この地図上の寺社・旧跡、名所等の位置は目安です。
街道地図・現地案内板等で確認してください。
Blowin' in the Wind 2013
                          
いっちゃん東海道を歩く・・

1月20日(日)

江戸日本橋から土山宿まで430.9Kkm、坂之下宿~土山宿間9.8Km                

道の駅・あいの土山から土山宿を経て旧東海道は1号線と時々交差し、1号線と並行して歩く。土山宿はよく「土山街並を愛する会」を中心に整備されていて、訪れる人を楽しませてくれる。

土山宿:土山宿は平安時代に伊勢参宮道が鈴鹿峠を越える旧東海道筋を通るようになって以来、難所を控える宿場として発達してきた。源頼朝が鎌倉に幕府を開くと京都と鎌倉を結ぶ交通路線として武士だけでなく、商人、庶民の通行も盛んになった。
特に江戸時代に東海道の49番目の宿場に指定されてから繁栄した。現在も本陣や旅籠の並ぶ町並みはきれいに整備されて残され、宿場町の面影を残している。
本陣:2軒・脇本陣:0軒・旅籠:44軒

道の駅「あいの土山」の脇の道を100mほど行くと丁字路になり1号線と並行に走る色の塗られた道路がある。

これが土山宿を通る旧東海道となる。丁字路を曲角左側に大きな宿全体の案内板があり、主要な史跡について説明がされていて、初めて宿へ入る者にとっては大いに参考になる。少し歩くと左側に、「ここから右京都へ15里、左江戸へ110里」道標と地蔵堂があり、さらにすぐその先の生野児童公園には、上島鬼貫の句碑がある。

上島鬼貫は大阪伊丹で生まれで、東の芭蕉、西の鬼貫と言われた俳人で、1686年(貞享3年)に鈴鹿峠に行く途中、土山に寄ってお六櫛を買い求めたときに詠んだ句「吹けば吹け 櫛を買いたり 秋の風」が、刻まれている。

お六櫛:お六櫛は木の梳き櫛で、木曽の特産品でであり、木曽の櫛職人が伊勢参りの帰途、病で土山宿の人に助けられました。そのお礼に六櫛の製法を伝えたと言う

「お六櫛商 三日月屋 土山の町並みを愛する会」の看板があった。土山町並みを愛する会は、街おこしから発展してできた組織で、看板は普通の民家に掛けられていた。
土山宿に扇屋という櫛を扱う店があった。近年、地域の住民がその扇屋を買取り改修後、扇屋伝承文化館としてギャラリー・喫茶・休憩所となっているが、生憎と開館前であった

土山宿案内板
土山宿案内石柱
道標・地蔵堂 上島鬼貴歌碑
お六櫛・三日月屋
扇屋伝承館

その先、右側に東海道一里塚跡(土山一里塚)碑が立っている。土山宿通りの町並みは、舗装された道路(旧街道は黄土色に染められている)の両側に昔の建物がならびとても整然としている。

町並みの入口付近にある来見(くるみ)橋の欄干には、宿ゆかりの広重の絵を描き、本陣・脇本陣・問屋場、旅籠跡等の石柱を立て、各戸には旧の屋号が掲げられているなど、隅々まで行き届いた心遣いで旧東海道宿を整備していることが伝わってくる。


東海道一里塚跡
土山一里塚
来見(くるみ)橋 白川神社
旅籠跡石柱
二階屋脇本陣跡 東海道伝馬館

来見(くるみ)橋を渡りすぐ左側には白川神社がある主祭神は須佐之男尊(スサノオノミコト)で、本殿は江戸時代末に造営され、他の神社と同様に幾つかの神社の祭神も合祀されている。「花蓋」という飾り物を奪い合う激しい祭りがあると案内にあった。
町並を歩くと道端には江戸時代の跡地石柱や屋号が掲げられている。屋号は他の宿場でもあった。珍しい屋号も多く、これを見ながら歩くのも楽しい。

