注:この地図の寺社・旧跡、名所等の位置は目安です。
   実際の位置は街道地図、現地案内板等で確認してください。
Blowin' in the Wind 2013
                          
いっちゃん中山道を歩く・・
 行程
   望月宿  〜  笠取峠松並木
  9Km  
            [芦田宿]


望月歴史民俗資料館
表門

望月歴史民俗資料館

御本陣
山城屋 脇御本陣
下駄の看板春美屋

城光院:寺の創建は1475文明7年)、当時の領主望月光恒が開基となり南浦宗清和尚を招いて開山したのが始まりと伝えられています。
境内背後は居城となった望月城で城光院は歴代望月氏の菩提寺として庇護されました。寺宝である本尊阿弥陀如来坐像は室町時代初期に制作、善淵王像(望月氏の祖)は安永年間に制作されたもので本堂は享和年間に再建されたものです。境内に安置されている石造庚申塔、石造十王像(10尊)、石造宝篋院塔(4基)はいずれも佐久市指定有形文化財に指定されています。

曹洞宗の古刹であり、本堂は享和年間(1801年〜1804年)建立である。


重文・真山家
鹿曲川 城・山門浄光寺
庚申塔
庭園 十王像

鹿曲川にかかる城下橋を渡り元の街道に戻り右折し直進する。宿場外れの左側に、毎年8月15日に天下の奇祭勇壮な火祭り「榊祭り」を執り行う由緒ある大伴神社がある。


本堂天井の墨絵
石造宝篋院塔
大伴神社・鳥居
大伴神社・拝殿
馬頭観音
石碑のある風景

その先の坂を上り、途中から右に分かれる道を上り、続く分かれ道は左手を進む。突当りの丁字路を左折し、続く丁字路を右折し、御桐谷信号三叉路を直進して坂を下り、次の御桐谷西交差点を横断して逆方向の向かう坂を案内板従い上る。上りきると田園風景が続く、公園を過ぎると、急坂が待っていた。

緑の山道を道なりに上り、国道142号線ガード下を潜り、さらに上り「しなの山林美術館」看板の立つ丁字路で、右手の望月宿西入口信号からくる県道148号線と合流して直進する。左側には「右 御巡見道」の石碑が立っている。


旧中山道・急坂
御巡見道碑 双体道祖神
石仏

赤松が美しい
間の宿・茂田井遠望

巡見使(巡見道):江戸時代、徳川幕府が各藩監察のため巡見使を派遣した。全国を6地方、後には8地方に分け、幕臣で千石以上の者1名を正使とし、副使として2名、計3名の巡見使の他、従者が30〜45名の編成で諸国を廻ったとされ、巡見の結果は、「美政、中美政、中悪政、悪政」の四段階評価で報告された。「悪政」と評価され改易となった例もあった。この巡見使が通った道を巡見道と言った。
左側の空き地は小学校があったそうだが現在は廃校となっている。少し上り右側の武重歯科医院辺りが坂の頂上で、その先で左にカーブする。3分ほど進み、左側観音寺入口バス停の左手山道上り口に「歴史をひらくはじめの家」看板がある。坂を下り右手下に大きな池があり、2分ほど歩いた先の分岐、左側に「中山道茂田井入口」案内板のある坂道を下り、5分ほどで神明社の鳥居を右に見て、間の宿茂田井宿に入る。


神明社・参道
旧中山道
武重酒造

路地の水路

武重酒造・杉玉
牧水歌碑

坂を下った先、前方に白壁土蔵に白塀の宿場の光景がひらける。上り坂となり、国の登録有形文化財「武重家住宅及び武重本家酒造」建造物30棟が並ぶ宿場通りである。

道の反対左側の用水路脇に、酒仙の歌人として知られている若山牧水の歌碑に3首が刻まれている。 

  「よき酒と ひとのいふなる 御園竹 われもけふ飲みつ よしと思へり」
  「しらたまの 歯にしみとほる 秋の夜の 酒はしづかに 飲むべかりけり」
  「ひとの世に たのしみ多し 然れども 酒なしにして なにの楽しみ」
当時の街道・宿場情緒が色濃く残る、とても素晴らしく美しい通りは急坂となり、坂の途中、右側の白壁の建物群は大澤酒造で、中ほどに杉玉が吊るされた入口となっている。


街道の風景
白壁の建物群 望月宿
大澤酒造・杉玉
大澤酒造 試飲用のお酒

大澤酒造:この地の造り酒屋で代々茂田井村の名主を務めていた。酒蔵を改造して酒造りや街道文化の資料を展示している「大澤酒造民俗資料館」大沢邦雄画伯を中心とした「しなの山林美術館」 を無料で公開している。

銘酒の徳利
能面(資料館)

古酒の徳利
しなの山林美術館
(絵画)
しなの山林美術館
(絵画)
しなの山林美術館
(書)

