大磯駅前からの出発となる駅前の通りを海に向かって下るり交差点を横断して少し行くと、左側歩道の小路を入った
ところに虎御石(とらごいし)が法虚庵に安置されて(拝観は有料)いる
延台寺がある。

虎御石の由緒:安政元年(1175)大磯の山下長者に娘が生まれたが、虎池弁財天に願をかけて授かった娘であっ
ので、虎と名づけた。そして弁財天のお告げの印として小さな石が枕もとにあり、長者は邸内にお堂を建て虎御石とし
て大切にお祀りしていた。不思議なことに虎女の成長とともにこの石も大きくなっていった。
やがて舞の名手に成長した虎御前は曽我十郎と恋仲になった。十郎が虎女の家で刺客に襲われた時この石のおかげ
で命が助かったので、身替りの石ともいう。その後曽我兄弟は富士の裾野のあだ討ちで本懐をとげ死ぬことになるが、
虎御前はこの地で庵を結び兄弟の菩提を弔ったのがこの寺という。
また、この寺には遊女の供養碑もある。
Blowin' in the Wind 2011
                          
いっちゃん東海道を歩く・・
2011. 5.4 大磯宿〜国府津    歌川広重が描いた東海道53次はこちらでどうぞ
虎御石・案内板 延台寺山門 法虚庵・虎御石 虎御前の墓 遊女の墓

延台寺脇には秋葉神社がある。延台寺から右側歩道を少し歩くと、「北組問屋場跡」「小島本陣跡」そして小路を挟んで「尾上本陣跡」がある。

本陣の間の小路に入ると正面に地福寺がある。この寺の境内の左側には「破戒」や「夜明け前」などの小説や「若菜集」詩で有名は島崎藤村の
が、ひっそりと梅の木で囲まれていた。この寺はもともと墓地のない寺であったが、当寺の梅の花の下で眠りたいという藤村の生前の願いで
唯一つ墓を
置いてあるという。地福寺を出ると「大磯小学校・尾上本陣跡」の石碑がある。

大磯宿北組問屋場跡 小島本陣跡 大磯宿絵図 本陣絵図 藤村夫妻の墓

その先には「街道歩き」のもう一つの楽しみである「老舗の銘菓」が今回も待っていた。お土産用に「虎子饅頭・豆大福」と購入。

地福寺から旧東海道に戻り200mほど行くと、左手に分岐している道のコーナーに、この先200mが海水浴場発祥の地の碑があり、その先には
「南組問屋場」の安内板が立っている。

地福寺山門 大磯小学校
尾上本陣跡
杵新
海水浴場の碑
南組問屋場跡
新島襄終焉の地 高札場跡 湘南発祥の地 鴫立沢 鴫立庵

ちなみに日本最初の海水浴場は明治18年に陸軍軍医総監松本順基によって開設された。さらにすぐ先の一段と高くなった三角コーナーに新島
襄の終焉の碑
がある。
新島襄:天保14年(1843年)、安中藩士の子として江戸・神田に生まれ、21歳で渡米しキリスト教徒となった。帰国後父母の住む安中でキリスト
教を伝道し、その後京都で同志社英学校を設立、静養のために来たこの地で47歳で亡くなった。なお新島襄の妻は函館五稜郭の戦いで、鉄砲隊
として官軍と戦った戦士である。
 

そこから200mほど行くと鴫立沢交差点左側の道路より一段低くなったところで、小さな流れ「鴫立沢」渡ったところに「鴫立(しぎたつ)庵」がある。

西行がここで「こころなき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ」という名歌を詠んだという。

虎御前(鴫立庵) 西行像(鴫立庵) 島崎藤村旧宅 旧宅内部 大磯松並木

寛文4年(1664)に小田原の崇雪がこの地に五智如来像を運び、西行寺を作る目的で草庵を結んだのが始まりで、元禄8年(1695)俳人の大淀
三千風が入庵して
鴫立庵と名づけ、第一世庵主となった。門を入ると法虎堂には有髪僧の虎御前の木像、円位堂には等身大の西行像が安置され
ている。さらに庭には西行歌碑、芭蕉句碑、戸田茂睡歌碑など多数の歌碑があり俳諧が好きな方には必見の庵である。

湘南発祥の地大磯の由来:崇雪が草庵を結んだときに、鴫立沢の標石をたて「著盡湘南絶地」と景勝を讃えて刻んだのが始めとある。

中国湖南省にある洞庭湖のほとり湘江の南側を湘南といい、大磯がこの地に似ているところから湘南と呼ばれるようになった。(案内板抜粋)庵から
少し行くと大磯中学前交差点から右に入り路地を曲がりながら行くと、
ここで「東方の門」を執筆しながら2年間過ごして没した島崎藤村のがある。

