4月20日(土) 大津追分~伏見宿

旧東海道は5街道の一つとして、1601年(慶長6年)に徳川幕府により江戸から京都までの53の宿駅・伝馬制度(東海道53次)が整備された。
一方、豊臣秀吉は、それ以前に大阪と城のある伏見の間の交通を円滑にするために淀川沿いの堤防と道路を兼ねた「文禄堤」を築いていたが、当時、大阪城には豊臣家が健在であったため、徳川幕府は京都から大阪への街道の延伸をしなかった。
その後、1615年(慶長20年)に大阪城が落城すると東海道を大阪まで延長し、伏見、淀、枚方、守口の4つの宿場を作り、大津宿から大阪(高麗橋)までの東海道57次が成立した。57次の街道は、参勤交代の西国大名が入洛し朝廷に接触するのを防ぐため、伏見を通る洛中を迂回する経路とした。なお、大津宿から髭茶屋追分間(約3Km)は、53次と同じ道である。

京街道:東海道57次が成立して、豊臣家ゆかりの関西地区では「京街道」あるいは「大阪街道」と呼んで、あえて「東海道」という表現を使わなかったという。


追分5丁目の民家ブロック塀の前に(髭茶屋追分道標)があり、道は二つに分かれる。道標には「ひだりハふしミみち みぎハ京のみち」と刻まれていて、東海道53次の京都三条大橋へは右の道を、57次は左の道を進み、ここで分かれることになる。追分道標の右側には「京都市と大津市」境界標識があり、ここから京都市(山科区)に入る。追分道標から伏見宿までは、12.6Km(3里6町)である。

Blowin' in the Wind 2013
                          
いっちゃん東海道を歩く・・

狭い道路の続く住宅地の中を200m程進むと民家の玄関前に大小2基の灯篭の前に古道標が立っている。名神高速の高架を潜り、信号を直進し道なりに歩いて900m程行くと左側の脇道の入口にひっそりと「牛尾山道」と書かれた古道標が立っている。奈良街道と書かれた標識を見ながら歩くと左側に「酒びたり」と書かれた看板のある居酒屋が目に付く・・通いつめたい名前である。歩いていると変わった名前の看板、町名などを探しながら歩くのも歩きの楽しみでもある。山科大塚交差点から少し行くと桓武天皇伝説の皇塚(おおつか)がある。石碑と松の根のご神体と皇塚と掘られた石碑である。


山科(髭茶屋)追分

常夜灯・道標

牛尾山道標

居酒屋

皇塚

岩屋神社鳥居

2車線程の狭い道路は35号線(奈良街道と呼ばれている)で乗用車のすれ違いも大変である。愛宕山常夜燈(この辺りの常夜燈は愛宕山であるが、東海道53次の太平洋岸地域は秋葉山であった)や縁結びの宝迎寺が並ぶ道を10分ほど歩くと、左側に岩屋神社の鳥居がある。神社本殿は500mほどの奧にある。その先、右側少し奥に岩屋神社御旅所(御旅所とは、祭礼の時神輿がしばらく留まるところ)の大きな石碑がある。
5分ほど先の右角に日本橋から119里目の大宅一里塚跡がある。57次に残っている一里塚はここだけとの事・・大きな榎は枝が切られて丸坊主だった。
その先の名神高速のガードを潜り。道なりに10分程歩き街道とは別れ、小野御霊町の随心院に参拝する。小野小町ゆかりの寺で小町に届いた恋文を埋めたと言われる文塚、その綺麗な姿を写したと言う化粧井戸、梅園、句碑を見て、ご住職に寺の由緒を聞く、本堂に参拝し室内の襖絵、庭園を拝観する。


