3月20日(水)

京都三条大橋:鴨川にかかる三条大橋は江戸への出発点として、また江戸からの表玄関としての役割を持ち、交通の要衝として重要な位置にあった。橋の始まりは早く室町時代初期には、簡素な構造で既に架けられていた。その後何度か改造されたが、安藤広重の東海道53次「京都 三条大橋」の絵の橋は、長さ約104m、幅約7mあった。現在の橋は昭和25年に改造されたものである。

橋の右詰めには、三条大橋を説明している立札がある。要約すると「三条大橋は室町時代の前期には既に簡素な構造で架けられていた。本格的な橋となったのは、1590年(天正18年)に豊臣秀吉が奉行増田長盛に命じて大改造させたことによる。擬宝珠は天正と昭和のものが混用されているが、その銘によると、後世の人々にも用をなすよう礎を磐石とし、礎は地の中に約9m、切石の柱は63本打つなど、大変な大工事であったと言う。この橋は、たびたび流失したが交通上で重要であったので、幕府によりすぐ修復された。改造も元禄以来、何度もされたと言う。(以前訪れた時の記録による)


街道歩きもいよいよ最終日である。天気予報は夕方まで持ちそうであるが・・札の辻からのスタートとなるが、大津の三井寺を参拝し、大津絵のお店に寄る。三井寺の正式な寺号は「長等山園城寺(おんじょうじ)」といい、天台寺門宗の総本山です。平安時代、第五代天台座主・智証大師円珍和尚の卓越した個性によって天台別院として中興され、以来一千百余年にわたって、その教法を伝えてきた。 古い歴史と文化、多くの文化財や伝説の残る寺である。

壬申の乱で敗れた弘文天皇の菩提を弔うため、皇子の大友与多王が686年(天武15年)に寺を建立したのが創始と伝えられている。


三井寺・山門
釈迦堂
鐘楼

天狗杉

一切経堂
金堂

当初は大友氏の氏寺だったが、平安時代に比叡山の智証大師が寺を復興して延暦寺の別院としたといわれている。伝教大師(最澄)の死後、比叡山の慈覚大師と園城寺の智証大師の対立が激しくなり、園城寺はしばしば焼かれたようである。
この対立が結果として、高僧の輩出、寺の発展を促し、東大寺、興福寺、延暦寺と共に園城寺は四大寺の一つに数えられるようになったという。園城寺の名称は天武天皇から与えられたといわれている。


弁慶の引き摺り鐘

三重塔
灌頂堂 唐院への参道
大津絵

園城寺の名よりも一般には三井寺の名でよく知られているが、この名称は天智、天武、持統の三天皇の産湯に使われたと伝えられている井戸があることに由来して、御井の寺とよばれ、これが後に三井寺と言われるようになったとされている(案内書による)。

ここの仁王門(山門)は滋賀県湖南市西寺にある天台宗の寺、阿星山常楽寺の山門が移築されたものである。内緒話だが・・(皆の感想は・・この山門は常楽寺に在ったほうが良かった・・思わず常楽寺に在る姿を想像しました)
滋賀県大津市、琵琶湖南西の長等山中腹に広大な敷地を有し、湖国近江の名勝、近江八景の一つ「三井の晩鐘」でも知られ、多くの国宝、重要文化財、秘宝があります。


観月舞台
観音堂 展望台からの比叡山
琵琶湖疏水
大津絵の店 札の辻
(正面・東海道)
右折・京へ

観音堂の上の小高い丘は展望台になっている。あいにくの曇り空であったが、眺める琵琶湖、比叡山は雄大な風景であった。桜の蕾は今にも咲き出しそうである。三井寺の下を流れる琵琶湖疏水から街中に入り、大津絵の店に寄る。大津絵は、元々近江(滋賀県)の大谷・追分辺りで描き売られていた民画で、追分絵、大谷絵とも称され、その発祥は江戸初期に遡るといわれています。

