2011. 5.27 戸塚宿〜藤沢    歌川広重が描いた東海道53次はこちらでどうぞ

石仏群
第六天神社
影取町
諏訪神社
鉄砲宿
Blowin' in the Wind 2011
                          
いっちゃん東海道を歩く・・
地図上の位置は大まかな位置です。実際の位置は案内書等で確認してください。
清源寺
浅間神社
海蔵院
大阪
澤邊本陣跡
富塚八幡宮
お軽・勘平碑
原宿一里塚
JR戸塚駅
上方見付跡
八坂神社
遊行寺坂
遊行寺
藤沢駅へ

戸塚宿:江戸からちょうど10里の距離に位置することと、江戸よりの「権太坂」と京よりの「大阪」のふたつの難所に挟まれていることから、大きな
賑わいを見せた。さらに戸塚宿は、大山道・鎌倉往還との分岐点でもあり、大y玉への参拝客や鎌倉を訪れる人達にも高い人気を誇っていた。
本陣 2軒、脇本陣 3軒、旅籠75軒、問屋場 3軒
千葉県勝浦市八幡岬(勝浦城址)にある養殊院像(お万の方像)、お万の方が生涯を終えた地、眠る墓のある寺が今日のスタートなった。
戸塚駅西口から東海道に出て清源院入口の信号を右手に少し登ったところに徳川家康の側室のお万(おまん)の方の墓のある
清源寺がある。
この境内には、当時としては珍しいと言われた火葬(お万の方)の跡、芭蕉句碑(世の人の 見つけぬ花や 軒のくり)などの句碑が多数ある。

清源院 芭蕉句碑 お万の方火葬の跡 旧東海道
脇本陣跡

街道に戻り、当時は4間(約7.2m)あったという街道の右側には脇本陣跡の碑がある。このあたりに問屋場もあったがそれを記すものはない。
少し行くと右手に立派な
澤邊本陣跡碑があり、明治天皇行在所碑が中央に建てられている。
すぐ隣の海蔵院の山門には「左甚五郎」作と言われる龍の彫刻がある。ここで龍の指の数談義が始まる・・「3本・4本、5本」の物があるそうだ。

澤部本陣跡
明治天皇行在所碑
海蔵院・山門
龍の彫刻
八坂神社・お札まき 八坂神社 富塚八幡宮

さらに鎌倉街道との交差点交差点手前には地元では「お天王さま」と呼ばれいたしまれている八坂神社がある。現在ここだけに残されている、夏祭り
「お札まき」が7月14日に行われている。この時だけは大っぴらに「女装」ができると言う・・「その趣味のある人はどうぞ」とは講師の言葉。
その先に
冨塚八幡宮がある。この宮は源頼義、義家父子が、この地で加護を受けたことで奥州の「前九年の役」で戦勝を得たと感謝して、造営した
もので、山頂の古墳を冨塚と呼び「戸塚」の地名発生となったといわれている。境内には
芭蕉の句碑(鎌倉を 生きて出けむ 初松魚」)がある。
このあたりは今でも「富塚」と言う地名は残っている。冨塚八幡宮から少し行った左側のファミリーレストランの前に、戸塚宿の京都側の入口にあたる
「上方見付跡」が
ある。上方見付跡碑あたりから登り坂となり昔の難所と言われた「大坂」となる。現在は整備され難所のイメージはない。坂の途中
には近在から集められた庚申塔が並べられている。坂の途中には「大阪の碑」・「石碑」、「大阪松並木の碑」と並んである。当時を偲んで坂の頂上
付近で一服・・坂を登りつめると国道1号のバイパス(横浜新道)と合流する。この左手に忠臣蔵で有名な「お軽・勘平戸塚山中道行の碑」がある。

