日本橋から掛川宿まで220.9Km、日坂宿~掛川宿間7.1Km
Blowin' in the Wind 2012
                          
いっちゃん東海道を歩く・・
掛川宿 : 掛川城主の山内一豊が都市整備をした城下町である。また掛川宿は、宿西はずれの大池橋
        から秋葉神社へ続く秋葉道があったので、神社詣での参詣客で大いに賑わったと言う。掛川の
        名産は葛布で、秋の七草の一つである葛の藁からとった繊維で織り上げる。
        現在でも織元が残り生産されている。
                                本陣:2軒、脇本陣:0軒、旅籠屋:32軒
 

事任八幡宮を出ると、国道1号線をほぼまっすぐ南西方向へ1Kmほど歩き行動1号線と別れ、浮き橋が参道となっている「塩井神社」がある。浮き橋が見当たらず?鳥居からの参拝。その先右に嵐牛美術館を見て、少し歩くと「福天大権現参道」道標の石碑がある。その先には江戸より57番目の「伊達方一里塚跡」石碑が立っている。一里塚を後にして約250m歩くと旧東海道は国道1号線に合流するが、さらに150mほど歩いて1号線と別れて左に入り、400mほど迂回して再度1号線と合流する。
1号線を歩く。右側の小高い山にはパンチパーマのような茶畑、「このあたりに立場」があった所の説明、今も残っている民家の立派な門、ほぼ西へ約2.5Km行くと、本村橋交差点で国道1号線と別れ左の道に入り、蛇行して流れている逆川の脇を左に見て、800mほど行くと、左側の掛川農協西山口支所の脇に、「大頭龍大権現」と「福天大権現参道」道標の石碑がある。

掛川宿と深い交流のあった川崎湊(現静波町)へと続く川崎街道の起点ともなっていた。さらに西に歩き、旧東海道への分かれ道には小さな祠に綺麗な顔の馬頭観音が小さな祠の中にある。逆川にかかる馬喰橋(親柱は馬の顔をモチーフにしたユニークなものである)を渡ると左側のたもとの、直径1mほど小さく盛り土されところに、江戸から54里の「葛川一里塚」がある。このあたりからは市街地に入ったという景観で、きれに舗装された道が続く。

500mほど行くと旧東海道は左に入る。この角が東海道七曲りの東入口である、城への侵入を容易にしないための枡形に造られた道である。突き当たりの路地(人一人通れる程度・・)を入る。どこへ・・と思いきや「うまい茶はこころのゆとり」の「かねも」さんへ案内された。おかみさんの入れてくれたお茶(温・冷茶)と北海道の牛乳と地元のお茶で作ったというチョコでのおもてなし・・払い下げられたと言う掛川城の「鬼瓦」は店内に展示されている。店の脇には掛川城瓦(払下げ)で造られた門があり、掛川の歴史と、瓦の説明があった。疲れを癒される、根津講師の最初のサプライズである。元の道に戻り折れ曲がった幅3mほどの細い道が続き、秋葉灯篭、七曲の案内板が見られる。中心街に入ると綺麗に整備された街並みに入る。

「本陣跡」「立場跡」等の位置を示したものは残されておらず少々残念・・。

この中心街が掛川宿跡で、城下町通りに来ると左側にJR掛川駅、右手には掛川城の大手門、番所跡が見られ、その奥には逆川にかかる緑橋があり、そこは両岸に咲くユリと掛川城が見える絶景ポイントでもある。

大手門は馬に乗って通れる高さのある立派な門であり脇には「礎石根固めの石」が保存展示され、正面には番所が残っている。大手門と番所が共に残されているのは貴重であるとの事。

番所跡から歩道、緑橋へ行くと木々の間から白壁の城、緑橋からは城全体が見渡せ、絵のような景観に見とれる。お城見学はのちほど・・城の東側にある天然寺に立ち寄る。オランダ使節団の一員であった「ケイスベルト・ヘンミィの墓」がある。墓はかまぼこ型で表面にはオランダ語でその由来が書かれていると説明もあったが、文字はかすかにしか見えない。

緑橋から北へ5分ほど坂を登り。第一小学校のグランドを見下ろす小高い丘に、龍華院大猷院霊屋(りゅうげいんたいゆういんおたまや)がある。朝比奈氏時代の掛川城の本丸跡であり、三代将軍家光を祀った霊廟がある。明暦2年(1655年)北条氏重の建立であり、嗣子のない氏重がお家断絶の打開策として建立したが、その甲斐むなしく、氏重死去に伴って断絶し、領地没収となる。

坂を下り西側には、江戸時代に家老等重臣の屋敷地、侍屋敷があったという「竹の丸」がある。明治時代には葛布を扱う豪商松本家がそこに邸宅を構え、その後、松本家が転居、邸宅は掛川市に寄贈され「竹の丸」として、文化的価値が見直され、平成19年から建物の修復工事が行われ、有形文化財として、一般公開されている。

竹の丸から市街地に降り中央図書館の手前には、金次郎の像で知られる二宮尊徳が唱えた報徳思想「至誠」「勤労」「分度」「推譲」の普及と実践を行う報徳社の本社。国の重要文化財、大講堂大広間のほか、正門に仰徳学寮に仰徳記念館などの掛川市や静岡県の歴史的建造物・指定文化財がある。

