Blowin' in the Wind 2013
                          
いっちゃん中山道を歩く・・
 行程
   長久保  〜  和田宿
  11Km  
  和田宿
 標高820mの高地に1603年(慶長7年)につくられた江戸日本橋から28番目の宿場で、中山道最大の難所和田峠の東口
 にあり、参勤交代の大名も必ず宿泊した。1861年(文久元年)3月大火で本陣など焼失したが、その年の11月に皇女和宮
 が宿泊予定のため、昼夜兼行で再建して無事迎えることができた。ちなみに皇女和宮一行は4日間で延べ8万人が通ったと
 いう。現在も本陣、脇本陣、旅館など当時の姿を残して保存されている。
 本陣1軒、脇本陣2軒。


 コース図は左に地図をクリック

昨日のゴール地点が今日のスタート地点である。道路左側に石碑群・・この1Km弱の区間には石碑が多い。
その先の道の左側トンネル(地下道)入口は前方の右側トンネル(地下道)出口と地下でつながっている。わずか6、7m巾の、しかも平日の今でさえほとんど車が通らない道路を横断する地下トンネル(地下道)とは・・通学用の地下トンネル(地下道)とのこと。
両方の入口にある「←笠取峠 東餅屋(和田峠)地下道をくぐる」との標識まで付いている。

石碑群
地下歩道があった

若宮神社と樹木群
若宮神社の森
一里塚跡の碑
「是より和田宿」石碑

左側トンネル(地下道)入口の後ろの、道路より一段低いところに若宮八幡神社がある。若宮八幡神社の祭神は仁徳天皇で、本殿は1721年(享保6年)建立された。境内には、1555年(天文23年武田信玄に敗れた和田城主大井信定父子の首が埋葬されている。
その先、左側に江戸から49番目の真新しい一里塚跡碑(平成7年建立)が建てられている。15分程続く緩やかな坂道を登りつめたT字路で、右折は和田小・中学校方向の標識があり、そこに「是より和田宿」の巨大な石碑がたっている。 


石碑から和田宿方面

神社の鳥居
(和田中学校)

和田神社

樹齢350年・大欅

菩提寺・石柱

六地蔵

「是より和田宿」石碑に、和田宿の宿場風景を思いつつ先へ進む。和田小学校から続く通りの両側には、手入れの行き届いた樹木が並ぶ、生垣、庭の樹木も美しい。その先、右側の和田中学校校庭入口階段脇の鳥居の先に本殿がない。学校を作る時「障害となり本殿を他へ移したのだろうか」との話が出たが、本殿の移設という事はあまり聞いたことがない。
その先には、絶え間なく流れでている、水飲み場があり、しばらく進むと、おしゃれな和田の原バス停・・長久保宿の外れからお洒落な、ユニークな豪奢なバス停が並んでいる。ゆるい坂を上り和田八幡宮角の三叉路を右折し境内沿いに進む。この辺りが宿場の入口となる。
和田八幡宮は、和田城主大井氏居館の鬼門除けに造られたという伝承があり、拝殿・本殿前には幹径約2.5m、樹齢350年の欅の大木が空に向かって聳え立ち圧倒される。

菩提寺本堂 菩提寺石碑・庚申塔 双体道祖神 追川橋 和田宿町並 資料館河内屋

道なりにゆるく左にカーブして進み、4、5分先の右手の道を入ると創建開山は平安時代、本尊には愛染明王の菩薩寺がある。山門の先にはとても古い六地蔵があり、寺の歴史を語っていた。
手に見える火の見櫓は宿場中心手前にあるもの。火の見櫓の下には向って右から和田新田バス停、水飲み場、やさしく手を取り合う双体道祖神が並んでいる。
その先、追川にかかる追川橋を渡ると出桁造りの家並みの風景が目に入り、宿場通り中心に入る。

橋を渡りすぐ右側の出桁造り出格子の2階建ての建物は復元された旅籠「河内屋」で、和田宿建物の代表的遺構で江戸末期建築様式をよく伝えている。現在は「歴史の道資料館河内屋」として公開している。ここでは館主の当時の旅籠の 成立ち、間取りなどを聞きながら説明を聞きながらじっくりと見物することができた。

