Blowin' in the Wind 2011
                          
いっちゃん中山道を歩く・・
2011.10. 7 巣鴨宿〜戸田橋    歌川広重渓斎英泉とが描いた中山道69次はこちらでどうぞ

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  巣鴨宿から戸田橋へ

板橋宿:日本橋から約10Kmのところの中山道の最初の宿場である。
南は滝野川境から、北は前野村境(現環状7号線辺り)までの2.2Km
の南北に長い宿場で、平尾宿、仲宿、上宿
の3宿で構成されていた。

本陣1軒、脇本陣3軒(各宿1軒)

18世紀になると信濃の善光寺参りや近江の多賀神社への参詣する旅人で大変にぎわった。


右側にJR巣鴨駅(写真右)を見て山手線陸橋を渡る。橋を渡り、左側の線路沿いの桜並木の通り入口に染井吉野碑が建っている。
ソメイヨシノは、ここ染井の土地の名をつけた桜のこと。 その先左側に真性寺があり、境内には江戸6地蔵の1つで
1714年(正徳)に
建立の高さ2.6m銅造地蔵菩薩像が本堂左手前にある。

巣鴨橋と巣鴨駅 染井吉野の碑 巣鴨商店街 真性寺 芭蕉碑(真性寺)

真性寺前を過ぎると斜め左手に、「巣鴨地蔵通商店街」ゲートが見える。17号線と分かれ、左折してゲートの下を潜り、とげぬき商店街
通りに入る。この通りは、とげぬき地蔵のある「おばあちゃんの原宿」として有名。200mほど
進み、左側に1596年(慶長元年)湯島に
開かれ、1891年(明治24年)この地に移転してきた高岩寺である。ここの本尊が「とげぬき地蔵」として知られる延命地蔵菩薩尊であ
る。開いている店をながめると、衣料、団子、漬物などなどみんなおばあちゃんが好きそうなものばかり。煎餅などは歯の悪い人のため
に柔らかくしてあるとのことで、また来たくなるのも当然と納得・」。今日のお土産に「大学芋」を購入・・。


軒先の道標
高岩寺 延命地蔵菩薩尊
洗い観音

巣鴨庚申塚
猿田彦神社

先に進むと電柱に「巣鴨庚申塚・猿田彦大神」案内標識があり、商店街外れの交差点右角に、猿田彦大神を合祀した庚申堂と、その前
に庚申塚碑がある。庚申堂に鎮座する庚申塔は1652年(明暦3年)に再興したとき、1502年(文亀2年)の碑を丈を縮めて造り替えた
もので、とても古く由緒ある塚である。
庚申塔とは:庚申さまを供養するために建てた石塔のことで、石塔を中心に土を小高く盛ったものを庚申塚という。

延命地蔵尊 東京種苗
西尾商店
一里塚跡 近藤勇墓所

約1Kmの商店街を抜け、都電荒川線庚申塚駅の踏切を横断して進む。 踏切から約100m左側路地入口に延命地蔵尊標柱が立ち、
小路奥に中山道の長旅で死亡した人馬を供養するために170年(文政年間)前に建立した地蔵尊、南無妙法蓮華経と刻まれた石碑
が立っている。
路路から戻りその先の右側に、ガラス戸に「農産種子生産卸東京種苗株式会社」の建物がある。この辺りは昔滝野川三軒家と呼ばれ、
江戸時代、桝屋孫八・越部半右衛門・榎本重左衛門の三軒の種屋があったところで、全国的にも滝野川の3軒家の「種」は有名になり、
中山道を通る大名も買い求めるほどであったという。亀の子タワシの西尾商店も街道に面している。

その先の掘割信号交差点で明治通りを横断して北区に入る。JR板橋駅東口広場に面した一角に新撰組隊長近藤勇墓所がある。
近藤勇の出身地は調布市上石原村であるが、官軍と戦い敗れて捕えられ、明治元年4月に板橋滝野川で斬首された。「斬首」の刑に
ついて、近藤勇はかなり憤慨したとの話も残っている。

巣鴨駅前
東光寺・庚申塔
宿場通り入口
豊川出世稲荷
観明寺・赤門

もとの信号交差点に戻り、この地点が北区と板橋区の境界で、ここから板橋区に入る。JR埼京線踏切渡り、600mほどの先の17号線
に出て首都高速の下を右斜め方向に横断し、板橋宿ゲートを潜り、
宿場通りに入る。宿場通りの手前に東光寺がある。
ここには歴史の古いと思われる庚申塔、追分地蔵が鎮座している。
宿場入口は3宿の1つの平尾宿で、通りの右側に、江戸時代多くの信仰を集めた1338年(歴応元年)創建の観明寺がある。


観明寺・庚申塔
平尾宿
豊田脇本陣跡碑
花の湯
中山道道標
うだつ造りの建物

参道入口に1661年(寛文元年)造立の青面金剛像の庚申塔が安置されている。本堂右手には立派な観明寺会館が建っている。
観明寺のすぐ先、右側の「花の湯」から右折した奥に「平尾宿豊田脇本陣跡」がある。その先で仲宿通りに入る。当時の面影はないが

