Blowin' in the Wind 2012
                          
いっちゃん東海道を歩く・・

旧東海道は国道1号線と合流して進むと磐田市の境界看板が現れ、ここから見付宿へ向かうことになる。磐田市に入、り約1Km歩き太田川にかかる三ヵ野橋を渡ると、1号線と別れ左折して裏道に入る。ちょっと歩いて右折してガソリンスタンドの裏に出ると十字路となるが、この交通量の激しい道には信号・横断歩道がないので左右を用心深くみながら横断した。そのまま1号線と平行したひっそりした松並木の道を西南へ歩く。

三ヶ野橋 太田川 旧東海道 松並木 大正の道標

すると左に、鎌倉道の標識が現れる。鎌倉古道への道標である。さらにまっすぐ歩く。徐々に登り坂となり、二股の分かれ道には右に「大正道」左は「明治道」の道標がある。上り坂を歩くと、左足元に「江戸古道」の道標の石が現れる。その先を見ると薄暗い道は落ち葉と枯れ枝の道となっている。

明治の道 江戸の古道 江戸古道 鎌倉古道 案内板

先日の台風の影響との事・・江戸古道と鎌倉鼓動が合流する先に大日堂があり「大日堂古戦場跡」である。小高い丘からは一帯が見渡せ、戦況を知るにはもってこいの場所である。元に戻り、明治道と合流する角の民家の空地には「明治の道標の石碑」「鎌田山薬師堂への道標の石柱」「車井戸の跡」が一緒にある。

大日堂・古戦場跡 道標石碑群
道標
松並木 遠州鈴ヶ森刑場跡

ここで道なりに進む。国道1号を右下に見て住宅に囲まれた磐田原台地の道を歩くとやがて下りになり、そして再び上り坂となり松並木が現れる。1Kmほど歩くと国道1号線と合流すると横断歩道の先に日本座衣文の首を晒したと言われる「遠州鈴が森刑場跡」の白い案内板が見える。歩道橋を渡って、刑場跡の急階段を登ると「無縁仏の石碑」がひっそりとある。1号線の右側歩道を歩く。200mほど歩いたところで1号線と別れて右の道に入り、三本松の急坂を下って行くと秋葉山常夜灯が左にある。1号線から別れて約500m歩いて坂を下り切った左に、江戸から62里の阿多古山一里塚跡の案内板がある。

無縁仏の石碑・・合掌
秋葉燈籠

木戸跡
愛宕神社から
見附市内を眺望
阿多古山一里塚

一里塚跡石碑は愛宕山の階段を上りきったところにある。道を挟んだ反対側には、見付宿木戸跡の標識がありここから「宿」に入ることになる。木戸跡から右に曲がって市街を歩くと、見附の学問の神様が祀られている「見附天神社」の大鳥居を見て「あと押し坂」と言われる参道を登る。

旧東海道に戻り、500mほど歩くと、右側のJA看板の脇に高札場が復元されている。

見附神社参道 あと押し坂・鳥居
霊犬悉平太郎像
六つ石(山門礎石跡) 見附神社

参道脇には一匹の犬の像・・狛犬?ではなかった。「霊犬悉平太郎(れいけんしっぺいたろう)」の話を聞いた。根津講師のサプライズ・・「白羽の矢と悉平太郎の活躍」の伝説話は真に迫って(現地で聞くことが一番)いた。これから参加する人は是非ともここで聞いてください。
さらに中川橋を渡って歩いて行くと、左側に鳥人・浮田幸吉の居住地跡案内があり、右に入ると墓の ある大見治がある。表具屋万兵衛で修行し、職人をしていたが、空飛ぶ鳥を見て、何とか自分も空 を飛んで見たいと、 鳩やすずめの研究をしライト兄弟より120年もまえに大空を飛んだと言う。当時の記録がないため「世界初めて記録」にはない。その先の右側に問屋場跡標識がある。さらに少し行くと右側に本陣跡の標識、道路の反対側には脇本陣跡の標識がある。見付宿の町並みの街灯は行灯を模した形であった。。

