1月18日(金)
安藤広重の「東海道53次」の雪晴の舞台になっている、京口門跡碑が今回のスタートと地点となる。亀山城址を出た頃から雪となる。京口門を出る頃には本降りとなる。「雪晴れではなく雪降りに中のスタートとなる。約500m行くと左側に慈恩寺がある。慈恩寺は聖武天皇の728年(亀神5年)に行基が勅願により創建したと伝えられる古刹で、かつては7堂伽藍を備えた大寺であった。現在の堂は1829年(文久9年)に竣功したもの。
境内には薬師堂、筆塚がある。本堂には国指定重要文化財で等身大の阿弥陀如来像があり、平安初期彫刻の特徴をよく表している。なおこの陀如来像は、もともとは薬師如来像であったものを、その手を代えて阿弥陀如来にしたという。ここで雪が強く降り出す・・用意した雨具はバスのなか・・

雪の京口門 慈恩寺 忍山神社
野村一里塚

椋の巨木

茶畑

すぐ先の交差点を左に入り1号線を越えるとこんもりとした樹木のなかに「弟橘媛命生誕地」と云われる忍山神社がある。数度にわたって兵火に遭い、中世荒廃しましたが、近世には復興、1733年(享保18年)に亀山城主板倉勝澄によって社殿の修復がなされたと伝えられています。
元の交差点に戻りほとんど車の通らない道を、300mほど歩くと、右側にとても大きな木が見えてくる。

ここは野村一里塚跡で、1604年(慶長9年)徳川家康の命で亀山城主の関一政が築造したもので、一辺が約9mの石垣で囲まれた約3mの高さの盛土の上に、周り6m、高さが33mの樹齢400年という椋(むく)の巨木が立っている。三重県下に一里塚で現存するのはここだけで、国指定史跡となっている。のどかな道をさらに歩いて行くとの左側の道路際に、史跡大庄屋打田権四郎昌克宅跡の石柱がある。
昭和61年に建てられたものであり、当地の大地主宅跡である。

野村一里塚から約700m歩くと道は丁字路になり、旧東海道の標識がある。旧東海道は直角に曲がる右手になる。そこから少し歩くと左側に長い参道の布気皇舘太神社(ふけこうたつだいじんじゃ)がある。この神社のご祭神は天照大神、菅原道真をはじめ22の神々が祀られているとこと。

鳥居の先の参道には灯篭が並ぶ・・撮影のシャッター音が響く。撮った写真を観て皆、満足そう。


大庄屋打田家跡

布気皇館太神社参道

布気皇館太神社

大岡寺畷・桜並木
右 鈴鹿川
亀山大橋・広重画
関の小萬・もたれ松

さらに歩いて行くと、道は坂になり下って国道に出る、ここで根津講師の配慮と中村TDの連携でバスミート・・雨具を着ることができた。感謝感謝である。雨具一式(スーツ・ポンチョ、ザックカバー)はいつも用意しているが・・ザックの中に入っていない。3度目の懲りないウオーカーである。
国道と並んで走るJR関西本線を跨線橋で渡ると、鈴鹿川に沿った大岡寺畷が目の前に現れる。
畷とは、縄を張って真っ直ぐな道を作るという事である。その名の通り、見事に真っ直ぐなこの畷は東海道一長い畷である。

昔は松並木で、現在は桜並木となっている。鈴鹿おろしの吹雪の中を黙々と歩く。真っ直ぐな道を700mほど歩くと国道25号線の亀山大橋にくる。

この高架下の両側の壁には、100倍の大きさに拡大された広重の絵パネルが7枚飾られていて、目を楽しませてくれる。

遠くに白く薄化粧を下鈴鹿山脈を見ながら、左側の鈴鹿川に沿って行くと、やがて鈴鹿川の支流にかかる小野橋を渡り、約200m行くと道は二つに分かれる。右手の登り道が旧東海道になる。少し登って行くと関の小萬の「もたれ松」の案内板がある。江戸中期、久留米藩士牧藤左衛門の妻が、夫の仇を討つため旅を続けて関町の山田屋に宿泊した。この時、一女小萬を産んだ後に病死した。小萬は遺言にしたがい成人して亀山城下で武術を修行して、1783年(天明3)年に、見事仇敵軍太夫を討ち果たした。

