Blowin' in the Wind 2013

                          
いっちゃん東海道を歩く・・
     
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2013. 5.14~16     東海道57次を歩く・・(後篇)
               石清水八幡宮~高麗橋               
2013. 5.14 石清水八幡宮~御殿山
新幹線は修学旅行の中学生で、京都駅は中高生で賑やかであった。自分の時はどこへ行ったか・・覚えていない。京都駅は快晴の青空。予報どおりの暑い一日となった。15時の枚方(ひらかた)市の気温は31.4℃・・今年初めて経験する真夏日を経験することとなった。

今日のスタートは「岩清水八幡宮」で源氏の氏神様である。御幸(ごこう)橋を背にして見える山は石清水八幡宮が鎮座する男山で、石清水八幡への参道を「御幸道」と呼んでいた。高低差82m、距離411m、所用時間2分程度の男山ケーブルを利用し参拝をする。
石清水八幡宮(いわししみずはちまんぐう)
京都盆地の西南部、京都と大阪が接する淀川左岸の男山(おとこやま)山上に鎮座する。男山北側は桂川・宇治川・木津川が合流して淀川と名を変えるところ。
淀川を隔てた対岸には天王(てんのう)山があり、麓はサントリー山崎蒸留所のある山崎郷(乙訓郡大山崎町)である。

山上から東を望むと京都市街から京田辺そして奈良を眺望でき、西側は大阪(葛葉・枚方)となる。創建当時も、八幡の里は水路で難波津(現大阪市)、瀬戸内海へ向かう山崎の津へ山崎橋で結ばれ。陸路も山崎橋を渡ると西国街道に繋がるなど、水陸交通・経済・軍事上の要衝として重要視されていた。
石清水八幡宮・山門
参道
拝殿
築地塀
若宮社 エジソン記念碑
山上の本宮へは京阪電車「八幡市」駅前からケーブルカー(片道200円)を利用するか、徒歩で標高142m余りの山頂まで登るかの二つの方法がある。
徒歩なら駅前を東へ、直すぐに南へ向かう横断歩道があり、渡ると目の前が八幡宮の“一の鳥居”潜ると右手に放生池、その奥が下院(げいん)とよばれる頓宮(とんぐう)殿、そして高良(こうら)神社となる。
また、白熱電球の改良に敷地の竹が使われた事から竹林の前に「トーマスエジソン記念碑」が境内にある。


境内の灯篭群

クスノキのご神木
展望台から御幸橋 蘆刈抄・谷崎潤一郎碑 段蔵 段蔵
広場(駐車場)を通り抜け“二の鳥居”の手前に、東麓から登る裏参道口があるが“二の鳥居”を潜り進むと、南麓から迂回して登る表参道である。表参道を選び綴れ折れの上り坂を登ると“三の鳥居”に至る。“三の鳥居”を潜り楼門・本宮(上院)へ至る参道両側には、かってあった宿坊から奉納された形状や大きさが違う石灯籠が並ぶ。本宮本殿には、中殿に誉田別命(ほんだわけのみこと)、西殿に比咩大神(ひめおおかみ)、東殿に息長帯比賣命(おきながたらしひめのみこと)=神功皇后(じんぐうこうごう)であり京の裏鬼門、厄除けの神、勝負事の神として信仰を集めている。この三座を総称して八幡三所大神という。以上、案内による。参杯を終え駅前から木津川へと近づき西に向かう。堤防沿いに進む道である。参拝後は57次の街道歩きとなる。

楠の大木

八幡宮への常夜灯

道標(京側)

