Blowin' in the Wind 2013
                          
いっちゃん東海道を歩く・・

今日のスタートは11時15分。今郷のコンビ二前、前回のゴール地点である。水口町の入口にある今在家(今郷)一里塚から、西へ約800m歩くと右側に岩神社(いわがみしゃ)の参道の階段が見える。
参道入口には「岩神のいわれ」という案内プレートがある。これによると神社はなく岩を祭っているとあり、村人は子供が生まれると、この岩の前で旅人に頼み、子の名前を決めてもらうという習慣があったと書かれている。


街道の家並み

岩神社参道
案内板 松並木跡案内板 古城山
水口岡山城址

東見付跡

のんびりとした街道を歩いてゆくと前方に小高い山が見える。古城山・・羽柴(豊臣)秀吉の命により築かれた水口岡山城址である。
かつては松並木があったであろう、松並木跡の石碑もある。しばらく行くと307号線に出る。ここを横断すると水口宿となる。
横断して100mほど行くと右に東見付(江戸口)跡があり、水口宿の東端・・すなわち江戸口であったことを示す。


水口・山車格納庫
宿場入口・町並
水口宿・本陣跡

本陣跡碑
高札場跡・三筋の道
左・東海道
宿場の町並

なお、西見付は宿の西端、五十鈴神社南側にあったと言われている(在った場所は確認できていない)。

そこから200mほど行くと元町で、ここには脇本陣跡と本陣跡があり、道の左側奥に本陣跡の石碑と共に明治天皇聖跡碑が残っている。
少し行くと道の分岐点(三筋の道との案内板がある)に復元された高札場がある。旧東海道は高札場の左手の道で、問屋場跡の案内板が
民家の角に立っている。その先の交差点の右側に「お休み処」がある。ここに「からくり時計」がある。12時2分前に着く。
根津講師のサプライズでここまで急いだ訳がここで明かされる・・12時に「からくり」が動き始める。

べんがら格子の町屋 問屋場跡石碑 問屋場跡 からくり時計の前で 商家・呉服屋
鴨長明発心の地碑

この時計の右側奥には水口市内を見渡すように大岡寺(だいこうじ)がある。水口岡山城築城に当たり祈願寺として建てられた寺は古刹
の威容を感じられる。境内には
「命二つの中に生きたる桜かな」と詠まれたた水口八景の一つに数えられている、桜と共に弟子との絆を詠んだ
芭蕉句碑がある。
水口の宿場に入ると赤茶色に塗られた格子が目立つようになる。ベンガラ格子と呼ばれる連格子が並ぶ家並みの中を歩く。
べんがら:弁柄:酸化鉄顔料でかつてはインド、ベンガル地方から輸入され、耐熱・耐光・耐水、耐酸に優れているいる。

大岡寺(だいこうじ)
鐘楼

芭蕉歌碑
大徳寺案内板 山門 本堂

700mほど歩いて行くと、右側奥に徳川家康縁の「家松山大徳寺」がある。案内には「慶長5年(1600年)徳川家康公が関ヶ原陣の
上洛の際、叡誉上人(家康幼少の時、手習を教えた人)の出迎えで当寺に立ち寄り、松平家・家康公の二字より『家松山』の山号を貰い、
同時に釣鐘も拝受、寺紋に徳川の定紋(葵紋)、丸小右離れの『立葵』の使用の使用も許されたと言う。
また、ここの鐘楼・鐘は1672年(寛文12年)家康の命により建立されたと言う。
東海道は家康を語り、追いかけ・・中山道は皇女和宮を語り歩けと言われるが、ここにも家康の足跡があった。

家康腰掛石
家康寄進の鐘
水口コミュニティセンタ
山車
三筋の道 水口城

200mほど歩くと、近江鉄道水口石橋駅の踏切の直前の三角地帯にも、大きな「からくり時計」がある。踏み切り手前で根津講師の「回
れ右!の合図」振り返るとからくり時計を中心に「三筋の道」・・水口宿の特徴を見る事ができた。
水口石橋駅には電車が到着していた。なんと!なんと!西武の「レオマーク」を付けた車両であった。カメラを向けるが間に合わず、撮れ
ていたら「お宝画像」になっていたかもしれない。(電車を取りに来たのではない・・街道歩きだ!)