現在は親類の人が管理していて中に入り見学できるようになっている。
鴫立庵と道路を挟んだ反対側には「高札場跡」の案内案がひっそりと建っている。

また、この交差点あたりから旧東海道の松並木が始まり、樹齢300年の松もあり、ついカメラを向けたくなる(歩道橋の上から撮りました)美しい並木
である。松並木の中には「上方見付跡」の案内板「松並木」の案内板もある。
400m程の長い松並木が終わると、初代首相の伊東博文の旧邸の
滄浪(そうろう)閣
が左手にある。大きな石碑に名前が刻まれている。
現在は中華料理店と結婚式場となっていると案内書には書かれていたが、入り口は鎖で閉じられていた。

250年松の碑 松並木案内板 樹齢300年の松 滄浪閣 成就の碑

大崎宿に入ると道祖神が多くみられ、「西国三十三か所順禮講」成就の碑も建っている・・信心深い土地柄であったろうことが窺われる。

しばらく・・約1Km余り街道沿いを歩き、城山公園前交差点で1号線と別れて右側に入り少し行くと右手に、県立大磯城山公園がある。

この公園は小磯城跡を整備したものでパンフレットによると、茶室城山庵・古墳時代の横穴墳墓・もみじ広場・展望台など多数楽しむところの多い広い
公園であるが、今回は展望台から相模湾・箱根(駒ヶ岳・金時山)の眺めを楽しんだ。

箱根の山並 相模湾 道祖神 江戸から17里
一里塚
双体道祖神

公園を出て500mほど行くと、松並木の中に「江戸から十七里」の一里塚がある。国府新宿交差点脇には「国府新宿・座問答の標石」がある。説明板
を読むとなかなか面白い・・ここで再度1号線と合流する。さらに200mほど行くと
大きな鳥居の奥に相模国総社「六所神社」がある。
相模の国の一の宮から四の宮平塚八幡、の五社と主祭神(柳田大明神)を祀っている。自分で知っているのは相模の国「寒川神社」かな?
800mほど歩くと二宮町との境界看板
がある。二宮町は太平洋戦争で戦災にあい史跡は殆ど消失してしまったという説明を聞いた。

境界からJR二宮駅前へ、駅のロータリーにある「ガラスのウサギ像」に寄り道・・何時だったか神奈川の歩きで来たことのあるところだ。
駅前の交差点から通り約1.5Kmあまり
の神社入口信号から号線と分かれて右の旧東海道を300mほど行くと右側に、町の天然記念物に指定され
ている
「フジ」のある藤巻寺がある。 山門入口には「山門不幸」と書かれた立札がある。住職が亡くなったようである。

国府祭・座問答の標石 六差神社 六社神社 江戸より18里
一里塚
松本本陣跡

 

寺を出て少し行区と再度1号線に合流し、川匂神社入口前でふたたび1号線と別れて左側の旧東海道に入る。

その直ぐさきの左側に「江戸より18里」の1里塚跡の碑があり、通りの和田家の庭には「茶屋本陣・松本本陣跡」の案内板があり、このあたりが「梅沢
の立場」である。押切坂急坂を下り、中村川の押切橋を渡ればいよ
いよ小田原宿となる。押切坂の先は緩やかな上り坂の「車坂」である。下ったところ
に「車坂」を詠んだ「歌碑」がある。

等覚寺(山門不幸) 等覚寺 押切坂(右:旧街道)
押切橋より相模湾
車坂歌碑

太田道灌:「鳴神の 声もしきりに 車坂 とどろかしふる ゆう立の空
源 実朝:「浜辺なる 前川瀬を逝く 水の早くも 今日も 暮れにゆけるかも」
阿仏尼:「浦路行く こころぼそさを 波間より 出でて知らす 有明の月」

西湘バイパスの高架下に白い波が見え隠れするとJR国府津駅前である。「国府津駅開業100年記念」の石碑が建っている。



今日のコースは JR大磯駅→秋葉神社→延台寺→北組問屋場跡・小島本陣跡→尾上本陣跡→地福寺→杵新→海水浴発祥の地→南組問屋場跡→
   新島襄終焉の地→高札場跡→湘南大磯由来の碑→鴫立庵→島崎藤村旧宅→旧東海道松並木→滄浪廓→城山公園一里塚→国府新宿→六所神社
   塩見橋→等覚院→押切坂→押切橋→車坂→車坂・歌碑→
JR国府津駅

 クラブツーリズム 「街道を歩く 東海道53次 第9回 大磯宿〜国府津」 街道案内人 小暮中和歴史講師