石柱には、旅籠柏屋跡、旅籠大工屋跡、旅籠釣瓶跡、右側写真の屋号は升屋権兵衛跡などと記されて、その数の多さにシャッターを押すことを途中で躊躇する。
町並みの中ごろに来ると、右側に東海道伝馬館がある。
江戸後期に建てられた土山宿の富豪の民家を改築して、平成13年にオープンし、東海道五十三次の宿場の姿を、展示してある。当時の東海道(品川宿から京都)までの名物・みやげ品の陳列、安藤広重の東海道五十三次の絵の盆景、別棟の蔵には人形大名行列を再現と見て飽きない、感心するものばかりである。ちなみに盆景は菓子職人が作ったが、館のオープンを見ることなくなくなってしまったとの説明も聞いた。中でも「土山春の雨」にはことのほか情熱を注いだそうです。復元した問屋場も展示されている。
時間さえあれば館主さんの話を聞きながらゆっくり時間をかけて見学したい所である。

名産品展示 旅装束
盆景(箱根峠)
盆景(土山春の雨)
大名行列(人形)

大名行列(人形)

伝馬館からすぐの所の右側に、土山本陣跡碑がある。土山本陣跡は将軍、皇族、諸大名の宿泊所として1634年(寛永11年)に設けられた。

建物は黒漆喰塗りの壁に、籠目格子造りと呼ばれる旅籠独特の造りの2階建で、現在も調度類、宿帳(大名が食事した料理の献立などもある)、関札など当主の土山氏によって管理・保存されている。当日は閉館していた。

さらに数10m行くと右側の神社の赤い鳥居の前に、左から高札場跡、問屋場跡、大黒屋本陣跡の碑が並んで立っている。

大黒屋本陣は、土山本陣が諸大名の宿泊で収容しきれなくなったため、土山宿の豪商大黒屋立岡氏の旅籠を控本陣として指定したもの。その先、左側奥には森鴎外の祖父(土山宿で亡くなる:宿場に石碑あり)の供養塔、芭蕉句碑のある浄明寺がある。

土山本陣跡 土山宿町並 高札場・問屋場・
大黒屋本院跡

土山宿陣屋跡
淨明寺 森鴎外祖父供養碑

宿の町並みを出ると国道1号線と合流し、左側の駐車場の脇に御代参街道の道標が立っている。江戸時代に整備された街道で、土山宿から東近江までの東海道脇街道で、京の公家たちが伊勢神宮と多賀大社に代参を立て参詣した。
代参の者たちはこの脇街道を通ったので、御代参街道と呼ばれるようなった。

旧東海道は国道を横断して北へ迂回する経路をたどるが、現在、その経路は野洲(やす)川の横断ができないので、しばらく1号線に合流して歩く。

御代参街道道標 歌声橋
野洲(やす)川

日雲神社石柱

日碑雲神社
垂水斎王頓宮鳥居

300mほど歩いてから右の細い道に入り、野洲川にかかる歌声橋を渡ってさらに300m行くと、旧東海道に戻る。旧東海道から1号線を横断して水口消防署土山分署の脇の茶畑の先に、日雲神社、その先には天皇の名代として、伊勢神宮の祭祀をつかさどる皇女の宿泊のために用意された仮の宮を頓宮(とんぐう)と言い、ここには垂水斎王頓宮跡がある。5か所あったと言われる頓宮で確認されているのはこの地だけとの事。
土山茶・伊勢茶と呼ばれる歴史のある茶畑を歩き。国道に出ると向かいには伊勢神宮への道標が立っている。旧東海道に戻るしばらく歩くと、街道の左手に「瀧樹(たぎ)神社」と書かれた大きな看板が見える。参道脇に並ぶ灯篭を見ながら長い参道を歩くと、由来は2000年前に遡ると言われる
瀧樹(たぎ)神社がある。本殿、天満宮の二社が並んでいる立派な神社である。斎王の起源とされる倭姫命(ヤマトヒメノミコト)が巡幸していた折の食事の場であった所で、下を流れる野洲川は斎王の一行が禊ぎをしたと言われている。
街道に戻り静かな街並みの右側に威風を放つ寺が現れる。
禅宗の地安寺である。徳川幕府成立の直前、16歳で即位した後水尾天皇ゆかりの禅寺で
寺には位牌がその安置されている。住職の話では黄檗宗の寺であり萬福寺が総本山である。京都ゴール後に訪れる寺である。
しばらく歩くと街道左側には垂水頓宮御殿跡の石柱が立っている。頓宮からはかなり離れている・・当時の頓宮の敷地の広さを感じる。