水口の山車が展示されているコミニュティセンターに寄り、センターの職員さんの解説で山車を間近に見る事ができた。
踏切を渡って200m行った先の丁字路を右に曲がり、さらに100m先で左に曲がる、城下町特有の曲がり道(曲手:かねんて)の途中
から左に入った先に水口城址がある。碧水城とも呼ばれるこの城は、寛永11年(1634年)三代将軍家光の上洛の際に築かれた。
その後、加藤盟友が入り、湧水の青々とした堀に浮かぶこの城を「碧水城」と呼んだ。
元の道に戻り、最後の曲がり角の右側に水口石がある

これは東海道に面した小阪町に伝えられる大石で「力石」とも呼ばれ「江戸時代の浮世絵師国芳が錦絵の題材にもしている」説明書きに
ある。この先には百軒長屋、武家屋敷跡(真徳寺長屋門)右側に見る事ができる。その先右側に「勧請縄」と呼ばれる形のしめ縄(画像
参照)が鳥居に結ばれた、五十鈴神社がある。


干瓢の花卉
水口城 水口石(力石) 百軒長屋跡 五十鈴神社 勧請縄(しめ縄)

ここは宿場の西端で、西見付が置かれていた(場所は定かでない)と言う。また境内左隅には林口一里塚跡の石碑がある。

宿場を抜けると一直線の道で、しばらく行くと松並木がある。このあたりは江戸時代には北脇畷と呼ばれていて、曲がりくねっていた道を
整備して一直線の道にしたところである。さらに真っ直ぐな道を歩いて行くと、田園風景が続く
五十鈴神社から約3Km歩いたところに、
道路標識に東海道は真っ直ぐと「矢印」があった。


林口一里塚

北脇畷

まっすぐな街道

柏木の町並

柏木公民館前の
モニュメント

泉一里塚

「矢印」の通り、東海道らしくない細い道を行き、細い川に架かる橋を渡る。橋を渡ると50mくらいのところの右側にお墓と並び立派な
泉一里塚跡がある。ここのお墓は野洲川の洪水で亡くなった無縁仏も祀っているとの事である。
さらに50mほど行き、広い道路に出ると、道路の正面に横田の大常夜燈がある。1822年(文政5年)建立の石造で街道随一の規模を
誇る巨大な常夜燈である。

この常夜灯の前には鈴鹿山から流れてくる横田川(上流の土山町では野洲川という)があり、江戸時代は「渡し」で越えていた。

ただ、渡しは往来が多く旅人は夜中でも多くの旅人が川を渡ったため、交通の安全を期して巨大な常夜燈が建てられたという。


横田の常夜灯

講師と大きさを
比較してください
野洲川(横田川)
対岸の常夜灯

天保義民の碑
三雲駅

川の対岸にも常夜燈がある。横田の渡しは「東海道13渡し」の1つとして重要視され、幕府直轄下に置かれた。この渡は下流側の国道
に横田橋がかけられたことにより廃止された。本来の東海道は渡しによる対岸経路であるが、現在は道がないので横田橋を渡り対岸に行く
事となる。街道歩きをしていると、このような経験は数多くする。

横田川沿い道を下流に歩いて行くと国道1号線と合流する。橋を渡って左に曲がって少し行くとJR草津線三雲駅前の丁字路に出る。

この駅前の道路が旧東海道であり、左へ曲がって横田川の方へ200m行くとJRの踏切の脇に常夜燈がある。
対岸にある横田の常夜燈と対になるものである。常夜灯の前の踏切を渡り、標識に沿って小高い丘に登ると巨大な「天保義民の碑
」がある。
三雲の過酷な検地に抗議した農民4万人がここに集結し、検地の無期延期を勝ち取ったが指導者80余名は処刑された。
この義民の霊を弔った碑である。