札の辻先の坂道を上っていく。道路の中央を京阪の電車が走る。600mほど歩くと、左側の京阪の踏切の奥に蝉丸神社下社の山門が見える。拝殿、本殿は古く傷んでいる所が多い。音曲芸能の神で、境内には「音曲芸能祖神の碑」や古歌に詠まれた「関の清水」がある。裏手の坂道を上がった所には小野小町の碑がある。


大津本陣跡
蝉丸神社・下社

小野小町の碑
関の清水 本殿
逢坂の碑

蝉丸は謡曲、浄瑠璃、歌舞伎によく登場する名前である。蝉丸は平安時代の歌人で盲目ながら琵琶の名手で有名で、そのため蝉丸神社は音楽や芸事の神とされ、祈願されている。百人一首の「これやこの 行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関」は蝉丸の歌である。

さらに400m行くと1号線と合流する。この道路はトラックなど交通量がとても多い。横断歩道を渡り、左側の歩道を歩く。


蝉丸神社・上社

逢坂の関跡

大津算盤の碑
月心寺(走井)
追分道標

追分町案内杭

左に京阪電鉄京津線を見ながら逢坂山へ登っていく。合流して400m歩くと道路の反対側に、朱色が美しい鳥居の蝉丸神社上社が見える。少し手前にあった開蝉丸神社下社、ここから先の逢坂山関所跡近くに蝉丸神社、上社、下社、分社と3つの蝉丸神社がある。

また少し行くと、同じく道路の反対側に常夜灯が見える。この常夜灯あたりから1号線は右にカーブする。逢坂山関所跡を国道左側から見る。

逢坂山を越えると、ひたすら1号線は下り坂となる。左側に白塀に囲われた月心寺の建物と中には今でも泉が湧くと言われている走井がある。境内に入れず山門の隙間からのぞき見る。江戸時代の広重の絵に「大津 走井戸茶店」として画かれているほど有名で、旅人はこの走井の水で喉の乾きを癒していた。東海道本線が開通するとともに逢坂超えの旅人が激減して、茶店もさびれてしまった。それを大正の初め日本画家橋本関雪が別荘として買取り、その後昭和21年に村上独潭を開山とする「月心寺」となった。この走井の名水は、第13代成務天皇誕生の時、産湯に用いられたと伝えられている。

この辺りに走井の一里塚があったと言われるがその跡を記したものもない。


車石案内版

小関道(三井寺)道標
六角堂 山科駅
五条別れ道標

冠木門

さらに600mほど下り続け、1号線と別れて左に入る。この旧東海道は1号線と平行に走っているが、静かでとてものどかな町並みでほっとする。
ゆるい下り坂はまだ続き、400mほど行くと追分帳の標識と追分道標がある。旧東海道は右に行く。700mほどのところに小関越えで三井寺への道標が立っている。少し行った右側に東海道の石柱の前に車石が置いてある。昔この付近の街道は車道と人道とに分けていて、京に向かって右側に車石を敷き、左側は人や馬の通る道としていた。

500mほど行くと1号線にぶつかる。1号線を横断して300mほど行くと、京都市の標識がある。もうここは京都である。
ぽつりポツリと雨が降り出す・・人通りの殆どない旧東海道を京阪京津線沿いただひたすら三条大橋を目指して西へ向かって歩く。商店街を通りながら900mほど歩くと、左側に六地蔵・六角堂がある。少々の雨宿りである。さらに100m歩くと京阪山科駅前交差点になり、駅は右手にある。その先100mほど先の左側角には五条分かれ道の道標がある。なおも西へ行くと町並みはビル街となり、都会の真ん中を歩いている感じである。ところどころに旧東海道の新しい道標石柱があるのは400年祭で整備されたものであろう。


天智天皇陵
車石と荷車 刑場跡・慰霊碑 インクライン 琵琶湖疏水 インクライン線路

さらに1Kmほど行くと、三条通りとの交差点にでる。右折し、JR東海道本線琵琶湖線のガードをくぐる。左側には街道に沿って作られた公園の遊歩道入口の冠木(かぶき)門が見える。すぐ右に小さな広場があり天智天皇稜へ続く道がある。その入口には天智天皇山科陵看板が立っている。500mほどの緩い上り坂の参道を歩くと墓所に辿り着く。

