日本橋から興津宿まで160Km、 興津宿〜江尻宿間4.1Km   

興津宿:昔は奥津、息津、沖津とも呼ばれていた。興津は、興津川の下流部にあり、東は興津川、薩堙峠、西は清見寺山が駿河湾に迫る難所に位置することから、古代より清見寺山下の清見関は坂東(関東地方)への備えの役割を果たしていた。
東海道17番目の興津宿場は、難所の薩堙峠を越えてきた旅人の休憩として、越えて行く旅人の旅装を整える宿として賑わいを見せた。町並みは東西に4.2Kmあった。興津からは身延、甲府へ通じる甲州往還(身延街道)が分岐する、交通の要衝でもあり、興津・三保で作られた塩を甲州や信州に運ぶために利用されたことから「塩の道」とも呼ばれている。
興津は明治元勲たちの別荘地でもあった。東海道線が静岡まで開通し興津駅ができた明治22年のその年、皇太子(大正天皇)が清見寺に滞在し海水浴を楽しんだことが全国的に有名になり、それがきっかけで、伊藤博文、松方正義、西園寺公望など多くの人がこの地に別荘を建てた。
本陣:2軒、脇本陣:2軒、旅籠:34軒

JR興津駅が今日のスタートである。街道に出て300mほど進んだ右側に耀海寺がある。耀海寺は日蓮宗のお寺で「夏心さんのお寺」と呼ばれています。夏心堂・本堂、もともとは石塔寺跡にあった道標には、「三のぶさん」と書いてあり、割れてしまったため、この寺にに移動したそうです。


興津駅前
街道の商家 興津宿公園 興津宿案内板 夏心堂

興津駅から700mほど道中に、興津宿東本陣跡碑・江戸時代には興津宿の脇本陣であった「水口屋」(詳細はこちら)、現在はギャラリーとして無料開放している。その先に西本陣跡碑、 最後の元老西園寺公望公が、晩年過ごされた別荘「西園寺公の坐漁荘」(詳細はこちら)がある、坐漁荘の名の云われは渡辺千冬子爵の命名であり、、中国の呂尚(太公望)の故事に因んでいる。庭の数m前は海・・座して魚釣りができたと言う、また、この景色を全て見たいと雨戸の戸袋も工夫(見たい人は現地で)されていた。


道標
水口脇本陣跡 石碑
西本陣石碑
清見関跡

わずかな距離の中に歴史を感じるものがひしめき合い、この辺りが宿場の中心であった事を感じる。 さらに100m先、右の清見寺門前の右側の石垣一角に、清見関跡標柱(木杭は下が朽ちて抜けていた)がある。昔はこの辺りは陸地が海辺に突出していて、その下を東海道が通るという街道の要衝となっていたため、白鳳時代(672〜686年)に関所が設けられた。 清見寺は、階段を登り、正和3年(1651年)建立された。山門の右奥に鐘楼が見える。JR東海道本線の跨線橋を渡ったところの右側に山門がある。

この国指定史跡となっている清見寺(詳細はこちら)には多数の史跡、遺構があり百見の価値は十分あった。昔は今以上に、清見寺からの海の眺望はすばらしく多くの人に愛された(案内人さんの説明にも熱がこもっていた)という。
1号線を道なりに西へ400mほど歩くと静清バイパスのガード下で波多打川にかかる、手前を右に曲がり清水清見潟公園の西隅には西園寺公望公の銅像が建てられている。元に戻り、小さな波多打川橋を渡り、そこで1号線と分れて1号線に平行して西へ進む。横砂東町で1号線と再度合流し300mほど行くと横砂本町の入り、右に東光寺の山門がある。山門の門戸は珍しい格子造になっている。これは江戸時代、勅使が江戸へ行く途中興津川の氾濫で足止めになり東光寺に泊まることになっため、急遽山門を作ったためだという。