岩屋神社御旅所

大宅一里塚

愛宕山常夜灯
随心院・山門 小町・文塚 随心院

街道に戻り下り坂の先に巨木が聳えている。「小町の美しさに魂を奪われた深草の少将は、小町の愛を強要するが、小町は百夜通って満願の日、晴れての契りをむすぶことを約束した。少将は99日まで通い、最後の晩、大雪のため途中で凍死してしまうのであった。深草の少将が百夜通いの折、小町が日数を榧(かや)の実で数え、後に里に播いたと伝えら、その一本が街道脇に聳えている。


小町・化粧井戸
山門から本堂 小町・歌碑 小町絵・衝立 随心院・土塀
榧の巨木

外環小野交差点を直進し、その先200mほどのところで山科川にかかる小さな修善寺橋を渡り、丁字路少し先に勧修寺がある。勧修寺は醍醐天皇が母の菩提を弔うために、山荘を寺に改めた寺である。代々の法親王が入寺した門跡寺院でもあり、水戸光圀寄進の「勧修寺型灯篭」と呼ばれる灯籠が庭園の中央にある。夏には庭園の池にはスイレンが咲き、春には桜、秋には紅葉と、四季を通して楽しめると案内にあった。今の時期は丁度端境期のようだ。

勧修寺境内には、明治・大正の時代に生き身体障がい者の社会復帰に力を注いだ大石順教尼縁の可笑庵があり、思いもよらぬ不幸に見舞われ、一羽のカナリヤを見てその仕草から筆を使い素晴らしい書と人のために生きた・・庵内見学・説明を聞く事ができた。

榧の巨木・しめ縄 勧修院・土塀 勧修院・山門 勧修院・本堂
偃柏槇
(はいびゃくしん)

勧修寺灯篭

観音堂

蓮(はちす)
可笑庵
大岩神社・鳥居
旧京街道
べんがら格子の民家

勧修寺を出て300mほど行くと35号線と名神高速道路にでる。34号線の側道を1Km程歩くと左側に入る道の少し奥に大岩神社の赤い鳥居が見える。
神社はその奥の森の中にある。その先、200mほどの所に右側に入る道が旧京街道である。
500mほど歩くと35号線に出る200mほど歩き左側に入る。街中を歩き、JR奈良線の踏切を渡り、JR藤森駅前を右に曲がり京都教育大学の先に藤森神社がある。藤森神社は
神功皇后によって創建された皇室ともゆかりの深い古社で、本殿は正徳2年、中御門天皇より賜ったものであり、菖蒲の節句発祥の神社としても知られ、今日では勝運と馬の神様として、競馬関係者(馬主・騎手等)、また、競馬ファンの参拝者でにぎわっている。

京阪黒染(すみぞめ)駅の踏切を渡り3分程で道路左側に墨染の桜で有名な墨染寺がある。平安時代に藤原基経の死を悼み、上野峯雄が「墨染めに咲け」と歌を詠んだ際、桜が本当に薄墨色になったとのことから、 墨染桜寺と呼ばれるようになり、現在の薄墨桜は三代目で「悲しみを背負った桜は、中心部分が薄墨色に見える」と案内にある。

藤森神社参道 藤森神社本殿 神新馬 墨染寺山門 墨染寺本堂 欣淨寺案内板

墨染寺を出てすぐ左に曲がり100mほどの左側に、曹洞宗の開祖道元が開いたとも伝えられる欣淨寺がある。本尊は「伏見の大仏」で知られる丈六の大仏である。深草少将の邸宅跡といわれ、境内に少将塚・小町塚、深草少将姿見の井戸(涙の水ともよばれる)がある。
深草の少将はここから随心院の小町のもとへ通ったと言われている。

小町塚
丈六の大仏
(伏見の大仏)

姿見の井戸

橦木町廓入口

よろつや跡

橦木町之碑

伏見宿:江戸日本橋から54番目の宿で、豊臣秀吉の伏見城の城下町として一大発展し、その後、徳川家康が居城し商業港湾都市として整備されて、淀川三十石舟、十国舟をはじめ水陸交通の要衝として繁栄した。宿場は東の京町通りから、西は高瀬川、北は墨染、南は宇治川に接し、東西1Km、南北4.6Kmという大きな広さで、人口2万4千人の大都市であった。
中心は現在の京橋付近で、本陣4軒、脇本陣2軒、旅籠39軒があったという。なお「伏見」は万葉集や日本書記にも登場する古い地名である。

