大宮宿本陣跡は最初の本陣が内倉本陣で、その後、少し先の山崎本陣に変わっている。また紀州鷹場本陣(北澤本陣)が現在の高島屋の場所
にあった。その他に9軒の脇本陣があったが、問屋場・高札場などを含めた宿場時代の案内表示が無いため、場所を確認することはできない。
大宮駅前からはいるすずらん通り中程に「旅籠屋次郎」という食べ物屋さんがあり、そこが本陣跡という案内が立っていると聞いて出発前に歩いた
が確認できなかった。
駅前から中山道を北上し大栄橋の交差点を左に行くと小さな祠の阿弥陀堂(栗原堂・御影堂)がある。 門横にある堂は延命子育て地蔵尊. 甲斐
武田氏の遺臣で、武田家が滅びこの地に移り住んだ栗原一族 の持仏堂であり、その時の 栗原内記と妻の木彫坐像が安置されている。

宇都宮線にかかる大栄橋は映画「キューポラのある街」でお馴染みである。
東光寺は級の岩槻街道に大宮小と並び大きなお寺である。説明によると、もとはこの地ではなく、大宮黒塚(氷川神社の東方)にあり、平安末期
(約八百年前)武蔵坊弁慶の師匠、山城国京都鞍馬寺の東光坊阿闍梨宥慶法印が黒塚の鬼婆々を法力をもって退散させ、鬼婆々に殺された人々を葬る為に、この地に庵を結び天台宗寺院として開創されたのに始まる・・とあった。

大宮駅前・すずらん通り 大栄橋 阿弥陀堂(栗原堂) 東光寺・地蔵 東光寺・庚申塔

大栄橋交差点から約300m行くとJA共済埼玉ビルがある。この辺あたりまでが大宮宿であったそうだ。土手町1丁目に入ると、「土手の椎の木」と
呼ばれ、旅路の目印として植えられていた2
本のの大木が、今も青々と葉を茂らせている。宇都宮線線ガード手前の右側には官幣氷川神社」
と刻まれた大きな石柱が建っている。

土手町の椎 氷川神社・石柱 大山道・道標
道標

八百姫大明神

宇都宮線の下をくぐり5〜6分歩くとファミレス駐車場入口に、安政7年(1860)に建てられたという「大山道道標(安政7年の道しるべ)」がある。
中山道から西に分かれる神奈川県の大山までの道標である。

大山御嶽山道標(おおやまみたけさんどうひょう):安政年(1860)建立の道標で「大山 御嶽山 よの 引又 かわ越道」と刻まれている。
すなわち、相模大山および
大山阿夫利神社と、御岳山(東京都青梅市)、近隣の与野、引又(ひきまた。現・志木市)、そして、交易地として栄えて
いた
川越への道を案内するものであった。

なお、大山詣では、男子が15〜20歳になると一人前と見なされ、村の大人とともに参拝する習わしとなっていた。
はっきりとした街道としての記録はないが旧中山道以前の「中山道古道」に嘉永年(1854)に再建されたと伝えられる「八百姫大明神」の石碑が小堂に納められている。八百姫とは「人魚の肉を食べて800歳まで生きた」という、「八百比丘尼(やおびくに)」のことであり、当地にしばらく滞在
していたとの伝説が残っている。

石上神社 御神体 馬頭観音 三界萬霊塔 猿田彦大神

旧中山道に戻り東大成小学校入口の交差点を左に入り200mほど行くと小さながある。「石上神社(いそのかみじんじゃ)」で疱瘡(ほうそう)の
神としてその
禍(わざわい)から逃れられるよう信仰されたもので、太平洋戦争前までは露店が出るほどの賑わいであったという。

街道右側、東大成(ひがしおおなり)2丁目のビル前の歩道には「馬頭観音、三界萬霊塔」が残されている。再び、左側に戻るとバス停のすぐ前には

東大成の庚申塔がある。赤い鳥居の先の祠には猿田彦大神東大成の庚申塔」が祀られている。元禄10年に建てられたというこの庚申様は地元の人達から「耳の神さん、目の神さん」と大事にされているそうだ。


東大成庚申塔
天満宮 天満宮・御本尊 加茂神社 本殿彫刻

宮原駅入り口には悪霊から橋を守るための「橋供養塔」が建っている。このあたりが日本橋から8里の「一里塚」があったと言われる。
昭和初期まで小川が流れており、橋が架かっていた場所の「天神橋跡」を少し行くと、 英泉の木曽街道の絵に描かれて有名な加茂神社がある。
静かな神社である。京都上賀茂神社を勧請したと伝わる加茂宮村の鎮守であり、本殿の彫刻は見事である。