清見寺
西本陣址石碑
坐漁荘
井上馨像
東光寺山門

ここで皆さんの「今日はまだ歩いていない」との要望に「道は西南へ向きを変えて、庵原川にかかる庵原橋を渡り横砂西町を経て袖師町に入り東光寺から約2Km歩く、途中には街道の面影を残す「名残の松」も見られる。振り返ると城帽子の富士が見えた。辻3丁目で道は分岐、左は1号線で右が旧東海道となる。その分岐点に細井乃松原がある。1604年(慶長9年)に2代将軍徳川秀忠が街道の両側に松を植えさせ、1612年に完成したといわれている。

松原の全長約360mに松の本数が1100本余りあったという記録が残されている。これらの松は昭和19年に太平洋戦争で松根油(航空機燃料)の原料として伐採され、現在は全く見ることができない。現在の松は平成6年に植樹されたもの。
松根油のために松を伐採したとき、この地から多数の人骨が発掘されたが、多分東海道の旅で行き倒れになった人々を埋葬したものであろうと、この場所に供養碑を建立した。またここに、興津宿と江尻宿への分岐を示す東海道道標があり、ここから先は江尻宿へ向かうことになる。

庵原川から 名残の松 振り向けば富士
細井乃松原跡
秋葉道入口
江戸日本橋から江尻宿まで164.1Km、江尻宿〜府中宿間10.5Km
江尻宿
:江尻というのは巴川の尻、すなわち下流ということで、江尻宿は巴川が造る砂州上にできた宿である。宿の中心は稚児橋付近であったが、伝馬役の負担は主に下町、中町、魚町の3町で、これを江尻町といった。江尻の港としての機能は、巴川対岸の砂州向島の大型化と水量の減少から徐々に河口から離れ、船運の中心的な地位を失っていった。幕末以来のこの地の最大の生産物は茶であったが、輸出にあたっては、開港場の横浜まで茶を運び製茶しなければならず、清水港を生かすことができなかった。その後の請願の結果、明治32年に清水港も開港場として認めらて、茶の輸出量の80%を扱うとともに、木材の輸入、マグロやみかんの缶詰の輸出なども取り扱うようになった。
本陣:2軒、脇本陣:3軒、旅籠:5軒

      江尻三保遠望

一里塚跡 高札場跡 江尻宿東木戸跡 格子戸の商家 JR清水駅

細井乃松原を過ぎると商店街に入り、JR清水駅を左手に見て、少し先には徳川信康(家康の嫡男)を弔った江淨寺がある。歴史な中で話には聞くが「自分の運命(生死)を人(または親・兄弟)に決められてしまうことに何ら抵抗はなかったのかと思う・・ここは宿の出入口であった、枡形道路で宿内を見透すことができないように工夫されていた。約1Km歩くと江尻東3丁目となり、400mほど長さの道には本陣、脇本陣が並んでいたが、現在はその跡(簡易な立札のみ)も見当たらない。ここは宿の出入口であった、枡形道路で宿内を見透すことができないように工夫されていた。突き当たりの魚町稲荷神社は、少年サッカー発祥の地であり、境内には大きなサッカーボールのモニュメントが鎮座している。前の道路に出て右折し、巴川にかかる稚児橋を渡ると「船高札」の案内板があり、道路を渡ると「河童のこしかけ石」の碑があり、五つのこしかけ石がある。河童伝説は山奥の渓流の話と思っていたが、海岸近くにもあるのだ・・と。その先には江尻宿東木戸跡の石碑が立っている。

江淨寺 徳川信康の墓 左東海道 魚町稲荷神社
稚児橋親柱

さらに800mほど行くと左側に、真っ赤な暖簾を垂らした街道名物の追分羊羹店(詳細はこちら)がある。その店の角の十字路には「是より志三(しみ)づ道」と彫られた高さ約1.5m程の古い道標がある。昔、江戸方面へ旅する人が清水港へ抜ける場合は、この道標を右折すれば近道であった。