古い建物のある京町通りを南へ進む。左側の伏見税務署先、交差点右側道路の入口に大正7年8月吉日「撞木町(しゅもくちょう)廊入口」門柱が2本立っている。大石内蔵助が吉良方の目をあざむくために遊興したことで有名な遊廓であるが、石碑と石柱が残されているだけで、現在はその面影をとどめていない。その先、24号線を直進して横断する。横断して最初の交差点を右折し、突き当たりの丁字路を左折して両替通を進む。京町通と両替町通は、徳川家康が銀座を置き銀貨をつくらせたところで、始まりにおいては東京の銀座より伏見の方が古く、日本で最初の銀座が置かれたところである。銀座の町名は現在でも残っている。


べんがら格子の旧家

勝念寺

地蔵堂

薩摩島津伏見屋敷跡
松林院 大黒寺本堂

近鉄京都線のガードを潜り、交差点を右折し丹波橋通りを進む。丹波橋通の左側には「かましきさん」と地元の人たちに親しまれている「かましき地蔵」の勝念寺がある。勝念寺の山門左側に、「天明義民柴屋伊兵衛墓所」碑が立っている。柴屋伊兵衛は伏見奉行小堀正人の悪政を他の義民と共に江戸幕府に直訴し、後に京都奉行に投獄され獄死した。
勝念寺から先の信号のある交差点を左折する伏見板橋小学校・伏見中学校、下板橋交番の前を過ぎ、疏水を渡った先には龍馬縁の島津藩伏見屋敷跡の石柱が立っている。
もとの道に戻り御駕篭郵便局前の通りを進むと、左側に寺田屋女将お登勢の墓のある松林院、右側に寺田屋騒動でなくなった薩摩藩士(九烈士)の墓のある大黒寺、左側に喜運寺、さらに750年(天平勝宝2年)創建の伏見区で最も古い神社の一つで「金札(お札ではないらしい)」が祀られ、境内にある巨木は「クロガネモチ」の金札宮と寺院が続く。


平田靭負の墓

寺田屋殉難九烈士
の墓

金札宮と
クロガネモチの巨木
金札宮 西岸寺・地蔵堂
西岸寺・芭蕉句碑

伏見区役所から油掛通りの西岸寺まで歩くが、このあたりの地図の縮尺を間違え印刷したためどこを歩いたかは後で見たが分からない。
油掛通を進む。油掛地蔵尊を安置されている1590年(天正18年)創建の西岸寺がある。油掛という珍しい名である。山崎の油商人がお地蔵さんの前で油桶をひっくりかえし茫然としたが、油を掛けて帰ったところ大金持ちになったという由来を持つ有名な地蔵。芭蕉や西鶴も訪れたというお寺である。

油掛通りは、江戸時代から京・大阪へ行き交う旅人や物資の集散地として賑わった通りでもある。
宇治川派流にかかる京橋が今日のゴールである。



今日のコース 髭茶屋追分道標→山科区→道標・常夜灯→牛尾山道標→皇塚→愛宕山常夜灯→岩屋神社鳥居→岩屋神社→岩屋神社御旅所→大宅一里塚跡→
 随心院→山科川(善寺橋)→榧の巨木→勧修寺・可笑庵→大岩神社鳥居→旧京街道→藤森神社→墨染寺→欣淨寺→撞木町廊入口→勝念寺→松林院→大黒寺→
 金札宮→西岸寺→京橋

 クラブツーリズム 「街道を歩く 東海道57次 前篇 大津追分~淀宿」 街道案内人 根津信年 歴史講師

                                                  4月21日 淀宿へ

2013. 4.20~21     東海道57次を歩く・・(前篇)
                  大津追分~伏見宿(京橋)