大祭の一つで、十二支の寅年と申年の6年に一度行われる。諏訪大社の上社本宮、上社前宮、下社春宮、下社秋宮の4宮の4隅に御柱を曳いて建てる。
祭りでは、長さ20m、重さ10トンのモミの木を人力で曳行して、この木の上に若者を乗せてこの木落とし坂の崖から滑り落とす豪快な行事である。

前回のこの行事はちょうどがんの手術後で、退院したばかりでテレビ中継を見ていたのを思い出した・・

旧中山道は、碑の近くの坂道を下り、中ほどで階段を下り、道なりに右折して142号線に出て、左折して進む。出口の左側に芭蕉歌碑、右側に道祖神などの碑が並んでいる。142号線を少し戻りこの木落し坂を下から眺める。上から眺めるのとは違った風景である。
落合川にかかる落合橋を渡り、少し進み、長沢大橋手前の落合バス停で左折し、道なりに右カーブで進み、再度142号線に出て左折し、進む。左側の注連掛(しめかけ)の広場は、木落とし坂からの御柱をここに一旦留め置く所で、地元の人にとっては神聖な場所であるとの事。我々を見かけた地元の人が説明をしてくれた。


御柱と木落とし坂
馬頭観音と石仏群
木落とし坂(下から)
ツリフネソウ(黄) 注蓮掛の広場
注蓮掛の碑

142号線は下りながら、下諏訪の町中心へ向う。

山の神バス停を過ぎ、山の神バス停から約500mのところで、142号線から斜め右に入り、諏訪大社春宮境内の木立の横を進む。下諏訪の宿場入口は不明であるが、この辺りからであろうか?


集落の御柱
春宮への木落とし坂
道標
春宮・下馬橋 鳥居から参道 注連縄

山の神バス停から約500mのところで、142号線から斜め右に入り、諏訪神社春宮境内横を通り、突当りで左折し坂道を下る。すぐ先で道は右にUターンして春宮の鳥居に進むが、旧中山道は直進し建物の左側の細い下り坂道を進む。
右にUターンし、諏訪大社下社春宮を訪れる。

下社春宮鳥居:1780年(安永9年)建立の国重要文化財幣拝殿で、秋宮と同じ構造で春宮の方が1年早く完成した。幣拝殿右手にある一之御柱で左側にはニ之御柱が立てられている。

春宮から300m程の所に万治の石仏が鎮座している。

万治の石仏;さ2mほどの半球状の自然石に頭が載ったユニークな石仏で、言い伝えによると、諏訪・高島藩主が諏訪大社下社春宮に大鳥居を奉納するため工事を依頼し、石工がこの地にあった巨石にノミを入れたところ、そこから血が流れ出しました。石工は驚いて石に阿弥陀如来をまつったと伝えられています。胴には万治3年(1660年)と刻まれており「万治の石仏」と名付けられました。画家の岡本太郎さんや作家の新田次郎さんが絶賛。最近はメディアにも取り上げられ、訪れる人がひっきりなしという。


一之御柱

二之御柱
本殿
石仏脇の案山子
万冶の石仏
石碑(岡本太郎)

Uターンした坂道の下に戻り、細い下り坂道の中山道の宿場通りを進む。
宿場通りはなんとなく当時の雰囲気が漂う、左側に慈雲寺への長い参道階段が見える。

慈雲寺:春宮の北東にある慈雲寺は、春宮の鎮護を目的に建てられた鬼門寺です。寺は下社の大祝金刺満貞が鎌倉の高僧一山一寧を諏訪に招請して1300年(正安2年)に開山されました。本堂の棟に武田菱と梶の葉紋を掲げ、高島城を築いた日根野高吉の五輪塔が建ち、寺の奥には寺を開基した金刺満貞と開山した高僧の供養塔があります。見事な本堂と鐘楼門を持つ諏訪郡の名刹です。