高札場跡
鳥人幸吉住居跡
大見寺山門 大見寺
幸吉の墓

本陣跡の次の交差点を右に入るとすぐのところに、淡海国玉神社に接して、左に旧見付小学校の白い建物がある。この建物は明治8年に建てられ、2階建の屋上に2層の楼がおかれていた、その後、明治16年に3階部分が増設された。現存する日本最古の木造小学校校舎として国の史蹟に指定されている。現在は教育資料館として利用されている。見附近在の子供たちは夏休みなどを使い、ここで明治時代のの勉強を体験するそうだ。

飛行機の模型
(大見寺本堂内)
法然上人歌碑
月かげの・

問屋場跡

本陣跡
旧見附学校 クリック

ここでのサプライズは「明治時代の授業」受け、学校内の見学であった。普段見られない明治の貴重な資料を見ることができた。淡海国玉神社は平安時代からの遠江の国の総社である。

元の道に戻り400mほど歩くと十字路になるので、左折して南へ歩く。なお直進して西へ行く細い道は浜名湖の北を迂回する姫街道の起点となる。

淡海国玉神社拝殿 参道から 脇本陣の門 又一庵 姫街道

姫街道:姫街道(ひめかいどう)は、東海道見附宿(静岡県磐田市)と御油宿(愛知県豊田市)を結ぶ東海道の脇街道である。浜名湖の北側、本坂峠を越える道で、本坂道、本坂街道、本坂通りとも言う。姫街道と呼ばれるようになったのは幕末からだが、名称の由来は、新居関所の執拗な取り調べを嫌った女性たちが、新居宿を避けて浜名湖の北側の陸路を利用することになったのが、東海道の脇往還(脇街道)「姫街道』発祥と一般的には言われている。


西木戸案内板

西木戸
遠江国分寺案内板 遠江国分寺跡 府神社鳥居

左折するとすぐの所に木戸跡の標示があり、ここが宿の西の入口(何故か??か西を向いていた)となる。なお本陣跡などいろいろ標示があるが、これらの中で現在遺構が残っているものは見られない。すこし進み「西木戸跡」のレプリカがある。振り返ると・・「西木戸跡」の案内板が見える。
加茂川バス停から少し先で、案内板があり右に入ると約600mのところに遠江国分寺址がある。741年(奈良時代)に聖武天皇の詔によって建立されたもので、寺域は180m四方ある。七重の塔の礎石などが残り国の特別史蹟に指定されている。
国分寺跡に来ると「どこかで見た風景だな・・」と思うのは私だけだろうか?
街道に戻ると対面に「府八幡宮」がある。奈良時代に遠江国司の桜井王が国府の守護神として勧請した神社といわれ、大鳥居をくぐると桜門、中門、拝殿、本殿と続く。桜門は1635年(寛永12年)建立で県指定文化財、中門は同じく1635年で市指定文化財、拝殿は1635年、本殿は1617年(元和3年)に再建されてそれぞれ市指定文化財となっている。本殿前には「地の輪」が造られていた。

府神社・山門 拝殿、智の輪 府神社・土塀 今日のお弁当 又一庵・きんつば

参加者全員での堂々巡り(邪気を払い、祈る)は見事であった。今日(今回)ゴールはここである。二日間、「街道歩き紹介用」の写真を撮りに同行した、杉本カメラマンと講師、反保TDと仲間たちの笑顔と笑い声の絶えない楽しい「街道歩き」でした。


今日のコースは 磐田市三ヵ野橋→松並木→(三ヶ野七つ道)明治の道標→江戸古道道標→鎌倉古道道標→大日堂古戦場跡→明治の道標・石碑群→
 遠州鈴ヶ森刑場跡→秋葉山常夜灯→阿多古山一里塚→見付宿・木戸跡→見附天神社→高札場跡・問屋場跡→旧見附学校→淡海国玉神社→本陣跡・
 脇本陣跡→姫街道入口→西木戸跡→遠江国分寺→府八幡宮

クラブツーリズム 「街道を歩く 東海道53次 第25回 袋井宿~見附宿」 街道案内人 根津信年 歴史講師 


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2012. 6.27 原川~袋井宿~見付宿    歌川広重が描いた東海道53次はこちらでどうぞ
           

江戸日本橋から見付宿まで236.3Km、袋井宿~見付宿間5.9Km

見付宿:西から東へ旅する人が初めて富士山を見るのがこの見付の宿であったということから、見付という名前も
富士を「見つける」からきたと言われている。見付宿は大火や地震などで昔の面影を残しているものは少ない。
本陣:2軒、脇本陣:1軒、旅籠:56軒

