Blowin' in the Wind 2013
                          
いっちゃん中山道を歩く・・
2013. 9.12 
和田峠入口
〜浪人塚
    歌川広重渓斎英泉とが描いた中山道69次はこちらでどうぞ
行程
   和田峠入口  〜  浪人塚
  11Km 
 
  和田峠

:標高1531mで、峠を挟んで東の和田宿と西の下諏訪宿の距離は5里半(約22Km)と長すぎるうえに、峠道は険しく冬季は降雪で人馬ともに想像を絶する厳しい峠越えであったと言われる。
このため峠の途中に人馬のための避難所や西餅屋、東餅屋、接待と呼ばれた茶屋を設けていた。



 コース図は左に地図をクリック(都合でリンクしておりませんしばらくお待ちください)

男女倉の道路標識の先、141号線が右にカーブするところの木立入口に、和田峠登り口が見える。和田峠登り口には「中山道」標柱が2本立ち、その後ろに案内板がある。登り口はすぐ急な上り坂となり、少し進み右側に休憩所がある。

休憩所の隣には鉄柵で囲まれた33体観音が祭られている。中腹の荒廃した熊野権現社前あったものを1973年(昭和48年)に発掘しここに安置したもので、4体は未発見との事である。 5分ほど山道を歩くと「休み茶屋800m」の標識がある。上側「接待800m」下側「男女倉口800m」など、所々に設置されており、距離の入った標識は歩く上での目安になる。「中山道」道標も要所にきちんと建てられていて、道に迷うことはない。

集合:都庁地下駐車場 昼食・田舎御膳 蕎麦の花 峠登り口脇の渓流 和田峠登り口 33体観音

峠頂上までの間に、小川を渡る丸木橋が意外に多く10ヶ所もあった。 登り口から30分ほどのところで、一旦国道142号線に出る。前方に接待茶屋跡の建物(復元)が見え、その先には案内板と常夜灯が建っている。ここが接待茶屋と呼ばれる永代人馬施行所である。

建物の向かいには、「接待湧水水呑場」立札がありビニールホースから水が流れ出ている。
数人の人がペットボトルに水を汲んでいる。

永代人馬施行所:江戸の豪商かせや与平衛門が中山道の旅人の難儀を救おうと幕府に千両を寄付し、その利子で1828年(文政11年)にここと碓氷峠に施行所を設置した。
11月か3月まで峠を越える旅人に粥と焚火、牛馬には年中桶一杯の煮麦を施し、明治3年まで続けられた。
現在の施行所は1852年(嘉永5年)に再建されたもの。
142号線を進み、すぐ先の右にカーブするところで、道標に従い大きな石を跨いで山道に入る。
山道としてはゆったりと広く、草の生えている柔らかい山道で歩きやすい。道の脇にはツリフネソウがさいている。


旧中山道
永代人馬施行所 案内板
常夜灯
ツリフネソウ
街道脇の常夜灯

その先は、左側が崖となって右側が岩葉の狭い道端に「近藤谷一郎巡査殉職の地」碑が建てられている。
近藤谷一郎巡査殉職の地碑:1889年(明治22年)近藤谷一郎巡査が護送中に逃走した犯人を捕まえようとこの付近の谷川で格闘となり、腹部を刺され殉職した。


丸木橋

近藤巡査殉職の地碑

案内標識

街道脇の渓流
石ころの道
丸木橋

5分ほど歩くと右側に避難小屋があり、隣接して水が勢いよく噴出している水飲場があったが、多分飲めるのであろう上流からホースで送られてきている。大きな石ころだらけの歩きにくい道を登り少し歩くと左側に、江戸より52里の「広原一里塚跡」がある。昔は笹と萱が生い茂る広い原につくられた塚で、降雪期には一面雪の原で道が埋もれたとき9m四方のこの塚が旅人の道標となったと案内板にあった。
その先、左側にキャンプ場があり炊事場と屋外トイレが併設されているが水道は止められトイレにも鍵がかかっている。 道はきちんと舗装された石畳となり142号線と合流し左折して進む。4、5分進み、左側に「東餅屋」暖簾の大衆食堂があり、道を挟み右側の石垣上に「東餅屋跡」案内板が見える。ここで缶ビールで一服する。

広原一里塚跡 キャンプ場(街道脇)
ススキ
ベニシジミ 東餅屋跡案内板 現在の東餅屋

中山道最大の難所であった和田峠には、唐沢、西餅屋、樋橋、落合とここ東餅屋に茶屋があり人馬の休息所となっていた。
東餅屋には5軒の茶屋があり名物の餅と売っていたが、寛永年間(1624年〜43年)から幕府より与えられた1軒1扶持(1日玄米5合)で、旅人の救助にあたっていた。
鉄道開通後、5軒の茶店は全て店をたたみ、現在は石垣を残すだけ。その先で142号線は右折し、正面の突当る手前左側の斜めに分かれる細い道を上り、上り切ったら左折してきた142号線を横断し、階段を上って進む。 林の中を進み、左側に赤い矢印の道標がある。先に進むと丸いトンネルの入口が見える。左側に水の流れるトンネルの歩道を進み、出たところで道路に上り、道標に従い左折して左上に142号線ガードレールを見ながら道なりに進む。 数分進み142号線に接近し、右折して数10m国道沿いに進み、道標に従い142号線を横断して反対側に渡る。道標に従い階段を下り、右折して道なりに進み、また142号線を横断して反対側に渡る。

トンネルを潜る
林の中の街道

トリカブト

国道を渡り階段を登る
和田峠を望む 和田峠(古峠

石畳の道を道なりに進み、木立の中を通り、142号線を横断して反対側に渡る。石の階段を上り、道なりに10分弱進み、上り坂の正面が開けて青空が見える。明るい林の坂道を登り切ると、和田峠頂上の古峠1531mである。

