浦和駅前から西へ300mほど歩くと浦和駅西口の交差点で旧道(中山道)にぶつかるが特に案内図などない。かろうじてマンホールの蓋と縁石
に描かれた「中山道浦和宿」の文字に街道であることがわかる。

浦和駅前(うなちゃん) 旧中山道 縁石(中仙f道浦和宿) 玉蔵院 守護侍不入石柱

北に向かい少し歩いた左側奥に関東十壇林・関東三大施餓鬼で有名な玉蔵院がある。「守護侍不入石柱」、庭、内陣の彫刻・天井絵を拝観する。

浦和宿の本陣・問屋は星家が代々勤めたと言われているが、現在本陣、脇本陣などの建物・碑等は残っておらず、明治天皇浦和行在所の碑
が経っている場所に小さな案内板があるだけであり、
その当時を窺い知ることはできない。

玉蔵院・石庭 玉蔵院・天井絵
浦和宿・石碑
明治天皇行在所碑
星野本陣跡
常磐公園

街道左側に市のモニュメントのある常磐公園は鷹狩の時に宿に使われたお鷹御殿があったそうだが・・案内板等はない。

旧道に出ると左手に慈恵稲荷神社がある。神社の前には珍しい富士の絵の描かれた庚申塔がある。富士・大山、引又への道標をを兼ねていた
と説明にはある。神社の前にある社と石柱は、ここが市の跡であり、毎月二・七の日に
6回開かれていたので「二・七市」「六歳市」と言われ
賑わっていたそうである
。すぐ先の成就院には灯篭に彫られた六地蔵一対がある。

市のモニュメント
六歳一の碑
庚申塔(富士の絵) 慈恵稲荷神社 六歳市の跡


立燈籠(六地蔵) 浦和橋(一里塚跡) 街道の風景 廓信寺境内 山門とかやの木

JRにかかる陸橋が浦和橋でこの近辺に「街道6番目の一里塚があった」と言われたがそれらしき風景を窺わせるものはない。
北浦和図書館の先を左に入ると廓信寺がある。本堂内にある木造阿弥陀如来坐像は見られなかった。境内にある樹齢300年の「かやの木」は
さいたま市指定の天然記念物である。五差路の大原陸橋入口交差点脇には1700年代に建てられたという「青面金剛庚申塔」がひっそりと建って
いる。
この先針ヶ谷交差点」には水戸家家臣、当時16歳の宮本鹿太郎の「仇討ち」の場であった一本杉の碑がある。植栽の脇でもあり、道路側に面し
て「一本杉」と彫られているため注意しないと
見逃してしまう

廓信j自由来
青面金剛庚申塔

一本杉の碑
与野駅前交差点
大ケヤキ跡
六国見付近

与野駅前交差点にの中にあったと言われる大ケヤキ・「半里塚」があったと言われたこの地も今は車の往来だけである。「さいたま新都心駅」の
連絡歩道橋が見えるあたりは、その当時、見晴らしの良かったと記録に残る「六国見(富士まで40里・浅間まで30里・甲斐まで16里・武蔵・日光・
伊香保まで眺められた」
と言われた場所も今は周りをビルに囲まれている。街道右側に三菱マテリアルのビルがある。このあたりが刑場があった
との説明。
左手は埼玉新都心のビルが迫ってくる。ケヤキ並木が続き、旧街道の雰囲気が伝わってくる。

ケヤキ並木 刑場跡付近 高台橋跡 高沼用水跡 火の玉地蔵
お女郎地蔵

街道を右側に渡ると「鴻沼(高沼)用水と高台橋跡」の案内板を背負った社がある。
鴻沼用水は江戸時代この橋の西側に水を送るために造られたものである。社の中には不動明王の「火の玉地蔵」「お女郎地蔵」が長い説明文と共
に安置されている。
さいたま新都心駅から300mあまり歩くと右側に
氷川神社参道入がありに「武蔵国一宮石柱」と刻まれた石柱と一の鳥居がある。
一の鳥居からケヤキ、クスノキ、エノキの並木・・新緑が映え真っ直ぐ2kmほど延びている参道に二の鳥居、三の鳥居とあり、その先に神橋、神殿と続く。中山道の本道(古道)であったが、氷川神社の神殿の前を避け北に原野を開墾し街道を造ったと言われている。
氷川神社
の参拝はのちほどという事にして旧道を歩く。街道脇の道祖神が愛らしい・・

さいたま
スーパーアリーナ
ケヤキ並木 武蔵野国一宮石碑 氷川神社一の鳥居 双体道祖神

吉敷町交差点にひっそりと「安藤橋」と刻まれた小さな石柱がある。天明の飢饉で領民を救った安藤家に因んで付けられた橋の名であり、
ここからが「大宮宿」となる。
吉敷町のタカラビル手前の細い道を入ると「塩地蔵」「子育地蔵」がある。塩にまつわる言い伝えのある塩地蔵には、今でも塩が供えられ
ている。

安藤橋の碑 塩地蔵・子育て地蔵 塩地蔵 泪橋の碑 氷川神社三の鳥居

下町の第四銀行の大宮支店の脇には「涙橋」の跡がある。銀行の工事の時、橋の一部が出てきたのでここに碑を造ったそうである。
刑場(現三菱マテリアルビル付近)に送られる囚人の家族とが最後の別れをしたところであるそうである。
さて、大宮宿であるが・・本陣1、脇本陣9、旅籠25があったが位置を記すものはない・・
本陣はキムラヤ、脇本陣は松亀センタービル、第四銀行、興亜火災海上ビル、高島屋、大宮駅前、一番街あたりに、問屋場は埼玉信金のある場所あたりにあったと言われているが定かではない。
氷川神社へは大宮駅前から参道さんの鳥居から入る。日が良いのか「結婚式」を済ませ写真館に向かう列に会う。神社の由来を聞いて、神橋から本殿へお参りをして、周囲を散策・・境内各所に由来の神をまつる神社がある。

おめでとう! 中山道古道 氷川神社山門 神橋 市立博物館

参道脇にあるさいたま市立博物館で「弥生時代のさいたま」を見学・・大宮駅で解散となる。



今日のコースは JR浦和駅→旧中山道→玉蔵院→星野本陣跡→二七市場跡・慈恵稲荷→廓信寺→一本杉の碑→半里塚(大ケヤキ)→六国見→高台橋跡
  →武蔵野国一宮石柱→塩地蔵→涙橋跡→大宮宿→氷川神社→さいたま市立博物館→
JR大宮駅

 クラブツーリズム 「街道を歩く 中山道69次 第4回 浦和宿〜大宮」 街道案内人 長谷川和久 歴史講師

Blowin' in the Wind 2011
                          
いっちゃん中山道を歩く・・
2011. 4.30 浦和宿〜大宮    歌川広重渓斎英泉とが描いた中山道69次はこちらでどうぞ

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   浦和宿から大宮宿へ

中山道・浦和宿は日本橋から三番目の小さな宿であった。宿の生い立ちは家康の鷹狩りの時の「御殿」設立が契機と
されると記されており、本陣、脇本陣、旅籠15件が軒を連ねていたと文献には残っている。

中山道の現在は国道17号であるが、旧中山道は17号線よりも一本西側で、いわゆる旧道である。
この旧道はのんびり歩いていると、ここが中山道であることに気が付かないほど「案内」などはなく「東海道」とは比較になら
ないほど「古(いにしえ)」を求めて歩く「街道歩き」には苦労がいるところである。