小田原宿:江戸を出てから初めての城がある小田原城の城下町、そして箱根の山越えを控えた東海道屈指の大宿場として栄えた宿場であった。
名物としは、かまぼこ・さつまあげ・ちくわが有名である。本陣:4軒、脇本陣:4軒、旅籠:95軒

JR小田原駅改札口には大きな「小田原提灯」が飾られている。改札を出たコンコースには小田原名産の土産を売る店が並んでいて、平日の午前中
にもかかわらず土産物を買う客でにぎわっている。
小田原駅を出て土産物屋の並ぶ駅前から幸田門に向かう、町名と由来を記した石碑が迎えてくれる。東京都内もそうだが、この石碑、案内板は歩く
者にとっては嬉しい。幸田門は三の丸の門の一つであり、現在はその土塁の一部が残っている。小田原ツーデーでお馴染みの場所でもある。
幸田門を過ぎるとお堀が広がる、二の丸の表門である銅門・二の丸、常磐木門を通り、城の下の広場に出る。ここで20分程の休憩・・天守閣は二度
登っているので咲き始めた菖蒲と紫陽花を見て歩く。

早雲像
町名由来の石柱

幸田門土塁
学橋 馬出門

小田原城:明応4年(1495)、北条早雲(韮山城主:駅北口には勇壮な銅像が建てられている)がここの城主となり、次第に勢力を拡大して戦国大名
の一人となった。
その後、難航不落と言われたこの城も22万の軍勢に囲まれ、3カ月も持ちこたえたが天正8年(1580)に豊臣秀吉の攻撃を受けて
落城し北条氏は亡びた。
江戸時代は大久保、安部、稲葉氏が城主となり、明治維新で取り壊されるまでの290年間その威容を誇っていた。
昭和35年に再建され、平成8年に二の丸御殿や本丸、天守へと進む銅(あかがね)門(門が銅で出来ている)も再建された。
なお、小田原城は平野に作った城として大変優れた城郭で大坂城、その後江戸城を作るときの基本になったという。

銅門 菖蒲園 アジサイ 常磐木門石碑 常磐木門

城脇の急坂を下り、小峰の北堀の先にると農政家・思想家として名高い二宮尊徳(金次郎)を祀った神社である「報徳二宮神社」がある。
ここにはお馴染みの幼少のころの金次郎の銅像と成人してから活躍していたころの銅像もある。

小田原城 小峰小堀跡 尊徳神社
金次郎の像
尊徳の像

二宮尊徳:相州柏村(現小田原市柏山)に生まれ、酒匂川の氾濫で全て失うなどのどん底の悲哀を味わいながら努力をかさねて、小田原藩主大久保
忠真に抜擢されて身を起こし、富国安民の方法を説き、乱れた諸藩の財政を立て直し、荒地を開拓し、勤倹の美風で産業を振興させた。

なお後半世は栃木県の今市市で過ごし、いろろな事業をなしとげた。墓は栃木県今市にある。

おみくじ? 御感の藤 箱根口門 箱根口門跡 小西薬局

箱根口交差点に出ると箱根口には御感(ぎょかん)の藤があり、本町小学校に面して小田原城の箱根口があったところを示す箱根口門跡がある。

この土塁は国の指定史蹟になっている。なお本町小学校は、名君と言われる大久保忠真が文政5年(1822)に創設した旧藩校集成館の跡にできて
いる。
旧東海道へ戻ると、歌舞伎の「外郎売り」で有名なういろうを販売しているういらう(注:会社の名前)店の八棟造の堂々とした建物(お城?)が
右側に見える。建物は大永3年(1523年
)に創建されたが地震による倒壊などに遭い、現在の建物は平成10年に復元されたもの。

ういらう店:ここでは京都からの直伝の外郎(ういろう)をむかしながらの方法で製造し、販売している。もともとは外郎は医薬品であったので、今でも
ここでは外郎を薬品として売っているといい、なかなか手に入らないとのこと。

この入手困難と言われるういろうと同じものかどうかわからないが、店頭で試食品を食べてみたら上品な甘味で非常に美味しいものであった。
この向かいには旧商家を思わせる「小西薬局」 があり、このあたりに問屋場、清水本陣があったと言われる。

ういろう
町名石碑

軽便鉄道
小田原駅跡碑
大久寺 大久保一族の墓

1号線の歩道橋脇には「軽便鉄道の石碑」がある。JR東海道と箱根登山鉄道の踏切を渡り少し行った左手に、小田原市指定史蹟大久保一族の墓所
の大久寺がある。ここには秀吉の小田原城攻めで戦功をたてて小田原城主となり、その後徳川家臣十将に数えられた大久保忠世とその一族の墓が
祀られている。忠世の墓は法華五輪塔で二代城主」忠隣(ただちか)他、7基の墓が並んでいる。