黒耀石資料館 黒耀石 ナイフ形石器 河内屋資料館 上座・床の間
行燈

この奥には和田峠で産出された黒耀石石器の資料館がある。火山の溶岩の成分なのか、噴火の時の条件か・・黒く光る美しい石である。
何よりも嬉しいのは撮影OKという事だ・・旅行評論家などで、いろいろと(写真撮影に精魂を使う事はない・・などと)言う人はいるがあとでゆっくりと撮影した画像を楽しみ、記録として残すのも一つの楽しみでもある。


2階客間

当時の店の看板

隠し部屋(閉めた状態)

隠し部屋(開けた状態)

大黒屋
大黒屋

その先右側にも同じような美しい建物が並ぶ。道を挟んで反対側の左側に、山本屋問屋跡(大黒屋)、続いて左側に、とても立派な白壁土蔵の(穀屋)建物が見える。


客間と使用人部屋
(中2階)
広間 旧家
(石垣の高さが当時に街道の位置)
新定寺 本堂
釈迦如来立像
(青銅・本堂前))

その先右側にも同じような美しい建物が並ぶ。道を挟んで反対側の左側に、山本屋問屋跡(大黒屋)、続いて左側に、とても立派な白壁土蔵の(穀屋)建物が見える。穀屋の正面の路地を行くと天文22年(1553年)当時の和田城主大井定信の菩提を弔うために建てられ、江戸時代になると京都二条城の祈願所、例幣使、諸大名の参拝した新定寺がある。新定寺には釈迦如来像、本堂の額など寺宝が多くある。


寺の窓

開版(かいぱん)
食事処
かあちゃん家
長井本陣跡・冠木門
御入門(御成門)

御入門(御成門)

元に戻り、先に進むと交差点の右角には食事処の羽田野(かあちゃん家はお休みでした)、左角には平成元年に復元された長井本陣跡がある。本陣は1861年(文久元年)3月大火で焼失したが、同年11月皇女和宮降嫁にそなえ直ちに再建された。


玄関
三の間から上座を 上座・床の間 屏風 和宮の詠歌 屋根(主屋)

本陣の建物内部と展示品の一部。

宿場祭り(写真) 皇女和宮(中央) 和宮下向日程 宿泊宿駅名 宿駅・警備一覧
明治11年・和田宿

ここでも館内の案内を聞きながら当時のまま残る本陣の中を見学できた。皇女和宮関連の資料は見るべきものが多かった。

交差点の先左側に、本陣・名主をつとめた長井氏の屋敷を改築した「中山道和田宿御宿本」と書かれた看板の下がる「なが井」がある。昔の庄屋であり、旅館として営業していたが、現在は営業を停止している。

道を挟んだ右側の公園に隣接して、翠川脇本陣跡があり1861年(文久元年)に大火の後、再建した当時の御殿が現存(現住)している。その先には質屋、両替商を営んでいた、現在は酒屋の「よろずや」と町並が続く、ゆるい上り勾配が続く宿場通りの正面には常に山波が見える。両側に並ぶ住宅・商店の建物には屋号の看板が取り付けられている。

和田郵便局 信号機
(英文字記載)
本陣前から 米屋鉄五郎 翠川脇本陣跡 なが井本亭

先に進み右側の上町バス停脇に、高札場跡がある。高札は、法度・次宿までの駄賃定書・犯罪人の罪状などを記し人々に周知徹底させるためのもので、旅人はここでは笠などかぶりものをとる習わしがあった。
この高札場に掲げられた高札は画像を拡大すると、次のように少なく、頻繁に架け替えるものではなかったようである。
「1711年 (正徳元年)5月 定6枚」 「1721年 (享保6年)2月 定1枚」 「 1721年(享保6年) 7月 定1枚」 「1770年 (明和7年) 4月 定1枚」である。