芭蕉句碑 上方見付跡 横浜冨塚郵便局 第六天神社 大阪

約300mほど下ると日本橋から11番目の「原宿一里塚跡」の碑と案内板がある。この先右側には少し長い参道を登ったところに浅間神社がある。

石仏・庚申塔群
大阪の碑

大阪の石碑

大阪松並木跡の碑
お軽・勘平の碑

約300mほど下ると日本橋から11番目の「原宿一里塚跡」の碑と案内板がある。この先右側には少し長い参道を登ったところに浅間神社がある。

原宿一里塚・案内板
一里塚の碑
浅間神社 庚申塔
諏訪神社

参道を出て100mほど先右手に「大連寺」の看板がある。
「旅人の影を食べ、食べられた旅人は数日で死ぬ・・」との大蛇伝説のある影取町を過ぎると「クスノキ」の古木がある諏訪神社がある。
この先に、この大蛇を退治したと言う「鉄砲宿」の碑と案内板がある。今では考えられないような話が、まことしやかに伝えられているのも昔の人には
何か「恐れているもの」があったのだろう。


鉄砲宿跡
大蛇・案内板 遊行寺坂
一里塚の碑
一里塚案内板
(道路反対側)

藤沢バイパス出口の信号から30号線に入ると遊行寺坂の標識があり、この先に「一里塚跡(遊行寺一里塚)の碑」が案内板と共にある。

国道30号線の遊行寺交差点信号から右手入ったところに時宗の総本山の遊行寺がある。藤沢宿は遊行寺の門前町として栄えたきた。

諏訪神社神社 黒門と参道 板割浅太郎の墓 樹齢300年 東海道一の本堂

正式には清浄光寺であるが、法灯を継ぐものが歴代全国を遊行(修行)することをならいとしたため、寺の名前も「遊行寺」と呼ばれるようになった。

時宗は鎌倉時代の一遍上人開いた宗派で、南無阿弥陀仏のお札を配って各地を回り、遊行された念仏の宗門。この遊行寺は正中2年遊行4代
呑海(どんかい)上人によって開かれたもの。宝物としては、国宝「一遍聖絵」、国重要文化財「時宗過去帳」があると案内書にはある。

街道一の寺と言われるように、境内は広くまた本堂もどっしりと構えた威厳を感じさせる寺であった。

一遍上人像 小栗堂 小栗判官の墓 照姫の墓 藤沢敵御方供養塔

また境内には日本三黒門の一つの総門、樹齢500年余の大銀杏、国指定文化財の藤沢敵御方供養塔、小栗判官(おぐりほうがん)と照手姫の墓
など見るべきものが多くある。


藤沢敵御方供養塔(応永25年建):応永23年
)から始まった上杉禅秀の乱で遊行寺15代尊恵上人が敵味方の区別なく負傷者を収容して治療し、
戦死者を手厚く弔った。この碑はその時の敵味方双方の戦死者の供養碑である。


小栗判官・照手姫墓:応永30年
)足利持氏に攻められて落城して逃げる常陸小栗城主小栗判官が一子助重と郎党を伴い三河へ落ち延びる途中
藤沢の横山大膳の家に一泊した。
ところが大膳の悪計で郎党が殺されてしまったが、判官は照手姫の機転で遊行寺に逃げ込んで無事であった。
後に判官はこの照手姫を妾とし、判官没後助重が判官と郎党の墓をこの寺に築いた。
また照手姫は出家して東門の右手から入る長生庵(写真)に
住み一同の菩提を弔ったという。  



今日のコースは JR戸塚駅→清源寺→脇本陣跡(問屋場跡)→澤邊辺本陣跡→八坂神社→富塚八幡宮→海蔵院→上方見付跡→第六天神社→
   石仏・庚申塔群→大阪→大阪の碑・松並木跡→お軽・勘平の碑→原宿一里塚→浅間神社→影取町→諏訪神社→鉄砲宿→一里塚跡→遊行寺坂→
   諏訪神社→遊行寺→
JR藤沢駅

 クラブツーリズム 「街道を歩く 東海道53次 第6回 戸塚宿〜藤沢」 街道案内人 根津信年講師

遊行寺一里塚
諏訪神社