この地図上の寺社・旧跡、名所等の位置は目安です。
街道地図・現地案内板等で確認してください。
Blowin' in the Wind 2012
                          
いっちゃん東海道を歩く・・
江戸日本橋から亀山宿まで 408Km  庄野宿~亀山宿間 7.8Km

亀山宿:江戸日本橋より46番目の宿場。亀山宿は中世からの宿場で1601年(慶長6年)に江戸幕府が宿場を整備したときに、宿場に定められた。亀山は城下町であるとともに、藩領内に幕府直轄の宿場が置かれたので、参勤交代で通る大名達は亀山宿に宿泊するのを遠慮したという。
本陣:1軒、脇本陣:1軒、旅籠:21件

2012.11.29 桑名宿~冨田一里塚    歌川広重が描いた東海道53次はこちらでどうぞ
           
 亀山雪晴

12月20日(木)
朝一のバス移動で
清水の次郎長映画・大河内伝次郎主演「血煙・荒神山」で有名になった荒神山(高神山)観音寺を参拝する。映画人気で有名になり山号「高神山」を「荒神山」に変えてしまったなど、寺の歴史、境内・本堂、ご本尊等の由緒を、ご住職の軽妙なお話に聞き入り、権現造りの本堂以内を拝観し、撮影もOKと嬉しい参拝であった。

荒神山観音寺
ご住職

鐘楼(火縄銃の弾痕)
明治5年・次郎長一家
本堂内

春日の局歌碑

更にバス移動で日本武尊の墓のある能褒野(のぼぼの)神社へ向かう。長い階段の先に鳥居が見える。登り切った右側奥に神社があり、拝殿にあがり、参拝をする。参拝後は日本武尊の墓にお参りをする。神社から少し下り、右の階段を登ると宮内庁管理の墓がある。どこでも同じだが石の垣根で囲われ、柵外からのお参りとなる。

能褒野神社参道 拝殿 日本武尊の墓
法悦供養塔

和田の道標

和田の道標(ズーム)

参拝の後、バスでJR井田川駅に向かい今日のスタートとなる。
街道の左側に時々見える関西本線を見ながら南西へ約2Km歩く、右側には法悦供養塔、すぐ先左に和田の道標がある。道標には「従是神戸 白子若松道」と刻まれていて、東海道から旧神戸道に分かれる所に立っている。1690年(元禄3年)に設置された亀山市内では現存する最も古い道標となっている。しばらく歩くと石垣の上に建つ石上寺(せきじょうじ)が見える。本堂は年末の大掃除の真っ最中であった。ここでも年の暮れを感じる。
道標から100mほど歩くと、1号線と合流するが、すぐに別れて西へ向かう。なだらかな登り坂が延々と続く。600mほど登ると右に和田一里塚のとても目立つ木が聳え立っている。昭和59年の道路拡幅でそれまであった塚が消滅したため、復元した一里塚である。
道は平坦になり、700m行くと本町商店街に入る、。今朝ほど参拝した能褒野神社の鳥居がある。道なりで商店街を通り抜けると丁字路になりその左隅に、江戸口門跡と書かれた立看板(案内板)があり、この地が亀山城の城門であったことを示している。

石上寺・石垣 石上寺・本殿
石上寺・菩薩像

和田一里塚
本町・案内板
能褒野神社鳥居

丁字路を右に直角に曲がると東町商店街に入り、アーケードの柱につけられた屋号の名札を見ながら、しばらく行くと左に脇本陣跡・樋口本陣跡の立札がある。数10m行くと交差点の先左側に高札場跡、交差点を右に渡ったすぐ先に大手門跡の案内板、亀山城址に向かう道を20m程行った所に東三之丸跡を記した木柱が立っている。

露心庵跡案内板
屋号・名札

江戸口門

脇本陣跡

交差点に戻り、黄色に舗装された東海道を下ると階段の入口に遍照寺の奥様が寒風の吹く中、出迎えてくれた。頭の下がる思いである。
寺の概要と坂道(階段)の説明を聞く。坂に上の人たちは「でこぼろ坂」下の人たちは「人形坂」と呼んでいる。
ちなみに「でこぼろ」とは陶器、廃材等のを言う:この廃材で造った坂からこの名が付いた。
階段の切れた所に山門があり寺の参道となっている。この道が正しい参拝の道順であるそうだが、最近は東海道側の鐘楼門から参拝する人が多いとの事である。天台真盛宗の寺と聞いたが初めて聞く宗派であった。この本堂は明治初期に消失したとき、亀山城二之丸御殿玄関部分を移築して再建したもので、江戸時代の殿舎建築の姿を今に伝える貴重な遺構となっている。


樋口本陣跡

屋号・名札
高札場跡 大手門跡
東三之丸跡標柱

でこぼろ坂
(人形坂)

