中山道69次資料館 (ふくみ)笑い坂 千ヵ滝湯川用水
温水路

大山神社・鳥居

御代田一里塚・入口

御代田一里塚

さらに坂を下り続け、右からの18号線から分かれてきた道と合流、十字路を直進し、擁壁の脇を通り、林の中を進む。追分宿信号から約50分の集落に辿り着く。右手の小路入口に「御代田(みよだ)一里塚入口」の標識があり、民家の間の道の先、右側に当時の姿がそのままと表現できる枝垂桜の御代田一里塚がある。
御代田一里塚:中山道は1602年(慶長7年)に整備され、さらに1635年(寛永12年)に改修された。


御代田一里塚
龍神の館
龍神
浅間山 石碑石仏群
小田井宿入口碑

御代田一里塚は改修前に造成され、改修中山道から約7m離れてしまったので保存状態も良く、地元の人たちの手入れも行き届いている。さらに坂を下り、突当りで地下道を潜り、しなの鉄道線路を横断し反対側に出て、右折すると中山道であるが左側にある龍神の杜公園で小休止・・一服した後は、すぐの栄信号丁字路を左折、住宅街の坂道を下り、その先の交差点を左折する。ゆるい坂道を下り、左側に旧家を見ながら、道なりに右にカーブし、分かれ道は左手を進むと、その先は小田井宿に入る。

御代田・ヒカリゴケ
自生地

小田井城址
浅間山
小田井宿入口碑

おはる地蔵
小田井宿

小田井宿:1601年(慶長7年)頃までに宿場の形態が整えられたが、木曽名所図絵に「駅内二丁ばかり、多く農家にして旅舎少なし、宿悪し」とあり、かなり小さな宿であった。ただ飯盛り女がいなかったことから女性に安心して利用され、大名や公家などが追分宿に宿泊するさい、姫君や側女たちの宿にあてられることが多く「姫の宿」と呼ばれていた。現在も、宿場用水や出桁造り縦格子の家も残る風情ある街並みが残る。
本陣:1軒 脇本陣:1軒 旅籠:5軒

道なりに進み、その先の県道137号線の信号交差点を直進すると横断した右角に、「中山道小田井宿入口」碑、その足元にお椀の舟に乗ったような小さな野仏、さらに筆塚碑が残っている。

直進すれば小田井宿だが左折し、目も眩むような高い橋の架かる谷の両側には藤が綺麗に咲いている。600mほど行った左側に御代田のヒカリゴケ自生地がある。急坂を下り洞穴まで行ったが確認できず・・谷に咲くヤマツツジを見てきた。道路を渡り100m余り行った所に小田井城址の碑と空堀址が見られる。小田井交差点に戻り、上宿地区の道を進むと、左側に真新しいおはる地蔵が空き地の隅に立っている。
 

女傑おはる:安川はるといい、明治36年小田井に生まれた。当初小学校教員をしていたが、その後、高価な肥料が買えない農民に安い肥料を提供したいと艱難辛苦の末、ゴミと人糞から燻炭肥料を作る「安川式肥料燻炭炉」を発明した。ゴミと人糞は200万東京市民から無料で得ることにし、また副産物として高価な7種類の薬品をとれることから、経済的に優れた発明として期待されたが、難病にかかり計画を中断せざるを得なかった。
その後、戦争が激しくなると部下を連れて開拓に入ったり、戦後は小学校の全教室へテレビを寄付したり、上宿区へ共用の花嫁衣装と維持費を寄付したり、地域に大いに貢献した。生涯独身で、一生人々のために献身的な活動をして平成3年89才で永眠した。

その先の右にカーブする辺りが、宿場の東の枡形跡である。カーブの左側に、「中山道小田井宿」案内板と「中山道マップ」案内板がある。宿場通りを少し行き左に入ると創建は永正年代(1510年頃)と伝えられ、開山は幸尊和上、開基は小林伝平で、元禄三年(1690年)の「信州佐久郡小田井町自社御開帳」によると、天正年中期に現在地に移転し、本尊は聖観世音菩薩の宝珠院(ほうしゅいん)がある。境内には護摩堂、鐘楼堂、東屋があり、枝ぶりの見事なアカマツ、枝垂桜の見応えがある。