銘柄としては明鏡止水・勢起・信濃のかたりべ・大吉野・善光寺秘蔵酒・善光寺街道、甘酒などがありこのすべてを試飲させていただいた。
試飲会場には酒の歴史、代々の総理大臣の「国酒」と書かれた色紙が飾られ、2階には酒に係わる美術品等が展示されている。
別棟のしなの山林美術館には水彩から油絵、書が数多く展示され公開(無料)されている。


高札場跡
街道の風景
美しい塀
宿場のはずれ
馬頭観音(倒れそう)

石割坂

大澤酒造の塀の外れに、高札場跡案内版、素晴らしい建物が並ぶ通りの坂を上がり、佐久市から立科町に入り交差点を直進し、坂を上がり、白壁土蔵の建物を見ながらの下り坂となる。その先の上り坂となる左側の丁字路は無量寺への参道である。入口には何故か危なく傾いている巨大「馬頭観世音」碑がある。さらにゆるい坂を上り続け、急坂の石割坂を上る。上り切った左側に「中山道茂田井一里塚跡」案内板が立っている、奥に土を盛り上げた一里塚跡(たぶん・・イミテーション)らしき物がある。さらに進み、ゆるい下り坂となる。
突当りで左手からの道と合流、右折して坂を上る。右手その先で下り坂となり、途中、右側丘の上に一基「三界無縁仏供養塔」が立っている。
その先道なりに下る。その先の芦田川に架かる芦田橋(小さな橋)を渡る.


石割坂(上から)

句碑
茂田井一里塚跡 佐久平から
浅間山方面

三界無縁仏供養塔

芦田宿・木戸(入口)

芦田宿:日本橋から26番目の宿場で、難所であった笠取峠の東の入口にあり中山道が整備される4年前の1597年(慶長2年)に設立した。当時、旅籠だった「土屋」は旅館として現存している。
1602年(慶長7年)小諸藩により、芦田宿外れから笠取峠頂上まで赤松が753本植えられたが、現在は殆ど枯死して約1Kmの間に100本ほど残り長野県天然記念物となっている。
本陣:1軒 脇本陣:2軒 


女戦士の像
(中山道とは無関係)

手造りの案内板
味噌醤油・酢屋

土屋本陣(現住)表門
土屋本陣 表門から

頭上に「左折白樺湖、直進下諏訪・上田、右折畦田」交通標識が見える。すぐ先の中居信号交差点の左角に大きな「中山道芦田宿」灯篭に「これより芦田宿」標識がある。交差点を渡った先の歩道に何故か・・鎧をまとった女戦士の像が・・棟の大きさに思わずシャッターを押す。
県道40号線を横断し、いよいよ芦田宿へ入り、右側に石碑、道祖神が見える。道はゆるい下り坂となり、続いて上り坂途中の右側にひときわ目立つ白亜のビル「ふるさと交流館芦田宿」。坂を上りきったところに芦田中央交差点、この辺りが芦田宿の中心だったようである。交差点の手前右角に、土屋本陣があり瓦葺屋根に鯱鉾が天高くそびえている。講師の熱意とご当主のご好意により本陣内部を解放してくれた。

庭園 控の間・床の間 上座・床の間
宿札
宿札 食器・絵皿

門を入り、1800年(寛政12年)に再建された本陣御殿(客室)は県宝で、往時をそのまま伝える建物は中山道唯一といわれ、大名の宿泊を今に伝える「宿帳」、皇女和宮の降嫁(こうか)の際には昼食をとった所でもあり、書院造の上間、和宮一行を記した木板、武田二十四将の図などたくさんの貴重な物を見せて(写真撮影もOK)いただいた。この格式のある本陣は、これまで見た本陣の中でも指折りのものである。

本陣土屋家:芦田宿が設置されたとき開発に従事した名主で問屋も兼ね、本陣として明治に至るまで代々務めた。

武田二十四将図
大広間
和宮同行衆名簿
(板に墨書き)
和宮同行衆名簿
(板に墨書き)
本陣母屋 土屋本陣全景

道を挟んで反対側駐車場の奥の民家の前に、脇本陣跡標柱があり、交差点を横断した左角の藤屋商店前に、脇本陣跡標柱がある。
道を挟んで反対側に、当時の「味噌・醤油酢屋茂」看板をかかげた昔の面影を残す商家。 その先左側に、軒下に当時の旅籠「土屋」看板残す現役の金丸土屋旅館がある。