遍照寺の東海道側の鐘楼門を出ると東海道である左折し黄色く舗装された道を下る。道なりに歩くと西町の交差点に出る。旧東海道は直進で亀山城址を左に見て小公園の脇をすすむ鉤の手に曲がった道を350m程行くとT字路にぶつかる。東海道は左折する右側に200m程下ると橋の手前に京口門跡標柱がある。京口門は1672年(寛文12年)に亀山宿の西端、滝川左岸崖上に東海道の番所として築かれもので、亀山城の一部としての機能も備えていた。崖下から見上げると、門、番所のそびえる姿は壮麗を極め、「亀山に過ぎたるものの二つあり、伊勢屋蘇鉄に京口ご門」と謡われたという。

ここにある案内板、安藤広重の「東海道53次・雪晴れ」の舞台になっており、京口ご門も描かれている。


遍照寺参道

鐘楼(東海道側)
本堂
亀山宿街道筋
亀山宿石碑 京口ご門

亀山城址に寄るために元の坂道を登り戻る。T字路の左側に西の丸外堀の後標柱と案内板復元?堀跡がある。その先には加藤家武家屋敷跡があり、長屋門の跡を見られるようになっている。緩い坂道を少し行くと、左手に亀山城址が見える。

道路を横断し少し行くと、右側の公園の道路に面したところに石井兄弟敵討碑がある。これは昭和8年に建立されたもので、この地で1701年(元禄14年)5月9日に石井源蔵、半蔵兄弟が28年目に父の敵赤堀水之助を討ち取ったところで、この敵討ちは「元禄の曽我兄弟」と称され日本中に広まり称賛されたという。左側には高い石垣の上に建つ、多門櫓の姿が見える。


西ノ丸外堀跡
武家屋敷表門
武家屋敷内(長屋門)

武家屋敷

石井兄弟仇討の碑
亀山城址・多門櫓

亀山城は1590(天正18年)岡本良勝によって築城され、天主台南門高石垣は直高14.5m野面石(自然石)積みしたもので堅固・優美さを備えて400年の風雪に今も耐えている。白髪の櫓、門、土塀などを連ねる景観を蝶の群れが舞う姿にたとえられて「粉蝶城」と呼ばれた。現在は天主台、多門櫓、外掘、土塀の一部を残すのみとなっている。多門櫓は現在、内部修復中である。

毎日新聞ニュース地方版より・・

14日午後9時5分ごろ、三重県亀山市本丸町の県指定史跡「亀山城多門櫓(たもんやぐら)」の内部から出火、床や柱約2平方メートルを焼き、約35分後に鎮火した。県警亀山署によると、櫓は現在、復元修理中。市によると、櫓は17世紀に建てられたとされ、県内で現存する唯一の城郭建造物という。出火原因を詳しく調べている。

昼食後はバス移動で12月20日は「ご開帳」の日である石薬師寺へ向かう。年に一度のご開帳なので混雑を予想していたが、境内は静かだった。檀家さん思われる人達が三々五々お参りをしていた。平安初期に弘法大師が花崗岩の自然石に爪で彫り、寺が建てられた。そのご本尊「
花崗岩に浅く線彫りされた石薬師如来を拝むことができた。「ご開帳」も初めての経験である。本堂の一段下がった奥に、ご本尊(写真:石の色を残すためにストロボの発光を弱めた)があった。撮影はNGと思っていたが根津講師の「撮影できますか」の問いかけに、ご住職は快く応じてくれた。


不動明王像

本堂左側
ご本尊
ご本尊(左側から)

ご本尊(右側から)

本堂右側

その後は名古屋城に向かう。約1時間の自由見学であった。大手門を入るとすぐ左側には、これぞ名古屋城の金の鯱が展示されている。高い天守に聳える鯱は夕日に輝いていたが、なんと烏がとまっていた。以前、鳥よけの籠を付けたと聞いたが、それでは見る人も鯱も寂しいであろう・・城の見学に「刀剣」はつき物であり、いつもその妖しい輝きを見てくる。ここでも刀剣の展示がされており、ここで時間を取ってゆっくりと見学した。


名古屋城

石垣
接見の間 祝膳 焼き魚 刀剣

昨日、小澤本陣跡で握った太刀と刀剣の違いも確認した。夕暮れの薄い色に染まるお城の姿も美しく、去りがたかったが団体行動の集合時間には逆らえない。


薙刀
石垣・銘の入った石
夕景 撮影スポットから


今日の作品


朝陽の当たる神社

蔦・紅葉

公園の蒸気機関車

石垣

行燈
夕暮れ・・



今日のコースは バス移動:荒神山観音寺→能褒野神社JR井田川駅→椋川橋(椋川)→法悦供養塔→和田道標和田一里塚本町商店街・野褒野神社鳥居
 →江戸口門跡東町商店街→脇本陣・樋口本陣跡→高札場跡大手門跡→亀山城二の丸跡→遍照寺→亀山宿町並→亀山宿石碑→西の丸外堀跡→京口門跡標柱
→(戻って)西の丸外堀跡→
加藤家武家屋敷跡→石井兄弟敵討碑亀山城址バス移動:石薬師寺(ご開帳)→名古屋城→JR名古屋駅


 クラブツーリズム 「街道を歩く 東海道53次 第30回 四日市宿~亀山宿」 街道案内人 根津信年 歴史講師