宝珠院・アカマツ
本堂

鐘楼

月待塔

六地蔵
安川家問屋場跡

街道に出て宿場の右側には、1756年(宝暦6年)改築した客室が良好な状態で残っている安川家本陣跡があり、隣接して「中山道小田井宿跡」案内板の立つところが、高札場跡である。さらに隣接して、問屋跡(安田家住宅) その先左側に脇本陣跡碑が建っており、続いて左側に尾台家問屋跡(尾台家住宅)である。
道は西の枡形跡の下り坂となり、右側「中山道小田井宿跡」碑の立つ辺りで宿場は終る。振り返って眺めても綺麗な宿場の町並である。左にカーブして進み小田井北宿地区から佐久市に入る。交差点を直進し、突当りの小田井南丁字路で国道9号線と合流し、さらに坂道を下り続ける。 9号線を10分ほど進み、最初の丁字路を横断し、左角の林の中に街道42番目の鵜縄沢一里塚跡案内版が見える。一里塚はマムシグサの咲く藪の中を少し登ったところにある。

安川家本陣跡跡
小田井宿上木戸跡
宿場の旧家 尾田井家問屋場跡 宿場の旧家
小田井宿宿場

街道に出て宿場の右側には、1756年(宝暦6年)改築した客室が良好な状態で残っている安川家本陣跡があり、隣接して「中山道小田井宿跡」案内板の立つところが、高札場跡である。さらに隣接して、問屋跡(安田家住宅) その先左側に脇本陣跡碑が建っており、続いて左側に尾台家問屋跡(尾台家住宅)である。
道は西の枡形跡の下り坂となり、右側「中山道小田井宿跡」碑の立つ辺りで宿場は終る。振り返って眺めても綺麗な宿場の町並である。左にカーブして進み小田井北宿地区から佐久市に入る。右側にお聳え立つ松の木の右側に名勝皎月原がある。交差点を直進し、突当りの小田井南丁字路で国道9号線と合流し、さらに坂道を下り続ける。信仰対象の石仏・石碑群が路傍に並ぶ。中山道の特徴であろう。 9号線を10分ほど進み、最初の丁字路を横断し、左角の林の中に街道42番目の鵜縄沢一里塚跡案内版が見える。一里塚はマムシグサの咲く藪の中を少し登ったところにある。


脇本陣跡碑
石仏・石碑群 街道からの風景 名勝・皎月原 鵜縄沢一里塚 石仏・石碑群

この辺りまでが追分宿からの続いた一連の下り坂と言ってよいだろう。ここから9号線のゆるい坂道を上り、食肉センター入口信号丁字路を直進し、道なりに左にカーブする。その先で、上信越自動車道上の岩村田橋を渡り、ゆるい下り坂となり佐久IC東交差点を直進する。

岩村田宿:内藤氏1万6千石の城下町で、善光寺道、佐久甲州街道との追分があったことから経済の中心地として大変賑わった。ただ大名は城下町であったため遠慮して宿を素通りしたので、本陣も脇本陣もなかった。
また旅人も堅苦しい城下町を好まなかったため、旅籠も最盛期でも8軒と少なかった。名物佐久鯉は、藩財政立て直しの策として、並木七佐衛門が育成したもの。宿場は商店街となっているが、当時の面影を残していない。
本陣:0軒 脇本陣:0軒 旅籠:8軒
 


住吉神社・大ケヤキ
住吉神社・拝殿 常夜灯・月待塔
双体道祖神

溶岩常夜灯

善光寺道道標

街道を進み、左側に「住吉神社前」バス停があり、170mほど先の左にカーブする左側の一段高い所に、欅の大木が聳える住吉神社がある。境内には溶岩で造られた常夜灯、月待塔、庚申塔、道祖神など多数ある。鳥居の脇には善光寺道の古道標が立っている。寺の斜向かいが善光寺道で建っている道標はレプリカである。


善光寺道追分

龍雲寺
龍雲寺・山門 龍雲寺・本堂 霊廟
信玄遺骨出土の地

その先の住吉町丁字路を直進する。岩村田宿はどこから始まるのか不明である。このあたりから宿場かも知れない。信号のすぐ先に龍雲寺石柱の立つ参道を左折して突当りに曹洞宗龍雲寺がある。

龍雲寺:鎌倉時代初期に創建されたが焼失し、1560年(永禄3年)に再建され、境内に武田信玄の遺骨が安置されている霊廟、また武田家3代が篤く帰依した北高禅師の墓碑がある。