加茂神社 せんだんの木 案内板 南方神社 魂霊神

街道を淡々と歩いてゆくと。諏訪信仰の「南方神社(みなみかたじんじゃ)」がある。地元の人たちは「お諏訪さま」と呼び大事にしているそうです。
つつじが丘公園西交差点近くの歩道空き地に「庚申塔」がぽつりと立っている。このあたりが「さいたま」と「上尾」の境界となる。
先の16号線のガードをくぐると宮原小学校がある。ここに樹齢は約130年樹高約15mの大きなセンダン木がある。宮原小学校(旧加茂学校)の
開校当時、先生の一人が郷里の高知県から苗木を持ち帰り移植した木です。

街道を淡々と歩いてゆくと。諏訪信仰の「南方神社(みなみかたじんじゃ)」がある。地元の人たちは「お諏訪さま」と呼び大事にしているそうです。
つつじが丘公園西交差点近くの歩道空き地に「庚申塔」がぽつりと立っている。このあたりが「さいたま」と「上尾」の境界となる。
上尾陸橋の交差点を過ぎると「愛宕神社」がある。手前には祠の中に川越道の道標を兼ねた「庚申塔」が建っている。屋根のある幸せな庚申塔で
ある。「是より秋葉へ十二丁 ひご方へ壱里八丁 川越へ三里」と彫られている。
街道を淡々と歩いてゆくと。諏訪信仰の「南方神社(みなみかたじんじゃ)」がある。地元の人たちは「お諏訪さま」と呼び大事にしているそうです。
つつじが丘公園西交差点近くの歩道空き地に「庚申塔」がぽつりと立っている。このあたりが「さいたま」と「上尾」の境界となる。

庚申塔・道標
中山道の石柱
愛宕神社・庚申塔 旧川越街道 上尾本陣跡

上尾陸橋の交差点を過ぎると「愛宕神社」がある。手前には祠の中に川越道の道標を兼ねた「庚申塔」が建っている。屋根のある幸せな庚申塔で
ある。「是より秋葉へ十二丁 ひご方へ壱里八丁 川越へ三里」と彫られている。
上尾宿に入る。上尾宿は火事が多かったことから魔除けの鬼瓦を屋根の上に乗せる家が多かったそうだが、もっとと強いのは鍾馗様を乗せる家
も多い。
店頭に「鍾馗様」が置いてある。「伊勢屋和菓子店」は創業180年という老舗でお勧めは鍾馗羊羹。
ここから数分歩いた駐車場の塀に「脇本陣井上家の鬼瓦」が2基ならんでいる。隣の医院が本陣であった。

井上脇本陣鬼瓦 上尾宿 案内板 氷川鍬神社本殿 鍬神社鳥居から

この斜向かいに上尾宿発祥の「氷川鍬神社」がある。鍬祭りとして鍬を祀ったのが由来というこの社は、小さな丁を神体とし、五穀を司る農業
神を祭神とする。 「鍬大神宮」「御鍬大明神」と称し、 地元では「お鍬さま」の愛称で親しまれている。
神社の前には上尾宿の案内板がある。



今日のコースは JR大宮駅→阿弥陀堂→東光院→土手町の椎→氷川神社裏参道→大山道道標→石上神社→馬頭観音・三界地蔵→東大成庚申塔→
  加茂神社→宮原小学校→南方神社→庚申塔→愛宕神社→井上脇本陣跡→上尾本陣跡→氷川鍬神社→
JR上尾駅

 クラブツーリズム 「街道を歩く 中山道69次 第5回 大宮宿〜上尾」 街道案内人 大野正實 歴史講師

Blowin' in the Wind 2011
                          
いっちゃん中山道を歩く・・
2011. 5.10 大宮宿〜上尾    歌川広重渓斎英泉とが描いた中山道69次はこちらでどうぞ

地図をクリックで拡大
   大宮宿から上尾宿へ

中山道・大宮宿武蔵国一の宮である氷川神社があるので大宮という。宿の規模は浦和宿、上尾宿よりやや大きい宿場で
あった。

脇本陣9軒は中山道69次の中で最っとも数の多い軒数である。本陣は臼倉新右衛門がつとめていたが、文政期以降
山崎喜左衛門がつとめた。現在高島屋が建っている場所は、大宮宿の草分け、寿能城家老北沢家の屋敷跡である。
同家は紀州候の
鳥見役として御鷹場本陣と宿駅の脇本陣と兼ねた。

本陣1件、脇本陣9件、旅籠25件