垂水斎王頓宮
伊勢街道道標
瀧樹(たき)神社
地安寺山門
地安寺
垂水頓宮御殿跡

冷たい風の吹く街道を歩いてゆくと、松並木の入口左側の電柱脇にに東海道反野(そりの)畷碑がある。

この松並木は大日川掘割跡と言い、水害で甚大な被害を受けていた市場村の村民が総出で1699年(元禄12年)から4年間かけて野洲川へ流す、延長504間、川幅4間の排水路を掘割した跡である。

様々な形をした間の立ち並ぶ松並木の途中には領地の境界を示す傍示杭も見られる。1Kmほど歩いた所で1号線を横断し、さらに1号線と並行に約1Km歩くと再度1号線に出る。この合流点の三角地帯に大きな東海道土山今宿の石碑と常夜灯がある。この地は土山の西端の今宿である。
この先は水口宿となる。ここで1号線を横断すると、そこは水口町で約400m行くと右側に大野市場市場一里塚跡がある。


一里塚跡
大野市場一里塚

大日川掘割跡碑
松並木
傍示杭

反野畷石柱

今在家一里塚

大野市場一里塚からは特に見るものもなく田園風景と町並みを冷たい風を切り歩く。このようなところのために用意しておいたのだろう・・根津講師の「戦国武将の長生きの秘訣と食事、養生訓について」の説明を聞きながらのカルチャーウオークとなる。生活習慣病については、多少・・気になるところがあるのでレシーバの声に聞き入る。黙って黙々と歩くよりも時間の早さを感じた。時々、坐骨神経痛の痛みが走る・・みなさんに心配をかけないように歩いてきたのだが・・そうこうしているうちに今在家の一里塚に辿り着く。冬の欅は葉を落とし幹と枝だけである。祝い事の五色の吹流しが風に舞っていた。
一里塚の隣には真新しい休憩所がある。団体であれ個人の街道歩きに、このような設備は嬉しい。
その先を左に下り1号線に出たところが今日のゴールである。今日も元気だ!!ビールが旨い!・・だが、今日の一日は昨日の後半から痛み出した坐骨神経痛との休憩時のストレッチで凌ぎながらの歩きでであった。心配していただいた皆様に感謝感謝です。

新幹線のホームで次からの(2、3月・57次)予定を聞かれた
「もう会えないネ・・じゃあ・・握手」同窓会の話も聞いている・・その時にまた・・。



今日のコース みちの駅・あいの土山→宿場案内板道標→地蔵堂・生野児童公園・上島鬼貫の句碑東海道一里塚跡碑来見橋→白川神社→旅籠柏屋・大工屋・
 釣瓶跡等々
東海道伝馬館土山本陣跡碑高札場跡・問屋場跡・大黒屋本陣跡碑→淨明寺→御代参街道道標→歌声橋(野洲川)→日雲神社→垂水斎頓宮跡→
 瀧樹神社→地安寺→
御殿跡石柱→大野市場一里塚→大日川掘割(反野畷)跡・松並木→傍示杭→東海道反野畷碑東海道土山今宿の石碑今在家一里塚跡


 クラブツーリズム 「街道を歩く 東海道53次 第31回 亀山宿~水口 街道案内人 根津信年 歴史講師

2013. 1.20 道の駅あいの土山~水口    歌川広重が描いた東海道53次はこちらでどうぞ
           
 土山春の雨