Blowin' in the Wind 2013
                          
いっちゃん中山道を歩く・・
2013. 5.26 坂本〜軽井沢宿    歌川広重渓斎英泉とが描いた中山道69次はこちらでどうぞ
 行程
   碓氷峠登り口 〜  軽井沢宿
 12Km  
   [坂本宿]       [旧軽井沢宿]
峠の頂上に群馬県と長野県の県境があり、群馬県側からの旧中山道は安政遠足で整備されて殆ど残されているが、道は急坂あり石場ありで険しい。長野県側の旧中山道は殆ど荒れて、消失している所もある。
玉屋ドライブインより
朝の妙義山

玉屋の女将さん
アプトの道 碓氷峠への道
峠道

旧登が続く
碓氷峠の山道・・時期は新緑・・緑に囲まれた山道であった。登り口から急坂となり、暗い林の中を登る。緑の中を進み、歩いて行く。道端には「安政遠足」道標が短い間隔で立っていて、道に迷わない。道がよく整備されている。

10分ほど登り、石垣跡の前に、碓氷関所の遠見番所で山越えを見張った「堂峰番所跡」案内板が立っている。右手上の大きな鉄塔下を通り、右側が崖の危険標識、濁流の通り道のような谷道、落石注意の標識。危険や落石注意の標識は、峠頂上までのあいだ何度もなんども出てくる。火成岩が冷却・団結するときに柱状に割れて出来た柱状節理岩を左に迂回し、南無阿弥陀仏碑、大日碑、馬頭観音碑などが並ぶ石造物の前を通り、碓氷峠最大の難所と言われる刎石坂へ向かう。

柱状節理の壁
なみあむだぶつ

石碑

馬頭観音

上り地蔵・下り地蔵
覗きからの坂本宿

なお坂本宿の上木戸跡にあった芭蕉碑はこの辺にあったもの。 大きな石ころが転がる崖っぷちの道、石だらけの険しい道の刎石坂を一気に駆け上がる。
刎石坂を登りつめたところに、旅人の安全を見守っている「上り地蔵下り地蔵」案内板が立っている。その先は小さな広場となっていて、ここは「覗」といい坂本宿を眼下に見下ろせる場所で、宿場通りの18号線が一直線に伸びている。登り口から30分ほど経過して、大きな馬頭観音碑、そして溶岩の割れ目から水蒸気で湿った風が噴出している風穴。 薄暗い林の中を進み、右手後に「熊出没注意」標識と弘法大師から教えられて掘ったという弘法井戸があり、安政遠足の給水所になっている所である。林の中を黙々と進む・・刎石茶屋跡と四軒茶屋跡の案内板が並んで立っているが、これは同じもの。ここは刎石山頂であり、昔4軒の茶屋があり現在もその石垣が残っている。刎石山頂上に到達。すぐ先に899年(昌泰2年)群盗取締のため関所が設けられた場所という「碓氷峠関所跡」案内板が立ち、その脇に休憩所があった。


急峻な斜面

馬頭観音

風穴

弘法井戸から
堀切
馬頭観音

休憩所階段脇に、坂本宿2.5Km 熊野神社6.4Km」道標に「あと6.4Km」尾根の上を歩く道が続き、両側が断崖絶壁の道歩く。その先で道が急に細く狭まったところは「堀切」と呼ばれ、1950年(天正18年)豊臣秀吉の小田原攻のとき、松井田城主大道寺駿河守が両側をけずり、掘切り道を狭くして北国勢を防戦した古戦場跡である。

険しい切通の両端のそれぞれの岩の上に、南向(みなみむき)馬頭観世音、次に文化15年(1818年)建立の北向(きたむき)馬頭観世音が建っている。旅人の安全を見守っているのであろう、やさしい顔をしていた。

道は平らになり、左手の山道に入るところに「一里塚」案内板が立っている。


南向観音

北向観音

尾根からの風景

登山道案内
分水嶺
茶屋の県境表示

この山道は慶長以前の旧道東山道で、途中に一里塚がつくられているという。安全柵のある崖道を通り、荒涼たる道を過ぎると小石がころがっている急坂となり「座頭ころがし(釜場)」案内板が立っている。当時は道の事情も悪く大変だったようであるが、現在は他の道にくらべて特に険しいという風には感じない。短い座頭ころがし坂を登り道なりに右折してゆるい坂を登る。まばらな林の平らな道を突当りで道なりに右折し、正面突当りの小さな広場に「栗が原」案内板が立っている。
ここは明治天皇巡行道路と中山道の分かれる場所、巡行道路の位置は講師が説明してくれたが険しい崖である。