旧東海道は、天智天皇稜看板の手前信号から左に入り西北へ向かう。道は急に狭くなり、大津宿からの道中では逢坂山と並び称された日ノ岡峠の難所に向かって登っていく。道はゆるやかなスロープで延々と続き、地元の車であろうか往来は多い。

三条通りから別れて日ノ岡峠道に入ってから1.5Km歩くと、再度三条通りと合流する。この左側は刑場のあったところで、ひっそりと碑は立っている。
三条通を西北へ500m歩いた九条山交差点から道は下り坂になる。信号で右側に渡り、脇の坂道を上がると明治時代に建設されたという、琵琶湖から鴨川までのインクライン(傾斜鉄道)の遺構が目の前に拡がる。線路上を歩き少し行くと地下鉄東西線蹴上駅前のレンガ造りの隋道を潜り国道に出る。少し行くと道は丁字路になり、左折すると左側に都ホテル、右の一段低いところに関西電力の発電所のレンガ造建物がある。とても歴史を感じさせる建物で多分、明治時代のものである。

青蓮院・大クスノキ 植髪堂
明智光秀首塚
白川(白川橋) 三条大橋(東詰)
親柱

道はまっすぐ西へ進み三条大橋へ向かう。蹴上の交差点から500m程歩き交差点を左に入り200mほどゆるい坂を登ると。青蓮院(しょうれんいん)がある。門前の巨木のクスノキは親鸞聖人お手植えの木で樹齢800年と言われているまた、青蓮院の境内北側にある「植髪堂(うえかみどう)」は、親鸞が得度したときに切り落とした髪を祀っている。この植髪堂では住職による寺の由緒と親鸞聖人のお話を聞くことができた。
鴨川にそそぐ小さな白川にかかる白川橋と道標(ひだり ち於んゐん ぎおん きよ水みち)がある。川沿いに少し入った路地には明智光秀の首塚がひっそりとある。白川橋を渡ると三条大橋はすぐ目の前となる。東山三条交差点を過ぎてしばらく行くと三条大橋の左詰めの袂に京阪三条駅の入口がある。


西詰・親柱

弥次喜多像
三条大橋 三条委大橋 完歩を祝う(男子会) 全員で完歩を祝う!

正面に2011年1月7日に日本橋を出発し目指してきた目指して来た三条大橋が眼前に見える。相変わらず人通りと車の往来は多い。

三条大橋の上から鴨川を眺める。何度も見た風景だが今回は感慨深い・・橋を渡って西詰め南側に弥次喜多像が陽気に語り合っている。
この方角から見る三条大橋も素晴らしい。今日はひとりで静かにゴール・・橋の上で記念写真を撮る仲間たちの姿が見える。

ゴールをしてくる仲間たちと次々に完歩の握手・・ここまでみんなと歩いて来たんだとの実感が湧く。最後に根津講師と固い握手・・長い間ありがとうございました。集合写真を撮り、宿へ向かう宿では完歩祝賀会が盛大に開催され、ひとりひとりに完歩記念品が講師より手渡された。



今日のコースは (三井寺→大津絵の店)→札の辻→蝉丸神社下社→開蝉丸神社上社→逢坂山関所跡→蝉丸神社→月心寺・走井→追分道標→道標石柱→山科駅前交差点→天智天皇山科陵→日ノ岡峠→インクライン(傾斜鉄道)遺構→関西電力発電所レンガ造建物→青蓮院→頼朝首塚→白川橋(白川)道標→東山三条交差点→三条大橋・ゴール

クラブツーリズム 「街道を歩く 東海道53次 第33回 大津宿~三条大橋」 街道案内人 根津信年 歴史講師

Blowin' in the Wind 2013
                          
いっちゃん東海道を歩く・・
蝉丸神社上社
2013. 3.20 札の辻追分~三条大橋    歌川広重が描いた東海道53次はこちらでどうぞ
           
 京都三条大橋
この地図上の寺社・旧跡、名所等の位置は目安です。
街道地図・現地案内板等で確認してください。