馬頭観音
板橋宿本陣跡
高野長英
ゆかりの地案内板
文殊院・遊女の墓 文殊院・本堂

両側に結構小さな店舗が並びそれなりに繁盛しているように思える。右側のスーパーライフが飯田本陣跡で、碑は手前の境界ブロック
塀の裏側にあるので見落し易い。ライフから500mほど左側の「うなぎ仲宿」の小路を左折した奥に、皇女和宮が降嫁するとき宿泊した
仲宿の飯田脇本陣がある。

文殊院・山門
飯田脇本陣碑
板橋
板橋・道標

縁切榎

さらに先に進み、板橋の地名の由来となった石神井川にかかる板橋を渡る。板橋の名は平安時代の「源平盛衰記」にもその名がある
古い橋で、その後、何回か架け替えられ、江戸時代の橋は太鼓橋で長さ16.2m、幅5.4mあったと言う。
現在の橋は1972年(昭和42年)河川改修にともない架け替えられたものとの事。橋を渡り、上宿に入り「縁切榎前信号」交差点右側の
交番のところに「中山道板橋宿標柱」と案内板が見える。
道を挟んで、この木に祈ると縁が切れるという「3代目縁切榎」が聳えている。当時の木は切株で残っている。皇女和宮の降嫁の時は、
榎を菰で包みその下を通ったという。その先の大和町信号交差点で、環状7号線を横断して進む。板橋宿は、この環状7号線辺りまで
であった。

南蔵院・前庭 桜寺(南蔵院) 志村一里塚(のぼり) 志村一里塚(くだり)
道標・庚申塔

信号から約600mほどのところの首都高速5号池袋線高架がカーブするところの泉町信号交差点で、国道17号線と合流し先へ進む。
17号線を500mほど進み、右側にひときわ目立つ緑の参道が現れる、境内の正面奥に南蔵院があり「しだれ桜」が有名で「桜寺」の
別名がある。
17号線を進み、南蔵院から約700mの一里塚信号交差点両側に日本橋から3番目の国指定史跡の「志村一里塚(東側)、(西側)がある。多少位置は移されているが完全な形で両側の一里塚が対で残っていて、国指定文化財となっている。

17号線を北西へ進む。次の志村坂上信号交差点で17号線と分かれ、みずほ銀行と志村警察署交番の間の左側の細い道を進む。
住宅街の中を進むと、道の色が変わる丁字路は直進、丁字路を左折する道は中山道から富士・
大山への分かれ道で丁字路角の民家
玄関前に「道標」と「庚申塔」が並んで立っている。左側が1792年(寛政4年)
建立「是より大山道并にねりま川こえみち」道標、右側が
1860年(万延元年)建立の庚申塔で左側面に「是ヨリ
富士山 大山道」とある。丁字路を過ぎると道は下り坂となり左側に「清水坂碑」
が立つている。


清水坂石碑(坂上)
清水坂石碑(坂下) 薬師の泉・案内板 庭園 薬師の泉・碑

清水坂は日本橋を出発した中山道の最初の難所であったところで、急版で途中から大きく曲がり、街道で唯一「富士山を右手に一望
できる」名所であったと言う。
道なり下り、左側のもう一つの清水坂碑の丁字路で、右折して坂を下る。
坂下には板橋・蕨両宿の間の合いの宿が
あり志村名主屋敷や立場茶屋があった。その先で頭上を通る地下鉄都営三田線高架の下
を潜り、
17号線と合流して左折する。17号線を少し戻ると、かつてあった大善寺の境内に湧いていた「薬師の泉」跡がある。現在、湧水
は枯れて湧いていないが公園となって残っている。

環八通りと交差する環八通りを横断し、右折、左折で
17号線と並行な住宅街の道を進む。500m程進み、左にカーブして17号線と
合流し、右折してまっすぐな17号線を進む。
17号線を約800程m進み、新河岸川にかかる志村橋を渡る。その先の舟渡信号交差点から約100mのところで
旧中山道は17号線
と分かれ、右斜め前方に進み荒川の渡し場まで通づることになっているが、現在は上越新幹線で
道は消滅し、土手にも舟渡し場の史跡
などは見当たらないとの説明で今日の行程は終了。次回はここからスターとなる。



今日のコースは JR巣鴨駅→真性寺・六地蔵→高岩寺・とげぬき地蔵→巣鴨庚申塚・猿田彦神社→延命地蔵尊→滝野川三軒屋→近藤勇墓所→
   宿場通り→平尾宿→観明寺→平尾宿豊田脇本陣跡→飯田本陣跡→仲宿飯田脇本陣→板橋→板橋宿標柱→縁切榎→南蔵院(桜寺)→志村一里塚→
   富士山・大山道碑→清水坂碑→板橋・蕨合いの宿→志村名主屋敷・立場茶屋→志村橋→JR浮間船渡


 クラブツーリズム 「街道を歩く 中山道69次 第2回 巣鴨宿〜戸田橋」 街道案内人 四宮 功 歴史講師