その先は地肌が落ちて、木の根がむき出しになっている崖道を歩く・・これまでの景観と違った・ヒバ・杉林に入る。5分ほど進んだ出口の手前右側の高いところに、入道くぼ馬頭観音が建っている。周囲は明るくなり道はゆるい下り坂となり、馬込坂という。その先右側に、「山中茶屋」案内板が立っている。1662年(寛文2年)には13軒の立場茶屋ができ、寺もあったと案内にある。
明治の頃、小学校もできたが、現在は屋敷跡・墓石塔、畑跡などが残っている。その先の側溝のある細い道を登り、別荘分譲のために作られた立派な雍壁(ようへき)・側溝に沿って進む。
雍壁の終わりで右折し、ゆるい坂道の途中に飯くい坂と呼ばれる「山中坂」案内板が立っている。
山中茶屋から子持山の山麓の通りを陣馬が原に向かって登る山中坂は急坂で、坂本宿から登ってきた旅人は空腹では登れず山中茶屋で飯を食って登ったという。


現在はそんなに急とは思えないが、いつまでも続く長い坂である。坂道は正面で突当り、右折してゆるい坂道をさらに登り続ける。この辺りに老婆がいて旅人を苦しめたという「1つ家跡」案内板が立ち、・・老婆と言われるところがいかにもそれらしい。数分先の道の広がったとこの左側に「陣馬が原」案内板が立っている。
この辺りは太平記にある新田方と足利方との合戦、戦国時代の武田方と上杉方の合戦となった古戦場。道の反対側には、「子持山」案内板が立っている。この陣馬が原までの坂道を山中坂という。
なお、旧中山道は陣馬が原案内板脇から左手に下る道で峠の頂上まで続いている。現地にはその案内がない、右側に進む道は和宮道といい、1861年皇女和宮が徳川家茂に嫁ぐために中山道を通ると決まった際に急坂の一部区間を中山道とは別の平易なルートを造り、これを和宮道称している。
ここで一服・・街道で出会った草花たち・・

中山道を歩く会は急坂旧道を歩く。狭く急な坂を10分程登ると比較的広くて殆ど平らな道にでる。すぐ先に「熊野神社1.2Km 坂本宿7.6Km 霧積温泉6.0Km」の安政遠足道標があり、右手の霧積温泉からの道と合流し、左折して熊野神社へ進む。道は平坦でかつ車道となり、「安政遠足ゴールまであと1.0Km」道標を見て、閑静な道を進む。「熊野神社」道標で近い事を認識する。
新緑の中、熊にも蛇にも会わず、程よい汗をかいた山登りであった。道なりに右折し右側に「仁王門跡碑」案内板、続いて国学者関橋守の作が刻まれている、1857年(安政4年)建立の思婦石には「ありし代にかへりみしてふ碓氷山 今も恋しき吾妻路のそら」と刻まれている。

茶屋よリの展望
熊野神社鳥居
本殿:左 長野側
    右 群馬側

五重塔
御神楽
旧中山道(長野側)

その先で左折し、前方が開け2階建の建物が目に入る。碓氷峠山頂に到着。登り口から約3時間30分であった。
道は舗装され最初に目に入るのが「力餅」看板である。食堂と住居の並ぶ道を進み神社鳥居前に到着する。腹ごしらえをしてからの参拝で「しげの屋」さんで力餅と山菜蕎麦の昼食・・ここでも缶ビールを2本・・団子よりビールであった。
参道入口には大きな「安政遠足決勝点」看板が立ち、道中励まされそしてお世話になったことに改めて感謝する。道に反対側には「上信国境」円柱が立ち、要するにここが群馬県と長野県の県境ということと太平洋と日本海の分水嶺である案内板がある。参道階段中心に県境があり、2つの神社がある。しげの屋の玄関脇、「店内にもこれが売り?」と思われるような県境の印が付けてある。
熊野神社は左側が長野県の熊野皇大神社、右側が群馬県の熊野神社。階段を上りきると左側と右側に1688年(元禄元年)建立「石の風車」一対。軽井沢問屋佐藤市右衛門が家紋の源氏車を刻んで奉納したもので、追分節で歌われ有名になったという。