近江富士(右)
大沙川トンネル

弘法杉と天井川
大沙川(大砂川)

夏見一里塚跡

夏見立場跡
由良谷川トンネル
(天井川)

駅前に戻り、旧東海道を西へ向かって歩く。1.3Kmほど歩くと天井川である大砂(沙)川のトンネルの出会う。トンネルの先には杉の
巨木が聳えている。弘法大師がここで昼食を取り、使った箸を堤に挿したものであるといわれ、一本は洪水で流されたと言われている
「弘法杉」である。脇の大砂川の水は涸れていた。
街道の風情、田園風景の続く道を約1Kmほど歩くと集落の右側の空き地に石碑群がある。詳細な位置は不明と言われている「夏見一里塚」がある。石碑も案内板もない侘しい一里塚であった。この先1Kmほどの所にあたりに「夏見立場」の案内板が立っている。
由良谷川トンネル(由良谷川:天井川)をくぐると、その先の北島酒造の建物が見えるところが今日のゴールである。

今回のサプライズは国宝建築物「常楽寺」・「長寿寺」・「善水寺」を湖南三山と称し、国指定重要文化財の仏像が安置されている、近江西国霊場33
箇所めぐりの一番札所である、天台宗の常楽寺の参拝でした。檀家の無いお寺の住職の頑張りを笑いを交えて聞かせてくれた。常楽寺の見所は、
国宝の本堂と三重塔である。

常楽寺(本堂・三重塔) 常楽寺本堂
常夜灯
三重塔(遊歩道から) 本堂(遊歩道から) 本堂屋根

本堂は七間六間の入母屋造のどっしりした建物で、南北朝時代に建立、本堂の仏壇両側のひな壇には千手観音の眷属(けんぞく)である二十八部衆
などの仏像群が立ち並ぶ姿は壮観であり、中の厨子には本尊の秘仏・千手観音像が収められている。三重塔は、三間四方の本瓦葺で、室町時代の
もの。寺の裏山は寺の全景が見られるようにと住職が整備(現在もなお整備中である)し、遊歩道が造られ木々が植栽(約1000本)されている。
あと数年すると素晴らしい景観の寺となることであろう・・。



今日のコースは (今在家一里塚)→岩神社→水口宿→東見付(江戸口)跡→脇本陣跡・本陣跡→高札場(復元)跡→大岡寺→大徳寺 水口城址
 
力石→五十鈴神社・西見付→林口一里塚跡碑→松並木・北脇縄手→泉一里塚跡→横田の大常夜燈・横田の渡し→横田川(野洲川)→横田橋→三雲駅
 常夜燈天保義民の碑→大砂川(天井川)・弘法杉→夏見一里塚→夏見立場跡→(北島酒造)


クラブツーリズム 「街道を歩く 東海道53次 第32回 水口宿~大津」 街道案内人 根津信年 歴史講師 


                           2月27日 石部宿
 

 

2013. 2.26 水口宿~甲西    歌川広重が描いた東海道53次はこちらでどうぞ
           
 水口名物干瓢




2月26日(火)
江戸日本橋から水口宿まで441.4Km 
土山宿~水口宿間10.5Km

水口宿:宿場の歴史は古く、室町時代に伊勢参宮の宿村として設けられたの
が初めと言われている。

その後、1585年(天正13年)豊臣秀吉が家臣の中村一氏に水口岡山城
を築城させたことにより、宿場として整備された。
江戸時代には、東海道53次の50番目の宿場に指定されて発展した。
特産品としては、藤細工・煙管、干瓢などがある。
本陣:1軒・脇本陣:1軒・旅籠:41件

この地図上の寺社・旧跡、名所等の位置は目安です。
街道地図・現地案内板等で確認してください。