船高札
稚児橋親柱
河童のこしかけ石
江尻宿木戸跡

道標

追分羊羹では、ご主人より「徳川慶喜が羊羹とお茶で愛でたと言う庭の松、直筆の書」を店主より紹介してもらい「撮影も自由」とのお話に感激・・

追分羊羹

都鳥供養塔
不動堂 上原子地蔵堂
蒲原一里塚

追分羊羹店:創業は約300年前の老舗で、竹皮に包まれた追分羊羹は旧東海道では名物の一つとなっていた。

さらに少し行くと都田の吉衛門(通称都鳥)の供養等がある。1861年(文久元年)1月15日清水次郎長が子分の森の石松が殺された恨みを晴らすため、都鳥をここ追分で討ち取った。菩提を弔う人も稀なのを憐れみ、里人が供養塔を建立して剣客の霊を慰めたもの。

清水の次郎長:本名は山本長五郎(この名q前も有名です)といい、清水を代表する幕末から明治にかけて活躍した人物(任侠)であり、稚児橋から南へ約2kmの梅蔭寺にその墓があると聞いた。1820年(文政3年)に清水で生まれ、侠客として日本で有数の大親分となったが、明治になると開墾事業から文化・福祉事業に至るまで手広く手腕を振るい、郷土の英雄として名を残している。また、望嶽亭よりの脱出手助けで山岡鉄舟を西郷隆盛に引き合わせたことでも有名である。

少し歩き十字路を右折した先には不動堂とうばが池がある。もとの道に戻り、その先には、江尻宿と追分宿の元追分東海道標識がある。

駅前から上原子安地蔵堂の前を通り西南へ約900m行った上原町の交差点の南と北の両側に、江戸から数えて43番目の草薙一里塚(左:南塚、右:北塚)がある。一里塚より狸の像が目立つ塚の大きさは、9m四方の高さ1・8mという大きなもので、南塚は「榎2本、杉1本」、北塚は「榎1本」という記録がある。その先、約1km行くと、草薙1丁目と3丁目の境界の道路に大きな草薙神社鳥居がある。草薙神社は、草薙の剣で有名な日本武尊を御祭神とする神社で、大鳥居から約1.2kmのところにある。大鳥居が本日のゴールである。
ゴール前では根津講師の気遣いのサプライズに皆さん(買い物したのは約半数かな?)帰路の嗜好品を買い物をする時間もあった。

草薙神社大鳥居

次回の予告・・
根津講師:蝦夷平定に向かった日本武尊が、この地で逆賊の放った炎に囲まれた時、あまのむらくもの剣を抜き、「遠かたや、しけきかもと、をやい鎌の」と唱へて、燃える草を薙ぎ払い危機を脱したという。それにちなみこの地は草薙と呼ばれ、あまのむらくもの剣は草薙の剣といわれるようになった。そのさきの焼野原一帯を「焼津」と言う・・今日もお疲れ様でした。



今日のコースは JR興津駅→興津宿東本陣跡→興津宿西本陣跡→清見関跡標柱→清見寺→波多打川・波多打川橋→東光寺→庵原川・庵原川橋→
  細井乃松原→細井乃松原・供養碑→JR清水駅→巴川→魚町稲荷神社→稚児橋→江尻宿東木戸→追分羊羹→道標→都鳥の供養碑→不動堂→
  元追分東海道道標→上原子安地蔵尊→草薙一里塚→草薙神社大鳥居

 クラブツーリズム 「街道を歩く 東海道53次 第19回 興津〜由比宿」 街道案内人 根津信年 歴史講師

Blowin' in the Wind 2012
                          
いっちゃん東海道を歩く・・
2012. 2.10 興津〜江尻宿    歌川広重が描いた東海道53次はこちらでどうぞ
           
 興津川
JR興津駅がスタートである。この東海道・街道歩きも数えて19回目となる。箱根からは講師・
参加メンバーも固定して、講師の説明にも一連の流れがあり、理解しやすく参加者と和やかに
歩け、楽しさも増してきている。また、HPを通してのつながり(根津講師によるHP紹介もあり)
もでき、張合いもある。