道標(大阪側)
橋本の町並 サントリー山崎蒸留所
(淀川堤防上より)
京阪電鉄と淀川の間を歩く・・淀川の河川敷は広く樹木が生い茂り、川の流れを眺めることができず残念であった。この辺りは八幡市八幡科手(やわたしなで)という地名である事を知る。科手(しなで)は読めなかった。10分ほど行くと堤防のところに樹齢千年近いという楠の大木がある。石清水八幡宮にも楠正成が植えたと言われるご神木、古木・巨木、大木があったが関連があるのか・。・この辺りで石清水大橋の袂から宇治川、木津川を渡ってきた旧東海道が合流する。
その先の道は民家に突き当たり左に右に進む。町名は橋本北ノ町とある。
大谷川にかかる橋を渡り、丁字路を右折し進むと、左側に如何にも旧道にあると感じ取れる。ちょっと傾いて立っている文政年間建立の「右八まん・・・・」街道の道標が立っている。橋本郵便局の前を通り神社を過ぎると交差点となり、右折して旧街道を進む。左側には京阪橋本駅が見える。橋本中ノ町と町名が変わり、100mほど進むと丁字路になり左折、その右角の古い建物がとても目立ち、通りも街道筋を思わせる雰囲気と古い建物が並ぶ。ここは昔の遊郭跡であり、それなりの風情を感じる。遊郭跡の町並みを残している間の宿に入ると一瞬タイムスリップしたような町並みに出会った。
街道に面した玄関、部屋の窓、格子にはそれぞれ細工が施されており、それがそのまま残っている・・「わたしら小さい頃の親の商売だったが・・嫌だった」玄関先を掃除していたおばあちゃんの言葉だった・・
町並みは次の橋本小金川町まで続き、町外れで丁字路になる。左折して京阪本線の踏み切りを渡り迂回する。境界標識がないが踏切から少し歩くと枚方(ひらかた)市に入る。枚方は「ひらかた」と読み、地名の由来には確かな説はないようであるが、日本書紀には既に「ひらかたゆ笛吹き上る近江のや毛野の稚子い笛吹き上る」という歌が記録されているとのこと。
橋本遊郭跡 遊郭 町並 久修恩院山門 釈迦堂 釈迦堂・本堂
境界から10mほど行くと、丁字路になり右折して工事中フェンスの続く道に入る。砲台跡の発掘調査のためのフェンスとの事。正面右手に塀に囲まれた久修園院(くしゅうおんいん)が見えてくる。716年(霊亀2年)行基開創の古刹で、行基四十九院のひとつで、通称「釈迦堂」または「木津寺」として親しまれている。創建当時の境内は七堂伽藍が建ち並んだ大寺で、聖武天皇の勅願所であったが、大阪夏の陣の1615年(元和元年)に、豊臣方の敗走兵が寺に逃げ込み放火自殺した事により堂塔はことごとく消失します。その後、1680年(延宝8年)中興の祖「宗覚律師」により再興された。1868年(慶応4年)の「鳥羽伏見の戦い」では、旧幕府軍がこの寺を橋本本陣として本陣を構えた。
天球儀 愛染院
愛染明王坐像
橋本砲臺跡
京街道案内板

京街道案内板
釈迦堂には本尊・釈迦如来像が祀られ、枚方市有形文化財指定の律師作の天球儀がある。境内の愛染堂に祀られている愛染明王坐像は、高さ6尺(約2メートル)と日本最大級を誇る愛染明王で、寺を復興した宗覚律師の作である。律師が人生の後半に至ってもなお律師を思う母の心の深さに思いを致し、母の死後8年目に彫り上げられたと伝えられている。
宗覚律師:博識多芸で儒仏はもちろん医学・宗教学・地理学・天文学・武芸・音楽・絵画・彫刻などに通じた枚方が生んだ偉大な文化人であった。

フェンスに囲まれた道をしばらく行くと右側に「戊辰役橋本砲臺場跡」碑がある。この砲台は、黒船が淀川を遡って京都への襲来を防ぐため1864年(元治元年)に造られたものであるが、黒船は来なくて、その後の戊辰戦争の時幕府軍により使われた。
さらに進むと交差点となり、直進して住宅地に入り、最初の丁字路を右折すると、右側に長州藩参勤交代の休憩処であった久親恩寺がある。京阪本線沿いに進むと左側に楠葉(くずは)取水場が見えてくるが、この辺りで道路の色を変えてあった。枚方市では、旧東海道と分るように道路の色を、一般道路と変えているとのこと。
先ほど京阪本線踏切で分れた旧東海道とは、この色が変わる辺りで合流することになる。
住宅の中を旧東海道が真直ぐ走り、道端には「旧京街道」標識が立っている。しばらく進み、楠葉一丁目で道は直角に右折し、京阪本線のところの丁字路で左折する。そこからすぐのところで道路の色が変わり、これ以降は旧東海道ではなくなる。旧東海道は右手にある京阪本線を斜めに横断するが、現在は道がないのでこのまま進む。