江戸時代を通じて諸大名の参勤交代や一般旅人の通行、物資を運搬する牛馬の往来で賑わった。ただ冬季は降雪量も多かったので、峠越えは想像を絶するものがあったと言う。
1876年(明治9年)東餅屋から旧トンネルの上を通って西餅屋へ下る紅葉橋新道が開通してから、この峠を通る人はいなくなったと言われている。
頂上は、長和町と下諏訪町の境界になっている。 峠の広場には、に御嶽山権現碑と馬頭観世音碑が並び、右側にとても小さな賽ノ河原地蔵と扉峠への道の入口がある。峠の下山道は、登り口の反対側の中山道と記載された2本の白杭の間を通る。
道標や標識類は、長和町側の登り道では青い板であったが、下諏訪側の下り道は白杭に変わっている。
巾の狭くなった草むらの道を数10m進むと、道は段差のある急傾斜の岩道で極端に狭くなり、滑らないように注意して下る。斜面が崩れそうな険しいガレ場の道である。
登り道のゆったりとした山道とは雲泥の差である。しばらく道なりに険しい道を下り、うっそうとした左側に全面苔むした仏像、石碑も見える。さらにその先、左側崖渕に人馬の待機所や荷置場であった石小屋跡が残っている。
石小屋:下諏訪側の峠は急坂で風雪のときは旅人も人馬も大変苦労していたと言う。1855年(安政2年)下原村名主勝五郎は避難場所をつくるための援助を奉行所に願い出て、山腹に高さ約2mの石積の壁と屋根をかけた長さ55mの大きな石小屋を作った。現在は石垣の一部を残すのみ。
この辺りでは、周辺は笹が非常に多くなり、猛暑の夏であったが水の流れる道である。その先は、ススキの草むらの中を探しながらあるく道である。


御嶽山権現碑

石碑群

賽の河原地蔵

ガレ場の崖
水飲み場 石小屋跡

延々と歩き続けてようやく142号線への出口が現れ、そこに立っている「←和田峠0.9Km 諏訪大社下社(秋宮)11.1Km→」道標に従い、142号線を横断し、反対側に渡る。道標に従い階段を下り、右折して道なりに進み倒木で遮断された道、水の流れと平行した道を7、8分下り、142号線を横断し、反対側に渡る。

道標に従い道なりに下り、山道を横断する側溝、暗い細い谷道の先は開け、142号線へ出る。手前右側草むらに、小口茶屋本陣など4軒の茶屋があった西餅屋跡碑が建っている。


トリカブト
旧中山道案内板 草叢の街道
苔生した街道
石碑群
西餅屋跡(案内板)

142号線を横断し、反対側に渡る。 道標に従い階段を下り、ゴロゴロする足場の悪い雑木林の岩道を下り、右側に「一里塚跡碑」がひっそりと建っている。一里塚跡碑を過ぎると、道は極端に悪い崖道となり、崖側に傾いた道は歩きづらい。雨や降雪のあったあとは道が崩れそうなところも多々見られる。崖道の連続、片足をつくのがやっとの崩れた石ころ崖道、崩壊した岩石の中を進む道。険しい道を10分ほど下り、142号線に出る。142号線を下り、左側に立っている気温掲示板(15時45分:気温23℃)の先で再度旧道に入る。142号線は下りが1車線、上りが2車線で歩道はなく、下り坂で歩くのは楽であったが、歩く脇すれすれに大型トラックが飛ばして行く。ガードレールにへばりつくように歩く。5分ほど歩くと左側に「水戸浪士の墓0.3km」案内版。すぐ先で左側に分かれる細い道に入り下る。道なりに進み、142号線下トンネルを潜り、擁壁沿いに進み左へカーブするところに公園がある。公園の中央に、順に浪人塚、水戸浪人墓があり、水戸の梅の木が植えられている。
浪人塚:1864年(元治元年)勤皇の志で西行した水戸浪士(天狗党)千余人と松本・諏訪(高島藩)連合軍千余人が戦ったところで、浪士たちは戦士した十数人をここに埋葬して行ったが、高島藩は塚を作って祀った。
墓には当時、水戸藩に照会して名前のわかった6柱が刻まれている。
遺族と関係者は、塚を史跡として保存している下諏訪町と今でも清掃奉仕して塚を慰霊してくれる樋橋組の人たちに感謝して、この地に水戸の梅の木を献木した。

一里塚跡碑
岩道
岩道から林の中へ 浪士塚 水戸藩士の墓(浪士塚)
水戸藩献木の梅

公園前のもう一つの142号線下のトンネルを潜り、芙蓉パーライト会社の前を通り、突当りで左折して道なりに下る。しばらく進み、142号線と再度合流したところが今日のゴールである。

宿は上諏訪、REKO華乃井ホテル・・お湯自慢の宿である。14時30分過ぎにチェックイン。ゆっくりと温泉に浸かり、湯上りのビールと冷酒・・極楽である。 


今日のコースは
和田峠登り口→休憩所→33体観音→旧愁の茶屋→接待湧水仮設水呑場(永代人馬施行所)→近藤谷一郎巡査 殉職の地」碑→
 避難小屋→広原一里塚跡→キャンプ場→石畳→東餅屋→トンネル→石畳の道→和田峠頂上古峠→岩道→石像(仏像)→石小屋跡西餅屋跡碑→
 一里塚跡碑→気温表示板→浪人塚(水戸藩士の墓)



 クラブツーリズム 「街道を歩く 中山道69次 第19回 和田峠〜下諏訪宿」 街道案内人 漆原章郎 歴史講師

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