当時、亀山通いの小萬が若者のたわむれを避けるために、姿をかくし、もたれたと伝えられた松がこの場所にあったことから「小萬のもたれ松」と呼ばれるようになった。  「関の小萬の亀山通い 月に雪駄が25足」(鈴鹿馬子唄)



江戸日本橋から関宿まで414.6Km、 亀山宿~関宿間5.9Km

関宿を縦断する旧東海道は国道1号線と並行に走っている。関宿はとてもよく整備され、古い建物も昔のまま保存されていて、十分歩き応え、見応えがある。前回まで、今回、歩いた中では、由比宿・袋井宿・御油宿、土山宿(1/20)とともに、推薦したい宿場である。

関宿:関町は古代から東海道、伊勢別街道、大和街道の分岐した交通の要衝であり、古代三関の一つ「鈴鹿の関」がおかれていた所である。関の名もこの鈴鹿の関に由来している。
江戸時代には47番目に宿場町として参勤交代や伊勢参りの人々などで賑わった。東西追分の1.8Km間に江戸時代から明治時代にかけて建てられた約200軒の古い町並みが残っている。旧東海道で唯一歴史的な町並みが残る宿として、昭和59年国から重要伝統的建造物保存地区に選定された。
江戸期の特産物はこんにゃくと火縄であった。 
古代3関とは、646年(大化2年)に創設され、不破の関(美濃)、愛発(あらち)の関(越前)と鈴鹿の関である。
本陣:2件・脇本陣:2件・、旅籠:42軒
 


そこから500m程歩くと左に分岐する道の入口に東追分「一の鳥居」がある。ここは旧東海道と伊勢別街道の分岐点で関西からの伊勢参りはここから向かった。この一の鳥居は伊勢神宮を遥拝するために建てられたもので、現在のものは昭和52年に内宮宇治南橋詰めの鳥居が移されてきたもの。

周りに一里塚跡碑、常夜燈がある。

東追分から、関町に入るときれいに手入れされたほぼ真っ直ぐな道路(旧街道)が、西追分までの約1.8Kmにわたって続いている。道の両側には昔ながらのたたずまいが並び、また、電柱やテレビアンテナがなく、映画のセットのようなきれいな町並みである。雪の降る中の静けさはまさに江戸時代に戻ったような錯覚を覚える。

一の鳥居
関一里塚
一の鳥居から どこにも飾ってあります 雪の町並 雪降る中に・・

「関宿」中心に、東側を関東、西側を関西と呼ぶと説明があった。関東関西の話でどこかで聞き覚えがある。

冬の寒さの厳しいところなのであろう。道路には凍結防止剤があちこちにおいてある。町の中を歩いて行くと、右手角の小さな広場に御馳走場案内板がある。ここは関所に出入りする大名行列の一行を、宿役人が衣服を改めて出迎えたり見送ったりした場所である。また大名行列もここから毛槍をふりたてて本陣まで行列した。

町並(亀山方面)
御馳走場跡
雪の町並 延命寺山門
(河北本陣の門)
瑞光寺山門
本殿・権眼柿
     (右手前)

町並みを歩き、右手に入ると川北本陣の門を移築した立派な門構えの延命寺がある。路地を行くと、その突き当たりに瑞光寺がある。この境内には徳川家康が上洛の折り関宿に立ち寄った時、賞味したと伝えられている権現柿の木がある。

もとの道に戻り関まちなみ資料館を左に見ながら少しと行くと、右側に鶴屋の建物がある。この鶴屋は、玉屋、会津屋とともに関宿を代表する旅籠で、江戸時代の終わりには脇本陣もつとめた。座敷の前の千鳥破風がその格式を示している。

福蔵寺・山門
鶴屋脇本陣跡
説明案内板 菓子舗・深川屋
深川屋にて
深川屋展示物

すぐその先の右に川北本陣跡碑がある。その斜め前の反対側には、ひと際目立つ真新しい造りの百六里庭・眺関亭がある。この玄関を入るときれいな小公園になっている。関宿が江戸から百六里余りあることからこの名がつけられた。また、この2階の眺関亭からは関宿の町並みが一望できる。