居神神社
居神神社・古碑群 上方見付跡案内板 見付交差点 旧東海道

道路を挟んで向かいの小高い所にあるのが居神(いがみ)神社、鎌倉末期の念仏供養碑であり市指定の古碑群(庚申塔等)がある。
板橋見附交差点の春日局が開基されたと言われている圓光寺脇には上方目付跡の案内板がある。右に入る道が旧街道である。蔵や格子戸の旧家
がある趣のある道を真っ直ぐ行くと、板橋地蔵堂がある。この地蔵堂は「板橋の地蔵尊」として地元で親しまれている。本堂にある高さ3.3mの坐像の胎内には弘法大師が刻んだ延命子育地蔵が安置されていると言うが、幕に隠され判らない。本堂前には大イチョウの木があり、本堂右脇には大きな
大黒天が微笑んでいる。

板橋地蔵堂 早川・早川取水口 日蓮上人の碑
風祭一里塚
道祖神
風祭一里塚案内板

地蔵堂を過ぎると、上板橋交差点に出てまた1号線に合流し道路を横断すると、早川に出る。ここには北条時代に、小田原城下での飲料水として使用した古水道の早川の取水口がある。水道は日本の水道施設の中で最も古い施設の中に入ると言われていて、日本の土木史1頁を飾る大きな事業として残っているという。 

上板橋交差点から約100mほど行ったところの踏切を渡り右の道に入る。踏切左側には日蓮上人の碑がある。箱根登山鉄道沿いに歩き風祭駅前を
ちょっと過ぎた右手に、日本橋から21番目の風祭の一里塚跡碑がある。案内板の前には医師の祠と石仏座像がある。この石仏は「小田原の道祖神」
として市の重要文化財になっている。

紹太寺 石段 稲葉一族の墓
春日局墓碑
鉄牛和尚の墓

さらに旧街道の緩やかな上り坂を行くと行くと、右側に招太寺へ登っていく参道入口がある。石段の見える、なだらかな坂を登って行くと左に招太寺の
入口がある。招太寺は江戸時代の初期の小田原の2代目城主稲葉正則が、父正勝と祖母で徳川3代将軍家光の乳母春日の局の菩提を供養するた
めに、寛永12年(1635)に創建した寺であり、7堂伽藍を備えた関東一の大寺院であったが江戸末期に火事にあい一堂を残すのみとなっている。
なお春日の局の本墓は麟祥院(東京都文京区千駄木5−38)にあり、文京区役所と小石川後楽園の間の公園の入り口に像がある。。

そのままさらに行って、急な長い石段を300段余り登ると突き当りの相模灘を望む山上に稲葉氏一族と春日の局の墓所がある。

長興寺の枝垂桜 山崎古戦場跡の
案内板(読めない)
畑宿へ(道路標識) 三枚橋 早川と箱根湯本駅

少し戻って左手のミカン畑の中を通り、銘の付けられた岩をみながら歩くと寺を開基した鉄牛和尚の墓所に着く。ここまで登ると会談は360段余りに
なるそうだ。寺の裏山にあたる長興山の裾野の広場に関東第一といわれる樹齢320年の天然記念物の枝垂桜がある。長興寺の枝垂桜である。

この桜は「春を忘れぬ形見に」と稲葉正則が植えたものとのこと。この日は桜の季節でないため、木だけの写真となったが周りを過ぎ檜の緑に囲まれ
数本の枝垂桜ももあり、時期には5万人の花見客が訪れるそうだ。機会があれば見物に行きたいものだ・・

このあたりまでは旧東海道というの風情を残している街道脇のアジサイも咲き始め季節の色も十分でした。

国道1号線に出て左側に「山崎古戦場跡」の案内板があるが、覆いのプラスチックが日焼けで肝心の文字が読めない。箱根湯本の駅が見えるところまで来ると標識には「畑宿」の文字が・・三枚橋を渡り旧街道の先は箱根の山越えとなる。

以前歩いたのはいつだか・・思い出せないが、石畳の道・標識、案内板も整備されたそうである。次回が楽しみである。



今日のコースは JR小田原駅→幸田門→小田原城→尊徳二宮神社→箱根口跡→ういろう店→軽便鉄道の碑→大久寺→居神神社→圓光寺→上方見付跡→
    (旧東海道)板橋地蔵尊→早川取水口(古水道)→風祭一里塚→紹太寺→長興山の枝垂桜→山崎古戦場跡→三枚橋→
小田急箱根湯本駅

 クラブツーリズム 「街道を歩く 東海道53次 第11回 小田原宿〜箱根湯本」 街道案内人 小暮中和 歴史講師

Blowin' in the Wind 2011
                          
いっちゃん東海道を歩く・・
2011. 6. 9 小田原宿〜箱根湯本    歌川広重が描いた東海道53次はこちらでどうぞ
  小田原宿
長興山紹太寺
稲葉一族の墓
長興山の枝垂桜
風祭一里塚
早川取水口
ういろう屋
板橋地蔵尊
箱根湯本駅
小田原城址
山崎古戦場跡
小西屋
問屋場跡
地図上の位置は大まかな位置です。実際の位置は案内書等で確認してください。
居神神社
二宮神社
上方見付跡
三枚橋
大久寺