上島一里塚・道標

穂谷川

明治橋
片埜神社・山門
本殿
拝殿
200mほど進み18号線の交差点に出る。直進すると楠葉(くずは)駅前の新生楠葉モール(ここでしばしの休憩)へ出る。交差点を右折して京阪本線のガード下を潜って左折し、先ほど分れた旧東海道と合流点して、ここで合流して進み13号線(府道京都守口線)に出て京阪本線沿いに南へ進む。左側に京阪本線樟葉駅と高層ビル、右手に「淀川」看板と河川敷を見ながら13号線を進んで行く。
しばらく歩くと道はゆるい下り勾配となり、樋之上北信号を直進し次ぎの樋之上信号のすぐ先の樋之上公民館の前で、左斜めに入る細い道を進む。
住宅地の中を200mほど行くと、船橋川の土手にぶつかる。旧東海道は直進するが現在は橋がないので、土手沿いに右に80mほど迂回して楠葉側道橋を渡り、川沿いに戻って来て2つに分れた右の坂道を下る。坂道が右折する土手の途中に、土手をバックにして地蔵の祠の脇に「八幡宮 参道道  橋本へ一里」と書かれた上島一里塚跡の道標が立っている。その方角に橋本の石清水八幡宮への道標がある。
またこの地点が先ほど川の反対側で分れた旧東海道との合流点となる。
坂を下り上島町の住宅の中を進み、京阪本線のところで道なりに右折して線路沿いに進む。線路沿いに600mほど進むと左側の穂谷川の上に建てられている牧野駅があり、旧東海道はこの駅舎を斜めに横断し穂谷川の西側の川沿いに出る。駅の手前の踏切を渡り直進する。

穂谷川の東側を進み最初の橋の明治橋を渡ると旧東海道であるが、左折して住宅街の細い道を行くと1602年(慶長7年)豊臣秀頼が造営した片埜神社があり、河州一宮の本殿は、国の重要文化財に指定されており、このほかにも石造り灯篭・東門、西門も文化財に指定されている。
明治橋に戻り、左折して川沿いに南へ進む。しばらく行き防垣内橋の先で川沿いの道と別れ右の道を進み、阪今池公園前を過ぎると左に入口の両側に1801年(享和元年)建立の常夜燈のある細い道がある。常夜燈の台座の、左側には「京都」、右側には「大坂」と刻まれていて、道標の役割も果たしている。この道は、ここから約450m東北にある、昔から河州一之宮と呼ばれている片埜神社への参道であった。

灯篭(鎌倉時代作)

防垣内橋
片野神社参道
常夜灯・道標

渚院跡石碑

在原業平歌碑
渚院跡
さらに進み黄金町一丁目のはずれで道なりに右折して、京阪本線踏切を渡り直進する。三栗一丁目の住宅街を西へ進み、13号線に出る。三栗信号交差点を横断して狭い旧道(旧東海道:街道)をなりに300m行って再度13号線の三栗南交差点に出る。13号線横断して京阪の踏切、線路沿いの川を渡り突当りを左折、50mほど先に流れる川の橋を渡ると突き当りに渚保育所がある。
保育所の敷地の脇に「渚の院跡」がある。文徳天皇の第一皇子・惟喬親王(これたかしんのう)の別荘・渚の院がありました。平安歌人・在原業平(ありわらのなりひら)が渚の院の桜を見て詠んだ歌、「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」(世の中にもし桜がなかったら、春の人の心はのんびりするであろうに)は、『伊勢物語』や『古今和歌集』にも収められ、桜の花のはかなさを詠んだ名歌として親しまれてきました。
渚の院の跡地には、江戸時代に観音寺が建てられた。観音寺は明治時代の初めに廃寺となり、現在は梵鐘と鐘楼(ともに市指定有形文化財)が残るのみである。フェンスで囲まれた史跡は保育園管理の鍵で入れるようになっている。史跡として良く整備・管理されている事に感心した。

余談だが・・「世の中にたえて女のなかりせば男の心のどけからまし (四方赤良)」と言う天明狂歌の中にある句も有名である。
元のに戻ると京阪本線御殿山駅に着く。今日のゴールである。御殿山から今日の宿のある守口まで電車で約25分程であった。

今日のコースは 石清水八幡宮八幡科楠の大木道標橋本遊郭跡枚方市→久修園院「戊辰役橋本砲臺場跡」碑久親恩寺楠葉取水場
 
「旧京街道」標識新生楠葉モール船橋川石清水八幡宮道標京阪牧野駅明治橋片埜神社防垣内橋常夜燈三栗交差点(旧道渚の院跡
 
京阪本線御殿山駅



クラブツーリズム 「街道を歩く 東海道57次 後編 石清水八幡宮~御殿山」 街道案内人 根津信年 歴史講師 


                           5月15日 枚方宿