中央図書館前の池にいる亀・水鳥、鯉を見ながら掛川城に向かう。

掛川城は、豊臣秀吉の命を受けて山内一豊が旧城を大改修したもので、その城下町も逆川を利用した境掘に囲まれ、東海道の七曲がりによって敵の侵入を防ぐ構造とし、侍町と町人地の厳しい区分けなどして本格的な都市計画に基づいた新しい街作りをしたとの事である。御殿前の石垣は扇形の石で組まれた美しい形、三日月濠の説明を聞きながら城に入る。各層に展示物があり天守閣では「葛布」の説明があり1㎡で約1万円の説明に触っていた手が引っ込む。天守閣の内装はこの葛布が貼られている。この後、小崎葛布工芸の見学が実現。

城から眺めた「掛川城御殿」を見学する。石と砂利で造られた庭からは城を眺められる。

掛川城:戦国時代には東海道を扼する遠江国東部の中心、拠点として掛川はしばしば争奪戦の舞台となった。朝比奈氏によって逆川の北沿岸にある龍頭山に築かれたとされ、現在見られる城郭の構造の基本的な部分は安土桃山時代に同地に入封した山内一豊によるものである。本丸を中心に、西に搦手、南東に大手を開き、北に天守曲輪である天守丸、その北に竹之丸、南に松尾曲輪、西に中の丸、東に二ノ丸と三ノ丸、その南を惣構えで囲んだ梯郭式の平山城であった。明治以降は、廃城令によって廃城処分とされ建物の一部を残して撤去され、道路や庁舎の建設によって大半の遺構が撤去されている。現在は、1854年に倒壊した天守や一部の建物、塀が復元され、堀や土塁、石塁の復元が行われている。 Wikipedia より


お城見学の後は「小崎葛布工芸」に立ち寄る・・今日、二つめの講師のサプライズである。天守閣の壁に貼られた葛布を見て、説明を聞いた後だけに、ビデオによる葛布になるまでの工程に見入り、その価格にも納得・・店内に飾られた葛布工芸の品々に目を見張る。土手、草むらに蔓を伸ばす「葛」・・「葛湯・くずもち」、秋の七草でしか知識がないわが頭も「葛」を見直したひと時であった。

旧東海道に戻り少し行くと右に、掛川市指定文化財「蕗(富貴)の門」がある。この門は掛川城の内堀畔にあった「蕗(富貴)の門」で、廃城とともに明治5年に円満寺山門として移築されたものである。

蕗の門から600mほど行くと、道は二つに別れるが右手が旧東海道で、ここからは十九首(じゅうくしょ)町になる。すぐ右側には平将門を祀った「成田山遥拝所・東光寺」があり、「桜みし 心しづま ボタン哉」の嵐牛句碑がある。十九首(じゅうくしょ)町の町名由来となった、19首塚(現在は元の場所より移され保存されている)がある。平安末期朝廷に反乱を起こした関東武士の平将門以下19人の首が埋められたと伝えられているところである。現在は元の場所より500mほど移動して祀られている。

住宅街を抜け逆川にかかる逆川橋を渡ると掛川宿から出る。二瀬川交差点で国道1号線に合流する。1号線を約600m行くと倉真川に大池橋を渡る。
この大池橋は昭和36年竣工のコンクリー製であるが、昔の大池橋は、長さ約52m、巾約5.7mの土橋であり、広重の絵に描かれているところとの説明があった。大池橋を渡ると案内板があり旧東海道は左折して県道253号を川沿いに歩く。約500m直進すると天竜浜名湖鉄道のガード下に到達する。その先、約800m歩くと十字路があり、江戸から59里目の「大池一里塚跡碑」跡案内板がある。
さらに500mほど行くと、左に曲がる道がありそこには逆川にかかる和光橋があり、道なりに掛川バイパスの下をくぐり約1.5Km行くと垂木川にかかる善光寺橋を渡る。橋のすぐ先に奥に通ずる階段がある。階段の先に、左に善光寺、右に仲道寺が並んでいる。
善光寺にある阿弥陀仏は、坂上田村麻呂の守り本尊であったと伝えられている。仲道寺は、江戸から京都まで測量したところ、この寺が東海道の真ん中であったので仲道寺と名づけられたという。

500mほど行くと、美しい岡津の松並木があるが、この周辺では岡津から原川に僅かに残っているだけであった。松並木を西に向かって歩くと東海道掛川宿と袋井宿の間の宿、原川に着く。原川の東端にある金西寺のご本尊さまは「薬師瑠璃光如来」との事である。
道は1号線と合流し、100mほど歩くとそこには原野谷川にかかる同心橋がある。同心橋の手前が今日のゴールである。

この橋を渡るとそこは袋井市となり、袋井宿へ入ることになる。


今日のコースは 事任八幡宮伊達方一里塚跡石碑→塩井神社→馬頭観音→大頭龍大権現・福天大権現参道道標馬喰橋葛川一里塚→
 東海道七曲り東入口
→常夜灯→かねも→塩の道碑・七曲り案内板→掛川城祉(大手門・番所跡)→天然寺→龍華院→竹の丸→大日本報徳社本社→
 掛川城・掛川城御殿→小崎葛布工芸→蕗(富貴)の門→成田山遥拝所・東光寺→
将門十九首塚大池橋大池一里塚跡碑善光寺橋
 善光寺・(仲道寺)
→岡津松並木→金西寺→原川


クラブツーリズム 「街道を歩く 東海道53次 第25回 日坂~見附宿」 街道案内人 根津信年 歴史講師

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2012. 6.26 日阪~掛川宿    歌川広重が描いた東海道53次はこちらでどうぞ
           
掛川秋葉山遠望