Blowin' in the Wind 2013
                          
いっちゃん中山道を歩く・・
 行程
   笠取峠松並木  〜  長久保宿
  11Km  

笠取峠松並木公園の142号線に面したところに大きな道祖神があり、ここが今回のスタート地点である。 公園を出たところで国道142号線を横断(注意!横断歩道なし)し、整備された松並木のゆるい上り坂を進み、突当りで国道142号線と合流して左折する。

笠森峠松並木公園
笠森峠松並木

一里塚・枝垂桜

笠取峠一里塚

双体道祖神

一里塚碑

142号線(旧街道)は上り坂が延々と続く単調な道で、1Km程進んだ右側斜面に笠取峠一里塚跡碑が立ち、大きな枝垂桜の下には仲良く寄り添う双体道祖神がある。この辺りには赤松が美しい姿を見せ、現在も多数残っている。
坂を登ると、その先に「長和町」標識が見える。標高900mの笠取峠頂上であり、立科町との境界となる。

峠の名の由来は・・昔、「旅人が上り坂で暑さと疲れのあまり笠を取ってしまう」また「風の強い所で傘を飛ばされてしまう」ことから、笠取峠と呼ばれるようになったと言う。

峠乃茶屋
金名水案内板

銀名水案内板

学者村(別荘案内)
立場図版木 古中山道案内板

ここからは下り坂の142号線で、すぐ右側に現在の峠乃茶屋があり、坂の左側の林の斜面を数m上ったところに、金名水標柱と銀名水標柱の2つ案内標柱(木製)が立っている。昔の峠の立場茶屋小松屋の名水の跡で、現在は枯れて水はない。
その先のY字路の中央に「学者村」と書かれた大きな碑が堂々と建っている。学者村はこの辺りの別荘地の名称だそうだ。峠の頂上から200m程下った右側に「旧中山道笠取峠」と書かれた笠取峠碑(木柱)が立っている。その先の右側の擁壁には巨大な広重の絵と脇に釜鳴屋保存「笠取峠立場図版木」が掲示されている。

古中山道・草道 古中山道
中山道原道標柱

うばゆり

木洩れ日の古道

枝垂桜の巨木

中山道・・一日中山の中・・ 中山道(古道・原道)は、現在の国道142号線と旧国道に挟まれた雑木林の中を進むことになる。

「中山道原道」道標が立っているところが旧中山道の入口となっている。ヒグラシの声を聞き、木洩れ日の坂道を下り、うばゆりの群生を見ながら雑木林の中を進むと、先ほどの旧国道に出る。旧国道に出たところには枝垂桜の巨木が聳えている。見事な樹形で花の時期には素晴らしい姿であろうと想像する。
旧国道を左折し、すぐ右へターンして坂を下り、 突当りで再度ターンして左折して下ると、左側に馬頭観世音と野仏が並んでいる。
突当り手前右側のガードレールが切れたところに「中山道原道」道標があり、ここから下る。草むら道を進み、道標に従い左折する、再度旧国道に出る。旧国道を右折して坂道を下り続け、突当りで国道142号線と合流し、右折して坂を下る。その先の左にゆるくカーブするところで、中山道は142号線と分かれ右手の細い道を進む。のどかな道を下り、上五十鈴川橋を渡り、道なりに右にカーブして下る。


林の中の案内板

ヒグラシ鳴く・・

中山道・東下り側
峠の途中から 酒造守護・若宮神社
しめ縄

142号線を左手に見て、並行になるところの左側に「長久保宿」標柱が立ち、ここから宿場に入る。ゆるい坂道のガードレール下には「中山道」の小さな標識があり、民家の前の道を下ると旧道を渡り、右手下に酒造守護の神として尊信篤い松尾神社がある。
このあたりから長久保宿へと入る。

若宮神社・石造りの宮
若宮神社鳥居
長久保宿 吾一庵
軒先のの荷車

行燈

ゆるい坂道を下ると長久保宿の中心、堅町に入る。左側には明治初期に建てられ、軒先に荷車の置かれた資料館吾一庵がある。当時の道具、養蚕を伝える道具、寄付・奥座敷、2階の展示室を見学できる。


奥座敷・床の間

能面

能面
宿場の町並 歴史資料館
一福処濱屋
暖簾

その先、右側には明治初期に旅籠として建てられた一福処「濱屋」がある。現在は無人で出入り自由の無料休憩所を兼ねる民俗資料館で、畳部屋、水飲み場、トイレなどが整備されている。


旅装束

蓑笠

旅装束(武士)
長久保本陣・石合家 鳴釜屋
脇本陣跡

右側に、1624年頃(寛永年間)建築され中山道最古の表門、御殿が現存する石合本陣跡である。
その先、右側に江戸時代の商家(造り酒屋)の釜鳴屋があり、屋根に当時の本卯建が残る。釜鳴屋には、笠取峠斜面に建てられた江戸期の立場茶屋の様子が描かれた版木が保存されていると案内にある。