2012. 6.27 袋井~見附宿    歌川広重が描いた東海道53次はこちらでどうぞ
           
2012. 6.27 原川~掛川宿

江戸日本橋から袋井宿まで230.4Km、掛川宿~袋井宿間9.5Km

この宿の売り物の一つは多分、ど真ん中袋井であろうか、これは東海道53次で日本橋から数えても、京都から数えても27番目に宿と言うことを意味しているらしい・・街の中はどこもかしこも、何もかも「ど真ん中」である。

前の掛川宿では、仲道寺が測量でちょうど中間ということであったが、いずれにしても東海道の真ん中はこの辺なのであろう。

袋井宿:袋井宿は徳川幕府が宿駅制度を定めてから15年遅い1616年(元和2年)にできた宿である。その理由は通常、宿間の距離は平均2里あまりであったのが、掛川と見付宿間は4里に近かったため、間に袋井が設けられた。袋井宿の街並みは約570mほどで、東海道宿でもっとも短かった。
本陣:3軒、 脇本陣:0軒、 旅籠:50軒


原野谷川にかかる同心橋を渡ると、道路上に袋井市の標識が掲げられている。橋を渡るとてすぐ国道1号線と別れて左に折れると「名栗花茣蓙公園」と書かれて小さな公園がある。江戸時代には、旅人が休息する場所「立場」として知られ特に花茣蓙(はなござ)で有名であった。


同心橋
名栗花茣蓙公園 富士浅間宮大鳥居 松並木 妙日寺

「東海道中膝栗毛」には、「旅籠もあり名物花茣蓙を売る店が軒を連ねるほど繁盛していた」とある。公園から数100m行くとフェンスの脇の歩道は、松並木と桜の木に囲まれて延々と続く快適な道であった。なお、道路を挟んで右側には工場の建物が平行してあり工場地帯でもある。しばらく行くと右側に真っ赤な鳥居が現れる。これは富士浅間宮赤鳥居で、本殿は鳥居の左側の道を北へ800mほど行ったところにあり「桃山時代の建築物で国の重要文化財となっている」と案内に書かれている。

赤鳥居から1Kmほど歩いた右側の奥まったところに、妙日寺がある。ここは日蓮上人の曽祖父の政直から重忠まで4代の屋敷跡で、重忠夫婦の墓が祀られている寺である。四代目となった重忠の時に、源平両軍に協力したと、この地を追われ安房(現千葉県安房鴨川)に配流の沙汰が下り、配流の地安房の地で誕生したのが「日蓮」である。境内には遠州七不思議のひとつである「片葉の葦」がある。


父母顕彰の寺案内

五輪の塔
墓所
片葉の葦
久津部一里塚

すぐ左隣の袋井東小学校の校庭に「久津部一里塚」がある。この塚は昭和48年に袋井東小学校創立百周年記念で復元したものとのこと。
妙日寺から800mほど行く十字路があり、その左側に法多山へ5kmの「道標石碑」がある。西へ1Kmほど歩くと左側に「秋葉灯篭」が立っている。500mほど先には袋井市役所があり、市役所前をまっすぐ道なりに行き、広岡排水路にかかる新屋橋手前から右に曲がるのが旧東海道となる。

袋井東小学校
どまん中東小学校

油山寺道標
法多山道標 松並木 松並木案内板

その先の左側に袋井案内板「ここより袋井宿」の石柱が並ぶ。そこから20mほど行くと丁字路になり、排水路にかかる左の天橋を渡ると右には小さな公園があり、宿の案内板、標識、白い大幟とともに昔風に模した「袋井ど真ん中茶屋」で一服・・湯茶の接待を受ける。公園を過ぎるとすぐ道は二つに分岐するが、左の細い道が旧東海道である。分岐してから300mほど歩くと、右側の整備された空き地に「東本陣跡」がある。正面に見える柱は復元された門ということである。


秋葉燈籠

どまんニャか
袋井宿石碑・案内板 どまんなか・・ どまんなか茶屋

その先にはボランティアで運営されている「丸凧保存会」にサプライズで案内してもらい、丸凧の話を聞く・・保存会の人達の苦労が伝わってくる。
袋井宿には、西、中、東の3つの本陣があり、東本陣は代々八郎左衛門を名乗る田代家が営んでいた。敷地は1068坪、建坪288坪、間口13間半、奥行き31間という大規模なものであった。本陣に許されていた門構えと玄関が復元されている。