脇本陣(藤田屋商店) 宿場風景
金丸土屋旅館跡
牛宿

宿場通りはまっすぐでゆるい上り勾配、芦田交差点を過ぎ民家の切れた右側の土盛畑の角に、石碑の風化が歴史を語る夫婦道祖神があり、坂を上り切りしばらく進み、左側丁字路角の建物の裏側に、「中山道芦田宿入口」標柱がみえる。その先の信号のない交差点で国道142号線を横断し、国道254号線となった道を進む。
牛宿:
中山道も「塩の道」があり、塩を運んだのは馬よりも牛の方が多かったという。その理由は、耐久力の差もあるが、馬にはエサを与えなければならないし、夜も馬宿に入れなければならなかったが、牛は道端に生えた草を食わせればよいし(これが「道草」である)牛は宿がなくてもごろりと横になって寝てくれるので野宿が可能だったというわけだ。馬は宿場ごとに取り替える必要があるが、牛は「通し」で運ばせることができたから手間がかからなかった。牛宿は牛がとまるのではなくその飼い主がとまった所である)


双体道祖神
宿場の出口(木戸)
笠取峠常夜灯

双体道祖神(旅姿)

歌碑
松並木入口

すぐ254号線は右折するが、中山道は254号線と分かれて左折し、国道142号線と並行に進む。
分かれる道の左側に、旅姿の仲睦ましい夫婦道祖神。すぐ先で、「笠取峠の松並木」標柱と「車進入禁止」交通標識が立ち、分離帯のある道となる。少し進み松並木が1Km続き、左側の松並木公園に沿ってかつての街道を偲んで進む。 松並木公園の終わりには、屋根とベンチのある休憩所、乾ききった喉を潤してくれた、水飲み場は、江戸時代笠取峠の立場茶屋小松屋にあった金明水の泉を模したものである。


赤松松並木
牧水歌碑 赤松松並木

現在は湧き出る水も少なくよどんでいる。142号線に面した左側には巨大な道祖神があり、右側には「従是東小諸領」の石碑(レプリカ:当時の物は土屋本陣にある)が立っている。今日の街道歩きはここがゴールである。

この後、バス移動で立科にある津金寺に立寄る。


道祖神

領界石碑
津金寺・仁王門
腰掛石・兜掛松

仁王(左)

仁王(右)

津金寺:702年(大宝2年)、奈良東大寺の行基菩薩によって、仏教敷衍と学僧育成のために開かれた寺院である。平安・鎌倉時代には「望月の牧」の牧官滋野一族、戦国には武田信玄、江戸に入ってからは小諸藩とのかかわりを持っていた。
仁王門と道路を挟んだ向かいには武田信玄が座ったと言う腰掛石が鎮座し、脱いだ兜をかけたと言う兜掛の松が聳えている。


木造寄木仁王像
かんのんばし
学問杉(樹齢千年)

学問杉

観音堂

武田菱

現在は約18,000坪の境内地に、江戸時代中期の1702年(元禄15年)建立の本堂[観音堂]を中心に10棟余りの堂宇が立ち並び、開山か1,300年の古刹の姿を今に伝えている。

古代東山道沿いに位置する東信濃の学問の拠点で、学僧の養成所でした。観音堂裏山中腹には1220年(鎌倉時代初期)に造立された滋野一族の宝塔三基を始め、境内随所に約700基もの五輪塔や九重層塔・宝筐印塔などが林立している。
また川中島の合戦時武田信玄は右の観音堂に戦勝祈願をしたと言われています。その時に信玄より書状を賜っており、その書状により寺紋に武田菱を使用する事を許されています。


妙見堂

五輪塔

九重層塔

爾野家供養塔

五輪塔群

掘割

大杉は談義所であった当時、比叡山から来た学頭(先生)が記念に植えたものと伝えられ、別名「学問杉」と呼ばれている。妙見堂・仁王門は江戸時代末期に活躍した信濃の名工、立川流一門の建築である。



今日のコースは 望月歴史民俗資料館・御本陣→鷹野脇本陣跡→城光寺→大伴神社→御巡見道碑→神明社→間の宿茂田井宿→武重家住宅・
 武重本家酒造→若山牧水歌碑→大澤酒造・美術館→高札場跡→無量寺入口・馬頭観世音→石割坂→茂田井一里塚跡→芦田橋(芦田川)→
芦田宿
 
ふるさと交流館→土屋本陣脇本陣跡標柱味噌・醤油酢屋茂金丸土屋旅館夫婦道祖神中山道芦田宿入口」標柱夫婦道祖神
 
笠取峠松並木松並木公園道祖神「従是東小諸領」石碑・・バス移動→津金寺


 クラブツーリズム 「街道を歩く 中山道69次 第17回 塩名田宿〜芦田宿」 街道案内人 漆原章郎 歴史講師

                                                    戻る

望月歴史民俗資料館が今日のスタートである。道の反対右側に当時の面影が残る鷹野脇本陣跡、さらに右側に1785年(天明5年)の建築で望月宿最古建物、旅篭と問屋を兼ねていた重要文化財「真山家住宅の大和屋」その先、丁字路を右折して望月氏の菩提寺である城光院に参拝する。
2013. 6.28 望月宿〜笠取峠    歌川広重渓斎英泉とが描いた中山道69次はこちらでどうぞ