急登を行く

荒れた街道
麓近くに 二手橋 峠行バス ショウ―記念碑

「碓氷峠のあの風車 だれを待つやらくるくると」正面には神社礼拝所があり、賽銭箱も県境を挟んで別々である。
熊野皇大神社境内に、県天然記念物樹齢800年のシナノキ。熊野神社境内に、1354年(分和3年)建立の多重塔がある。突当りで右折すると、車道で旧軽井沢銀座へ降りて行く。ここで見晴台に立ち寄るため左折して進み、碓氷遊覧歩道が記載されている「町内観光案内図」看板前を通る。遊覧歩道入口前を通り、近藤翁寄贈の立派な門を潜り見晴台に進む。
見晴台広場の真ん中に延々と石柱を並べて県境の表示がしてある。展望台の近くに、見晴台一帯の開発者近藤翁頌徳碑が建っている。展望台から見る山々は靄がかかっているものの雄大である。
さきほど登って来た坂本宿側に険しい妙義連山、反対のこれから下る軽井沢の方に雲にかかったなだらかな浅間山が展望できる。
長野県側(下り)下りの旧中山道は消滅して案内板には明治道と碓氷遊歩道」のみの表示である。講師の案内で細く荒れた旧道中山道を歩く、途中には草むら、急坂、水の流れ、ぬかるんだ場所もある。時々覗ける遊歩道を見ながら歩く。旧道から明治道に合流して、峠から1時間ほどで中山道合流点矢ケ崎川にかかる二手橋まで下る。


芭蕉句碑
つるや旅館
道標

脇本陣跡

本陣跡

旧軽バスターミナル


軽井沢宿:江戸日本橋から18番目の宿場で、本陣1、脇本陣4、旅籠は最盛期に100軒もあったとされる中山道で最も栄えた宿場であった。明治後半宣教師ショウにより避暑地として紹介されてから、別荘地や観光地に変貌し、当時の面影を残すものは殆どない。橋を渡り左折し並木の中の県道133号線を進み、右側に軽井沢別荘第一号「ショウハウス」掲示板があり礼拝堂横奥に建物が見える。
同敷地内にアレキサンダー・クロフト・ショウ氏記念碑。

ショウ:カナダ生まれの宣教師で、1886年(明治19年)立ち寄り軽井沢を避暑地として広く紹介し、自らも別荘をたてて現在の軽井沢の基礎を作った。

その先左側に芭蕉150回忌で1843年(天保14年)に建立された「馬をさへ ながむる雪の あした哉」の説明文のある芭蕉句碑がある。軽井沢の宿場通りに入ったと思われる辺りの右側にある「つるや旅館」は当時の茶屋であったが、明治以降旅館となり芥川龍之介、堀辰雄など多くの文人が宿泊したという。

レンガ造通りの両側に低い建物が並ぶ軽井沢銀座に入り、当時の面影は全く残っていない。通りの中ほど左側に井沢観光会館があり、右側に中嶋ジャムがありその辺りが藤本陣跡と聞いたが、それを示すものはない。その先、右側路地の少し奥に明治天皇軽井澤行在所の石碑があり、ここに脇本陣があった。休日で賑わう軽井沢銀座の終わりは三叉路で、旧軽井沢から新軽井沢へ進む。ここが今日のゴールである。旧中山道は県道133号線と分れ直進し、離山通りに入り閑静な通りを進む。23日にスタートした場所である。


今日のコースは18号線(玉屋ドライブイン、浄水場脇)→安政遠足道標→堂峰番所跡→石仏群→柱状節理→ 上り地蔵・下り地蔵→馬頭観音碑→
 弘法井戸→刎石茶屋跡・四軒茶屋跡→刎石山頂上→碓氷峠関所跡→堀切→南向馬頭観世音→北向馬頭観世音→旧東山道一里塚→栗が原→入道くぼ馬頭観音
 →山中茶屋→山中坂→陣場が原→子持山案内板→碓氷貞兼霊社→一つ家跡→碓氷峠山頂→安政遠足決勝点看板→熊野皇大神社・熊野神社→碓氷峠展望台
 →旧中山道→二手橋→旧軽井沢→ショウハウス→軽井沢宿→芭蕉句碑→つるや旅館→軽井沢銀座→軽井沢観光会館→旧軽三叉路

クラブツーリズム 「街道を歩く 中山道69次 第14回 板鼻宿〜安中宿」 街道案内人 大野正實 歴史講師

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注:この地図の寺社・旧跡、名所等の位置は目安です。
   実際の位置は街道地図、現地案内板等で確認してください。

旧中山道は坂本宿からの最初のカーブで18号線と分れ、浄水場下の細い道を直進し、その先のカーブも安政遠足道標に従い、さらに浄水場脇道を進む。
道は極端に細くなり、浄水場のはずれで18号線の高い法面にぶつかり道なりに左折して法面沿いに進牟。
階段を登ると18号線の向うに碓氷峠の登り口が見る。
18号線を横断して登り口に辿り着く。

碓氷峠:標高1180mで中山道では三番目に高い峠である。1000mを越える峠として和田峠(1600m)、鳥居峠(1197m)、塩尻峠(1055m)がある。