本陣跡 宿場公園・高札場跡 宿場公園
問屋場跡
丸凧保存会

東本陣跡から50m行くと十字路に出る。その左コーナーの小さな袋井宿場公園には、「どまん中袋井宿」の町作りに関連するものが備えられている。東海道53次で、袋井宿は日本橋からも京都からも数えるとちょうど27宿目になるので、どまん中という表現が使われている。訪ねたときは袋井宿のあちこちに、この表現が見ることができた。

十字路を右へ行くと、日本唯一の火防守護で秋葉信仰の総本山である、秋葉山本宮秋葉神社に向かう道である。十字路を横断するとすぐ左に「問屋場(人馬会所)跡」と書かれた石碑がある。横断して200mちょっとで仲之川にかかる「御幸橋」へたどりつく。その手前の左のコーナーに「秋葉山常夜灯」のある本町宿公園がある。秋葉山常夜灯は火伏の神様、秋葉山三尺坊大権現に対する庶民信仰で江戸時代に入る盛んになったと聞いた。

特に東海から関東地方にかけて数多くの秋葉講が生まれ、各地に分社や常夜灯が建てられたとの事・・。
この公園には、「従是 袋井宿」の木製標識があるので、ここが西の入口であることが分かる。後ろを振り返ると今来た宿の町並みが見えた。きれいに整備されていて、すばらしい宿であった。ただ、史跡など少なくあっという間に過ぎてしまう「宿場」であるような気がするが、それをを感じさせないほど、地元の「宿」対する取り組みが熱心と思われた。


丸凧
本陣跡・常夜灯
御幸橋
袋井西小学校
どまんなか西小学校
旧澤野医院(記念館)

御幸橋を渡り、道なりに西方へ約500m行くと袋井西小学校の校門にも「東海道ど真ん中西小学校」の看板がかかっている。脇道のすぐ脇、川井バス停脇のすぐ左側に白い建物がある。これは袋井市の指定文化財で記念館「旧澤野医院」の建物である。この医院は、澤野家が幕末から昭和初期までに建築した4棟の建物群で、居宅は純和風で幕末から明治初期、病棟、渡り廊下、洋館は洋風で昭和初期に建築されたもの。東海道に面した医療建築施設として類例が少なく貴重な存在ということである。
そこから200mほど行くと国道1号線と合流し、さらに約500m行くと用水路にかかる木原松橋を渡り、1号線と別れ右の細い道に入り1号線と平行して歩く。しばらくすると右に最近原寸大に復元された江戸から61番目の「木原一里塚」がある。そこから少し行くと、右手に1572年(元亀3年)に武田信玄と徳川家康が戦った古戦場「木原畷(木原畷)」へ行く細い道があるが、片道400mであるが、言っても見るものはないとの事・・
さらにちょっと行くと右に「郷社許禰神社」がある。この入口のすぐ左に、徳川家康が関ヶ原の戦いに訪れた時に腰をかけたという石がある。木原畷には何もないという事で、講師のサプライズは武田軍の進軍と徳川の守りの話であった。境内の地面に小枝で地図を書いての説明・・大河ドラマ出でてくる戦略絵図を観ているようなリアリティがあった。

街道筋の旧家 木原一里塚 木原畷・家康腰掛石 許穪神社 境内御神木

旧東海道は400mほど迂回して、再び1号線と合流し、ちょっと歩くと目の前に磐田(いわだ)市の境界看板が出てくる。
ここからは見付宿へ向かうことになる。



今日のコースは 同心→同心寺→名栗花茣蓙公園→富士浅間宮→妙日寺→道標石碑→久津部一里塚→袋井碑が所為小学校→袋井総合センター
 →新屋橋→ 袋井宿場跡・ど真ん中茶屋→東本陣跡→袋井宿場公園→問屋場跡→高札場跡・秋葉山常夜灯→御幸橋→袋井西小学校→旧澤野医院→
 木原松橋→木原一里塚→郷社許禰神社(木原畷・古戦場跡)→(磐田市へ)

クラブツーリズム 「街道を歩く 東海道53次 第25回 日坂~見附宿」 街道案内人 根津信年 歴史講師

袋井出茶屋の図
見附天竜川図