日本橋を出発(日本橋界隈の案内はこちらで)して国道17号線を歩く。道の左側に日本橋三越デパートで、前身はこの地で1683年
(天和3年)三井八郎右衛門高利が開いた呉服店越後屋(「越後屋、帥も悪よのう・・」は悪代官の口癖)であった。

三越に続いて、超高層三井タワー。信号交差点で、ここで日光街道は17号線と分かれ右折して東へ進む。 その先左側、
日本橋室町
センタービル柱のところに「10軒店跡」案内板が立ち、江戸時代初めに桃節句・端午節句に人形を売る店が10軒あったところからその
名がつけられたという。
金座跡
道路原標と三越
追分・日光街道へ 十軒店跡 長崎屋跡

続いて室町4丁目交差点を横断して左側の三建室町ビル壁に、「今川橋跡」碑があり、江戸時代日本橋を出発して最初の橋であった
が昭和25年竜間川の埋め立とともに解体されてしまった。

今川橋跡碑を過ぎ、中央区から千代田区に入り、17号線の前方にJRの高架が見えてくる。高架下は神田駅の入口で、そこを直進し
神田界隈の17号線を進む。

須田町信号交差点手前の神田ビルのところで、17号線と分かれ左手の道を進む。 道は左へゆるいカーブを描き、カーブの右側にある
旧交通博物館跡は、旧鉄道博物館で1921年(大正10年)東京駅北側に創設したものを昭和11年にこの地に移転し、現在は大宮に
移転されている。

石町「時の鐘」跡 今川橋由来 今川橋案内板
神田青物市場
発祥の地
旧交通博物館跡

続いてレンガ造建物が並びその上を電車が走っている。レンガ建物の脇には気を付けないと見過ごしてしまいそう「御成道」の案内板
が立っている。建物の外れの神田郵便局前信号交差点を右折、ガード下
をくぐり神田川に架かる昌平橋を渡り、17号線の昌平橋信号
交差点に一旦出てすぐ左折し、神田川沿いに進む。

御成道案内板 御成道跡
(橋が架かっていた)
昌平橋 昌平坂 湯島天神(大成殿)

その先で外神田信号T字路を右折し、再び17号線と合流して左折し、千代田区から文京区に入る。 17号線は上り坂で、途中左側に
ある湯島聖堂は5代将軍徳川綱吉創建の孔子廟で、境内には世界最大の孔子像がある。道の反対側にある隋神門の朱色が美しい
神田神社は、730年(天平2年)創建で江戸時代は江戸総鎮守として敬われ、1872年(明治5年)にそれまでの神田明神から神田
神社に改称した。

隋神門の右前に「江戸国学発祥の地」碑が立つ国学発祥の地である。1700年(元禄13年)から1713年(正徳3年)間に江戸に滞在
した国学者荷田春満が神田明神の神主だった芝崎好高の屋敷で講義を行ったことが始まりで、これが代々の国学者に受け継がれて
いったことに所以するという。

また野村胡堂作捕物控の銭形平次親分の碑も境内に建立されている。当神社の神田祭は日本三大祭りとして有名。

糀室案内板 遠くスカイツリー 八五郎の墓
(隣に平次の墓)
中山道案内板
かねやすの看板

坂道を上り、東京医科歯科大学前から、本郷一丁目信号交差点あたりは17号線はゆるい右カーブとなる。交差点手前に「かねやす」
の大きな土蔵が目立ったと言う「本郷も かねやすまでは 江戸の内」の川柳で有名である。
春日通りと交差する本郷三丁目信号交差点を直進し、如何にも学生街雰囲気の本郷通りの17号線歩道を進む
と「別れの橋跡」「見送
坂と見返り坂」の案内板がある。その先右側に
いわゆる東大赤門が見える。

別れの橋跡 東大赤門 ぬれ仏(宝真寺) 一葉「ゆく雲」
案内板
本郷追分
左折・中山道

赤門と東京大学(赤門とは江戸時代将軍家の子女が大名に嫁いで居住した奥御殿を御守殿と称し、その御殿の門を丹塗りしたところ
から赤門と呼ばれた)東京大学の敷地はもと加賀金沢前田家の上屋敷跡で、赤門は1872年(文政10年)に11代将軍家斉の溶姫
が前田斉泰に嫁いだ時に建てられたもの。なお、赤門は火災などで焼失したら再建してはならない慣習があり、この東大の赤門は
現存する唯一のもので国の重要文化財に指定されている。