よろずや 高札場 一里塚跡・道標 中山道 追川・川面
寛政の双体道祖神

その先、左側には双体道祖神が立ち、右側には馬頭観世音と宿場の名残を思わせる。高札場から約1Kmの和田鍛冶交差点で、国道142号線に出る。142号線を横断したところに「江戸より50里 中山道一里塚跡」碑「左松澤歩道 右諏訪街道」道標がある。
右折しすぐ道は2つになり、中山道は142号線と分かれ左手の細い道に入り大出集落に進む。
2分ほど進み、大出バス停前で左に分かれる道に入り、川沿いに進む。道路の脇、下を流れる川の水音が涼しさを呼ぶ。5分程で142号線に合流し、左折してまっすぐな道を進む。
歩道のない幹線道路(意外と狭い道路)はトラックなどが側線ぎりぎりにスピードを上げ走るのでTD(ツアーディレクター)さんの「後ろから車〜」の叫び声が響く・・

ちょっと一服
花と蝶

ちょっと一服
一之橋 山栗 道標(古道案内板) 古道(坂上から)

142号線を10数分進み、左側ドライブイン杉の屋の入口に牛宿バス停、出口側に自動販売機の列が並ぶ、ドライブインの前の木立に隠れ「寛政(1879年〜1901年)の双体道祖神」がある。街道の案内書には掲載されているようだが言われないと見過ごしてしまいそう。

その先、左側「ドライブイン和田宿」入口に、茅葺の扉峠口バス停、さらに5分ほど歩くと、依田川にかかる一之橋を渡り進む。橋から200mほどのところで、左側の山の方へ上る細い道があり、登り口には「中山道→」道標があり、山道を指している。


古道

林の中の古道

石畳

木洩れ日
一里塚(南塚) 唐沢一里塚

この山道は古中山道で、旧中山道は142号線を進む。左の古中山道に入る、急坂である。上りきると左カーブとなり、その先、林に入るとすぐに分岐があり、案内板に従い右に入る。部分的に朽ちかけた橋を一人ずつ渡る。すぐ先を道なりに左に曲がると木洩れ日の美しい山道となる。
7、8分の所に現存する唯一の両塚の残る「唐沢一里塚」に着く。
高い所にあったため道路造成、拡張に影響されなかったのであろう当時の姿のまま両塚が残っている。


一里塚碑(黒耀石)
旧中山道 和田峠登山口 和田峠へ 和田・広重画 和田峠
明治11年写真

一里塚を後にして、古中山道は急坂を下りる。142号線への出口に黒耀石で造られた、江戸より51里の「唐沢一里塚跡碑」立っている。
産地ならではの立派な一里塚碑である。

さらに5分ほど歩いたところに和田川にかかる二之橋を渡る。道路工事中であった。「300m先142号線分岐」の交通標識が、その先の「男女倉口標高1100m」の標識のところに立っている。「右折東餅屋(和田峠)3.5Kkm」道標に従い、前方分岐点で右手の142号線を誘導に従い進む。
141号線が右にカーブするところの木立の入口に、和田峠登り口が見える。
和田峠登り口には「中山道」標柱が2本立ち、その後ろに案内板がある。登り口は、すぐ急な上り坂となっている。

 

今日のコースは 石碑群→地下歩道→若宮八幡神社→和田宿石碑→和田小中学校前→和田八幡宮→火の見櫓→水飲み場→道祖神→追川橋→
 河内屋・黒耀石石器資料館→大黒屋→穀屋→新定寺→羽田野屋→長井本陣跡→なが井→翠川脇本陣跡→よろずや→高札場跡→和田鍛冶交差点→
 夫婦道祖神→和田鍛冶足交差点→中山道一里塚跡碑→道標→ドライブイン杉の屋・寛政の道祖神→ドライブイン和田宿→一之橋→中山道道標→
 古中山道→唐沢一里塚跡碑→二之橋→和田峠入口



 クラブツーリズム 「街道を歩く 中山道69次 第18回 長久保宿〜和田宿」 街道案内人 漆原章郎 歴史講師

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2013. 7.26 長久保和田宿    歌川広重渓斎英泉とが描いた中山道69次はこちらでどうぞ