古久屋
鳴釜屋

問屋跡

道標
旅館濱田屋 山田屋

鳴釜屋の斜向かいには問屋であった小林家の住宅(現住)がある。宿場通りは正面で突当る、突当りの右角に、「中山道 長久保宿 左ぜんこうじ」道標が立っている。現在も旅館を営んでいる濱田屋左折して横町の宿場通りを進む。両側に当時のものらしい出格子建物が残る道を進み、左側の路地の坂を登ると江戸時代末期建立、八角の輪蔵のある長安寺が国道を渡った先に建っている。葬儀を碑抱えているにも係わらず説明、接待をしていただいた。


庚申塔

長安寺参道・山門
本堂 長安寺・輪蔵 辰野屋 中山道一里塚跡

感謝・感謝である。元の道に戻る。左側には旅籠(辰野屋)の竹重家の出格子の建物、長久保宿の建物にはそれぞれ屋号の看板が出されている。その先、右側の横町鍵の手を進む。小道を右折し、突当りを左折して進む。ここは桝形道となっている。先ほどの道と合流し、長久保交差点では、左手の下諏訪方向の道を進む。長久保交差点から数分の右側に入る細い道の先にある「四泊一里塚跡案内板」が、なぜか142号線を向いて表示されている。


旧中山道
落合橋(落合川) 五十鈴川 水明の里 水明の里・石碑群 バス停

142号線を進み、一里塚から5、6分ほどのところで、「左折152号線諏訪・白樺湖 右折142号線岡谷」交通標識があり、その先のガソリンスタンド前の大和橋信号で、左折し152号線を進む。152号線を200mほど進み綿屋工業工場前で、大門川にかかる落合橋を渡る。
その先、依田川にかかる橋を渡り、道標に従い左折して依田川沿いに進み、突当りで国道142号線に出て左折し、ガソリンスタンド前を進み、青原丁字路で142号線と分かれ、公園沿いに右折する。よく整備された公園入口には、「水明の里」碑がある。


常夜灯・石碑・庚申塔・祠

馬頭観音

みみず双体道祖神
説明板
水飲み場

カンゾウ

たくさんの石碑が並ぶ公園沿いに左にカーブし、車や人の通らない快適な道は依田川と並行に進む。しばらく進み、その先左側中組公民館手前に石碑群があり、天王夜塔の後ろに宝暦二年(1752年)と刻まれた西国三十三ヶ所碑が立っている。
続いて右側に大きな馬頭観世音、さらに左側に、この地の住民の希望で最近造られたメス・オス2体のミミズ碑が建っている。その先、左側にいろいろな石碑が並び、左から順に馬頭観世音、大乗妙典、南無阿弥陀佛、大乗妙典、庚申、三千僧接待碑、祠と並んで立っている。

野仏・常夜灯 石碑・三千僧接待碑 上立場バス停 石碑・獅子舞道祖神 獅子舞道祖神(拡大) 羽田孜元総理大臣生家

三千僧接待碑:慈眼寺境内に建立したものを1795年(寛政7年)にこの地に移された。諸国遍歴の一千人の僧侶への供養接待と発願し、達成したので二千人増の三千人として再発願した。碑の一番上の三の字のバランスが悪い・・「一」の字に後から「二」を刻んで「三」としてあるという。
ゆるい上り勾配の歩道を進む。立派なバス停を2つ、3つと過ぎたところが今日のゴールである。



今日のコースは 松並木公園→松並木→一里塚跡碑・夫婦道祖神→笠取峠→笠取峠碑→峠乃茶屋→金名水・銀名水標柱→笠取峠立場図版木→
 中山道原道・道標→枝垂桜巨木→馬頭観世音・野仏→上五十鈴川橋→松尾神社→長久保宿→吾一庵→一服処「濱屋」→石合本陣跡→釜鳴屋→ 
 問屋→道標→長安寺→辰野屋→桝形道→長久保交差点→四泊一里塚跡案内板→大和橋交差点→落合橋(大門川)→依田川→青原丁字路→
 「水明の里」碑→石碑群→中組公民館→馬頭観世音→ミミズ道祖神→馬頭観世音・三千僧接待碑、石碑・祠群



 クラブツーリズム 「街道を歩く 中山道69次 第18回 長久保宿〜和田宿」 街道案内人 漆原章郎 歴史講師

                                                 和田宿へ

2013. 7.25 笠取峠松並木長久保宿    歌川広重渓斎英泉とが描いた中山道69次はこちらでどうぞ
   長久保宿

 旅籠が43軒と多いのは東に笠取峠、西に和田峠を控えていたことと、大門道と北国脇街道往還の分岐点があった。
 宿場通りは、当初本陣のある堅町が中心であったが、その後発展とともに横町が形成され、
字型の珍しい宿場となった。
 本陣:1軒 脇本陣:1軒

 コース図は左に地図をクリック