赤門の斜向かいには、樋口一葉の「ゆく雲」の案内板と小説の中に書かれている「ぬれ仏」の法真寺がある。この場所に住んでいた頃
が一葉の一番華やかな時代と言われている。
東大キャンパス沿いに進み、正門前を通り、言問通りとの交差点を直進し、農学部前で丁字路となる。そのまま行くと日光御成道で、
17号線の山道丁字路で左折する。 T字路を横断し、右側の酒の高崎屋のところに追分一里塚跡案内板が立っている。
ここは日光御成道との分かれ道で、日本橋から最初の一里塚となる。なお高崎屋は江戸時代から続く酒屋で、両替屋も兼ね(現金
安売り)で繁盛したという。

追分一里塚跡 円乗寺 お七の墓(三基ある) ほうろく地蔵 大圓寺にて

白山一丁目目の信号を左に下ると、八百屋お七の墓のある円乗寺がある。1682年(天和2年)の江戸大火の際、避難した円乗寺で
知り合った寺小姓恋しさに再度火事を起せば逢えるものと、お七が近所に放火したところを見つかり未遂となって捕えられ、江戸市中
を引き回されて鈴ヶ森処刑場で火あぶりの刑に処せられた。江戸時代には6つの刑があり「放火」は火あぶりだったそうである。
取り調べに当たった奉行はお七を不憫に思い年を尋ねたが16歳と答えたため(14歳以下では死罪とならない)刑が執行された。
円乗寺のお七の墓石には、天和三癸亥(1683年)3月29日没とある。
街道に戻り、少し歩き、右手の小路を奥に入ると、大圓寺があり
境内に
八百屋お七を供養するために建立された焙烙(ほうろく:素焼きの平たい土鍋)地蔵が安置されている。
八百屋お七大火(あまりにも諸説が多すぎてどれが真実なのか不明のようである)

大圓寺
天榮時
(角田家の墓)

さいかちの辻
駒込土物店跡 徳川慶喜住居跡

街道歩きに寄り道はつきもので、今回は東京十社のひとつ白山神社により小休止、次の寄り道は「駒込土物店跡」さいかちの木の下で開かれた
さいかちの辻址にある駒込の天榮時に立ち寄った。ここには「ちい散歩」で紹介された「角田家」の墓所がある。
菰樽の墓石に升、供花は一升瓶、線香は盃と「酒屋」なのか、酒好きの墓なのか・・そこまでは判らないそうである。
街道に戻り、巣鴨の駅を目指す。駅手前に「徳川慶喜巣鴨屋敷跡」の石碑と案内板がある。約1,5haの広い敷地であったそうである。
今日のゴール「巣鴨駅」に16時15分前に着く。中山道街道歩き・第2回は「おばあちゃんの原宿」からのスタートである。


今日のコースは JR東京駅→日本橋→追分→日本橋室町・十軒屋跡→今川橋跡→JR神田駅→須田町交差点→旧交通博物館跡→筋交橋跡→
   昌平橋→昌平坂→湯島聖堂→神田神社(神田明神)→かねやす→法真寺→東大赤門→東大正門→東大農学部→本郷追分→円乗寺→大圓寺→
   白山神社→さいかちの辻跡→駒込土物店跡→天栄寺→徳川慶喜巣神住居跡→JR巣鴨駅


 クラブツーリズム 「街道を歩く 中山道69次 第1回 日本橋〜巣鴨」 街道案内人 大野正實 歴史講師  


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  日本橋から巣鴨へ

中央区日本橋は五街道の起点であり、お馴染の橋である。日本橋を起点として東海道と甲州街道は南下し、日光
(奥州)街道と中山道は国道17号線を北上する。
日本橋界隈は海浜のアシが生茂る湿地帯を埋め立てて商業地帯を造成したのが始まりで、1603年(慶長8年)に
江戸幕府が平川に木橋を架けたのが日本橋である。翌年幕府が日本橋を五街道の起点と定めた。


現在のルネッサンス様式アーチ型石橋が1911年(明治44年)に完成するまでの間、日本橋は火災、洪水などで
20回も架け
替えるらているという。

Blowin' in the Wind 2011
                          
いっちゃん中山道を歩く・・
2011. 9.24 日本橋〜巣鴨    歌川広重渓斎英泉とが描いた中山道69次はこちらでどうぞ