さらにその数軒先の左側には、いとう本陣跡碑がある。玉屋、郵便局の前を通って少し行くと、右に入る細い道があり、突き当たりには織田信長の三男の織田信孝の菩提寺である福蔵寺がある。境内には仇討ちで有名な関の小萬の墓と記念碑がある。


深川屋・時計
まちなみ資料館 銭箱 階段・薬箪笥 鈴鹿の山並と町並 眺関亭からの眺望

町並にの中ほどのT字路を過ぎると、左に威厳を感じさせる地蔵院の本堂がある。この地蔵院は、741年(天平13年)に行基が伊勢参宮の帰途、三尺一寸の地蔵菩薩像を刻み、お堂を建てたのが始まりと伝えられている。本堂、鐘楼、愛染堂の3棟が国の重要文化財に指定されている。

「関の地蔵に振袖着せて、奈良の大仏婿に取ろ」と俗謡で名高い寺で、本堂の金網から覗いたが観ることはできなかった。なお、この地蔵さんは日本最古とのこと。

地蔵院の前の道路を挟んだ反対側には、代表的な旅籠の一つの会津屋がある。もとは小萬が育ったことで知られる山田屋であったところである。
ここで遅い昼食(山菜おこわと蕎麦)をとる。温かい蕎麦が冷えた体を生き返らせてくれた。

昼食後は菓子輔深川屋さんのご主人の話を聞く。手馴れた口調での説明は聞き応えがあった。ここでも関東関西の話があった。生活風習、食文化も関東・関西「ごっちゃ」とのことである。奥様の許可を得て店内の展示物を撮影・・お土産(関の戸)も購入。
この後は自由散策・・ツアーのなかでの自由散策は嬉しい・・雪も小降りになり雲の合間から青空も覗く。ゆっくりと宿場の雰囲気を味わうことができた。
まちなみ資料館では「たくさんの人が来てくれて嬉しい」と丁寧な説明をしてくれた。

伊藤本陣跡 高札場跡(復元) 町並 晴れ間の町並 会津屋 地蔵院

寺蔵院からは古い町並み続く、見え隠れする鈴鹿の山並み葉雪化粧である。700mほどで国道一号線と合流する。その合流点の三角地帯は小さな広場になっていて休憩施設があり、また関宿の西の入口にあたる西追分の看板が立っている。今日のゴールである。


地蔵院・常夜灯
町並(鈴鹿峠側) 町並(鈴鹿峠側) 町並(鈴鹿峠側) 西の追分
西の追分・道標

西の追分は加太峠を越えて伊賀上野・奈良に至る大和街道(現国道25号)との分岐点である。
ちらつく雪、降りしきる雪・・畷の吹雪・・雪の宿場、
晴れ間の覗いた眺関亭からの眺望・・鈴鹿の山並を背景にした町並・・大満足の街道歩きであった。



今日のコース  京口門跡→慈恩寺→野村一里塚跡→史跡大庄屋→打田権四郎昌克宅跡の石柱→布気皇舘太神社→大岡寺口畷→亀山大橋→小野橋→
  関の小萬の「もたれ松」→東追分→一の鳥居・一里塚跡碑・常夜燈→御馳走場案内板→延命・→瑞光寺(権現柿の木)→関まちなみ資料館→ 鶴屋・玉屋・
  会津屋・川北本陣跡碑・百六里庭・眺関亭・伊藤本陣跡碑→福蔵寺(関の小萬の墓と記念碑)→地蔵院→西の追分


 クラブツーリズム 「街道を歩く 東海道53次 第31回 亀山宿~水口」 街道案内人 根津信年 歴史講師

                           1月19日 坂下宿
 

 

Blowin' in the Wind 2013
                          
いっちゃん東海道を歩く・・
この地図上の寺社・旧跡、名所等の位置は目安です。
街道地図・現地案内板等で確認してください。
2013. 1.18 京口門跡~関宿・西の追分    歌川広重が描いた東海道53次はこちらでどうぞ
           
 関本陣早立