階段上り口に龍の口から水が出る龍頭水口があるため、通称「龍の口」呼ばれている。慈雲寺では葬儀が執り行われており参拝はできず山門前で参拝する。


慈雲寺参道

日野根高吉・五輪塔
境内の松 信玄・矢よけ石
一里塚跡碑

街道案内板

街道沿いの民家の軒下にある「中山道」標識は如何にも旧街道の宿場の面影を思わせる。
その先、右側路地角に、江戸日本橋から55里の一里塚跡碑が立っている。
宿場の雰囲気を漂わせる旧家の並びの左側に、諏訪7不思議の1つの御作田の早稲と知られる御作田社がある。ここはまた、「春宮へ600m・秋宮へ600m」標識のある中間地点でもある。
当時の旅籠の雰囲気が残る温泉旅館街を進み、正面で坂を上る。坂を上り切って、車道を直進し細い道に入り、進む。左側に、中山道で最大規模の本陣で問屋も兼ねていた岩波本陣跡がある。岩波本陣:街道が盛えた頃には下諏訪宿本陣を務めた岩波家。現在も建物の主な部分と庭園が保存され、公開されている。数寄屋造りの建物は素晴らしく、築山庭式石庭園は中山道随一の名園といわれる。

御作田神社 奉納稲田 拝殿 本陣岩波家 関札
和宮使用の道具

本陣跡には建物の半分と中山道随一と言われた庭園が残されている。また1861年(文久元念)和の宮が降嫁時宿泊されたところでもある。その先の丁字路は中山道と甲州街道終点が合流するところ。

岩波本陣庭園 問屋場跡 中山道・甲州街道
合流点
諏訪湖を望む 秋宮鳥居・参道

T字路の左側は、創業300年の聴泉閣かめやの駐車場で、その奥の建物の前に、「下諏訪宿甲州道中・中山道合流之地」碑が立っている。
建物の右端に、「甲州道中終点中山道下諏訪宿問屋場跡」碑、右江戸へ五十三里十一丁、左江戸より五十五里七丁、正面京都へ七十七里三丁と刻まれている。
53里は甲州街道、55里は中山道で、ここまでの両街道距離は約2里(8Km)の差で殆ど同じということになる。
ここで、諏訪大社下社秋宮に立ち寄る。秋宮鳥居、国重要文化財1835年(天保6年)建立神楽殿、丑三っ時枝先を下げて寝入りいびきが聞こえる樹齢6〜7百年の根入りの杉が立っている。

諏訪大社下社秋宮:春宮からも東へほぼ1Kmの地点で、旧中仙道と甲州街道の分岐点の要所に鎮座しています。鳥居を入ってまず目に付く正面の大きな木は根入の杉と呼ばれ樹令は約八百年の御神木である。身長1.7mで青銅製では日本一と言われる狛犬を両脇に従えた神楽殿は三方切妻造りで1835年(天保6年)立川和四郎二代目富昌の作です。御社殿は神楽殿の奥で、二重楼門造りの拝殿と左片拝殿及び右片拝殿が横に並びます。これ等の建物は江戸時代中期の絵図面では帝屋(御門戸屋)及び回廊と記されており、現在の建物は1781年(安永10年)春に立川和四郎初代 富棟の棟梁で落成しました。


秋宮・一之御柱

秋宮・二之御柱
幣拝殿
秋宮・一之御柱

秋宮・二之御柱

根入りの杉

春宮と同じく幣拝殿右手にある一之御柱で左側にはニ之御柱が立てられている。
諏訪大社下社秋宮に参拝し今日の行程は終了・・次回はここがスタートとなる。
「27期高気圧」と呼ばれているこのコースの天気はいつも恵まれている。今回も多少の暑さはあったものの快適な街道歩きであった。
 


今日のコースは
樋橋茶屋本陣跡碑→深沢橋→樋橋一里塚跡碑→町屋敷→木落とし坂→落合橋→注連掛広場→下諏訪宿→諏訪大社春宮→万治の石仏→慈雲寺→一里塚跡碑→御作田社→温泉旅館街→岩波本陣跡→下諏訪宿甲州道中・中山道合流之地碑→諏訪大社下社
 


 
クラブツーリズム 「街道を歩く 中山道69次 第19回 和田峠〜下諏訪宿」 街道案内人 漆原章郎 歴史講師



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2013. 9.12 
浪人塚〜諏訪大社下社秋宮
    歌川広重渓斎英泉とが描いた中山道69次はこちらでどうぞ
行程
   浪人塚  〜  諏訪大社下社秋宮
  13Km