北高禅師・墓所
佐久ホテル前・割本跡
佐久ホテル・鯉の旨煮 佐久ホテル・お宝
佐久ホテル・若女将
信州味噌・味噌蔵

龍雲寺を出ると昼食となる。創業正長元年、佐久鯉発祥の宿として、館内より湧水する泉にて飼育した佐久鯉の旨煮で昼食、食事の前に出された甜茶の甘さは疲れた体に沁み渡った。食事後は館内のお宝を見学、出発時は若女将手作りの「感謝」の幟で送ってくれた。


西念寺・参道
西念寺 西念寺・本堂
西念寺・鐘楼

双体道祖神
道祖神・石碑

続いての岩村田交差点を横断し、「いわむらだ本町商店街」のアーケードを通る。この辺りが宿場の中心と思われるが、本陣、脇本陣がなかったので史跡らしいものは見当たらない。アーケードに数珠の下がった参道がある。参道の先には岩村田藩、小諸藩の菩提寺である西念寺がある。参道を入ると袴腰の鐘突堂、大きな六地蔵、本堂奥には仙石秀久墓所がある。


八ヶ岳連峰
若宮神社
若宮神社・本殿

本殿の般若
御嶽神社 相生の松

アーケードを通り抜け、岩村田本町信号交差点を横断し、次の相生町信号交差点で9号線と分かれ、右折して県道154号線を進む・・10分ほど進み、JR小海線踏切を渡り、御嶽神社前を左に入るとT字路右側に祭神は仁徳天皇で、応神天皇の子である若宮八幡神社がある。この地区の郷社であり、本殿の妻部分、千木の下部分には般若の面が付けてある。元に戻り、御岳神社の脇から街道に戻る、道なりに進み、右側に県立岩村田高校が見え、その先、左側に市立浅間総合病院の先の突当りに「相生の松」のあるT字路となる。

相生の松:雌雄2株が結びついてめでたい松である事と、ここで皇女和宮が野天をした。現在の松は3代目である。今日のゴールはここである。


今日のコースは 旧中山道標識焼石・中山道69次資料館御代田町境界標識千ヵ滝、湯川用水温水路御代田一里塚→旧家→出桁造縦格子の家
 →
中山道小田井宿入口碑野仏・筆塚碑小田井上宿地区おはる地蔵東の枡形跡案内板安川家本陣跡高札場跡問屋跡(安田家住宅)
 
脇本陣跡碑尾台家問屋跡西の枡形跡中山道小田井宿跡碑佐久市鵜縄沢一里塚跡岩村田橋住吉神社龍雲寺いわむらだ本町商店街
 →
岩村田本町交差点相生町交差点JR小海線踏切御嶽神社相生の松


 クラブツーリズム 「街道を歩く 中山道69次 第16回 軽井沢〜岩村田」 街道案内人 漆原章郎 歴史講師

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Blowin' in the Wind 2013
                          
いっちゃん中山道を歩く・・
 行程
   分去れの碑  〜  相生の松
 11Km  
   [追分宿]       [岩村田]

18号線の左上の「旧中山道」標識に従い、左手のゆるい坂道を進む。
道の右側に小さな公園の敷地に約900年前の浅間大噴火の時の焼石、中山道69次資料館がある。
館外の庭の「69次の道」を歩くことにより、中山道の旅を擬似体験でき、講師の概要説明を聞きながら歩く・・これから先への興味も尽きない。

緑の中のほとんど人も車も通らない林の中の坂を下り、左角に別荘の名前の表札がびっしり立並ぶ交差点を直進し、さらに交差点を横断して道なりに延々と坂を下り続ける、この辺りを「笑い坂」と呼ばれたそうだ・・小田井宿から追分宿に向かう旅人の顔がゆるんだそうだ(理由は講師の説明を聞いてください)。

その先の御代田町境界標識で、軽井沢町から御代田町に入ると標識の左手に、千ヵ滝湯川用水温水路」の人工池が現れる。

千ヵ滝湯川用水温水路:もとは1650年(慶安3年)、柏木小石衛門が開削した約65Kmの農業用水、ただし浅間山の山麓で火山の軽石等が多いため、漏水がひどく何度も改良を繰り返し、現在のものは戦後、約21kmにわたり改修したものである。
千ヶ滝、湯川は浅間山の中腹を水源としており雪解け水や湧水が中心で、稲作には水温が低すぎるので、水温上昇のために浅く広く造り太陽熱で水を温める施設が、この幅20m、長さ934mの人工の池である。
注:この地図の寺社・旧跡、名所等の位置は目安です。
   実際の位置は街道地図、現地案内板等で確認してください。
2013. 5.24 追分〜岩村田    歌川広重渓斎英泉とが描いた中山道69次はこちらでどうぞ